05 : 盤上の軍師
ゲームは物語に沿って進んでいく。
ゲームの中のアルフォンスは、草原で木にもたれかかり昼寝をしていた。さわやかな風がアルフォンスのやわらかい金髪を揺らし、なびいた花弁が風に踊り舞っていく。そんな美しい情景から、ゲームタイトルが流れ、軽やかな音楽が流れだした。
「や、やっとここまできた…」
ついそう呟いてしまったが、これがエンディングではなくオープニングだときちんと理解している。大丈夫。そこまで世間知らずじゃない。ここに来るまで既に9回やり直しをしているが、これからはスムーズに進んでいくはずだ。
「はぁ…疲れたね。今日はここまでにする?」
「翠様、お言葉ですが全然進んでいないように見えるのですが」
「そんなことない!もう2時間もしたじゃない!」
「下手の考え休むに似たり」
「あんたバカにしてんでしょ!」
「いいえ、バカにはしておりません。ご指示通り思ったことを率直に述べたまででございます。」
「あっそ!こんな戦い方しかできなくって悪かったわね!えぇえぇ、さぞ頭のいいアルフォンス君は、そりゃあ立派な戦い方が出来るんでしょうね!」
「左様でございますね。翠様の最悪な未来を沢山拝見させて頂いているので、悪手を回避することは容易いでしょう」
「…あんたサドっ気あるでしょ」
「はてさて。」
「ええい!何よ!こんな数学のパズルみたいなゲーム、やってられっかーーー!!せめて選択肢持って来い!殴りますか?蹴りますか?逃げますか?みたいな!」
このゲームの戦闘方法は、将棋のようなものだった。
戦闘シーンに入ると、テレビ画面上に複数のマス目が浮かび上がり、自軍のキャラクターを動かして敵を倒していくという戦闘方法だ。自軍、敵軍、とターンごとに攻守が別れるが、将棋と違うところは、1ターンにつき一手ずつではなく、全ての駒を移動できるということだった。攻守のイメージとしては野球がわかりやすいかもしれない。
自軍のキャラクターが全員、攻撃するために移動できるということは、モンスターも敵のターンには一斉に攻めてくる。自分のターンで倒しきれなかった敵のモンスターたちが、うちのか弱いアルフォンス達をフルボッコにしていくのだ。あの黒い画面に沈んでいくアルフォンスを、何度見たことだろうか。
私は将棋もチェスも碁も嗜んだことは一度たりともない。そもそも、絶対的な文系肌だと自負している。こんな理数系が得意そうなゲームが得意なわけがない!と意味不明な八つ当たりを戦闘中幾度も繰り返していた。
そんな戦闘方法であるから、最初の練習のような初戦だというのに、9回も全滅に至ったのだ。
腹が立ってコントローラーを投げながら背伸びをすると、『雛鳥のように慎重に扱え』と言われていたアルフォンスが大慌てでコントローラーを受け取った。その身体能力たるや素晴らしい俊敏性だったので、思わず拍手をしてしまった。
そんな私に苦笑を一つ漏らすと、アルフォンスは私の手のひらにそっとコントローラーを乗せた。
「翠様、僭越ながら私でもお役に立てるかもしれません。」
「え?嘘?どんなことで?」
あんたが?と疑っていることを隠そうともしない私に、アルフォンスが微笑む。
「先ほど翠様のおっしゃられた通り、盤面上の戦闘であれば私の専門分野です。」
「お、おお…?」
頼もしい言葉に感動しそうになるが、何が専門分野なのか理解できなかった私は首を傾げた。
「従軍経験があると、伝えたことがございましたね」
「うん」
「その際、腐っても王族な私は兵卒からの配属ではありませんでした。初めて戦場に出るその時でさえ、年齢など関係なく王族は指揮する権利と責任を負います。私は幾度かの戦にて、指揮官を務めました。もちろん全てが完璧な勝利だったわけではありませんが、その全てにおいて私は勝利を掴んできました。」
勝ってきた、と告げているはずなのに、アルフォンスの表情は深く沈んでいた。心配になって覗き込めば、私を安心させるように微かに微笑む。
「私は盤面の兵に指示を出すことはできませんが、翠様を導くことならできます。共に戦ってはもらえないでしょうか。」
