第三章 3話
アリルが学園に戻ってくると、ちょうど中庭に生徒たち一同が集まり、ヴィオが何か指示を出しているところだった。
ぴょこりとアリルが現れると、周囲からどよめきが起こる。
慌てた様子でリサが駆け寄ってきた。
「アリル、よく生きて帰ってきたな! ケガしてるだろ、見せてみろ」
「あ、いえ、無傷ですよ」
その言葉に周りの生徒たちがさらにどよめく。生徒の集団をかき分けてティが駆け寄ってくる。
「あなたが犠牲になったと聞いて、みなで冥福を祈っていた。無事で、本当に良かった。その手に持っている剣は何?」
「これですか? えっと、兵士さんたちの隊長の、エルスリンさんの剣ですね」
「まさか彼女を退けただけじゃなく、剣まで奪い取ってきたの? ――アリル、やっぱりあなたはすばらしい」
周囲の生徒たちから歓声が上がる。『アリル、アリル』の大喝采だ。
アリルが困惑していると、ゆっくりとヴィオが歩み寄ってくる。ヴィオはまっすぐにアリルの目を見つめながら口を開いた。
「あなたの剣技の腕前、そして何よりその誠実な勇気に、わたくしたちがどれほど勇気づけられることか。アリル、あなたがこれからわたくしたち生徒の指揮を執ってくれないかしら」
「わ、わたしに指揮なんて無理ですよ! わたしなんて――」
そのとき、ドシンと何かが衝突する音が聞こえ、あたりが大きく揺れた。続けて何度も激しい揺れが起こる。
門の所で待機していたロフィが、報告のため駆け寄ってきた。
「兵士たちのご到着だ。さっそく攻城兵器で攻撃してきている」
その報告に、生徒たちに緊張がはしる。
みなの視線がアリルに集まる。
誰もがアリルの指揮に期待していた。
空気を読んだアリルは覚悟を決める。それにアリルとしても、ヴィオを危険から遠ざけるためにも、指揮権があることは助かる話だった。
遠くの生徒まで聞こえるように声を張り上げる。
「みなさん、慌てて落ち着いてください。ロフィさん、光の障壁はどれくらいもちますか?」
「攻城兵器からの攻撃は防いでくれる。だが断続的に攻撃されると、障壁に揺らぎが生じ、兵士たちが侵入してくる可能性がある。やつらの狙いは最初からそれかもしれない」
「分かりました。生徒さんたちに告げます! まず半分の人たちは、五人一組のグループになって、障壁を突破して兵士たちが侵入してこないか各所で監視をおこなってください。もし侵入されたときは不用意に戦おうとしないように。みじめに逃げて、わたしに報告してください。そして残りの半分の人たちは、戦闘後に勝利のパーティーを開くためにも、祝賀会の準備を進めてください。この戦いが終わったら、おいしいものをいっぱい食べましょう! では以上、散開!」
その言葉を合図に、生徒たちが気合いを入れて散らばっていく。
すっと歩み寄ってきたロフィが耳打ちしてくる。
「障壁が最も弱いのは、私がいつも立っている門の部分だ」
「ではそこはわたしとロフィさんで守りましょう。あ、ヴィオさんは自室で待機していてください」
「わたくしも戦うわ」
予想通りヴィオは反発してきたが、言い聞かせるようにアリルは言い返す。
「相手の狙いはヴィオさんです。前線へ出てきちゃ駄目です」
こんなところでヴィオに死んでもらっては困る。彼らの狙いがヴィオなら、なおさら彼女を戦わせるわけにはいかなかった。
「リサさん、ティさん、お二人はヴィオさんのそばにいて守ってあげてください」
「わかった」
ヴィオが反対を口にしようとするが、ティとリサは二人がかりで無理やりヴィオを担ぎ上げると、問答無用で安全な部屋へと連行していった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
普段は門の外側に立っているロフィだったが、今回は障壁に守られている内側で仁王立ちしている。いつ障壁が突破されてもいいように、警戒を怠っていない。
一方でアリルも、緊迫した面持ちで近くの花にじょうろで水をやっている。枯れかけていて、どうしても気になった。
アリルが鼻歌を歌っていると、ロフィがつぶやくように口を開いた。
「ヴィオが剣で負けたというのは本当か?」
「剣を弾かれただけですよ。でも相手の大将のエルスリンさんは、かなりの腕前みたいですね」
「……そうか」
ちらりと目をやると、ロフィはとても険しい顔つきをしていた。
いくらロフィが剣の凄腕でも、百人近い兵士が襲いかかってくれば、ひとたまりもないだろう。本当は逃げ出したいのかもしれない。だがロフィはこの場から動こうとはしなかった。
「ここの生徒たちは、実戦を知らない」
ぽつりとロフィが言葉を漏らす。
「いざ血なまぐさい戦闘になったら、みんなパニックになっちゃいそうですね」
「私がここで食い止めるしかない」
ロフィからは強い覚悟と、わずかながらの悲壮感が漂ってくる。そんな彼女を励ますようにロフィは声をかける。
「侵入されるまで、気晴らしにしりとりしましょう、しりとり!」
「いや、私は――」
「『り』ですよ、はいどうぞ!」
「りんご」
「ごみのように転がる死体!」
「いかだ」
「誰一人守ることができずに無残に死んでいく哀れな剣士!」
「試合」
「いかなる希望をも投げ捨て、果敢に戦いを挑み、散っていく警備兵!」
「いや、なんというか、もっとほんわかしたしりとりにしないか?」
「かなりほんわかしてたと思うんですけど?」
