番外編 : 貴方へと続く道
幾多もの夜を越え、幾人もの同志と出会い、幾重もの傷を負いながら進んできた。涙を流し乞うてきた人々に、何度大丈夫だと頷いただろうか。仲違いをした仲間と、何度再び手を握っただろうか。その全ては、この世に混乱を招く存在を葬る為。人の世の、平和の為。
その戦いの元凶が今、目の前にいる。
旅は順調に進んだ。不思議なことに、私しか読み解くことができない見たこともない文字で書かれた預言書が手元にあったのもそれに一役買っていた。
ここに書かれていることは真実のようでいて、ほんの少し違うこともあった。預言書の情報を元に二者択一で進んできたのだから、帳尻が合わなくなるのも致し方ないだろう。しかし、ほぼ書かれている通りに進んだ旅は今、終わりを告げようとしていた。
目の前には、凶悪な魔王がさらに凶悪になったことを窺わせる姿で存在していた。
橋と共に落ちたオーディン、カチュアを庇ったフリッツ、敵の刃に倒れたロイ、私を庇ったコンラート。その全てを、本人たちに伝えていた。覚悟を持っていたほうが回避しやすいと、そう思ったからだ。黙したまま自分一人の力でその未来を退けられると思うほど、思い上ってはいなかったし、何よりも仲間を信頼していたからだ。そんな預言には負けないと。
しかし皆、預言書が描いている通り目の前から消えていった。
多少の未来は変えられても、決して変えられない未来もあるのだと、嘲笑うかのように。
魔王を倒したところで、預言書は終わっている。このように、変態する可能性は預言書には記されていなかった。まるで、そこから先は自分たちの力で選び取れとでもいうように。
魔王を倒せば、終わりだと思っていた。その未来を知っていたからこそ、コンラート達は死する未来を避けようと思いながらも、その死を受け入れたのだろう。
予言書の通りならば、自らの死が安寧への道しるべとなるのだと、そう信じながら。
なのに、それが今―――このような苦境に立たされるなどと。
「アルフォンス!よそ見すんな!」
リュカの声が聞こえる。出会ってから半年程しかたっていないというのに、不思議なほど意気投合し、急速に仲が縮まった友であった。
乱暴な口ぶりも無愛想な表情も、何もかも初めて出会うタイプだというのに、彼がどうしても懐かしくて仕方がなかった。その懐かしさから縁が繋がり、今では背中を預けることに何の躊躇も感じない相手となっている。
その友が、全身から血を流しながら、私に向かって大声で怒鳴っていた。
だけど私はもう、どうすればいいのか、わからなかった。
「全軍下がれ!! 範囲攻撃が来るぞ!!」
指令を出さない私に代わり、リュカが全員の指揮を執った。全員がリュカの号令に従い退く。
魔王が鋭い切っ先をこちらに向けて衝撃波を放とうとする。
ピン、と何か頭の中で糸が張ったような感覚がした。
ゆっくりと、走馬灯のようにいろいろな場面が頭の中を駆け巡る。余りの情報量に咄嗟に頭がついていけない。頭の中に流れてくる膨大な情報の中で、聞き覚えのある声が聞こえた。
「アルフォンス! あんたもだ! 下がれ!!」
私は、その場から動けなかった。否、動かなかった。
『アルフォンス』
あの時、その名を呼ぶ者の少なさに、特別な意味を感じた。
『アルフォンス』
けれど今は、多くのものが、その名前を呼ぶ。
『アルフォンス』
かつて、優しさを込めてそう呼んでくれた貴方が、私に友を、仲間をくれた。
「こんのっ馬鹿っ――馬鹿野郎!!!」
そうだ。私は、この先を知っている――
リュカの悲鳴にも似た叫び声が聞こえる。全身が熱い炎で包まれたような攻撃をその身に受けた。
あぁ、だけど大丈夫だ。案ずるな。この先は、聖女が助けてくれる。悲しい笑みを浮かべながら、必死に涙を堪えていた、聖女が教えてくれた――
「アルフォンス殿下!」
「なにやってんだお前!」
「カチュア! すぐに手当てを!」
「防壁を張ります! 皆さんそのまま待機していてください!」
オーディンが呼ぶ声、コンラートの焦った声、ロイの悲痛な声、フリッツの必死な声。
聞こえてきた声たちに、霞む視界で笑みを浮かべた。
「……全員……ようやく揃ったか……」
掠れがすれのその呟きに、全員が目を見張った。
誰もが――アルフォンスさえもが四人の死を目の当りにし、苦悩の末に受け入れていたはずであった。その衝突は本物で、絶対に生きていることを確信しているような欺瞞に満ちた嘆きではなかった。それはアルフォンスのあの深い懺悔の念を感じ取っていた全員が知る事実だったはずだ。それが、今アルフォンスはなんと言っただろうか。
これではまるで、四人が生きていることを知っていたかのような、確信していたかのような口ぶりではないか。
「皆っ……! 生きてたなんてっ!」
自らを庇って命を散らしたと思っていたフリッツに、カチュアが駆け寄った。
