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ベストセラー作家

作者: halom

 ある所に作家志望の青年がいた。

 青年には金もコネも家柄もない。住まいの四畳半の安アパートにはカーテンもない。

 ただ根拠のない自信だけがあった。


「今日も駄目だったか」


 青年は毎日のようにそれこそありとあらゆる出版社を訪ね、自作の長編小説を直接持ち込んでいた。

 だがそれも読んでもらえるだけまだましな方で、ほとんどは編集者に会うことすら叶わず、受付の人間か警備員に門前払いされるのがオチだった。

 アポイントも取らず、お世辞にも綺麗とはいいがたい身なりのこの青年は、はっきりいって厄介物以外の何物でもなかった。

 出版社の前で落胆する青年の肩を誰かが唐突に叩いた。


「すいません、ちょっとよろしいでしょうか」


「誰だあんたは」


 青年が振り向くとスーツ姿の男がにこやかな顔で名刺をさしだしていた。


「いきなり声をおかけしてすみません、私も出版業にたずさわっておりまして」


 青年は突然のことに呆気にとられた表情で名刺に書いてあった社名を読み上げる。


「人類文化推進出版? 聞いたことがないな」


 青年はいぶかしんだ。ほとんどの出版社はまわった筈だったが、そんな出版社は聞いたことがない。


「あまり表だって営業している会社ではありませんからね。ですが私共はこうして将来有望な若手の作家を常に探し続けているのです。今時珍しく出版社に直接持ち込むあなたの熱意に感服致しました。どうですか一度あなたの小説を私共に預けてはみませんか?」


「それは構わないが……あんたの会社に預けて大丈夫なのか?」


「ご安心ください。決して悪いようにはしませんよ。私共の会社はすでに何人ものベストセラー作家を生み出しているのです。我々のノウハウと資金力。各界への太いパイプを利用すれば簡単なことです」


