09 : 憧憬と忠義
『口惜しや!小賢しい真似をしおって。あんなもの、幻影に決まっておる!あそこにおった矮小な魔術師が幻影を見せたのじゃ!ええい、口惜しい。口惜しい。』
『ですがエレオノーラ殿下、これで彼奴奴を堂々と消すことが出来ましょう』
『なんじゃと?!詳しく妾に聞かせたもう。』
『はっ―――。これよりは、魔王の住まう城へ向かう危殆な旅路。いくらでも命を落とす可能性はありましょう。』
『―――ふ、ふは、ふはははは!おぉ、そうよのう。そうよのう。妾としたことが、ほんに抜けておったわ。妾の可愛い蝙蝠よ。仔細任せるぞえ。』
『御心のままに。』
『ついでに彼奴奴が魔王を葬ってくれおったら、これ以上ない僥倖なんじゃがのう。ふはははは、ははははは!』
あーっははははは、と、趣味の悪い笑い声が狭い室内に木霊した。
最初の内こそ申し訳なさや心苦しさを感じていたが、最近では彼女の登場を心待ちにしている。世界最強の魔王を倒せと言っている相手に、今から刺客を向けて殺そうとしているのだ。こんなギャグシーン、中々お目にかかれない。
「この人、王妃なのよね?」
「お恥ずかしながら。我がティガール国の正妃でございます。」
「あんた、魔王倒すついでに自分とこの国もきちんと立て直したほうがいいわよ」
「ご忠告痛み入ります。」
慇懃にお辞儀をするアルフォンスのつむじをわしゃわしゃと撫でまわしながら、私は彼女の次の登場を待ちわびるのだった。
***
暦が2月に入った頃、旅は順調に進み、預言書ノートも順調に埋まって行っていた。
自軍の人数は6人から12人に増え、スタメンもほぼ固定メンバーになってきた。
相変わらず私は戦闘にはさっぱりで、私が100均一で買ってきた指示棒を使ってアルフォンスに指揮してもらっている。指揮するアルフォンスは、この戦闘方法は軍の状況や越える道筋がわかりやすくて、とても重宝すると喜んでいた。事前にシュミレーションをさせてくれる預言書に日々感謝を募らせている。
この頃になると、あれほど無表情だった画面版アルフォンスにも、僅かではあるが人間らしい感情の起伏に伴う変化が現れるようになっていた。それは声色であったり、体の動きであったり、そして表情であったり。それは討伐軍にとってはもちろんのこと、アルフォンスにとっても、生きている実感を伴えるいい変化であった。
そして、そのアルフォンスを見るたびに、隣でいつも穏やかな笑顔で微笑んでいるこの男との差異を感じて、不思議な気分になる。そこら辺はもう、考えたら負けだと思っている。
バイト仲間のリカちゃんも遅ばせながら同じゲームを始め、すでにもう進行具合は抜かされている。というか、既に全部のストーリーをクリアをしていて二週目をしているというのだ。二週目って、何それと愕然としたのを覚えている。
バイトに行くたびに『アルがかわいすぎて無理辛い死んじゃう』と、私にはよくわからないことを恋する乙女のようにキラキラした瞳で語るので、なんだか申し訳なくなる。『会いたいとか思う?』と聞けば、『そんなわけないじゃないですかぁ。二次元は二次元だから尊いんですよぉ』と、またもや私には理解できないお言葉をいただいた。
「そうだ、リュカってキャラ出てきましたぁ?そのキャラ私の嫁が声してて―――」
「え?!結婚してたの?!」
「はい、すでに挙式は4パターンほど済ませてますぅ。」
「え…学生結婚…?」
「一妻多夫性なんですけどねぇ。それでぇ。リュカめっちゃ可愛くないですか?私の理想の受けそのものでやばくってぇ。もう時間があったらついついスマホでアルリュカ検索しちゃうんですよねぇ。お気に入りの作家さんもはまってるみたいで結構いい漫画があってですねぇ…あ!はまったら教えてくださいねぇ。結構似た感じの受け声やってるドラマCDがあってぇ―――」
「ちょっとリカちゃん語が理解できない。」
「それギャグですかぁ?ちょっと笑える!みどちゃんセンパイはお気に入りのキャラとかいないんですかぁ?」
ようやくリスニングできるリカちゃんの言葉が聞こえてきた。私は自軍のキャラクターたちを順に思い浮かべて、一人のキャラクターを思い浮かべる。
「実は―――」
思い切って言ったキャラクターの名前に、いつもは歯に衣着せぬ物言いをするリカちゃんが、奥歯に物が詰まったような顔をして私を見ていた。
「翠様はオーディンの使用頻度が高いですね」
