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花の盛り  作者: 柚子ぽんみかん味
第二章
9/13

みえないふしあわせ

 花森家では、地域で行われる行事には積極的に参加している。仕事をしているからというのは不参加の理由には決してしない。

 行事に参加することで、人との交流を図るのも必要なのだという。困っている人がいれば、助ける。いつか、自分が助けてもらう日が来たときのために、と去年行われた春の草むしりの最中に言っていた。そういう点を気にするのは、恵らしいとひなたは思う。


「あら、ひなたちゃん!」

「母の代わりに花壇の植え替えに来ました。よろしくお願いします」

「いつも参加してもらってありがたいわぁ。まあ、今日はお手伝いしてくれる子たちもいるんだけどね」


 地域美化を担当している女性職員は、花森ひなたと打ち込まれているプリントに勢いよくレ点を付ける。名簿に書かれている名前の前に、レ点が付けられているのはひなたを入れて数えるほどだった。

 花壇の植え替えがあると聞いたのは、不運なことにどちらも家政婦の仕事がある日だった。そのため恵は一月家での仕事を、ひなたは植え替えの行事に参加することになったのだ。植え替えが終わり次第、午後から合流することにしている。

 予定された時刻になった。ひなたは用意していたスコップを取りだし、割り振られた花壇の前で待機する。

 そこに青色のジャージを着た生徒たちがやって来た。左腕には、ジャージと同じく揃いの腕章を下げている。緑の布地に風紀と白抜きされた腕章だ。先頭に立つ男子生徒が女性職員に声を掛けた。


「今日はお世話になります」

「こちらこそ助かるわ。やっぱり参加してくれる人が足りなかったのよ」

「任せてください。委員一同、皆さんのお手伝いを精一杯させていただきます」


 よろしくお願いしますと男子生徒の声に合わせ、他の生徒たちが頭を下げる。青いジャージの波に紛れてひなたの知る彼が居たような気がした。

 生徒たち数人がグループを組み、割り当てられた花壇の前に座る。四人一組で一つのグループのようだ。ひなたの担当する花壇にも生徒たちがやってくる。


「今日は、よろしくお願いします」


 グループの先頭に立つ男子生徒、彼はいつきだった。挨拶のために頭を下げ、参加者一人一人に視線を合わせ会釈する。最後にひなたと視線が合うと、いつきは殊更爽やかな笑顔を向けて、同じように挨拶された。


「朝に君を見かけないと思ったら、まさか奉仕作業に参加していたとは思いもしませんでしたよ」

「いつきさんこそ。今日は学校の行事ですか」

「ええ、風紀委員の生徒による地域交流の一環です」


 ひなたの隣にいつきがやって来た。フレームのない眼鏡の奥には、志郎と同じ切れ長の目がある。陽のあたり具合によって、黒髪だけではないほかの色が見えたような気がした。

 花壇にはあらかじめ花のカップが乗せられていた。そのカップは縦に二列、横に六つの合計十二株が白、ピンクという順番で並んでいる。この順番で花壇に並べてほしいということだろう。

 いつきは等間隔に穴を掘ると、花のカップから根を傷つけないように株を取り出す。一つ、二つと手際よく花の株を並べていく彼の手つきは慣れている。


「なにをぼんやりと見ているんですか、手を動かしてください。見ているだけではいつまで経っても終わりませんよ」

「いつきさんはガーデニングが得意なんですか」

「正確には、ガーデニングが好きだったのは母です。庭の手入れが好きな方で、俺は母の手伝いをしていたんですよ」


 いつきははっと気づいて口を噤み、三つ目の株に手を伸ばした。それをひなたに渡し、三つ目の穴を掘る。ところで、と話を変える単語を口にしていつきはまた話し始めた。


「不思議に思ったことはありませんか。何故俺たち兄弟があの家族の家にいるのか」


 掘ったばかりの穴にいつきから渡された花の株を植える。先日降った雨のお陰か、土は柔らかい。ひなたはいつきの話に反応せず、黙って花壇の土を掘り起こした。

 同じ疑問を織に投げかけたことがあった。ひなたとしては単なる興味心からの発言だったが、よく考えてみるとあれは家政婦である自分が抱いてはならない感情だったに違いない。家政婦であるなら、知りたい、聞きたい、教えてほしいと望んではならない。


「志郎さんやいつきさん、純さんは一月という名字ではないけれど、同じ家で過ごしている家族として扱ってほしい。それが依頼主である織さんからのお願いです」


 依頼主こそ全てだ、とひなたは思う。家政婦に限ったことではない。必要とする彼らがいるからこそ、自分たちは在る。必要とされなくなれば、自分たちはなくなる。


 依頼人の信用を失いたくはない。一度、一からの信用を失いかけたひなたは痛感したのだ。知りたいと思ってはならない、聞きたいと思ってはならない、教えてほしいと思ってはならないのだと。

 人の秘密は、熱で溶けたマシュマロのように柔く甘いものだ。一度口にすれば、もう一つもう一つと、求める手は止められなくなる。


 いつきは、口元に笑みを浮かべていた。


「家族ですか。まるで思慮深い聖職者のような言葉ですね」

「一月家に務めて間もない私の目にも、皆さんは仲が良いように見えます。織さんの言う通り、家族のようだとも」

「みせるのは簡単ですよ。演じて、欺く。織さんや一月の兄弟たちが望んだ人間を演じれば魅せられる」


 ひなたが掘り起こした四つ目の穴に、いつきはピンクの花を植える。彼は丁寧に土を戻し、植えたばかりの花を見つめていた。それは、母親の話を口にしたときの眼差しと同じだ。


「私にとって、皆さんは依頼人です。もしかすれば、本来の皆さんを私は知らないのかもしれません」

「その必要はないのでしょう。君は家政婦なんですから」

「はい。けれど、これだけはわかります。いつきさんは、お母さんとの思い出をとても大切にされている」


 五つ目の株を持っていたいつきの手がびくりと揺れた。取り落してしまわないように両手で持ち直し、ひなたの顔を見ることなく穴を掘り始めた。黒髪の隙間から覗く左耳が赤く色づいている。


「と、当然なことをわかると言われても困りますね。親を大切に思わない子どもは、いないと思いますよ」

「いつきさんのお母さんは、幸せ者ですね」


 地面を掘っていたいつきのスコップは、突然花壇の土を大きく抉る。彼は聞いたことのない低い声で、小さく呟いた。


「しあわせだったでしょうね。俺たちだって、きっとしあわせになれたはずでした」


 白い花が咲いている株を穴の中に入れると、向こうからいつきの名前を呼ぶ声が聞こえた。公園の柱時計は、作業開始から一時間経過していることを指している。

 五つ目に植え替えた白い花が頼りなさげに風に揺れている。その姿は、過去に幸福を失ってしまったと話す彼の姿と重なった。

 ありがとうございましたという大きな声を聞きながら、ひなたは六つ目の株を手に取った。



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