第一章 3話
この学園があるのはヴァレーク王国だが、この王国には何かと敵が多い。
周囲には何カ国か隣国があるが、どの国とも水面下では仲良くしているものの、裏では王同士が激しくののしり合い、殴り合い、友情を深め、お互いのことを好敵手として認め合っている。
だが中には拳では分かり合えなかった国もあり、その代表が小国のブラバクト王国とジョンシュタイン王国の二国である。彼らはいつかヴァレーク王国にぎゃふんと言わせてやろうと画策しているらしい。
アリルに暗殺を依頼してきたのも、その一方のジョンシュタイン王国の関係者であるそうだ。あくまでアリルがディナーシャから聞いた話なので、どこまでが本当なのかは分からない。
お昼どき。
テラスで優雅に食事を終えた生徒たちは、これから狩猟に向かう。晩ご飯の素材のためだ。
最初は特別授業として実施されていた狩猟だが、命の大切さを実感できると好評を博し、今では毎日のように乱獲がおこなわれているそうだ。
汚れが目立つ場所の清掃を終えたアリルは、生徒たちに遅れて昼食をとることにする。
もちろんお嬢様たちが食べるような食事にありつけるはずもなく、そのへんに生えている草でも食べようかとアリルが考えていると、通路で露天を開いている子に出くわした。今朝曲がり角でぶつかった、銀髪の子だ。
彼女は花柄の白いシートの上に、いくつかパンを並べて売っていた。
アリルは足を止める。
「こんにちは。こんな所で売ってるんですか?」
その言葉に銀髪の少女が無表情のまま頷く。
「相場を知らないお嬢様がたが、よく高値で買ってくれる」
「それはよかったですね。あの、わたしにも売ってくれませんか? あ、ちょっと安くしてくれたらうれしいなぁって」
「残念だけど値引きは無理。このパンは当たり付きの特別なものだから」
「当たり、ですか?」
「そう。食べてお腹を壊さなかったら、当たり。はずれだとひどい目に遭う」
「そうですか。商売、がんばってくださいね」
アリルが笑顔でその場を立ち去ろうとすると、銀髪の子がアリルの腕をつかんで引き留める。
「あなたに、私の作ったパンを食べてほしい」
「で、でもわたし、全然お金がなくて……」
「お代の代わりに、私にキスしてくれたらいい」
「キックですか? わかりました、思い切っていきますね」
アリルが蹴る動作に入ると、銀髪の子がすっとパンを差し出してくる。
「一つあげる。タダでいい」
「え、いいんですか?」
「でも、条件が一つ。私の名前を覚えていって」
「あんまり興味がないんですけど……」
「私の名はティ。よくティと呼ばれているの」
「ティさんですね。これからよろしくお願いしますね」
アリルが笑みを投げかけると、ティは表情のない顔でこくりと頷いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
午後。
以前から授業というものに興味があったアリルは、掃除という名目で授業中の教室に入り込んでみた。
てっきり薄暗い部屋で生物に怪しい呪文でもかけているのかと思ったが、教室では教師が一般教養に関する本を読み上げ、学生たちはそれを聞き流し談笑しているだけだった。
誰も話を聞いていないことに気づいた教師が、淡々と今日の晩ご飯のメニューについて語り出すが、それについて誰も指摘を入れることはない。
アリルが隅でほうきがけをしていると、後ろの方の席に座っていたヴィオがその姿に気づいき、小声で声をかけてきた。
「ちょっとアリル、来なさい」
「はい、なんでしょう?」
「ちょっとこれ、持ってみなさい」
そう言ってヴィオが差し出してきたのは、透明で手のひらサイズの丸いものだった。
アリルは小首をかしげる。
「なんですか、これ?」
隣の席にいたリサが話に割って入ってくる。
「これはな、一言で言うなら、なんていうか、魔力がどのくらいなのか、そいつが持ってる力を探り出して、なんでも潜在能力? っていうやつがあるのを、たった持つだけで、どのくらいかを――」
ヴィオがリサの顔を手のひらで叩く。