「なるほど!あんた、サイになんのね!」
「さ、さい?」
「私ゲームはさっぱりだけど、あの碁のアニメだけはお兄ちゃんと一緒によく見てたのよね。はんはん、なるほど。アルフォンスが言うところに、私がキャラクターを置いていけばいいのね。おっけい、それなら何度もフルボッコにされなくてすみそうだわ。」
「あにめ…ふるぼっこ…」
「それはまた今度教えるから。よーし!じゃあストーリー進めていくわよ!やる気出てきたー!」
アルフォンスの提案を喜んだ気持ちもあるのだが、何故かアルフォンスがこの話を続けるのが辛そうだったので早く話題を変えたくて必要以上に大きな声を出して言った。そういえば、正妃に疎まれているとか書いてたもんな。それに戦争のことなんて、いくら勝ってきたとはいえ人に話したいようなことばかりじゃないだろう。ゲームは一緒に進めたとしても、戦争の話などは一切振らないようにしよう。と私はコントローラーを強く握りしめた。
「大丈夫大丈夫。これが魔王を倒す手段になるって。とりあえず、終わらせよう。」
「はい。」
お世話になります。そう言って頭を下げるアルフォンスの髪の毛を、『このピィちゃんめ!』と言いながらぐしゃぐしゃっと掻き回した。
***
「うーん?」
「如何なさいましたか、翠様」
オープニングから40分。今のところ、アルフォンスを走らせたり人に話しかけさせたりするばかりで、戦闘がないためサクサクと進んでいた。ありがたいことに、次にどこに行けばいいのかわからなくならないように右上に表示されるマップに星印までついてくれている。これならゲーム初心者の私でもなんとかやっていけるかもと思っていた矢先の出来事だった。
「これ、本当にあんたと関係ありそう?」
「急にどうされたのですか?」
慌てたように振り返り眉毛を八の字に下げてアルフォンスが私の機嫌を伺う。私の気分でゲームを止められたら困る、とその顔にはありありと書いてあった。
「だってあんた、自分がこんな凛々しいとでも思いあがってるわけ?」
目の前の困惑顔のアルフォンスと、テレビ画面の中で冷静沈着無表情を信条にしたかのような能面アルフォンスが、私の中でどうしても一致しないのだ。
私の知っているアルフォンスは、冷静だが無表情ではなく、冷めたものの考え方もしない。基本的にへたれで情けないというのが私のアルフォンスへの評価だった。
私の言葉にきょとんと首を傾げたアルフォンスは、次の瞬間薔薇が咲いたかのように優美に笑った。
「ありがとうございます。翠様」
「…なにがよ」
なんだか居心地の悪い声を出され、無意識に身構えてしまう。
「大層申し上げにくいのですが、これは確かに私のようでございます」
「えっなんでわかるのよ」
「これは、私が王城に呼び戻されてすぐに…およそ半年前に経験した出来事です」
「…うそん」
本当に、このゲームはアルフォンスと関係があるのだとはっきりとわかる言葉に驚いたが、やはり目の前の男と画面の中の男が同一人物だとは納得できなかった。
「じゃあなんでこっちはそんなへにゃへにゃしてんのよ」
「あちらの私のほうがよろしいですか?」
アルフォンスは画面を指さしつつ私にそう聞いてくる。
私は、なんだかんだでアルフォンスとの相性はいいと思っている。
意地っ張りで素直になれない私は、相手に同じように意地を張られてしまうと、どこまでも意地の張り合いが続く。それが平行線で終わるのならいいが、その内お互いにいがみ合い決別することも少なくない。そんな中で、アルフォンスは上手に私の舵を取ってくれる。意地を張りやすいと気付いているのか、意地を張っている間は寛容に接してくれるし、私が素直になれずに困っているときは助け舟を出すかのように下手に出てくれる。
基本的にアルフォンスに負担をかけて成り立っている関係性ではあるが、私はおおむね満足していた。
「…こっちでいい。」
「仰せのままに。」
「しかし本当に王子様だったのね。顎で使ってるって私何様?」
「聖女様ですね。」
