第四章 1話
エルスリンが学園に滞在するようになって、一週間が経とうとしていた。
学園は平穏な時が流れていたが、一方で国家間同士のやりとりはぴりぴりしたものになっていた。
表だった動きはないものの、ヴィオの話では、ヴァレーク国王とブラバクト国王は水面下で互いの悪口を言い合っているらしい。非難声明を出し合うのも時間の問題のように思えた。
まだ戦争という段階には進んでいないが、一触即発という雰囲気だそうだ。
「ブラバクト王はバカで間抜けなのです」
エルスリンが淡々とした表情でそう語る。
「ヴィオ様を殺そうとしたのも、そうすればヴァレーク王をぎゃふんと言わせることができると考えたからです。その後、怒り狂ったヴァレーク王が戦争を仕掛けてくるかもしれない、などといった心配などまったくしていませんでした。短絡的な行動で、国民全員を不幸に導こうとしている。そんな王がわたしは許せなかったのです」
亡命を宣言したエルスリンだが、ヴィオの尽力もあり、ヴァレーク国は彼女を受け入れた。その知らせを耳にしたブラバクト王はただちにヴァレーク王へ書簡を送り、
『あんな生意気な剣士の一人くらい、くれてやる。悔しくなんてないもん!』
と伝えてきたそうだ。ヴァレーク王はただちに、
『やーい逃げられてやんの! ばーかばーか!』
と返事を返したそうだ。
学園では日々、新しい教師を雇うべく面接がおこなわれていた。
ブラバクトの兵士たちが襲ってきた際に逃げ出した数多くの教師たちが首を飛ばされたからだ。
面接は学長一人でおこなっていたが、今日は用事があるため、代理としてヴィオとティが面接官を務めるよう無理やり頼まれていた。
コンコンコンとノックが鳴り、面接室に三人の女性が入ってくる。
一人は黒毛で見慣れぬ服を着た少女で、残りの二人はアリルとエルスリンだった。エルスリンは自分もこの学園で何か役立てないかと、教師になるべく名乗り出たのだ。
三人が用意されたイスに腰掛けると、面接官のヴィオがまずは黒毛の少女に声をかける。
「まずは名前を聞かせてくれるかしら」
「はい! カトウ・マコと言います! 異世界のトウキョウからやってきました!」
「聞かない土地ね。まあいいわ、それであなたは何ができるのかしら?」
「『科学』というものを教えることができます」
「何かしらそれは? 具体的に話してちょうだい」
「えっとですね……」
ごそごそとマコが服を漁り、何かカードの束らしきものを取り出す。マコが得意げに言い放つ。
「これは『トランプ』と言って、カードにそれぞれ別の数字とマークが書かれてるんですよ。そしてこの中から好きな一枚を引いてもらって、そのカードが何なのかを私が言い当てることができます!」
ヴィオが渋い表情になる。
「それがカガクなの?」
「はい! あとはそうですね、お札を破らずにペンを貫通させたり、ステッキから花を咲かせたり、人はなぜ生まれ、死んでいくのかという疑問に対して答えを――」
「そう、分かったわ。結果は後日伝えるから、帰ってちょうだい」
「はい、失礼します!」
マコが元気よく部屋から出て行く。
「期待外れね」
ヴィオが言葉を漏らし、体をアリルの方へ向き直す。
「さて、それじゃあアリル。次はあなたの番よ」
「あのー、どうしてわたしがここに?」
アリルは呼び出されただけで、自分の意思で来たわけではなかった。詳しい理由をティが説明してくれる。
「アリル、優秀。みんなに好かれてる。教師、採用」
「えっと、よく分からないんですが……」
ヴィオが補足の説明を入れてくる。
「臨時であなたに教師をしてほしいと、生徒たちから強い要望が出ているのよ」
「で、でもわたしなんかに何か教えることなんて」
「相手はお嬢様よ。掃除も洗濯も、料理も下手な人たちばかり。そんな彼女たちに、家事を教えてほしいの。正式な教師が来るまでの臨時でいいから、お願いできないかしら?」
