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花の盛り  作者: 柚子ぽんみかん味
第一章
3/13

決意の目

 買い物を終えたひなたの手には、ずっしりと重いビニル袋が握られていた。五本の指にビニル製の取っ手が食い込む。七人分の夕食に必要な重量を支えるには心許なかったようだ。


「家政婦さん」


 そう呼ばれて気がつくと、右手に持っていたビニル袋はあっという間に奪われていた。食料が詰められている袋を軽々と持ち上げる彼は、料理を運ぶのを手伝ってくれた青年だった。


「手伝いますよ。七人分の食材は一人だと大変でしょう?」

「そんなこと」

「今日の夕飯は……カレーライス? それとも肉じゃが?」

「肉じゃがにする予定です。それと、焼き魚を用意しようと思っていました」

「成程。夕飯も楽しみだなあ」


 彼は目を細めて微笑んだ。手入れの届いた真っ直ぐな黒髪を揺らし、先に先に進んでいく。歩くのもやっとだったひなたと、彼のものともしない軽やかな足取り。決して腕力がないわけではない。かといって、彼のように動けない。これが埋めることのできない深い溝なのだ。しかし、現実を目の当たりにして、それでもなお信じたくない。信じられなかった。

 ひなたは、小走りで追いかけ彼の動きに合わせて揺れるビニル袋に手を伸ばす。指先が触れるか触れないかの直前で、追いかけていた透明な袋が目の前から消える。


「どうしました?」

「私が、持ちます。家政婦ですから、依頼されている家族の方にこんなことをさせるわけにはいきません」

「随分無茶をするんですね。いや、これは無茶というより、意地ですか」


 彼はひなたの手の届かない高さまでビニル袋を掲げた。今持っている袋の重さでは手を持ち上げられない。それどころか、袋に気をとられて足元がふらつく有様だ。


「掃除や洗濯をしてもらっているんだから、力仕事は手伝おうって兄弟たちと決めたんです。それに、前の家政婦さんも同じように手伝っていたから気にしないでください」


 織が言っていた言葉の意味が分かったような気がした。いつも手伝っていたと言われれば、断る理由はない。片手に残っていたビニル袋も、気付くと彼の手に取られていた。


「さあ、帰りましょうか。家政婦さん」


 荷物が増えても足取りは変わらない。このまま何も出来ずに帰宅するわけにはいかないと、学生鞄に手を伸ばす。


「持ちます」

「大丈夫ですよ。これくらい軽いものです」

「あなたにばかり持たせるわけには、いきません」

「実は、鞄の方が重かったりして」


 ひなたの真剣な眼差しに根負けしたのか、学生鞄を彼女に渡した。彼の言葉に反して、学生鞄はビニル袋に比べて、なにも入っていないのではないかと思うほど軽い。


「たくさん、お勉強をされているんですね」

「はい、それはもう。必要なものは全部入っていますから」


 彼から渡された鞄を胸に抱えなおす。歩くたびに、ペンケースの中で飛び跳ねるペンたちの音が聞こえた。


「自己紹介が遅れました。俺は、一月(ひとつきふみっていいます」

花森(はなもり)ひなたです。残り半日も時間はありませんが、よろしくお願いします」


 一日だけだと恵に頼まれていたことを思いだす。あっという間に一日が過ぎてしまった。学校で授業を受けていたころ、一日二十四時間とはこんなに長いのかとよく思っていた。この時間を他のことに使えたら、なんてとりとめもない仮説を考えていたものだ。

