15 : 翠
主戦力だった4人が抜けた穴は大きかった。
アルフォンスはすぐに次の策をとったが、それは彼の用意できた万端の策ではない。今持ちえる戦力をフル活用しても魔王は強く、容易く打ち倒すことが出来ない。アルフォンスにしては珍しく―――いや、初めて。何度もタイトル画面と魔王城を行き来した。
アルフォンスに焦りが見え始める。『大丈夫、何度でもやり直せるから。』という台詞は、トコヨにいる今だけだ。彼は帰ってから、一瞬の隙も見せられない、この過酷な敵と本当に対峙しなければならない。ノートに焦りのために乱雑な文字が書き記されて行く。隙間という隙間に文字を書いていき、勝機を探す。
私は初めて、アルフォンスがどれほどの強敵と対峙しなければならないのか理解した。そして、もしかしたら今ぴったりと寄り添っているこの温もりが、永久に失われてしまうのではないかという恐怖を感じた。
魔王と言うのだから、とてつもなく醜く、到底見上げることもできないほどの大きな存在だと勝手に思い込んでいた。
しかし、現にゲーム画面に現れた魔王は拍子抜けするほど小さく、人の形を取っていた。
魔王は当たり前のように言葉を解し、まるで人間を相手にしているかのような罪悪感を起こさせる。そんな罪悪感など微塵も影響していないような鋭い手をアルフォンスは次々と放っているというのに、どうしても決め手に欠ける。
抜けた穴が大きすぎたのだ。
主に主力として育て上げてきた4人が抜け、ベンチに呑気に座っていた4人が繰り上がった。彼らではいつも使っていた連携は使えないし、オーディン達に比べるとどうしてもレベルも、持たせている武器も劣る。それでも、負けるわけにはいかなかった。彼らの背負っているものは大きすぎた。
何度目かになる、魔王の前口上が始まる。
『余の前祝は気に入ってもらえた―――』
か?まで言わせてやらなかった。私は○ボタンを押して魔王の言葉をぶっちぎる。
この魔王の声を当てている声優さんが今後テレビで登場したら、私は問答無用でチャンネルを変えてしまいそうなほど嫌いになっていた。
「翠様、手厳しい。」
「どうせ、この後オーディン達をバカにして、リュカを100年前の勇者と間違えて、アルフォンスをお坊ちゃんだって侮るのよ。聞いてらんないわ。」
○ボタンを連打して戦闘シーンまで運ぶ。魔王のグラフィックは大層美しい男の姿だったが、私は全く嬉しくなかった。ただ、このクソ魔王のせいで、今後私がロン毛の男が大っ嫌いになることが決まってしまった。
早送りされた魔王は不貞腐れるでもなく、決まった台詞を口にした。
『では、始めようではないか。世界の今後を、決める戦いを―――』
***
「勝…った…」
外は既に白んできた。
計12回目の世界の今後を決める戦いの末、私たちはようやく魔王を討ち取った。
「はい、我々の、勝利です。」
アルフォンスは最早白目を剥きそうだ。世界の命運をかけた戦いだったというのに、私たちのこの姿はひどいものと言えよう。
慣れない夜更かしに、かすむ視界。長時間酷使した頭は既に機能しているかどうかも怪しくなってきていた。
何度も繰り返し挑んだせいか、最初の緊張感も今はなく、ただただこのゲームをクリアするためにコントローラーを動かし続けていた。12回もすれば、あれほど恐れていた魔王もただのイラストと音声の産物だ。
魔王討伐の最中、気が抜けるとは分かっていながらもどうしても腹の虫が治まらずに食べた夜食は焼ラーメンだった。袋麺を改良して作ったそれはすきっ腹に沁みた。なんとかすかにお焦げまで作られている。このパリッと具合がいいのよねぇと炒めた野菜が入っている焼きラーメンを掻き込んだ。アルフォンスは中々に、トコヨの事情が分かってきている。色気のない夜食を頬張っていると、アルフォンスが眠気覚ましにコーヒーも注いできた。珍しいことに、自分の分も注いでいる。
「猛毒かもよ」
「今は毒でも縋りたい。魔王も強敵ですが、この睡魔も手ごわい。」
私と違い、常に一手先十手先を読みながら戦っているアルフォンスの感じる疲労は比べるまでもないだろう。
「ちょっと寝て明日またする?」
「いえ、奴の行動を覚えている内に書き記してしまいたいのです。」
アルフォンスは手元のノートに沢山のことを書き込みながら、画面を凝視して私に指示を出した。これを、延々と12回。そしてようやく魔王に打ち勝ち睡魔に寄り添えると、そう思っていたのに。
『余は朽ちぬ!100年の眠りの間に溜めた余の力、甘く見るでない―――!』
打ち勝ったと思っていた魔王が、ガラガラの声を上げながら起き上った。そして映像が始まる。勝利しつつも膝を付き、満身創痍である我が軍に大量の風が吹き抜ける。思わず目を瞑ったアルフォンスの前に、信じられないものが登場した。
