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07 : 仕事の対価

 その後三週間は、何事もなく進んだ。


 私は相変わらず大学に行き、バイトに行き、家で待っているペットのために金を稼いで帰ってくる。

 アルフォンスは日々家事の腕を磨き、今では一人でスーパーや商店街に買い物だって行ける。最初に見せたブログが主婦ブログだったのがよかったのか、男の人にありがちな失敗も少なく、きちんと節約して買ってくる。

 掃除も洗濯だってお手の物だった。16歳の男の子に私の下着を洗わせるのも可哀そうだったが、下着だけ自分で手洗いなど以ての外なので一緒に洗わせて畳ませている。アルフォンスは、レースや刺繍だらけの色彩豊かな下着に若干気まずげにしながらもきちんと自分の仕事を遂行していた。


 そんなアルフォンスは史上最短期間でなんとか塔を卒業したというだけあり、学習方面の頭の出来もやはり天才的であった。ひらがな、カタカナはドリルを渡したその日に全て終わらせていたし、覚えるだけではなく活用までできるようになっていた。ひらがなとカタカナであれば、簡単な文章も書けるようになっていたのだ。これには非常に驚かされた。

 なんでも、テレビの音声を聞きながら字幕を見ていたらわかるようになったという。そんなの、私を舐めてるのかと憤れば、自分は最初から意思の疎通ができることありきな勉強方法なのだと焦った声で弁解された。



 アルフォンスは日本語の多種多様な文字に驚きと称賛を述べていたが、そんなものよりも一番感動していたものを私は知っている。シャーペンと消しゴムだ。これを見た時のアルフォンスの顔ときたらなかった。『国宝でもなんでもないからそんなに恭しく使わなくてもいいし、たくさん書き間違えてもいい。』と言うまで、アルフォンスは手が震えだすんじゃないかと思うほど緊張していたのだ。


 今では簡単な漢字ならいくつか読める。書くのはまだ難しいらしい。難しい漢字にしても、渡した辞書を引きながらなんとか読み進めていくことが出来るので、日本語に対する知能レベルは小学校高学年までレベルアップしている。


 日中にわからないことなどを気楽に検索できるように、キーボードを日本語入力にしてやったら、その日から料理のバリエーションがどんと増えた。


 作り溜めていたカレーを食べ終えた頃、初めてアルフォンスが一人でご飯を作った時の料理は今でも覚えている。

 イケメンで王子様で何でもできる天才でも、出来ないことってあるんだなと本当に思った。皮は上手に剥けているし、切り方も均等で、焼き方も問題ないのに、味付けがひどかった。

 それもそのはず。今まで料理などしたこともないだろうし、何よりこっちの料理は見たことも食べたこともない物だらけのはずだ。調味料なども漢字で書いているものが多いため、似ている見た目の物はいくらレシピを見ながら作っていても間違えるだろう。


 そんなアルフォンスのへんてこ晩御飯を食べ終えると、復習を提案した。今日作ったものを、翠先生が指導しながら次の日におさらいするのだ。アルフォンスは素直にそれを受け入れ、早速次の日の朝ご飯に二人で台所に立った。そうすると、驚くほど美味しい料理が出来ていた。それを土日の朝昼晩をはさみ5回ほど経験すると、アルフォンスは完璧に料理をマスターしていた。それ以降、翠先生は台所に立っていないどころか登場もしていない。完全に弟子の独壇場だった。


 今では和食も自分で出汁を取って振る舞ってくれる。多めにとった出汁を製氷皿に入れ、冷凍ストックまで作るという主夫っぷりだ。ちなみに出汁をとった後の鰹節はおかかに、昆布は煮物になって出てきた。翠先生は大人しく引退することにした。

 上手に節約しながら毎日違う食べ物を和食中心で作ってくれるため、肌の調子はいいし、お通じも順調だ。持つべきものは先日述べていた通り、妹煩悩の兄と、頭のいい従順なペットである。


 そんな私は、バイトのシフトが減り、家事に手間取られる時間が無くなったため、いつもよりも余裕のある日々を過ごしていた。余暇時間にゲームを少しずつだが着実に進めていく。


 そんな充実した穏やかな日々に水を差すように、とある事件が起こった。




「これよりしばらく、預言書はお預けです。」


 ずーん、と沈んだ様子で大学から帰ってきた私を、アルフォンスはいつものようにエプロン姿で出迎えてくれる。花柄のエプロンがあまりにも似合っていたため、もう一つフリルがたっぷりついた可愛らしいエプロンをプレゼントしていた。アルフォンスは苦笑したものの、律儀に洗い替えとして使ってくれていた。