 有意義に過ごしていたかと問われたら、ひなたは首を横に振るだろう。学校に不満があったわけでもない。友人関係も、教師たちも問題ない。

 ひなたは、一つの仮説を立てた。その仮説が正しいかどうか、結びつけるための糸は垂れている。あとは、千切れてしまわないように手繰り寄せるだけだ。



 一月家の玄関に、きっちりと揃えられた女性物の靴が一組置いてある。


「あの子は正規の家政婦ではありませんし、賃金は受け取れません」

「彼女は十分な働きをしてくれましたよ。それこそ正規の家政婦さんとそう変わらない仕事をです」


 織と誰かが向かい合って話をしている。玄関で見かけた靴の持ち主だろう。ふみと顔を見合わせ、先に入るように促された。


「ただいま帰りました」

「お帰り、ふみ。ひなたちゃん」


 そこには、寝ているように釘を刺してきた恵が座っていた。依頼人に風邪をうつさないようにマスクを着けてまで仕事にやってくるとは思っていなかった。


「病院に行って、薬を飲んで、きっちり六時間睡眠したんだから文句は言わせないわよ」

「熱が完全に引いたら、とも言っておけばよかったって後悔してる」


 熱が引いたと小躍りしていた恵に、大事をとって休みをとるよう言って出てきたのだ。どうしても仕事をしたいのならと課した条件を全てこなしてきたようだ。


「心配で様子を見に来てくれたんだよ。良いお母さんだね」

「心配にもなります。なんていったってこの子は正規の家政婦じゃないんです。信用問題に関わります」

「ひなたちゃんは、この仕事をどう思う?」


 恵に向けられていた穏やかな目は、一つ瞬くと色合いを変える。夕日から宵の色に変化する晴天のようだ。言いたいことがあるのだろうと、織の瞳の奥から問いかけられる。

 ふみから預かった学生鞄を傷つかないように畳の上に置き、恵の前に座る。


「私、家政婦の仕事がしたい。高校とか、大学とか、そういうものが大切だって言うけど今の私には大切な理由がわからない」


 『とりあえず、高校行かないとね』と口癖のように友人たちが言っていた。目標はあとから考えればいい。そのためにも、まずは内申点を稼ぎたい。高校進学の理由としては間違いではないだろう。しかし、ひなたはどうか。

 一つだけ揺るがないことがあった。恵と同じ、家政婦になって一刻も早く働きたいということだ。

 恵の背中をいつも見ていた。持ち前の明るさで、仕事をこなす彼女に物心ついた時から憧れていた。

 母のように、強い人でありたい。幼いながらもひなたはずっと思っていた。


「本当に、それで後悔しないの?」

「しない。絶対に、後悔なんてしない」


 恵の丸い目が歪に揺れる。大きく息を吐いて織さん、と黙ってやり取りを聞いていた彼に顔を向ける。


「お給金は正規のお値段で、一人分だけ頂きます。半人前のこの子に正規の家政婦と同じ給金は渡せません」

「と、いうことは」

「私、花森恵と花森ひなたが責任をもって、一月家の家政婦を務めさせていただきます」


 深々と頭を下げる恵に続いてひなたも頭を下げる。心臓の音がやけにうるさく響いた。



 恵に大事をとるように帰宅させ、ひなたは夕食作りを始めた。買ってきた材料通りのメニューを作り、夕食を整える。各人が揃い、夕食を終えたころには辺り一面が紫紺に包まれていた。織は、ひなたが帰宅するときは責任をもって見送るからと恵に連絡をいれた。その理由は、円卓に並んだ六人の青年たちが関係している。

 六人分の自己紹介を聞き終え、ひなたは改めて六人の青年と織に目を向ける。これから、彼らの家政婦として働くことになる。


「花森ひなたです。明日から、花森恵と共に一月家の家政婦として働くことになりました。よろしくお願いします」


 挨拶を終えると、自然と身が引き締まる。覚悟は決まった。もっと前から、この日が来ることを望んでいたのだ。ようやく、一歩踏み出せる。 


「長く引き止めちゃったね。わたしが送っていくよ」

「よろしくお願いします」


 ひなたは、六人の青年たちにもう一度頭を下げて、玄関に向かう織を追いかけた。

 外に出ると、欠けていない丸い月が空に浮かんでいる。その周りにはぽつりぽつりと小さな星がちりばめられていた。まだ肌寒い風がひなたの肌を通り過ぎる。

 歩幅を合わせて隣を歩く織に、ひなたは問いかけた。


「皆さん兄弟かと思っていました」

「ああ……六人兄弟っていうのも、確かに素敵だったかもしれないね」


 一月家には、二つの兄弟が同居していた。織の血を継ぐ三兄弟と乾の姓をもつ三兄弟。

 織は眉を八の字に曲げ、困ったように言葉を返した。


「三人はちょっと理由があって預かってるんだ。だから一月の人間ではないけれど、それでも同じように接してもらいたいな」


 依頼人と家政婦の関係において、恵から言われていたことを思いだす。依頼人とは近すぎず、遠すぎないこと。相手が知られたくない部分へ踏み込まないよう、一歩留まること。依頼人と家政婦という関係はあくまでも仕事だけの付き合いだ。


「すいませんでした。お話しにくい質問をしてしまいました」

「謝らないでいいよ。一月家で働いてほしいってお願いしたのに、違う名字の家族がいたら不思議に思ったっておかしくないからね」


 恵が待つ自宅まで残り数十メートル。


「一つ、聞いてもいいですか」

「どうぞ。なんでも答えるよ」

「母と話していた時に、どうしてあんな質問をしたんですか」


 もしもあのまま恵と話を続けていたら気の強い彼女のことだ、織の言葉もものともせず押し切っただろう。あえてひなたに目を向けた理由を聞きたい。


「頑張る子を応援したかったんだよね。そういう子の、きらきらとした目を見るのが好きなんだ」

「目が、きらきら……」

「恵さんだって、本当はそう思っていたんじゃないかな。自分の子どもがしたい事を応援しない親はいないよ」


 最後の曲がり角を過ぎたところで、自宅の明かりが灯っていることに気付く。時折カーテンが揺れ、きょろきょろと外の様子を伺う恵の姿が見えた。見送りをしてくれた織に礼を言い、急いで自宅に駆け込んだ。


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