「なるほど。事情は分かりました。でも、やっぱり、面倒くさいです」
コツコツ、とヴィオが指で机を叩く。不敵な笑みを浮かべながら彼女は言った。
「アリル、大切なことを忘れているわ。教師として働くということは、生徒たちに技術だけでなく、『心』も教えていくことよ」
「えっと、つまりどういうことですか?」
「給料が出るわ」
「任せてください、教師は前からやってみたかったんですよ!」
アリルは笑顔で即答する。うんうんとヴィオが頷く。
「そう、なら採用ね。次、エルスリン。あなたは何を教えられるのかしら?」
エルスリンが背筋を伸ばして答える。
「剣術はもちろんですが、一般教養から歴史、それに兵法、ドラゴンの扱い方などを教えることができます」
「あいにく、どれももう新しい担当が決まっているものばかりだわ。何かほかにないかしら?」
「そ、そう言われましても……」
困惑した表情になるエルスリンに、ヴィオが厳しい口調で話しかける。なお隣でティは腕を枕にして寝ていた。
「何かあるでしょう、自分にしか教えられないようなことが。何もないなら、教師として雇うことはできないわ。残念だけどあきらめてもらうしか――」
「ぬ、ぬいぐるみが作れます!」
「……ぬいぐるみ?」
「く、くまのぬいぐるみなどを作ることが、得意で……」
エルスリンの声が尻すぼみに小さくなる。彼女は顔を真っ赤にしていた。
その話にヴィオが食いつく。
「もっと具体的に聞かせてちょうだい。作れるのはくまだけかしら? それともドラゴンやネコのぬいぐるみも大丈夫なの?」
「そ、その、なんでも作れます。ドラゴンも、たくさん、作ったことがありまして……」
「現物を見せてほしいところだけれど――手ぶらで亡命してきたのよね。また今度作るときがあったら」
「あ、お守りが、あります」
エルスリンがぎこちない手つきで服の内側を漁り、そこから小さなドラゴンのぬいぐるみを取り出す。そのドラゴンはかわいらしくデフォルメされたものだった。目がぱっちりしている。
アリルが、
「かわいいですね」
と声をかけると、エルスリンは気恥ずかしそうに顔を伏せた。
「あの、申し訳ありません……」
「なんで謝るんですか?」
「わたしのイメージじゃ、ありませんよね。わたしなど休日には罪人の首をはね飛ばして遊ぶのが趣味だと周囲には思われているようですが、実際はこんなぬいぐるみを作るのが趣味だなんて……」
「そうですね。でも、そういうギャップは、とてもいいと思いますよ」
ヴィオがひじで隣のティを小突く。だが起きない。
ごほんとせき払いをしてから、ヴィオがエルスリンに穏やかな口調で話しかける。
「いいでしょう、エルスリン。あなたをぬいぐるみ製作の担当として、教師として雇います」
「誠にありがたき幸せです……!」
こうしてアリルとエルスリンは、教師として学園で働くことになった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
アリルは三足のわらじを履くことになった。
雑用係として清掃や授業の準備をおこない、生徒として授業を受け、教師として授業をひらく。
日々は多忙を極めたが、アリルにとってとても充実したものだった。だが同時に、自分の使命である暗殺のことを忘れることはなかった。日々の活動の中でも、少しずつ練習をおこなっている。
あるときはパン生地をヴィオに見立て何度もテーブルにたたきつけ、あるときはヴィオを崖から突き落とすつもりになって赤点の生徒を補習へと突き落とす。
まだ暗殺決行の指示は来ない。定期的にヴィオのことについてディナーシャへ報告を入れていたが、ディナーシャからはまだ手を出さないように指示を受けている。
暗殺に関していいこともあった。以前紛失した毒入りの瓶が見つかったのだ。ベッドの下に転がっていた。いつの間にか落としてしまっていたらしい。