「はい、この通り……ご心配をおかけいたしました。カチュア殿、アルフォンス殿下に癒しを」
フリッツに促され、私に癒しの魔法を施す彼女を見ながらオーディンが、静かな口調で告げる。
「……これほどの奇跡、俄かには信じられません」
「命の灯が消える寸前に、聖女様が奇跡の力でお救い下さったのでしょうか……」
「いえ、あれは魔法でした」
神官ほどではないにしろ、聖女の存在に肯定的であったフリッツがロイの呟きにすかさず否定した。
「蘇生魔法……魔法塔の禁術本が並んでいる場所にあった本で読んだことがあります。構想としてだけ練られていた、難易度が非常に高い魔法です。通常の癒しの魔法では回復すら見込めない状態からでも完全に治癒できるその技を行使できる人物など――」
「稀代の魔法使いハルベルト・アドゥルエルムぐらいじゃないのよっ!」
「しかし、そのハルベルトなんちゃらは百年前の偉人なんだろ?」
「ハルベルト程の腕を持つ魔法使いならば……」
「はい。時を越える技を編み出していても不思議ではありません……――」
「だが、一体何のために我々を」
「不甲斐ない後輩の尻でも叩きに来たとか?」
「以前はその身に祝福を受けたお方です。再び聖女様に宣託されたのかもしれませんね……」
「わかりません……ですが、あれは魔法でした。我々の想像の域をも遥かに超える、壮大な魔法でした」
無事の帰還を喜びながらも疑問が絶えない面々が、魔王の前だということも忘れて次々と言葉を交わす。アルフォンスは皆が議論するその答えを知っている気がした。
きっと、遠い世からの『祈り』が届いたのだと、そう思った。
「なんにせよ、皆が生きていてくれて、本当によかった」
喜びと混乱の中で言葉を紡ぎ、無事を喜び合う仲間達を、アルフォンスは穏やかな笑みで見つめていた。
この光景すらアルフォンスが持つ預言書に書かれていたのなら、アルフォンスはあれほど悲痛な表情をしなかったはずだ。
志を同じくした四人の仲間達との永遠の別れの事実を、誰もが受け止めることだけでも必死だった。それでも、その悲しみを振り切り前に進まなければ、彼らの死すら無駄になる。皆は悲痛な思いで茨の道を一歩ずつ歩いてきた。
そんな仲間達と同じ気持ちを抱え、支え、導いてきたアルフォンスが――四人の登場を、まるで予知していたかのようにすんなりと受け止めた。その事実が、皆にアルフォンスに畏怖を覚えさせた。
「弱気になってすまなかった。打って出るぞ」
カチュアに応急手当てされたとは言え、虫の息であるアルフォンスの言葉に再び誰もが耳を疑った。今にも死にそうな人間の台詞ではない。それに、討伐軍全員が満身創痍であった。
いくらここで主戦力であった四人が帰ってきたからと言って、勝てる見込みなど全く見えなかった。余りにも無謀な発言だ。それなのに、アルフォンスは笑みさえ浮かべていた。その声にはどこまでも強い力が潜んでいた。先ほど折れたように見えたアルフォンスの心が、その信念のように真っ直ぐ持ち直していることを誰もが感じ、鼓舞されていた。
アルフォンスは皆が固唾を飲んで見守る中、誰も見たことがないような所作で――両手を合わせて静かに祈りを捧げた。
「誇り高き英雄たちよ……皆が、愛しい者の元へ帰れるように、無事を祈ろう――」
『よげんしょ』に書かれていた『祈り』という奥の手。
何度読み返しても意味が分からず、何度自分なりに祈ってみても効果は表れなかった。次第にこの『よげんしょ』にも間違いがあるのだな等と自分勝手に見切りをつけ、戦力から外していた『祈り』。
だが、違ったのだ。
『祈り』とは、敵の討伐を願うものではない。愛を語るものだったのだ。
それを確かに教えてくれた人がいたのに、私は今までどうしても思い出すことが出来なかった。
意地っ張りで強がりで不器用な、一人では泣くことすら出来なかった女性が、私に教えてくれた。
それを私ははっきりと思い出した。二ヶ月間で体に染み込んでいた合掌をする。次の瞬間、聖女直伝の祈り方は格別の効果をもたらした。
魔力を持つ自分が捧げた『祈り』により、広範囲の治癒魔法は全員の体力をみるみる間に回復していった。広範囲にばら撒く治癒魔法など、今まで概念すら思い浮かばなかったことをやってのけたアルフォンスを、魔法使いたちは賛仰した。
傷ついた肌は塞がり、失っていた血が蘇ってくるかのようであった。誰もが目を見張って自分の体を見やった。光が舞い、体中から溢れるように輝いている。その奇跡を目にした春鳥が、声高らかに歌った。
「翠様、貴方の為に。世界を救いましょう」
かつての勇者も、こうして一人の女のために世界を救ったのだろう。
小さな呟きは、誰にも聞き取れなかった。目を瞑り、この奇跡に只々感動するしかない者達が雄叫びを上げる。今、誰もがその脳裏に各々の愛しい者を思い浮かべていたのだろう。