「おかえりなさい、翠様。どうなさったのですか?」

「敵です。敵が攻めてきました。」

「敵襲ですか?!やはり常世とこよの世界も…」

「そうです。トコヨにもあるのです。敵が。」

 あるのです、という単語を不思議に思ったのかアルフォンスは首を傾げながら、ふらふらとリビングに上がっていく私の後を追ってきた。


「忘れてたんじゃあ!!今日ミチコに聞いて、そんなわけないって確認したら、本当に、明日までだったのよーー…無理。絶対無理。終わんない。だって全然手つけてない。やばい。やばいーー」

「翠様?」

 私の絶望感を感じとったのか、アルフォンスは労わるような視線を向けてくれる。その視線に絆され、私はアルフォンスの肩を掴んだ。


「あんたも早く帰りたいだろうけど、私にもこっちの生活があるの。わかってくれるよね?」

 先ほどからの言葉を吟味し、『敵』とは言いつつも大事ではないのだろうと判断したアルフォンスは大仰に頷いた。


「もちろんでございます。私で手伝えることはないでしょうか?」

「あんたの仕事は?」

「給仕です。」

「私のために美味しいご飯作ってください。」

「かしこまりました。」

 私はいつもはアルフォンスに貸し出しているノートパソコンを自分の前に置くと、徹夜を覚悟しながらレポートのために起動させた。




***




 その日は食事すらゆっくりとる時間もなく、ノートパソコンを叩きながら流し込んだ。そんな私にアルフォンスは呆れるでもなく、甲斐甲斐しい新妻のようにテキパキと動いた。私は手に持っているものしか口に運ばなかったので、定期的に手に持たせる皿を変え、お茶を注ぎ、零れれば布巾で拭いてくれた。至れり尽くせりな夕食が終わると再び鬼のような形相でノートパソコンにかじりつく私の邪魔をしないように、アルフォンスは息を潜めて家事に精を出していた。


 結局その日は寝る余裕などなく、終わったぁ!と背伸びをする頃には開けっ放しだったカーテンの向こうが白けていた。気づけば、チュンチュンと雀の可愛らしい声が聞こえてくる。

