第一章 4話
アリルは今、護身用にモップを片手に持ちながら、ロフィとともに校舎内を見て回っている。
雲が月を覆い隠し、あたりは薄暗い。
そんな中を二人で歩き回っていく。
「それにしても妙だ」
周囲を警戒しながらロフィが言葉を漏らす。
「何がですか?」
「私はずっと門で警備をしていたが、今日この学園に入ったのはアリルだけだ。ほかに不審な人物は立ち入っていない」
「門以外から入ったとか?」
「それはない。光の障壁は、門以外では常時発動している」
「あ、その話くわしく聞きたいです!」
「最近どうにもブラバクト王国の動きがきなくさい。やつらの仕業でなければいいんだが……」
話が逸れてしまった。
アリルがしょんぼりしていると、ロフィが鋭いまなざしを向けてくる。
「アリル、自分が疑われているとは思わないのか?」
「わたしですか? わたしみたいな善良な雑用係が、そんなだいそれたことはできませんよ」
アリルは失笑する。それを見てロフィは苦笑を返してきた。
「まあ安心してくれ、君を疑っているわけではない。生徒の傷口を見てきたが、あれはかなり熟練した者の仕業だ。ほれぼれするほどすばらしい斬りつけ方だった。私も見習わないといけない」
「犯人さーん、出てきてくださいー。ロフィさんが斬りかかる相手を探してますよー」
そう周囲に声をかけてみるが、何も反応は返ってこなかった。
と、近くの部屋のドアががちゃっと開いて、中から見知った人が出てきた。
リサだ。
「おっ、やっぱりアルリか。見回りか?」
「はい、そんな感じですね」
「ちょうどいい、ちょっと耳を貸せ」
「なんですか?」
とことこと近づくと、リサが耳打ちしてくる。
「人斬りなんだけどよ、どうやら犯人は悪霊の仕業らしい」
「えっ。そんな情報、どこから?」
「事件とは関係ないと思うんだが、あたしの部屋に置いておいた剣がなくなっててよ。その剣、骨董商に鑑定してくれって押しつけられた一品なんだが、どうやら呪われた剣で、人斬りの悪霊が憑いてるっていう茶目っ気のきいたやつだったらしい」
「ロフィさん、犯人が分かりましたよ! さあ斬ってください!」
アリルがリサを部屋から引っ張り出すと、慌ててリサは中に戻ろうとする。
「勘弁してくれっ、ロフィに冗談は通じねえよ!」
「なんでそんな剣を預かったんですか?」
「いやー呪いの剣とか、なんか面白そうじゃん? 研究してやろうと思って厳重に管理してたんだが、鍵が破壊されてたんだよ。まさかそこまで強力なのが憑いてるとはほんと予想外だった」
「つまりその剣に憑いてた悪霊が人斬りをおこなったと?」
こくこくとリサが頷く。
「たぶんな。持ち主として剣を回収して処分したいんだよ。もし剣を見つけたら、あたしの所へ持ってきてくれねえか?」
「見つけ次第、叩き折ってきたら駄目なんですか? もしかしてまだ未練があるんですか?」
「バカ言うな、あるに決まってんだろ!」
「ロフィさん、斬っちゃっていいですよ!」
リサを部屋から引っ張り出そうとしたが、彼女はドアにしがみついて意地でも外に出てこない。
しばらく引っ張り続けたが、やがてアリルはあきらめて、一つため息をつく。
「今後はちゃんと管理してくださいね? 今回だけですよ、大目に見るのは」
「悪い、ほんと助かる。お礼に今度、ヴィオの弱点を教えてやる」
「ほんとですか! 楽しみにしてますね!」
アリルが満面に笑みを浮かべると、リサも顔一杯の笑みを返してきた。
リサと別れたアリルは、引き続きロフィと校舎内の探索を続けた。
それにしてもいいことを聞いた、とアリルは内心で喜ぶ。
その呪いの剣があれば、たとえ自分がヴィオに斬りかかっても、不可抗力ということで済むかもしれないと考えたからだ。
暗殺とは、事故と装うべし。そんなことをディナーシャが寝言でつぶやいていたことをアリルは覚えていた。
しばらく探索をしていると、ロフィがぴたっと足を止め、静かにするよう促してくる。
どうやら不審者を発見したようだ。
ロフィの視線の先に目をやると、確かに噴水の陰に人が立っている。
暗くてよく見えないが、こんな状況で一人でぽつんと立っているなんて怪しい。
