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夜明け

『終わりだ…すべて終わりだ…』

 

 ベッドの上で仰向けになりながら天井をにらんだ。俺は単に自分の性器を失っただけで、他になにかを得たわけでもなかった。思考するのを放棄したくもなるが、そうもいかない。


 まだうす暗い早朝だったが頭は完全に冴えていた。完全に頭が冴えた状態で直面している非現実からは目を背けるわけにはいかない。そこには「性器の消失」という非現実が確かに現実のものとして存在しているのだ。


『これから俺はどうなるのだろう。このままじゃ一生童貞だ。この先彼女ができて、そういう状況になったときになんて説明したらいいんだよ。あ、性器のない俺に彼女ができるはずもないか。バカだなぁ俺は。ははは。あぁ、俺に彼女がいなくてよかった。』

 

 性器の消失によって今後生じてくるであろう問題が次から次へと浮上してくる。気づけば枕が涙と鼻水でぐっしょりと濡れていた。


 どんなに不幸でも必ず夜明けが来る。それが不幸を助長するものであっても、必ず朝はやってくる。今の俺にとってそれは憂鬱以外のなにものでもない。

 

 カーテンの隙間から日が差し込み、下の階から物音が聞こえてくる。母親が起きだして朝の支度を始めるところだろう。時刻は6時半になっていた。そろそろ自分も起きて学校へ行く準備をしなくてはいけないが、もう心に決めていた。今日は学校を休む。今日に限らず、場合によってはもう二度と学校に行くことはないのかもしれない。


そのことを考えると親しくしていた友人や、ちょっと気になっていたあの子のことが頭に浮かび、再び視界が滲んだ。



『けっこう好きだったのになぁ、学校。』

 


 もともと帰宅部だったし、成績も中の下くらいで特に気にかけてくれる先生もいなかった。このまま不登校になってもあまり迷惑にならないだろう。親しい友人もほとんどが部活に入っていないし学校を休みがち(サボりがち)な連中だった。性器がなくてもそのことをカミングアウトする必要はないし、やつらとはまたいつでも遊べる。


 ただ悔いることは多かった。サインだのコサインだのわけのわからない退屈な数学の授業を人の熱で生暖かくなった教室でぼけーっと聞くのが好きだったし、帰宅部仲間とくだらない話(たいていは下ネタ)をしながら部活動に勤しむのにも飽きることはなかった。そして何より、同級生の吉岡さんに会えなくなることが一番つらかった。


 吉岡さんとはいわゆるクラスのマドンナである。二年連続でクラスが一緒になり、ほとんど話したことはなかったが新学期の初日に「また同じだね、よろしく。」と声をかけられたときは発狂しながら帰宅したのを覚えている。(帰宅部のやつらに自慢しまくった。)吉岡さんはすごくかわいい上に誰に対しても親しく接してくれる聖母のような存在なのだ。



『おい竜二、いいのか?ち○こがなくなった程度のことで諦めのつく、そんな安っちいものなのかよ、吉岡さんへの愛は!!』

 


 俺は決心した。今日は学校へ行く。吉岡さんに会うために。もし偶然の何かでちょっとでもいい感じになったりしたら告白するのも辞さない覚悟だ。性器がなくたって関係ない。男にとって一番大事なものはハートだ!


 ベッドから跳ね起き、制服に着替える。一番よれていないシャツと一番奇麗なショートソックスを選び、学ランには消臭除菌スプレーを念入りにかけた。洗顔にはいつもの三倍時間をかけ、仕上げに母親の保湿クリームも塗って眉毛を整えた。鏡の中の自分は我ながらイケている。戦う男の顔って感じだ。


 最後に歯を二回磨き、朝食を済ませるべくリビングへと向かう。まるでヴァレンタインデーの日の朝さながらの闘気が全身にみなぎっている。


「おはよう、母さん。」

 最大限にさわやかな声と表情で声をかける。

母は振り返ると少し驚いた表情で言った。

「あんたどうしたの、その恰好?」

「え?」

「あんた今日は振替休日で学校休みって言ってなかった?」


 俺はリビングを飛び出し自室へ戻った。途中「朝ごはんどうするの?」と母親の声がしたけど無視した。制服と靴下を脱ぎ捨てベッドに潜り込む。ムシャクシャする。もう学校へなんか行くものか。口の中にまだキシリトールの不快な爽快感が残っているし肌は無駄に保湿されている。これでは眠れたものじゃない。


 完全に忘れていた。一昨日の土曜日に行われた体育祭の振替休日で今日は休みだったのだ。今から24時間も吉岡さんに会えないなんて辛すぎる。学校へ行きたい。


 しばらくベッドの上で悶々としていたがハッと気づいた。もう一度下着の中を確認する。やはりそこに俺のち〇こはなかった。



『もう終わりだ、今度こそもうだめだ。』

 


 母親が階段をあがってくる音がする。何の用だか知らないが今は誰とも話したくないし誰の顔も見たくなかった。吉岡さんを除いては。だいたいこんな性器も生気もないような人間がコミュニケーションを円滑に進められるはずがない。


 母親の足音はドアの手前で止まった。


「母さんもう仕事行くから、朝ごはんテーブルにあるからね。昼は適当にあるもの食べてなさい。ほんじゃ行ってくるよ。」


 足音は玄関の方へと消えていった。最後に扉の閉まる音と鍵のかかる音が空しく響いた。


 小学生のころインフルエンザで家に取り残されたことがあったが、それと似たような寂しさを俺は感じていた。今回はインフルエンザとは比にならない重大な病気を抱えている分、かなりこたえる。インフルエンザは抗生物質を注射して安静にしていれば治るが、性器はどんな手を尽くしても帰ってこない。おそらく、いや間違いなくそんな事例は今までになかっただろうし、存在の確認されていない病気のワクチンがあるはずもなかった。



『畜生…なんで俺だけがこんな目に遭わなきゃいけないんだよ…くそ。』

 


 太陽は世界を照らすのに充分な高さまで上っていた。すべて夢ならと頬をつねってみたがしっかりと痛かった。俺の性器は消えたままだ。


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