 アルフォンスが来るまでは徹夜など当たり前にこなしていたことなのに、最近は特に規則正しい生活をしていた為非常に堪えた。


「まさかの一人朝チュン…」

 遠い目をして窓の向こうを見ていた私の背後から、静かな声が聞こえた。


「お疲れ様です」

「うわっアルフォンス。あんた起きてたの?」

「主人が寝ていないのに、私が寝るわけにはいきません」

「主人って…あんたロールプレイング結構はまるのね。そんなの気にしないで寝なきゃダメでしょ。その綺麗な肌にくまでもできたらどうすんの」

 アルフォンスの陶器のような肌を触りながらそう言うと、ふふふと春風のように笑う。


「まるで男のようなことを言いなさる」

「あんたが私よりよっぽど女らしいからでしょ」

 呆れてそう言うと、アルフォンスは不思議そうに首を傾げた。


「誰がどう見ても、翠様は貴婦人です」

「あらそう。ありがとう。こんなボサボサ頭でどすっぴんでレポートを前にしたら風呂にも入らない私にもキフジンだなんて言っていただけてとっても嬉しいわ。」

 花柄でもフリルでも着こなすイケメンにそんなことを言われたところで、嫌味以外の何が返せるというのだろう。私は鼻で笑いながら立ち上がった。


 カーテンを閉めようと窓枠に手をかける。窓には結露がびっしりとついていた。

「早く春になんないかなぁ…」

「寒いですからね。」

 労わるように、温かいコーヒーを差し出してきたアルフォンスからそれを受け取ると、私は壁にもたれかかりながらゆっくりとカップに口を付けた。

「ううん、それもあるけどさ。この下にほら、街路樹があるでしょ。あれ全部桜なのよ」

「さくら、ですか?」

「あぁそっか。知らないのか。花の名前なの」

「花が咲くことが待ち遠しいのですか…?」

「失礼ね。私だってそのぐらいの情緒ぐらいあるわよ」

「大変失礼をいたしました。」

「まぁ、なんだろ。桜は特別よね。日本人の。咲くのが待ち遠しいし、咲いたら嬉しいし、まぁお酒も飲めるし。」

「花が咲いたことを祝う為に飲むのですか?」

「うううん…そう聞くと大層な行事に聞こえるけど…なんて綺麗な花が咲いたんだろうねぇ今年も楽しいねぇ!って、飲むのかな?」

「…口実ですか?」

「…口実です。」

 アルフォンスの呆れた大人を見るような目に耐えきれずに、私はコーヒーをぐっと飲み干した。

「ま、あんたが春までいたら見せてあげる。ちょこっとだけならお酒も飲ませてあげるし。お花見しようよ。ってことで、桜は検索しちゃだめよ」

「承知致しました。」

「シャワー浴びて大学行くわ。あんたもちゃんと入んなさいよ。どうせ私より先には~とか言って入れてないんでしょ」

「お心遣い感謝いたします」

 まさか私のその不用意な一言が、こんな結果を招くとは思ってもいなかった。




***




 大学を終え、少なくなったとは言え皆無になったわけではないバイトに励み帰宅すると、珍しく電気がついていなかった。たった三週間ほどの習慣だというのに、もう人の温かさに慣れていたのかと思うと少し面白くない。

 訝しく思いながらも玄関を開ける。いつもなら慌てたように家事の手を止めて駆け寄ってくる足音も、笑顔を浮かべたピィちゃんの姿もない。真っ暗闇の空間を静寂が支配していた。


「―――アルフォンス?」

 呼びかけた声は、ひどく小さかった。自分で自覚していなかっただけで、随分と不安だったらしい。電気をつけて、アルフォンスがいないのを認識するのが嫌で、真っ暗闇に声をかけた。


「み、どりさま…?」

「アルフォンス!いるの?」

 慌ててスイッチを押すと、暫定彼の寝床である炬燵に蹲るようにして潜り込んでいるアルフォンスの姿があった。

「おかえりなさい…今、お夕飯を」

「寝てたの?」


 頼りなく響く声に胸騒ぎを抑えながら慌てて駆け寄った。膝をつき、体を起こそうとするアルフォンスの顔を覗き込むと、お猿のように真っ赤だった。

 額に手をやると、明らかに熱い。潤んだ瞳で見上げられながら首筋のリンパを触るとパンパンに腫れていた。完全に熱を出しているのだろう。


「風邪ね。」

「このぐらい、なんということはありません。今すぐに、ご用意を」

「何してんのあんた!炬燵、電気もつけてないじゃない!もしかして、節約とか言ってお昼暖房切ってるわけじゃないでしょうね」

 とりあえず私の布団に寝かそうと思い炬燵を広げてみると、そこは見事に冷え切っていた。思えば部屋の暗さに囚われて考えが及ばなかったが、部屋も外との温度差があまりないほど寒い。否定も肯定もなく力なく笑うアルフォンスに、憤りを覚える。私が、節約主婦ブログなんかを参考に見せたのが間違いだった。きっといつも、私が帰ってきそうな時間になると暖房をつけていたのだ。そして今日はそんな寒い中シャワーなんか浴びさせたから。きっとろくに温まりもしなかったに違いない。


 慣れない環境で、知り合いが一人もいない中で。必死に生きていたに違いない。

 身近にあるものは見たことがないものばかりで、トイレの仕方一つ、水の注ぎ方一つ違う中で。必死に生きていたに違いない。私の機嫌を伺いながら、色んな物事を覚えて、帰るための手段を考えて、魔王を倒す手立てを探って。それに私は、一番身近にいた私は全く気付いてやれていなかった。私が楽しいから、私が楽だから。アルフォンスも同じだと、そう思ってしまっていた。


「三週間も、よく頑張ってくれてたのに、ごめん。労わってやれてなくて」

 弱ってるアルフォンスを前に、素直に謝罪の言葉が出てきた。私の沈んだ顔を見たアルフォンスが驚いて、自分がこんなになってまで私を慰めようとする気配を感じたので、しおらしい自分をいったん心の中にしまい込む。


「はい!立って!とりあえず着替えるよ!汗びっしょりじゃない!着替えの下着どこだっけ。ちょっと待っててね。その間に服脱いでて!」


 一気に捲し立てると、熱で正常に判断ができないのか、アルフォンスはこくりと頷いた。そのことに安心した私は脱衣所に向かい、バスタオルとアルフォンスの着替えを手に取る。台所でホットタオルを作ると、冷めないように大慌てでリビングに戻った。王族であるため、人の前で脱ぐことに抵抗がないのだろうか。アルフォンスは言われたままに服を脱ぎかかっていたが、体がだるいのか上手くいかないようだった。