戦闘の指揮はアルフォンスがするものの、出場キャラクターは割かし私が決めている。ゲームがストーリーの流れ的に『このキャラは絶対に出場させてください』と指示を出してくるキャラクター以外は、私が毎度好きなキャラを選ぶのだ。
さっき出してあげれなかったから今度はこのキャラを出したいとか、このキャラとこのキャラを一緒に出場させると会話が面白いとか、このキャラが今おすすめだからとか、海を越えるならこのキャラが必要でしょう!とか、基本的に戦闘に重きを置いていない考え方をする。
しかし、与えられた駒で難局を乗り切ることに楽しみを見出し始めているアルフォンスは、その状況さえも楽しむことのできる天才君であった。パズルゲームとか渡したら深夜まで延々と一人でやってそうだな。と母親気分で不安になってしまった。
さて、そんなウツシヨ代表ゲーマー殿のご明察の通り、私はオーディンを贔屓していた。
理由は簡単だ。格好いいのだ。
リカちゃんに、『なんでこんな顔面キラキラのなよっちいのばっかりが出てくるの?』と聞いたら『仕様ですぅ』とわけのわからないことを言われた。
魔王を倒しに行くんだぞ?魔王だぞ?わかってるか?魔王だぞ??魔王を倒しに行くのに、何故ジュゴンボーイに選ばれに来ました!みたいな男たちばかりなのか。何故国民的な美少女コンテストの履歴書を見ているような気分にならなければならないのか。私にはさっぱりだった。
そんな中で、オーディンの存在が際立っても致し方ないことだと思う。
太い腕に太い脚。厳ついと恐れていた顔つきは凛々しく見え、アルフォンスを心配したり、時には叱りつけたりする表情は年相応の色気を感じさせた。
振り下ろす斧は空気を引き裂くほどの力強さを感じる。オーディンが軍の戦闘に立っているとき、私はこれ以上ないほどの安堵を感じるのだ。彼がいるから大丈夫。その安心感は、憧れにまで発展した。
決定打を打ったのは、あの場面だったに違いない。
――それは、小さな兄妹の願いを叶える章のこと。
その村は魔王の脅威にはほど遠い、平和な場所だった。そのため、少年は危機感に乏しく、いつものように妹と二人で森に入った。病床に付く母に少しでも精の籠った料理を食べてもらえるよう、獣を仕留めるための罠を張りに行ったのだ。
罠を張り終え、いつものように家に帰ろうとした兄は、迷っていることに気が付いた。いつもつけているはずの目印がどこを探しても見当たらずに、妹と二人で途方に暮れる。そんな時、二人は討伐軍一行と出会った。兄は幼いながらも、しっかりとした顔つきでアルフォンス達に救いを求めた。妹を背に庇いながら、兄として気丈に立ち続けた。
アルフォンス達討伐軍は義の心をもって二人を助けた。知恵を振り絞りなんとか村の場所まで辿り着いた時、ようやく願いを叶えたと誰もが思った。しかし、幼い小さな二人の願いは実現しなかった。
そこには、かつて村があった名残しか残されていなかった。
それは、一日二日で成せる褪せ方ではなかった。村を覆っていたはずの柵は崩れており、潰れた家は朽ちていた。雑草が多い茂り、木ももう何十年も剪定されていないかのように縦横無尽に枝を伸ばして家屋を押し潰していた。覗き込んだ井戸は涸れていて、手に持った水桶は音を立てて崩れ落ちた。
全員が息を呑んだ。少年は、ただ茫然とその様を見つめていた。
少年と妹は、森に“迷って”いた。この森は、妖精に守られる神聖な場所。その為、普段は魔物はおろか凶暴な獣さえ寄り付かない。本当に平和な森だったのだ。
そして、少年と妹は妖精に化かされた。二人は歪んだ時空の中、現実世界において途方もない程長い時間さ迷い歩いていたのだ。
長い放心状態から立ち直ると、少年は一目散に駆け出した。そこはかつての、少年の家。乱暴にドアを開けると、家が軋み崩れかけた。少年は迷わず足を踏み込み、母を呼びながら家の中を必死に探す。
しかし、少年の呼びかけに応える者は誰もいなかった。
『この村はまさか、“幻の村”ですか』
討伐軍一行の最後の良心。素朴で真面目な魔法使い、フリクリが少年にそう尋ねた。少年は、わけがわからずに首を傾げる。
『迷いの森の傍にあり、迷いの森にすむ精霊の守番を代々務めてきた村……それが、貴方の住んでいた村ですね?』
少年は、傾げていた首を今度は肯定の意味をもって縦に振った。フリクリの言葉を正しく把握できていたのは、アルフォンスだけだろう。フリクリは、少年とその場にいる全員のために説明を続けた。