「一言で言いなさい。まったく、説明が下手なんだから。とにかくアリル、この『魔法玉』を持ってみなさい。もし反応があるようなら、あなたには魔法の素質があるわ」
「そんなことが分かるんですか!」
自分が魔法をもし使えるなら、なんてすばらしいことか。手を使わずに掃除をできるようになるかもしれない。
ごくりとアリルはつばを飲み込む。
どきどきしながら、差し出された球体を受け取る。
最初は何の変化も見せなかった球体だが、やがて徐々に色が黒くなっていく。
「わ、わ、何か反応してますよ!」
「黒……?」
ヴィオが首をかしげている。
やがて魔法玉は完全に真っ黒に染まり上げた。
「こ、これってまさか!」
アリルが驚きの声を上げると、リサがゆっくりと頷いた。
「この変化、見覚えがあるぜ。間違いない」
「どういう意味があるんですか!」
「あたしの記憶が確かなら、この魔法玉――壊れてやがる。欠陥品だ」
ヴィオもその言葉に頷く。
「そうよね。黒色は壊れたときに出る色よ」
「ま、まさかわたしの魔力が強すぎて壊れちゃったとか……!」
アリルは前向きだったが、ヴィオが気まずそうに視線をそらす。リサはぽんとアリルの肩を叩いた。
「気にすんな、魔力なんてなくったって何の不便もない。けど惜しかったな」
「何がです?」
「もし反応してたら、ここの生徒になれたかもしれねえのにって話だ」
その言葉にアリルは面食らう。
「そんな機会があるんですか?」
「そりゃおまえ、とてつもない魔力を持ってるやつを見逃す手はないだろ。特待生として受け入れることをこの学園はやってるぜ。あたしもその口だ」
「えっ、リサさんって魔法が得意だったんですか! みじんもそんな風には見えませんでしたよ! てっきりただのぐうたらかと思ってました」
「だろ、あたしも自分はただのぐうたらだと思ってる!」
意見が一致した二人は、がっつりと握手を交わす。友情が芽生えた。
ごほん、とヴィオが一つせき払いをする。
「ともかく、魔法玉が壊れていた以上、アリルが実は魔力を持っているという可能性がなくはなくもないわ。あまり気を落とさないように」
「あ、大丈夫ですよ。そもそもわたし、お金がないから働いてるのに、のんきに生徒なんてやってられませんし」
それに暗殺が完了すれば、すぐに逃げ出すつもりだ。生徒になるのもこの学園にとって迷惑になるだろう。
ヴィオは魔法玉を仕舞うと、まじめな顔つきのまま口を開く。
「でもどうして魔法玉は壊れていたのかしら。昨日までは確かに反応していたはずなのに」
リサも不思議そうな表情になる。
「なんでだろうな。さっきあたしが床に落としたときにひびが入ったけど、それが原因とも思えねえし」
素早くヴィオがリサの腹部にひじ打ちを入れる。リサが鈍い声を上げた。
ごほん、とヴィオがせき払いをする。
「アリル、掃除の続きに戻ってくれていいわ」
「あ、はい。でもこの授業って、誰も聞いてないんですね」
「それはそうよ。一般教養なんて、わたくしたちのようなお嬢様には興味がないわ。お嬢様が知りたいことは、明日食べるデザートの内容と、効率的な狩猟の仕方くらいよ。
ほら、早く行きなさい。あまりさぼっていると、あなたの評判が悪くなるわ」
ヴィオが手で追い払ってくる。アリルはぺこりと一つ頭を下げてから、その場をあとにした。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
アリルが雑用係として学園で働き始めたその日の晩、ちょっとした事件が起きた。学園内で人斬りがおき、生徒の一人が背中をばっさりと斬られたのだ。
幸い便利な回復魔法というものがあり、傷はすぐに治療されたが、大きなかさぶたができたため、斬られた生徒は当分かゆみに苦しむことになるだろう。
生徒たちの間には動揺が広がっていた。自分もかゆみの被害に遭うのかと、戦々恐々としているらしい。
今は各自自室から出ないように厳命されており、不審者が居ないかどうか学園内を教師と警備のロフィ、そしてアリルが探索をおこなうことになった。