『そんな…ことが…』
画面の中のアルフォンスが、茫然とした面持ちでかすれた声を吐き出した。後にゲームではお決まりの真ボス登場だったのだとリカちゃんに聞いたが、ゲームなど一切したことのない私たちにそんな知識があるはずも無い。私はただただ、あまりにも底の無いゲーム作成者の悪意に、唖然とするしかなかった。
その画面を見た現実版アルフォンスが、不快に眉根を寄せた。
「翠様、今の時間は」
「…5時46分」
「魔王討伐までにかかった時間は…およそ6時間ですか…」
「ソウデスネ」
「今から“せーぶぽいんと”は望めませんよね…」
「ソウデスネ」
「アイテム類もほぼ空…」
「ソウデスネ」
「お昼のてれび番組のようですね」
「ソウデスネ」
「寝ますか。」
「ソウデ―――いや、頑張るって言ったのあんたじゃん?!っていうか、衝撃薄くない?!」
「かつて、魔王と12回も死闘を繰り広げた英雄が今までにいたでしょうか。いいえ、絶対にいなかったと断言できます。そのように非現実的な出来事を前にして、更にこのように愚かしい…いえ、更に非現実なこの変態と言うものを前にして、私は正気を保てていないのかもしれません。」
「変態!確かに!変態だけどさぁ!嘘でしょ!絶対嘘でしょ!あんた眠くなっただけでしょう!もう現実を受け入れたくないんでしょう?!テスト明けにまたテストって言われたあの絶望感を味わってるんでしょう?!」
「翠様、共に寝ませんか。今日はずっと撫でていて差し上げますよ」
「なにその私が犬か猫みたいな懐柔の仕方は!ここまできたんだから、次行くよ!次!」
「魔王でも睡魔でもなく、やはり翠様が一番恐ろしい…」
「あんたひっぱたくわよ」
これぞまさに想像していた魔王の姿だ!と言うような歪な魔物へと姿を変えた進化版魔王に向かって、アルフォンスは思いっきり舌打ちした。そして今まで見たことがないほどお行儀悪く頭を掻き毟ると、はぁあああと、大きな息を吐き出した。
「倒したら翠様、ご褒美下さい。キスがいいです。」
「キスで世界が救えるなら何度でもしてやらぁ」
「そのお言葉、決してお忘れの無いよう。」
軽口を叩いて何とかやる気を奮い立たせたアルフォンスは、コーヒーを一気飲みして画面を見つめた。
戦いは、先ほどの戦いの続きから始まった。
まずは傷つき倒れた仲間達の回復からだ。持っているアイテムもほとんどを使い切ってしまっている。相手の攻撃に耐えながら、回復を繰り返す。もちろんのこと、第二形態の魔王に攻撃はほとんど加えられていない。このままでは、競り負ける。緊迫が私とアルフォンスを襲っていた。
「一度私を瀕死間近にし、『祈り』で復興を…いや、万が一耐えきれなかった場合総大将が死んでしまえば全滅だ。耐えられても、体力が余分に残り過ぎれば『祈り』は使えない…なにか、なにか策があるはず―――」
よほど追いつめられているのか、珍しくアルフォンスが呟いている。そう、アルフォンスの言うとおり、なにか策があるはずだ。これだけの鬼畜仕様ではあるが、クリアしている人間が多くいるのだ。代表するのなら、リカちゃんは一人でこの苦境を乗り切っている。私たちが二人がかりで6時間かかっているところを、リカちゃんがどれほどサクサクと進んだかなど知りたくもないし、考えたくもない。
私は言われたとおり、カチュアでアルフォンスを回復する。このゲームのように、私も今彼の心を癒してあげれたらいいのに。何か救う手立てを、思いつけないだろうか。アルフォンスが必死に頭を捻っても出ないものを、流されるがままにこの2ヶ月間ただ駒を動かしていただけの私に思い浮かぶはずも無い。
ついにアルフォンスの手が止まった。
彼はノートをシャーペンで何度も叩きながら、目を瞑って考えていた。これに負ければ、もう一度魔王を倒すところから始めなければならない。アルフォンスにプレッシャーが大きく乗りかかっていた。
私は立ち上がった。
そんな私に驚いたアルフォンスは、目を見開いて私を見上げていた。そんなアルフォンスを見下ろした私は、ぐっと彼を引き上げる。
「みどりさまっ?!」
突然のことに声を裏返らせるアルフォンスを引っ張り、私は仏壇の前に正座した。
「はい、正座!火をつけます。お線香に火を移します。ブッ刺します。はい、手と手の皺と皺を合わせてー!がっしょー!」
既に毎朝の習慣となっている挨拶を、二人で一緒にしたのは初めてのことだった。やり慣れた動作は、どれほど眠気が襲ってきていても何の間違いもなくすることが出来る。それは、アルフォンスがウツシヨに初めてやってきたときに立証されていた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃんが聖女様と言うのなら、どうぞどうぞ。皆をお救い下さい。どうぞお姉ちゃん、お救い下さい。アルフォンスを、助けてください。」
