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花の盛り  作者: 柚子ぽんみかん味
第二章
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三男の策略

 三匹の子ブタの話が好きだった。一番目と二番目の兄ブタが狼に家を吹き飛ばされ、三番目の弟の家に駆けこむ話だ。絵本では、優しい微笑みで兄ブタたちを家に招き入れた三番目の弟だが、絵本の裏ではきっと違う。弟ブタは二匹が助かってよかったなんて笑ってなんかいないのだ。

 

 深月は、とある少女の後ろ姿を見つけて駆けだした。放課後に彼女の姿を見るということは、母親兼先輩家政婦におつかいでも頼まれたのだろう。


「ひーちゃん!」


 ぴたりと止まり、振り返ったのはひーちゃんとニックネームをつけた花森ひなたという家政婦見習いだ。声を掛けられ、軽く頭を下げたひなたの隣に並ぶ。

 

「お帰りですか」

「そ。ひーちゃんはおつかいでしょ」

「はい。昆布だしを買い忘れたらしく、すぐ買ってくるように頼まれたんです。深月さんは……」

「ちょっと寄り道してきたんだ。三百円もあると、たぁっくさん買えるんだよ」


 深月は、手にしていたビニル袋の中を見せる。十円ガムに、チョコレートでコーティングされたパフ菓子。宝石のように大きくカットされた指輪型のキャンディや、一本で二つの味が楽しめるキャンディも買ってみた。

 二種類買った水あめのうち、カップにたくさん入っている水あめではなく、小袋に入っている水あめの封を切る。


「体育祭の時に、変なこと言ってごめんね」


 深月の急な謝罪に驚いて、ひなたは首を傾げていた。まさか、心当たりがないというのだろうか。自動販売機から落ちてきたペットボトルを受けとれないほど驚いたのに、忘れたのだろうか。

 ああ、と思い出したように手を打ったひなたは静かに首を振る。


「特に気にしていません」


 ひなたは、はっきりと言い放つ。傷つくどころか、なにも感じていないような口ぶりだ。少しくらい彼女の取り乱した姿を見てみたかったがために、あんな話をしたというのに計画は失敗だったらしい。



* * *



 あの日、ひなたから渡された絆創膏をふみが受け取っていた。その場面を、純の部屋に戻る前、深月は和室を通り掛かったときに偶然襖から立ち見ていた。なにか言葉を交わして立ち上がった彼女に、見つからないよう廊下の陰に隠れた。

 足音が遠ざかるのを待って、深月は作業を再開したふみのもとに行く。


「ふみ兄、上手に出来そう?」

「うん、なんとか頑張れそうかな」

「そうだよねぇ、ふみ兄にはうさぎさんのお守りがあるんだもんね」

「見ていたんだ。欲しいなら、深月にもあげるよ」


 ひなたから貰った絆創膏を取り出そうとしたふみの手を留める。


「いらないよ。だって、それはふみ兄のお守りなんだから、俺が貰ったって意味がないじゃない」


 深月は、笑顔でそう言いのける。曇り一つない笑顔をいいように解釈したのだろう、ふみもつられて笑顔を見せた。

 一重に、誰かが受け取ったものを自分のものにはしたくないために断ったのだが、ふみは気付いていないのだろう。深月のそんな気持ちを兄たちは知らない。深月が小さいころからそうだった。深月が欲しいと言えば、望みのものはほとんど手に入った。きっと絆創膏も、欲しいといえばくれたのだろう。



* * *



 数週間前の記憶を遡っていたら、水あめはすでに出来上がっていた。割り箸に垂らしたときは綺麗な赤色だったのに、これが透明になるなんて幼いころは信じられなかった。

 しかし、考えてみればおかしい話ではない。懸命に捏ねられた水あめが本来の色に戻るように人間も成長すれば、変わっていく。

 深月は気を取り直して、唇を尖らせた。


「なぁんだ、謝って損しちゃった。ひーちゃんのこと、驚かせちゃったみたいだから気にしてたんだよ」

「全く驚かなかったわけじゃないです。私が渡したのはあくまで絆創膏であって、でも、それをお守りのように思っていてくれていたのは素直に嬉しいですよ」

「ちがーう。ひーちゃん、嬉しそうな顔してない」


 深月は練り上げた水あめを、割り箸で器用に二つに分ける。片方を自分の口に入れ、もう片方をひなたに向けた。ひなたはといえば、水あめと深月を交互に見ているだけで、差し出した割り箸をいつまで経っても受け取らない。これが夏場であったなら、折角練った水あめが割り箸を伝い、地面に落ちていたことだろう。


「あげるよ。びっくりさせちゃったお詫びなんだから、いらないっていうのは無しね」


 深月は、ひなたの手に半ば強制的に割り箸を握らせる。


「いただきます」


 水あめが口内の熱で溶けていく。噎せかえるような砂糖の甘さが四肢全てに広がり、支配する感覚がたまらなく心地いい。これだから水あめは止められない。

 隣で水あめを食べているひなたを見ると、何度も瞬きをしていた。砂糖の甘さだけに目を白黒させていたわけではなく、口の端には僅かに笑みが浮かんでいる。


「ひーちゃん、美味しい?」

「水あめ、はじめて食べました。こんなに美味しいとは知らなかったです」

「ふぅん、はじめて、ねぇ……」


 水あめを食べて、顔を綻ばせているひなたはなかなか悪くない。家政婦としての顔ではなく、クラスで笑っている女子たちとそう変わらない表情だ。水あめを渡した甲斐はある。

 