「あーはいはい。」
画面の中のアルフォンスなら、そんな冗談も(本気かもしれないが)言ってくれなかっただろう。私は自分の選択に満足しながら、コントローラーのスティックを倒して画面版アルフォンスを再び走らせ始めた。
***
「この預言書は情景も見ることが出来、過去の出来事を振り返ることも出来、情勢の説明などもある。とても分かりやすいですね。」
これが、人の手によって作られたシナリオありきのゲームだとどうしてもアルフォンスに言えなかった私は、もう預言書だということにしておこうと思っていた。
アルフォンスは別の世界から来た、と言っていた。それがこのゲームの世界のことなのか、もしくはこのゲームに似た他の世界のことなのかは皆目見当もつかなかったが、そんなこと女神様でも聖女様でもない私に計り知れるはずもない。
もし神様と会うことがあったら、その時に聞いてみよう等と阿呆なことを考えた。
「そうだね。なんか役に立ちそう?」
「今のところ、私が聖女様の元に推参する日より遡った出来事を追体験しております」
「ふむ。じゃああんたが送還魔法の陣に乗ってからが問題だね。」
「はい。あ、翠様!“せーぶぽいんと”を発見しました!」
「よしどこだ!案内しろい!」
「北東です!そのまま1時の方向に走ってください」
「わからん。画面を指でさして。」
「こちらでございます。」
馬鹿な私に呆れることなく、アルフォンスは画面の横に座って指差してくれた。
ようやく見つけたセーブポイントに走ってセーブする。私たちは、このセーブポイントを神様のように感じていた。このセーブポイントが出来てからというものの、格段に私たちの不安は減った。もしまた全滅してしまっても、タイトル画面からやり直さなくてもいいのだ。
私たちは躓き続けた最初の戦闘に勝つまで、その戦闘シーンに辿り着くまでの会話を延々と聞かされ続けたのだ。そろそろ暗記しそうになっていたために、9回目でクリアでき、セーブポイントが出てきたときは本当に泣きそうになった。
せめてゲームに詳しい人間をチームに一人入れるべきかと思案したが、アルフォンスのことを説明しなければいけないリスクを考えると辛い。まだアルフォンスが日本人らしい色彩に、日本人らしい彫りの浅い平凡極まりない顔をしてくれていれば弟でも彼氏でも通じそうだったが、アルフォンスはどこからどう見ても外国人であり、忘れてはいけないのが絶世の美男子あるということだった。きっと誰をこの場に入れたとしても、触れられたくない、話せない内容はごまんと出てくるだろう。誤魔化しようがないのである。
「ちまちましか進めなくってごめん」
「いいえ。何度も繰り返し同じ場面を見ることで新しい発見もありますし、他人の機微などもこうして客観的に見ることが出来、私にも実りある時間です。」
「そう…?あと、見られたくないプライベートなシーンとかあったらごめん。」
ヒロインであるカチュアちゃんが出てきてからというものの、実を言うと私は気まずくてしょうがない。
カチュアちゃんの強烈な熱愛アタック視線をことごとくスルーしつつ、要所要所はポイントを押さえてカチュアちゃんをメロメロにしていくアルフォンスに、私は友達の出演しているAVをその友達と見ている気分になっているのだ。
「私のためになさってくださっていることに、何の異論がありましょうか。」
「ごめんまじごめん。」
これからキスシーンとか出てきたらどうしよう。べろちゅーシーンとか出てきたら私はクッションを投げつけてしまうかもしれない。恥ずかしくてたまらない。思春期に、親と一緒にドラマを見ていてベッドシーンが出てくるとこんな気持ちになっていた。あの時の気持ちを、一人暮らしを始めてもなお感じなければならないとは思ってもいなかった。
「昨晩はお楽しみでしたね、とかコンラートに言われたらどうしよう」
「翠様、落ち着いて、落ち着いてください。」
混乱のあまり独り言を呟いていたらしい。私は小さな悲鳴を上げて、八つ当たり気味にアルフォンスにクッションを投げつけた。