アリルは小声でロフィに話しかける。
「きっとあの人が犯人ですね。ロフィさん、斬っちゃってください」
「斬りはしないが、多少手荒なまねはさせてもらおう」
ロフィは剣の代わりに懐からロープを取り出す。どうやらふん縛るつもりらしい。
そんなとき、噴水の人影が動いた。
それに合わせてロフィが勢いよく駆け出す。が、ちょうど雲の切れ目から月光が差し込み、人影の姿がはっきりと見えた。それはヴィオだった。
とっさにアリルはロフィの足に自分の足をひっかける。
ロフィが盛大にすっころんだ。
「アリル、それに警備の方も。どうかしたの?」
不思議そうな顔つきでヴィオがこちらに近づいてくる。
「それはこっちのセリフですよ、生徒は自室待機なのにどうしてこんな所に。そのせいでロフィさんが転んじゃいましたよ!」
「人斬りがうろうろしているというのに、わたくしだけが部屋で安全に過ごすなどできるはずもないわ。犯人を捜して一戦交えるつもりだったのよ」
確かにその言葉通り、ヴィオは鞘に入った剣を携えていた。
アリルは今回の件について、耳打ちでヴィオへ簡単に説明する。
「リサさんのせいだそうです」
「まったく、あの人ときたら。どうせ呪われた剣でも押しつけられて、それが悪さをしてるんでしょ?」
「そんな感じですね!」
「呪われた剣を持っているのは、どうやら人型をした黒い霧のようね」
「さぁそこまでは知りませんけど、そうなんですか?」
「あそこに居るわ」
ヴィオが指を指す。
その方を見ると、大きな剣を持った黒い影がふらふらとした足取りで廊下を歩いていた。
その異様な雰囲気もそうだが、何より目立つのは、影の持つ剣に大きな文字で『呪われてます☆』と書かれていた。
ヴィオがすっと鞘から剣を抜く。
静かに彼女は前進しようとしたが、それをアリルが止めに入る。
「ヴィオさん、ここはわたしに任せてください」
アリルとしては、こんなところでヴィオを危険に巻き込みたくはなかった。
自分が殺すまでの間に彼女に死んでほしくない。
こん、とヴィオが手でアリルの持つモップを叩いてくる。
「こんな武器でどうにかなると思ってるのかしら?」
「ロフィさんに頼みましょう。ロフィさん――」
そう呼びかけつつ振り返ると、彼女はなぜか地面を這いつくばっていた。無念そうにロフィが言葉を漏らす。
「すまない、転んだ拍子に足をくじいてしまったようだ。立ち上がれない……」
「さすが呪いの剣ですね、さっそくロフィさんをやっつけてしまうなんて。こうなったらわたしがなんとかします!」
力強くモップを構える。ヴィオが呆れるようにため息をついた。
「そのモップは、剣の一撃を耐えられるような上等なものなのかしら。邪魔よ、引っ込んでなさい」
ヴィオが前に出る。だがアリルも食い下がった。
「ならわたしがおとりになります。その隙を突いてヴィオさんは攻撃をお願いします」
「あなたが危険よ」
「ヴィオさんにケガさせるわけにはいきません」
アリルが強い口調でそう言うと、ヴィオは少し驚いたようになる。それから表情を崩すと、アリルの肩にぽんと手を載せた。
「安心なさい。わたくしはケガをするようなドジは踏まないわ」
その言葉を言い終わるやいなや、ヴィオは呪いの剣を持つ影めがけて駆け出す。すると向こうも気づいたのか、何か奇声を上げながら剣を大きく振りかざして襲いかかってくる。
決着は一瞬だった。
ヴィオが転んだ。
アリルが足を出したわけでもなく、草に足を取られて一人ですっころんだ。倒れたヴィオめがけて呪いの剣が振り下ろされる。
とっさに飛び出したアリルは、ヴィオに覆い被さる。すぐさまアリルの背中に激痛が走った。
「かすり傷!」
と自分に言い聞かせてみるが、意外に痛い。
「アリル!」
ヴィオが悲鳴にも似た声を上げる。
背中を切られても、それでもアリルはヴィオを覆い続け、彼女のことを守ろうとした。
ヴィオを殺すのは自分だ。
その強い信念がアリルを突き動かした。
それからのことをアリルはよく覚えていない。
だが何か剣と剣がぶつかり合う鈍い音と、自分のことを呼び続けるヴィオの声を耳にしたような気がした。
アリルはすっと意識を失った。