『約100年前、初代勇者の魔王討伐の際に彼の英雄たちが立ち寄った村です。そしてその村は、英雄たちが辿り着く前日に――』
魔物によって、滅ぼされてしまっていた。
フリクリの説明に、これまで気丈に立ち続けていた少年の膝が崩れた。妹はきょとんとした顔で兄を見ている。自分が暮らしていた村と、この荒れ果てた村が同じものだと、幼い妹は未だ理解できないでいた。
『“幻の村”――後にアドゥルエルムの村と名づけられたその村は、彼の有名な魔法使い……ハルベルト・アドゥルエルムが生まれ育った村でした。魔法塔に残されていた彼の書記によると、その村には、彼の財産が眠っていた。知識と言う財産が。それを、旅の途中に取りに戻ったのだと、魔法塔の歴史書には記載されておりました』
フリクリの言葉に、少年はぽつりと呟いた。
ハルベルトは放浪している父だ、と――
そして自分の名前は、シャルル・アドゥルエルム。妹の名は、エッラ・アドゥルエルムと少年が告げた瞬間、彼の悲壮感とは真逆に、地を揺るがすほどの歓喜の声が上がった。フリクリと、魔法使いのマジェリーン、そして学者であるニコラスからだった。
彼ら魔法塔の出身者達は“魔法の祖”と呼ばれるほど沢山の魔法を生み出したハルベルトを、そして英雄としてかつて魔王を打ち滅ぼしたハルベルトを、女神と同じほどに崇拝していたのだ。
その信仰心は凄まじく、家族と村人の悲報を知り絶望の淵に座っていた少年の気持ちなど、完全に無視。駄目な大人の見本のような魔法使い達に、シャルルは唖然とするばかり。
“魔法の祖”であるハルベルトは、彼らが住まう魔法塔の建設者でもある。その直系の子孫である二人を前にして、魔法使いたちは制御しなければならない理性と言うものを、感情が振り切ってしまったのだ。
しかもまだ二人は幼く、訓練次第ではハルベルトと肩を並べるほどの大魔法使いになる可能性に溢れていた。魔法に通じる三人はすぐに、王族でもあり討伐軍のリーダーでもあるアルフォンスにシャルルとエッラの保護を懇願した。まるで、今まで手塩にかけて育ててきた我が子のように、会ったばかりの少年と少女に傾倒している。それほどまでに、ハルベルトは魔法使いたちにとって大きな存在であった。
アルフォンスは推敲する。そして彼は決断した。
『シャルル、エッラ。君たち二人は偉大な祖の血を受け継いでいるとは言え、今は非力な小さな光だ。その光を、ここで絶やすことは出来ない。この村に留まりたいかもしれないが、次の町まで共に行こう。そこで待っていてくれないか。絶対に、魔王を倒して迎えに来るから。そうしたら、今度こそ共に行こう。私を、君たちの仲間にしてほしい』
討伐軍からは、様々な可能性を上げる不満の声が上がった。しかしアルフォンスは頑なに首を縦には振らなかった。アルフォンスに、二人の兄妹は従った。
100年越しに母に供養の花を手向けるシャルルとエッラは、生まれ育った村から旅立った。討伐軍の一部の反対を押し切り、強引ともいえる判断で、アルフォンスは次の目的地を変更した。彼ら二人が、安心して過ごせる場所に――
道中も、アルフォンスは絶対に少年達を戦いの場に引きずり出すことはしなかった。そして信頼できそうな宿屋の主人たちを見つけると、くれぐれも頼むと心ばかりの礼を握らせた。二人を安心させるように不器用な笑みを浮かべると、アルフォンスは自らのマントをシャルルに渡すとその町を発った。
そしてこの時に、オーディンはアルフォンスを呼び止めた。
オーディンはこれまでにないほど神妙な顔つきで、腰にはいている剣を引き抜くと、アルフォンスの前に捧げ膝を折った。
『私の剣はすでに17年前よりクリスティアン殿下に捧げております。ですがこの命、アルフォンス殿下に受け取って頂きたい。取るに足らない些末な我が命ではありますが、如何様にでもお使いください。』
真摯な声は、一瞬これがゲームなのだということを忘れさせるほどの威力を持っていた。スピーカーから聞こえてくるのがもったいない程うっとりとしてしまった。
こんな覚悟、中々口に出せるものじゃない。
一歩間違えれば二心ありと、今まで築いていた信頼関係すら失ってしまいそうな台詞だ。あちらに鞍を変え、こちらに鞍を変え、都合のいいように主人を変えようとしていると軽蔑されても不思議ではない台詞だ。
