第四章 2話
光の障壁について、いくつか分かったことがあった。
まず学園の門となっている部分が脆弱だということ。
そして障壁の発生は、学園の教師たちが何か力を使っているわけではなさそうだということだ。
兵士たちが襲撃してきたときに、教師たちはすたこらさっさと逃げ出した。だがそれでも障壁は継続していた。このことから考えられる可能性は三つある。
まず一つは、障壁が自動で発動しているという可能性だ。何か魔力を発生させる装置のようなものがあり、それが障壁を生み出しているのかもしれない。
そして二つ目の可能性は、学長がすさまじい魔術師で、障壁を張り続けている可能性がある。教師は逃げ出したが、学長はずっと学園に残っていたのだ。だがなぜか学長室にこもったまま一歩も外に出てこなかった。彼女は障壁を強めることに集中していたのかもしれない。
そして三つ目の可能性は、何かこう、すごい力がすごくなって、すごい障壁ができている可能性がある。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
とある休日。
アリルがせっせと炭で自室を汚し、落ち着きのある空間にしていると、ティが訪ねてきた。
なんでもリサに頼まれ、薬草を裏山から採ってきてほしいと頼まれたらしい。
一緒に散歩がてら行かないかと誘われたので、アリルは二つ返事で了承する。
二人して裏山に入っていく。周囲にはかなりの木々が生い茂っていた。
あたりでは小鳥がさえずり、小動物がたわむれ、ドラゴンが咆哮をあげている。エルスリンのドラゴンだ。散歩しているらしい。
ティと肩を並べて、整備されていない山道を歩いて行く。
彼女はなぜか大きな袋を背負っていた。何かがぎっしりと詰まっているらしく、かなり重そうだ。
「何が入ってるんですか?」
「売り物」
「そういえば前にパンを売ってましたね。今日もどこかで商売を?」
ティがこくりと頷き、説明してくれようとした、そのときだった。
がさがさっと近くの茂みが揺れる。アリルたちは足を止めた。
「来る」
「何が――」
アリルが尋ねようとしたその瞬間、茂みから何か大きなものが飛び出し、アリルたちめがけて襲いかかってくる。
とっさに横に飛び退く。ティは顔だけを動かして、ぎりぎりのところで敵からの一撃を回避する。
攻撃してきたのは、アリルたちの背丈の倍はあるほどの人狼だった。獣の毛が体中を覆い、鋭い爪を持ち、二本足で歩き、二本の腕を持ち、目が二つもある。
「な、なんですか急に!」
アリルは抗議するが、そんなことを人狼は聞いていない。
続けて爪で切り裂こうとティに襲いかかってくる。紙一重の所でティは回避し続ける。
すると茂みから、ほかにも複数の人狼が姿を現した。彼らはみな威嚇するように低いうなり声を上げている。
「ここは彼らのテリトリーだから」
ティが落ち着いた様子で口にする。
「ま、まさかそれで怒らせちゃったんですか!」
「私に任せて。――人狼たち、私の話を聞いて。今日持ってきたのは風邪薬。値段は三百でどう?」
人狼たちがひときわ大きなうなり声を上げた。高く腕を振り上げ、ティのことを引き裂こうとする。ティはとっさにバク転してそれをかわす。
続けてティが口を開く。
「なら二百」
人狼が大きくジャンプし、両手でティを叩きつぶそうとする。ティは今度は前転して攻撃をかわす。
「百五十。それに今なら、胃薬もタダでつける」
人狼の動きがぴたりと止まる。その隙にティは背負っていた袋から大きめの瓶を取り出す。中には白い粉が入っていた。
瓶のフタを開け、人狼たちにそれを見せながらティが語りかける。
「どう? 品質はいいと思う」
人狼はティに歩み寄ると、爪で瓶の中の白い粉をすくい取り、ぺろりと一口舐める。人狼が大きく頷きながら口を開いた。
「ふむ、いいものだ。一つ買おう」
「しゃべった!?」
ティと人狼が二人して小首を傾げる。
「彼らは半分は人間。話せて当然。とてもいいお客さん」
「え、じゃあなんで急に襲いかかってきたんですか?」
「値段交渉」
「命がけですね!」
「商売だから。世間の商売もみんなこんな感じ」
ティが袋から瓶を何個も取り出し、その内の一つを人狼に渡す。彼はもふもふした毛の中から紙幣を取り出し、ティへ差し出す。
見ると人狼たちの長蛇の列ができていた。彼らはきれいに一列に並んでいる。
「最近肌荒れが気になるの。何かいいものはないかしら?」
人狼の一人がそうティに話しかける。ティは近くの地面にあった泥を手に取ると、その人狼の手に乗せる。
「泥を塗る。保湿効果があって、おすすめ」
「試してみるわ。泥はおいくらかしら?」
「五百でいい」
「あら、ありがとう」
そういった感じで商売がおこなわれるのを、アリルは横からしばらく眺め続けた。
列に並んでいた最後の人狼が商品を買い終える。
欲しいものを手に入れた彼らは、笑顔でティにお礼を言いながら、森の中へと戻っていった。
ティは空になった袋をたたみ、ポケットに仕舞い込む。
「お金を集めてるみたいですけど、何か欲しいものでもあるんですか?」
アリルがそう尋ねると、ティがどこか悲しげな表情になる。
「復興資金」
「え?」
「私の家は、没落した。だから、いつか復興させたい。そう言っておけば、アリルの好感度を稼げるとリサから聞いた」
「わたしは正直に話してくれるような人が好きですねー」
「本当は、結婚資金の貯蓄」
「結婚、ですか?」
「うん」
意外な言葉が出てきて、アリルは少し驚いてしまう。ティはどこか気恥ずかしそうにうつむいていた。
ひじでティを小突く。
「まさかあれですか、お嬢様ですし、もうフィアンセがいるとか!」
「いた」
「おお、やっぱり。あれ、でも過去形なんですか?」
どこか迷うようにしながらティは答える。
「家のために貴族と結婚すべきだって分かってた。けど、断った」
「それでいいと思いますよ。ティさんの人生ですし」
アリルが柔らかい笑みを投げかけると、ティの表情が和らぐ。
「断れたのは、アリルのおかげ」
「わたしですか? 何かしましたっけ?」
「――初めて会ったとき。あなたとぶつかって、倒れた私は、気づいたらお花畑に居た。天使が手招きしてた」
「あ、結構きわどい所まで行ってたんですね」
「でもそのときに、思った。天国へ行くときに、嫌いな人と二人で行くなんて、絶対に嫌だって。心から好きになった人と、一緒に手をつないで天国に行きたいって」
笑みを浮かべてそう語るティのことが、なんだかアリルは愛おしく思えた。後ろから彼女に抱きついて、耳元でささやく。
「いつか見つかるといいですね。一緒に天国へ行きたいと思えるような人が」
「アリルと一緒がいい」
「わたしは無理ですよ。きっと地獄行きですから」
ティがしょんぼりした表情になる。
だが無理なものは無理だった。暗殺を企てている自分は、きっと地獄に落ちるだろう。アリルはそう覚悟していた。
そっとティが自分の手をアリルの手に重ね合わせてくる。彼女のぬくもりが伝わってくる。
ささやくようにティは言った。
「大丈夫。アリルなら、きっと天国に行ける」
「……だといいですね」
「一緒に死ぬ?」
「いいですよ。じゃあ百年後に」
アリルが笑うと、ティも愉快そうに笑った。
二人して手をつないで山を下りていく。何か忘れている気がするが、たぶん気のせいだろう。