「ほら、手伸ばして。ばんざーい」

 されるがままになっているアルフォンスは、私に何を言っても駄目だと思ったのだろう。いつも以上に従順だ。

 現に私は、アルフォンスの馬鹿らしい言葉に返事をしてやっていない。何が今から、ご飯を作るだ。そんなことは病人の仕事じゃない。

 下着姿になったアルフォンスの背中や脇を拭いていく。途中制止するかのように弱々しく添えられた手の熱さに、私は再び腹が立った。ペットの体調管理一つできないなんて、こんなの飼い主失格だ。


「はい、これ着て。次これ。後ろ向いてるからパンツはいて。はいた?じゃあこれに足通して。私の肩に手をついていいから。体にこのバスタオル巻いて。その上にシャツ着る。はい被って。パジャマ着て。そしたら、はい。お布団に入る!」

 着替え終えさせたアルフォンスの体を押して私のベッドに連れて行こうとすると、アルフォンスはようやく本気で抵抗した。


「み、みどりさま。なりません。淑女の寝台を明け渡すなど。それに、自ら誘うなど、はしたのうございます」

「ええい!私のどこを見て淑女だって言うんだあんたは!いいから入る!ハウス!ピィちゃんハウス!」

 力任せに押すと、アルフォンスは腰からベッドに崩れ落ちた。


「み、みどりさま」

 潤んだ瞳で見上げるな。眉根を寄せるな。頬を赤らめるな。汗をかくな。


 まるで襲っているように見える現状に多大に不満を覚えてアルフォンスを布団の上で転がす。俯せになったが、知ったこっちゃない。息苦しかったら自分で首ぐらい動かせるだろう。


「なりません。みどりさま、なりません」

「その私が襲ってるかのような台詞と表情止めてよね!美少女コンテストにでも出る気なのあんた!」


 私の言葉に思うところがあったのか、アルフォンスはぐっと押し黙った。ふんと鼻を鳴らした私は、アルフォンスの上に乱暴に掛布団と毛布を掛ける。身長がそう変わらなくってよかった。日本人用の布団でも、しっかり足まで温まることが出来るだろう。


「仕事、仕事を」

「はいはい。ちょっと待ってね」


 薬を買ってこようかと思案する。アルフォンスの世界は、聞いている限りだとこちらよりも文明が遅れているのだろう。とすると、市販の薬では体に効きすぎて逆に毒になるかもしれない。それでもスポーツ飲料などはあったほうがいいだろうと思い、財布を持って出かけようとする私の背中から、か細い声が聞こえてきた。


「せめて、枕だけでも…」

「なに?枕が嫌なの?」

 ようやく会話するに値することを言ってきたので、返事をしてやる。俯せたまま、おずおずと見上げてくるアルフォンスの瞳は、まだ潤んでいる。

「翠様のにおいがして…」

「なにそれ。くさいってこと?」

「いえ、―――…落ち着きます」

 幾分か言葉を選んだような沈黙の後にそう言うのでもう一回怒鳴ってやろうかと思ったが、その表情から本当にリラックスしているだと感じ取ったため止めた。


「落ち着く枕変えてどうすんの。いーい?あんたは今からそこで寝るのが仕事。今日の御飯くらいなら私だって作れるけど、毎日のご飯はもうあんたの仕事なんだからね。早く体治して栄養バランス考えたご飯作ってくれないと、私また便秘になっちゃう。」

「みどりさま、お言葉をお選びください」

「うるさい。早く寝なさい」

 ペシッと後頭部を叩いて会話の終了を告げるのに、アルフォンスはまだ何か言いたげにじっと私を見上げてくる。


「なに?」

「私を、追い出さないでください」


 何言ってるの。追い出したら寒くって風邪がよけいひどくなるじゃない。そう言おうとして、やめた。あまりにも真剣な表情をしていたのだ。アルフォンスは、今にも泣きだしそうな声で言った。


「すぐに、すぐに治しますから。」

「…もしかしたら、あんたの世界には抗体のない風邪のウィルスにかかってるかもしれないから、明日まで熱が下がらなかったら病院行こう。」


 保険証はないので十割負担になるが、そのぐらい払ってやろう。私は無賃でアルフォンスを酷使しすぎた。そして、まるで恋愛関係にある男のように、あまりにも言葉が少なすぎた。これでは本当に私が冷血漢のようではないか。