いつでもすぐ暗殺を実行に移せるように、アリルは日々気を抜かずに何事にも一生懸命に取り組んだ。
そしてついに、そんなアリルを見守るべくとある団体が結成された。
「ファンクラブ、ですか?」
昼食時。アリルが尋ねると、リサが愉快そうに笑いながらうなずいた。
「ほら、おまえって兵士たちが襲撃してきたときにかっこよく活躍しただろ? それもあってファンが増えて、アルリのファンクラブが作られたらしいぜ。ティもどうせ所属してるんだろ?」
その言葉にティが何度も大きく頷く。
「もちろん。私が会長」
「結成したのおまえかよ」
「そしてエルスリンが副会長」
「あ、いえ、わたしはその、ティ様に頼まれて、仕方なく……」
エルスリンはそう言いつつも、目が泳ぎまくっていた。最近はこうしてエルスリンも含めて、みなで食事をとることが多かった。
食後のコーヒーを飲みながらヴィオが涼しげな顔をして口を開く。
「ファンクラブの結成は、アリルの功績が評価された当然の結果。もしわたくしが王女になれば、アリルを付き人として必ず雇うことでしょう」
ティがすかさず反論する。
「駄目。アリルは、私の伴侶として永久就職する予定だから」
「ならば本人に選んでもらいましょう。アリル、あなたはわたくしの付き人か、ティさんの伴侶か、どちらになりたいかしら?」
アリルは困惑した表情になる。
「その二択ですか……?」
「ええ。あなたの意思を尊重するわ」
「あ、そういえばマカロンを焼いてきたんですよ。みんなで食べようと思って」
ごそごそとカゴを漁り、さきほど焼き上がったばかりのマカロンを取り出す。テーブルに置いたとたんに、リサがその内の一つを手に取って口の中へ放り込む。
リサの顔がほころびる。
「やっぱアルリの作る菓子はうまいなぁ。将来は菓子職人になるべきだな」
「いえ、そこまで得意なわけでもないですし……」
「じゃあアルリは将来は何になりたいんだ?」
話をそらしたのに、空気を読まずにリサが話題を戻してくる。ヴィオとティがアリルに視線を注いでくる。
あはは、とごまかすように笑みを浮かべるアリルだったが、このままではらちがあきそうになかったので、正直に打ち明けることにする。
「将来の夢とか、何も決まってないんですよね。毎日働いて、お金を稼いで、その日を生きていくだけでいっぱいいっぱいだったので。すみません、面白みのない答えで」
「いや、気にすんな。なら質問を変える。アルリは――」
「アリルです」
「あ、悪い、また間違えてたか? ごほん。えっとだな、じゃあアルリはどんな生き方をしたいんだ?」
その言葉にアリルはきょとんとする。
「生き方、ですか?」
「ああ。こういう風に生きていきたい、っていうのはあるか? ちなみにあたしは、ぐうたらに生きたい。もう、ほんと、ぐうたらに生きたい」
アリルはしばらく考え込む。やがて一つの答えにたどり着き、アリルは口を開いた。
「そうですね――やっぱり、誰かの役に立ちたいです。わたしを必要としてくれる人が居るなら、その人のそばで生きていきたいですね」
「つまり私の伴侶になってくれると」
ティが口出ししてくるが、アリルはそれにはあいまいな笑みを返しておく。
別にティのことが嫌いなわけじゃない。
だが自分がヴィオを狙う暗殺者だと知れば、きっと嫌われるだろうとアリルは考えていた。
「ヴィオさんはどんな生き方がしたいんですか? やっぱり慇懃無礼に生きたいとかそんな感じですか?」
アリルが尋ねると、ヴィオはマカロンに伸ばしていた手を止め、少し間を開いてから答えた。
「そうね。生きていれば、きっとそれだけで幸せなことだと思うわ」
「ヴィオさん?」
ヴィオはどこか思い詰めたような表情だった。けれどそれも一瞬のことで、すぐに彼女はいつものように澄ました笑みを浮かべる。
何か気になったが、それ以上のことを彼女は何も口にしなかったため、直接尋ねることはしなかった。