「どうも、なにか悪いイメージを持ってしまう」
「運命に立ち向かっていきましょう!」
そんなやり取りをしていると、不意に攻城兵器の攻撃がやんだ。あたりに静寂が戻る。
すっとロフィが鞘から剣を抜いた。
「来るぞ」
ロフィの視線の先を見ると、一人の女性が単身でこちらへ近づいてくる。エルスリンだ。
彼女は障壁のある箇所で一度足を止めたが、やがてまた歩み出す。障壁は彼女を弾かなかった。エルスリンが学園内に侵入してくる。
姿勢を低くしたロフィが彼女めがけて駆け出そうとする。慌ててアリルは呼び止めた。
「待ってください、彼女は丸腰です。何か話があるのかも」
「問答無用だ」
ロフィが走り出す。
とっさにアリルは足を出した。それを見越していたのか、ロフィがジャンプしてアリルの足を回避する。だがそれをさらに見越していたアリルが足を高く上げる。引っかかったロフィがその場ですっころんだ。
彼女が倒れている内に、アリルはエルスリンに歩み寄る。向こうもこちらに気づいたらしく、ぺこりと頭を下げてくる。
「これはこれは、さきほどはお世話になりました。名前を伺ってもよろしいですか?」
「この学園の生徒兼雑用係兼指揮官のアリルと言います。あと倒れてるのはロフィさんです」
アリルが細身の剣を腰にさしていることに気づき、エルスリンが表情をほころばせる。
「わたしの剣はアリル様が預かっていてくれたのですね。てっきりなくしてしまったと思って、悲しんでいたところでした」
「返してあげたいところなんですけど、条件があります」
「なんでしょう?」
「この学園への攻撃と、ヴィオさんの命を狙うことをやめてください。あとロフィさんを踏むのをやめてあげてください」
さっきからエルスリンが転んでいるロフィを踏んづけていた。
「これは失礼しました。何か踏んでいるとは思っていたのですが、まさか生きている人だったなんて。てっきり死体か何かかと」
素直にエルスリンがロフィから足をどける。ロフィはどこか打ち所が悪かったのか、さっきからぴくぴくしたまま動かない。
アリルは話を戻すことにする。
「あの、それで攻撃はやめてもらえるんですか?」
「申し訳ありません、こちらも本意ではないのですが、命令には従う必要があるのです。兵士たちに確認をとったのですが、どうやらここが目的地の学園のようですね。そういうわけで、攻め滅ぼさせていただきます」
「そんなことをすれば、ヴァレーク王国と国家同士の全面戦争になりますよ。それでもいいんですか?」
エルスリンがはかない笑みを浮かべる。
「実は今回の件なのですが、わたしの『独断行動』なのです。部下はわたしに脅されて行動されています。なので万が一問題があっても、わたしだけが処分されれば済む問題というわけでして」
「まさか、捨て駒に?」
アリルが驚くと、エルスリンは肯定も否定もせずに、ただ静かに薄く笑みを浮かべた。
彼女は独断行動と言ったが、その前に『命令には従う必要がある』と口にしていた。上からの命令で動いているのに、そんな彼女は無残に斬り捨てられようとしている。
アリルは激怒した。必ず、かの邪智暴虐のブラバクトの王を除かなければならぬと決意したほどではなかった。ちょっといらっと来た程度だ。
アリルがなかなか剣を返そうとしないでいると、すっとエルスリンが手を差し伸ばしてきた。
「どうか返してはいただけないでしょうか?」
「どうしても取り戻したいなら、力尽くで奪ってみてください」
「かしこまりました。では、せんえつながら攻撃させていただきます。よろしくお願いします」
そう言い終わるやいなや、エルスリンの姿がふっと消えた。
次の瞬間、背後に気配を感じたアリルはとっさに前方に飛び退く。さきほどまでアリルが居た場所をエルスリンの手刀が襲った。
すさまじい風圧が起きる。思わずアリルはごくりとつばをのみ込む。アリルに踏まれたロフィが鈍い声を上げた。
またエルスリンの姿が消える。いや、正確には目に見えないほどの速さで移動していることにアリルは気づく。
と、すぐさまアリルの側面に現れた彼女は、しゃがみこんで強烈な足払いを放ってくる。アリルは高く跳んでそれを紙一重でかわす。足払いが寝ていたロフィに直撃し、彼女が「ふぎゃ」と可愛らしい悲鳴を上げる。
三度エルスリンが消える。今度はアリルが先手をとることにした。
じょうろに入っていた水を周囲にばらまく。
冷たい水を浴びせかけられたエルスリンの動きが一瞬鈍る。その隙をアリルは見逃さず、飛びかかり彼女を押し倒した。
地面に二人して倒れ込む。エルスリンが暴れて逃げ出すかとアリルは身構えるが、押し倒された彼女は大人しくしたまま動こうとはしなかった。
「逃げないんですか?」
アリルが尋ねると、エルスリンは目を閉じてゆっくりと息を吐いた。
「わたしはこれでも誇り高き騎士のはしくれです。無駄な抵抗はしません」
「そんな誇り高きあなたが、上からの理不尽な命令にただ従って動くんですか? バカじゃないですか?」
エルスリンが目をそらす。
「……わたしにはどうすることもできません。遠慮なく殺してください」
「断ります。あなたは捕虜として捕らえますから。ロフィさん、寝てないでロープをとってきてください!」
ロフィが起き上がってロープをとってくるあいだ、エルスリンは少しも抵抗らしきものをみせずに、ただおとなしくアリルに押し倒されていた。