ストーリーを進めていく内にわかったが、ウツシヨの『忠誠』だとか『名誉』だとか『矜持』だとかは、何物にも代えられないほど価値を持つらしい。特に、騎士が正式に誓いを立てた場合、それに準じないことは死よりも恥ずかしいことなのだという。
そして基本的に、剣と命は同じ主人に託すのが慣例らしいが、オーディンの言葉を聞く限りでは、王太子に命までは預けていなかったらしい。だが、そんなのほぼ言い逃れであろう。それでも、そんな詭弁を述べてでも、オーディンはアルフォンスに伝えたかったのだ。裏切り者だと軽蔑されようとも、アルフォンスに感銘を受けたことを、自分の覚悟を、真摯な思いを伝えたかったのだ。
これを、格好いいと言わずになんと言おう。
私は痺れた。その男気に。そのことをリカちゃんに伝えたら、『そこはその前のアルフォンスに、ひいてはその後のアルフォンスの対応に萌えるためのシーンなんですよぅ海野のかすれ声半端なく腰に来ましたぁ妊娠したかもしれない。』と真顔で言っていた。リカちゃんにちょっと引いてしまった。
ちなみにアルフォンスはその後、頭を下げているオーディンの後頭部に剣を当ててこう言った。
『オーディン、そなたの忠誠一時預かる。無事故郷に帰り、兄上に返さねばな。』
私はこの対応に不満だった。オーディンが決死の覚悟で誓ったというのに、それを無下にするような言葉を返して。とプリプリしたものだ。その時アルフォンスは苦笑するだけで何も答えなかったが、代わりにリカちゃんが教えてくれた。
『アルフォンスの世界では忠誠を誓った主人が死ぬとそれに殉じなくちゃいけないんですよぉ。アルフォンスは危険な旅で命を落とす覚悟があったんですぅ。オーディンを盾にも、道連れにもする気がなかったってことですねぇ。まぁこれはクリア後の得点で明かされる裏設定なんですけどぉ。ね。めっちゃ格好良くないですかぁ??格好いいって思ったらですねぇ、実は『聖女降臨』で商業アンソロジー企画があってぇうちの本屋にも入れてはどうかなぁとか―――』
リカちゃんの説明を聞いて、それならまぁとかもにょもにょ思ったが、絶対本人には教えてやるつもりはない。それでもやっぱり、オーディンの格好よさのほうが上だ。あのシーンがあってからというものの、どれだけ出場枠が厳しくなろうともオーディンだけは絶対に入れている。アルフォンスは戦闘に関するコストがないので、もちろんスタメン中のスタメンなのだが。
―――そして、そんな私の気持ちはアルフォンスにはダダ漏れだったらしい。
「そ、そんなこと、ないけど?」
「…こんなむさくるしい中年のおっさんがお好みですか?」
「ちょっと!こんなに渋かっこういい人は中年のおっさんなんて言わないの!」
「子供どころか、昨年孫も産まれましたよ」
「えっ!?結婚してるかなぁとは思ってたけど…そんな…まじか…」
オーディンの名誉の為に言わせてもらうが、決して孫がいるような年齢には見えない。よくて30代前半、悪くても30代後半にしか見えない彼に孫がいるだなんて言われても、どうしても信じられなかった。そのショックが顔に出ていたのか、アルフォンスが私を見つめて微笑んだ。
「―――次、オーディンを使ったら、今後の晩御飯はブロッコリー一色です。」
にっこりと擬音が付きそうなほど満面の笑みで告げられた内容に、私はコントローラーを落としてしまった。
「な、なんで、ばれて…」
ブロッコリーが苦手なことは、未だ誰にも言ったことのない秘密だった。『食べ物の好き嫌いある?』と聞かれて『ない』と答えることが快感だったからだ。
「翠様は大変素直な性格でいらっしゃいますので。」
「馬鹿正直だって言いたいの?!」
「そのようなこと、私の口からはとてもとても。」
しれっと告げるアルフォンスに歯噛みしていると、彼はふっと笑った後、謝ってくる。私の扱い方や引くタイミングを完全に把握しているこの男が憎たらしくてしょうがない。
「年下のくせに!」
「はい、申し訳ございません。」
ご機嫌直してくださいねとつむじを差し出されては、ピィちゃんを触らないわけにもいかずに、わしゃわしゃと撫でまくった。
「私も、双剣以外の武器で使っていただけたらこのように悋気を起こさないで済むのですが」
「ちょっと、私よりも難しい日本語使わないでよ。」
「また無理難題をおっしゃる。それでは貝のように口を噤む他ありません。」
「あんた本当に最近クソ生意気よ!」
お褒めに預かり光栄です、と満面の笑みで微笑まれて、私はぐぅの音も出なかった。