「そうか、どうせどこも相手にされなかったもんだ。好きにしてくれ」


 青年は半ば投げやりな気持ちで小説の原稿を渡した。


 ◇


 翌日の夕方。その出版社から青年のもとに連絡が来た。


「おめでとうございます編集者会議によりあなた様の小説の出版が決定されました」


「随分早いな。本当に読んだのか」


「ええもちろんでございます。とにかく素晴らしいの一言に尽きます。きっとこの小説はベストセラーとなるでしょう」


「ベストセラーか。それは良い」


 青年はようやく己の才能が認められたと喜ばしく思った。それと同時にこの才能気が付くのが遅すぎる、とも。

 編集者の言葉通り青年の小説はすぐに出版され、またたくまにベストセラーとなった。


 本は売れに売れた。

 そして映画、ドラマと次々に映像化されると話題の俳優が演じ、話題の歌手が主題歌を歌った。

 有名なコメンテーターがコメントし、芸能人達が方々で様々な宣伝を行った。


 この小説を読むことが一種のステイタスであり、トレンドであるとそれこそありとあらゆる方面で、誰もがその小説をほめそやした。

 青年のもとにはテレビ、雑誌の取材がひっきりなしに舞い込み、小説など書かなくとも一生を遊んで暮らせる分くらいには稼いでいた。


 それから何年かの月日が経った。


 そんな嵐のような騒ぎがようやく落ち着きを見せたころ青年はいつしか壮年の男になっていた。

 すでに働かなくとも十分なくらいの蓄えも知名度も地位も名誉も得ていた。

 自尊心はすでにあふれるほどに満たされ、美しい嫁と利発な子供。平和な家庭と広い庭付きの家も手に入れた。

 作家になった青年にとって足りないものは何一つとしてなかった。


 まるで絵に描いたような輝かしい成功の連続にすっかり気分を良くした作家の男は、数十年ぶりに再び筆を執ることにした。


「おかしい。一行すらかけない」


 だが一行として書けない。あれ程とめどもなく簡単に出てきた文字が出てこない。

 そしてあんなにも活発に動いていた自分の小説の登場人物たちもまた、作家の男に対して何も語りかけようとはしなかった。

 この満たされた毎日のせいで才気がすっかり逃げ出してしまったのではなかろうか。

 とてつもない不安に襲われた作家の男は受賞式以来連絡をとっていなかった編集者に連絡することにした。


「これはこれはお久しぶりです、先生」


 編集者はあの出会った時からまるで変わっていない口調と声音だった。


「いや、次回作を書こうと思っているんだがね。なかなか筆が進まんのだ」


「いえ、結構です。その必要はありません」


「次回作の必要がないだと? 馬鹿を言え。世紀の作家であるこの私が筆を執るんだ。次はきっと世間がひっくり返るほどの騒ぎになるんだぞ」


「繰り返しますがその必要はありません。先生はどうぞ豪奢なご自宅でゆっくりなさってください」


 作家の男は編集者の突き放すような言い方に僅かばかりのいらつきを感じ始めていた。


「しかし私はもの書きだ。次回作を書きたいんだ」


「大変残念ですがその役目はすでに新しい方にとって代わられています、先生はどうぞ老後をのんびりとお過ごしください。ああ今度うちの新人が本を出すのですが、その帯に一筆推薦文をお願いしてもよろしいでしょうか」


「なんだと、馬鹿にしているのか」


 作家の男は色めき立った。


「先生の作品は本当に多くの人に読まれました。あらゆる国で翻訳もされ、果ては国語の教科書にまで乗りました」


「であればこそ書くべきではないのか」


「いえ、わたくしが申し上げておりますのは、先生の作品はすでに陳腐といえるものなのです。知らないのですか。先生の作品はもうすでに過去のものなのです」


「陳腐だと?」


「そうです陳腐です。あちこちで使い古され、オマージュされ、徹底的にしゃぶりつくされた後なんです。ですがそれはある意味名誉なことなのです。それほどまでに読まれた作品を執筆したという誇りにはなりませんか? ほとんど、それこそ大勢の作家はそこまでの作家には到底なれません。これ以上何を望むと言うのですか。文句を言っては罰があたるというものです」


「いやしかしだな」


 編集の淡々とした口調に壮年の男はうめいた。


「先生の作品はすでに常識、といえるものまで昇華されたのです。人類文化の礎となりその進化、発展に貢献したのです。その朽ちた死骸の栄養も含めて。だからこそ、先生の作品は陳腐であるのです。飽きられたともいえますし、それだけ多くの人にとって内面化されたともいえるです」


 編集者は得意気に続けた。


「これはとてもすごい事なのです。例えば今晩のおかずを選ぶことから、果ては選挙。どこの党に投票するのか。そういったレベルにまで日常の判断の礎となって生きているのです。何を恥じることがありますか」


「おい、私を高価ながらくた扱いするな。作家に定年などない。私はまだまだ書けるんだ。そうか貴様らの魂胆がようやく分かったぞ、ようは俺を踏み台にしたんだな……!」


 男は真剣に怒った。そんな話はまったく聞いていなかったからだ。


「言葉は悪いですがその通りです。ですが先生もすでにそれ以上の成果報酬を受け取っているのではないですか」


「ふざけるな、人の才能に勝手に価値をつけるな! 俺は初めからそんなものなんていらなかったんだ。俺は俺の満足のいくものが書ければよかったんだ。金や地位や名誉なんてくだらんものいつでも突き返してやる」


「そうですか、では仕方がありません。ですがそれは今の地位、生活を犠牲にしてまで取り戻したいものなのですか? まったく理解に苦しみますね」


 編集者はまるで子供を諭すような呆れた口調で言った。


「私はもの書きとして生まれたんだ。歴史に名を残す作家になることは勿論幾度なく夢見たこともある。だがそれはひとつの世界を生み出す喜び、高揚感には到底及ばないものだ。まだ名もない作家志望だったあの時、俺の小説の主人公たちはちゃんと俺に向かって真摯に語り掛けてきた。俺にあの才能を返してくれ」


「分かりました、そこまで言うのでしたらお返ししましょう。ですが一度返したら最後。もう二度と元には戻れませんがよろしいですか?」


「ああできるものならな」


 そう吐き捨てるように言って作家の男は電話を切った。悔いは一切なかった。

 そして突然の激しい眠気に襲われ崩れ落ちる。



 ◇



 作家の男が目を開けるといつかの安アパートにいた。体もすっかりあの時の青年の姿に戻っている。

 辺りを見回すと畳の上には書きかけの小説が転がっていた。


 青年はその小説を手に取り夢中になって読み始めた。

 そこには生き生きとした登場人物たち。そして書くことが楽しくて仕方がないという筆者の気持ちがそこここに溢れていた。

 そして理由は分からずとも不思議な魅力で満ちていた。


 自分にとって十分に満足のいくものを書けること。

 そのことを誰かに感謝せずにはいられなかった。


 青年は満足気な顔をして早速話の続きの執筆に取り掛かった。

 それは今まで見せたことのない、かつてないほどに満たされた顔だった。




お読みいただき、誠にありがとうございました。

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