 口内からすっかり水あめの存在が無くなったときには、帰るべき家に着いていた。玄関には兄弟たちの靴が一足もない。まだ誰も帰っていないのだろう。


「おかえり、ひなた……と、深月くんもおかえりなさい」

「ただいま、恵さん」


 台所から恵が待ちわびたように顔を出す。買ってきた昆布だしを手に、ひなたは台所に行ってしまった。

 ひなたは、ここには家政婦として仕事に来ているのだから当然だろう。用事もないのに深月に引き止める理由はない。彼女は友人ではなくただの家政婦だ。

 玄関に一人残された深月は、駄菓子が詰まったビニル袋を学生鞄に押し込んで、台所に立っている恵にわざと声を掛ける。


「恵さん、三段重ねのホットケーキが食べたい」

「ホットケーキ? 生地あったかしら」

「この間作ったときに余ってたじゃない。恵さん、覚えてないの」


 深月は、ホットケーキが描かれているパッケージを戸棚から取り出す。ふかふかのホットケーキが写っているそれを笑顔で抱えてみせた。

 ちらとひなたに視線を送る。この状況で、ホットケーキが作れるのは彼女しかいないだろう。


「私が作ります。ホットプレートを用意していただけますか」

「はーい、和室で待ってるからね」


 ひなたはプラスチック製のボールを取り出し、ホットケーキの生地を作りはじめた。その様子を確認して、ひなたに言われたとおりホットプレートを和室に用意する。

 電源を入れて待っていると、ほどなくしてボールとフライ返しを持ったひなたがやって来た。十分に熱していたホットプレートにぽってりした生地を三つ流し込む。


「駄菓子をたくさん買ったのでは?」

「駄菓子は駄菓子。ホットケーキはホットケーキ。別腹だよ」

「夕食が食べられなくなってもしりませんよ」


 ひなたは、気泡が浮かんだ生地をフライ返しで裏返した。三枚のホットケーキは表面がきつね色に焼きあがっている。片面が焼きあがるまでもうしばらく時間が必要だ。

 

「お皿とメープルシロップを持ってきます」

「うん。早く戻って来てね、焦げたら嫌だよ」


 ひなたがお皿を取りに立ち上がると、玄関が急に騒がしくなる。彼女には見せないように深月は毒づいた。この時間帯に、まさか帰宅するわけがないと祈ったところで、遠慮を知らない乱暴な足音は確実に和室に向かっている。


「おっ、美味そう!」

「おかえりなさい、志郎さん」

「おかえり、しろ兄。今日は早かったんだね」

「そうなんだよ、急に部活が休みになっちまってさ……もうすぐ練習試合だってのに」


 深月は、えくぼを作って志郎を出迎えた。笑顔を向けられた志郎も、同じ表情で返す。

 深月にとって、志郎の部活が休みだという理由は全く興味がない。練習試合が近いということも、家族の予定が書きこまれたカレンダーを見ればすぐに判る。

 どうして、今なのか。もう少し遅く帰ってきて欲しかった。


「俺も一枚食っていい? 腹減ってんだ」


 言うと思った、と予想してしまった自分が憎い。深月は下唇を静かに噛み、志郎の発言に肯定も否定もしなかった。

 実の兄ではない志郎のことをしろ兄と呼ぶのは、彼からの希望だった。兄といっても違いないほど彼らと過ごしたため、実の弟のような情が志郎に湧いたのだろう。親しみを込めて提案したのだろうが、深月からすればありがた迷惑にしか思えなかった。それほど長く過ごしているなら、(はじめ)やふみと同じように理解してほしい。

 立ち入ってほしくないところに、土足で踏み込んでくる。志郎の行動は、深月にそんな印象しか残していなかった。自分の兄弟だけで留めていてほしいと思っても、彼は無邪気に笑って他人の領域を汚していく。

 二人分の皿を持ってひなたが戻ってきた。焼きあがったホットケーキを志郎と深月の二人分にわけるのかと思いきや、三枚のホットケーキは一枚の皿に全て収まっていた。


「この三枚を先に深月さんにお渡ししても良いですか。生地ならまだ余裕があります」

「おお、別に良いぜ。俺も部屋着に着替えたかったしな。深月、もっと食って大きくなれよ」


 志郎はエナメルバックを肩に掛け直し、和室から廊下へ行ってしまった。深月は志郎が去った襖を呆然と見ていたが、すぐに別のものが写る。目の前には、三段重ねのホットケーキが置かれた。


「どうしてあんなこと言ったの。別に俺、我慢したのにさ」


 新しい生地をホットプレートに流す。綺麗に並んだ三つの丸を見つめたまま、ひなたは答えた。


「先に依頼されたのは、深月さんです。三段重ねのホットケーキが食べたいと、そう言われたので優先しただけです」

「依頼ね。これが、優しいしろ兄だったから良かったけど、他の人だったらまずいんじゃないの。贔屓してるって思われちゃうかもよ」

「家政婦は、常に平等です。それに、一月家では、誰か一人だけを任されているわけではありませんので」


 気泡が浮いた生地を、再びひなたが裏返す。見事な焼き色に深月は溜め息が漏れた。あくまでも、平等に接すると言い放った彼女の視界はホットケーキしか映っていない。


「ひーちゃんなら、喜んで煉瓦の家にご招待するよ」


 深月は、ホットケーキの上にバターを一欠片とメープルシロップを滝のように掛けて、一切れ頬張った。焼きたてでふかふかのホットケーキは、水あめよりも甘く感じた。

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