「あんたの仕事は、給仕だけじゃない。私の話し相手もよ。早く私が楽しめるように、さっさと治して。そんで一緒に預言書を解こう。一緒に戦ってくれるんでしょ。私の軍師さん。」

 その言葉に、ようやくアルフォンスは笑みを浮かべた。力の抜けたへにゃりとした笑みだったが、初めて彼の素の笑顔を見た気がした。枕に顔が半分隠れているのが、とてももったいなく感じるほど、綺麗な笑みだった。




 濡れたタオルで汗を拭いてやり、ドラッグストアで勧められた滋養強壮剤とスポーツ飲料を飲ませる。旬の野菜をみじん切りにしどろどろに煮込んだ雑炊を食べさせると、アルフォンスは身動き一つせずにぐっすりと眠った。額にかかる金色の髪が汗で綺麗な陶磁の肌に張り付いていた。それをアルフォンスが起きないようになるべくそっと払いのける。


 アルフォンスの寝顔を初めて見た。アルフォンスは私が起きるよりも早く起きて、私が寝てから眠った。夜間に目が覚めて動き出せば、どうしたのですかとアルフォンスも起きることに、何の違和感も感じなかった。だけど、相当無理をさせていたのだろう。

 昏々と眠りにつくアルフォンスは全く起きる気配を感じさせない。いつ追い出されるのだろうかと怯えながら、私に尽くしていたのだろうか。今まで、どれほど気を張り詰めて、私に気を使った生活をさせていたのかと思うと、5つも年上のくせに考えの足りない私にひどく自己嫌悪した。5つも年上の、自分の常識ではありえないような下品でガサツな女とこんなに狭い場所で密接した付き合いをするなんて、どれほど気疲れする環境だったのだろうか。


 16歳で世界を背負い聖女の元にお願いにくるなんて。どれほど辛いことなんだろう。

 全く想像の付かない話ではあるが、今の現代世界に置き換えて、そのような大事を16歳の、まだ子供と言える年の子に任せられるかと問われたら、絶対にいなやを唱えるだろう。なのになぜ、彼はこんな風に今ここにいるのだろう。王族としての務めだから?それだけで、王子様なんて大層なご身分の人間を、一人で送り出せるものなんだろうか。SPとかついていなくて、いいのだろうか。


 寝顔のアルフォンスは、ひどくあどけない。だけど、この私とさほど変わらない体系の、そう大きくない肩に。彼の世界の全てを背負って今ここにやってきているのだ。いなかった聖女の代わりに、魔王を倒す手段を持って帰るために。


 そう。アルフォンスは大義を担ってここにやってきているのだ。そして、彼はいつか必ず帰る。


 桜並木が続く歩道から暗い自室を見上げた時。静かな部屋を確認した時。彼がいないのかもしれないと思った時。私はこの全てに、淋しさを感じていた。


 アルフォンスは好き好んでこの生活を維持しているわけではない。この世界にいる間、私の機嫌をとっておく必要があるからこその生活だ。彼が望んだ結果ではない。それは私も同じはずだった。はずだったのに、私はいつからかこの生活を望み始めていた。


 私は、アルフォンスのいる生活がこのままなんの支障もなく続いていくと、いつの間にかそんな風に思うようになっていたのかもしれない。だけど、そんなわけがないのだ。彼はいつか自分の世界に帰って魔王を倒さなければならない。今は、そのための情報収集のためにいるだけ。


 しっかりしないと。いくら一人暮らしが淋しかったとはいえ、依存しすぎると離れるのが辛くなる。いつだってピィちゃんの鳥籠を開けてやるつもりでいなければいけないのだと、その柔らかな金色の髪の毛を撫でながら、私は胸に刻み込んだ。





 アルフォンスはその後ぐっすりと眠り、次の日の朝には随分と熱が引いていた。首元のリンパの腫れも収まっており、この分ならお医者さんには掛からなくても大丈夫だと思うけど、と告げると私を安心させるような笑みを浮かべて頭を下げた。

「ご迷惑をおかけいたしました」

「そういうときは、心配してくれてありがとうっていうのよ。あんた、王子様だったんでしょ?言葉遣いはいい先生に恵まれなかったのね」

 またしても可愛くない皮肉に、それでもアルフォンスは嬉しそうに『そのようです』と告げた。






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