「さぁ――反撃だ」
全員が武器を強く握りしめた。強大な魔王を、強く睨みつけながら。
***
勝利の余韻は長く続いた。
皆歓喜に沸き、涙を流した。長く続いた旅が今終わったのだ。思い描いた人の元へ、皆は全力で帰路を辿るだろう。帰りたい場所は、そこにあるのだ。
「オーディン」
静かに斧を握り締めながら勝利の味を噛み締めていたオーディンを呼んだ。オーディンは穏やかな笑みを称えたまま、私を振り返った。
「アルフォンスでんっ――」
私は、一思いにオーディンを殴った。
分厚い鎧が守っているため、情けなくも女子の様に頬を張ってしまったが、殴ったことに対しては後悔していない。
笑顔を浮かべていたオーディンは目を見開いて私を見ていた。不意打ちの攻撃に、あの雷神とまで恐れられたオーディンが尻餅をついて小柄な私を見上げている。
「アルフォンス?!」
「ど、どうしちゃったんですか殿下!」
「そりゃちょっと駆け付けるのが遅くなったが、殴るほどでは……」
「オーディン様が殴られたのも、コンラート様のせいですよ!」
「ええ!? 俺?!」
それぞれ喜びに踊っていた仲間達がわらわらと集ってきた。各々好き勝手なことを言うが、私は冷淡とも言われるその表情でオーディンを見下ろしていただけだった。
オーディンもまた、驚愕さを取り払い、真剣な顔つきでアルフォンスを見ている。
「オーディン」
「何なりと」
オーディンは姿勢を直すと膝をついた。何を言われても、受け入れる覚悟が見えるその姿に嘲笑を向ける。心を捧げてもらった時と同じ姿勢の彼に対して、私は冷たく言い放った。
「翠様からの伝言だ。『愛している、奥さんにどうぞよろしく』だそうだ。私の愛しき人の純情を弄んだ罪。如何様にして償う」
オーディンは予期すらしていなかったその言葉に、大きな体をピシリと固まらせる。気づけば、固唾を飲んで成り行きを見守っていた多くの者が口をあんぐりと開けている。
「み、みどりさま……とは……?」
オーディンが茫然と呟く。人の口から、久しぶりに彼女の名前を聞いた。いや、私だって今の今までどうしても思い出せなかったのだ。記憶の奥底で、淋しそうに笑う彼女のことを。
私はそのオーディンの表情に満足して笑った。そのまま、立ち尽くすオーディンを置いて、魔王の玉座から離れる。聞く耳を持たない私の様子に、オーディンは大慌てで追い縋ってきた。
「アルフォンス殿下! 申し開きさせて下され! 私には、全く、全く身に覚えが! 妻に、妻に誓ってそのようなことは!!」
「なんだーオーディン様。奥さん一筋みたいな顔してやることやってんじゃないですかー」
「てか、アルフォンス。全くそんな気配が無いから心配してたのに……いつの間に女が」
「なんの心配?」
「リュカとアルフォンスって仲良すぎでしょ? だから、衆道の気でもあるんじゃないかって……女性群の中でもっぱら噂に」
「はぁ?! おいアルフォンス! 全身全霊で否定しろ!! 俺の名誉に関わる!!」
「そんな……よりによってオーディン様が……」
「フリック、しっかり!」
「フリッツです」
「往生際が悪いぞ」
「えーリュカ様違ったんですかー?」
「当たり前だろうが!」
「そんなことよりオーディン様ですよ。まさかの不倫……しかも弄んでたなんて……」
「違うっ! お前たち、何を言うか!」
「では、アルフォンス殿下が嘘をついてるとでも?」
「乙女の純情弄ぶなんて、中々やるわね~オーディン」
「違う! 違うッ! アルフォンス殿下、申し開きを! 申し開きをさせてくだされッ!!」
背後から聞こえるオーディンの声に、胸のすく思いだった。
翠様にいつもいつも贔屓されているのを当然のように受け入れていた、そなたが悪いのだ。ようやく溜飲を下げた私は、ここずっとなかったほど軽やかな気持ちに抑えが利かずに、声をあげて笑った。
そんな私を、全員が目を丸くして見つめていた。あぁそうだ。こんな風に笑うことなど、幼少の頃以来であった。
追い縋ってきたオーディンに、声を落として告げた。
「これよりは、太平に導く道なき旅路。道は長く地道で、魔王のように明確な終わりはない。同じほど――いやそれ以上に困難な道であろう。それでも、私の側で骨身になって働いてくれるな」
私の言葉と笑顔に、オーディンはハッと息を飲むと微笑んだ。優しい優しい、翠様が好んだ笑顔を浮かべていた。
「もちろんです、アルフォンス殿下。貴方の御心のままに」
オーディンの後ろから、同じような声が上がる。喝采となったその声を背に受けながら、アルフォンスはやはり、優しく笑った。
これでようやく、愛しい貴方を奪いに行けます。
「さぁ、帰るぞ。愛しい者の元へ。――凱旋だ!」
翠様、待っていてください。
貴方へ続く道が、今ようやく見つかりました。