姉に神頼みは、一度としてしたことがなかった。
ご先祖様はご供養するものであって、お願いするものではないと父母に厳しく言い聞かされていた為に、今まで一度としてお願い事を口にしたことはなかった。
だけど、今私は、妹として姉にお願いしている。
お姉ちゃんが本当に伝説の聖女様だっていうのなら。遥か遠い違う世界の、どうだっていい世界のために祈りを捧げて皆を救ったっていう聖女様なら。生意気ばかりで可愛くなくても、妹のお願いを聞いてくれると思ったのだ。
姉は無念を抱いてここに眠っている。その姉に願い事など、どれほど自分の身が浅ましいかよくわかっているつもりだ。だけど、今皆を救ってあげれるのはきっとお姉ちゃんしかいない。
「お姉ちゃん、明日のご飯は炊き込みご飯にします。毎日お仏壇も綺麗に拭きます。お花もできるだけ頻繁にとりかえます。お姉ちゃん、お姉ちゃんになんにもしてやれなかった私だけど、どうかお願いを聞いてください。」
心の底から必死に祈った。見知らぬ地の聖女だという姉と違い、皆の指揮を取りながら剣と魔法で戦うアルフォンスと違い、一般人の私にできるのは、祈ることだけだ。
私はしばらくして顔を上げた。同じように、斜め後ろで姉に向かって手を合わせていただろうアルフォンスは、私のほうを向いていた。
その顔が、今まで見たことが無いほど柔らかく微笑んでいることに気付いて吃驚する。
「な、なによ」
何だか居た堪れなくなってアルフォンスから目を逸らした。
「貴方は本当に愛らしい」
「はぁ?」
姉に頼み込むぐらいしか出来ない私のことを揶揄しているのかと腹が立ち、眉を上げてアルフォンスを見返した。けれどアルフォンスは、先ほどの優しい笑みのまま私をしっとりと見つめている。
「貴方が姉君に何かお願いをされているところを、初めて見ました」
「それは…だって…」
言葉が続かずに口を噤む。確かにその通りだが、そう面と向かって言われるとどうしていいのかわからなかった。
「それが、私の為の祈りとは。本当に、貴方は私を手玉に取るのがお上手だ。」
「なんかよくわかんないけど、やる気出たの?」
「今なら龍の爪も磨げそうです」
「何それちょっとどういう意味?」
「どんなに無理なことでも出来そう、と言う諺です。」
「なるほどねーって、龍がいるの!?」
「伝説上の生き物です。さぁ、正念場ですね。頑張って格好いいところを見せて、翠様を惚れさせなければ。」
「先に世界を救え。」
「勿論です。さぁ、戻りましょう。」
アルフォンスの言葉に促されて、私たちは再び炬燵へと戻ってきた。炬燵って、人間がだらけるためのベストアイテムだったはずなのに、なぜ今はこんなにも緊張する場になってしまったのだろうか。目の前の苦境は何も変わっていない。味方の体力はほとんど赤ゲージばかりで、次に広範囲攻撃を食らうと一瞬の内に燃え尽きてしまうだろう。
「次に魔王が“覇王の衝撃”を打つまで、あと4ターンあるはずです。それまでに活路を見出さねばなりません。」
「どうにかなるの?」
「絶望的と言っていいでしょう。」
その言葉に私はうっと詰まった。アルフォンスが真剣な目つきで画面のマス目をじっと見つめていた。
「…やはり、この手しかありません。翠様、私を一番手前へ、それ以外のキャラクターは皆後方に。“覇王の衝撃”からぎりぎり逃れられる位置に皆いるはずです。」
数手動かした後、アルフォンスはそう言った。その声は堅く、先ほどまでのおちゃらけていた空気をみじんも感じさせなかった。
「でもそれじゃ、アルフォンスが死んじゃうんじゃない?」
このゲームは、将棋と同じで総大将が取られてしまえばそこでゲームオーバーになる。アルフォンスは深く頷いた。
「ですが、これを逃せば勝機を掴むことは出来ないでしょう。」
アルフォンスの声に決意を感じる。私は死に馬に鍼を刺すような気持ちで、言われたとおりに駒を動かした。
『この虫螻どもが!塵芥にしてくれるわ!』
来た!“覇王の衝撃”だとコントローラーを持った私までもが身構える。私の緊張が伝わったのか、アルフォンスが大丈夫だと安心させるように肩を抱く。
魔王が攻撃する映像が流れ、広範囲に衝撃波が広がる。アルフォンスは、耐えれるか耐えれないかのギリギリのHPしか確保していなかった。攻撃数値はランダムで、一定の数字ではない。つまり、運も勝負を分かつということだ。減りすぎても駄目、減らな過ぎて体力が8%以下にならない場合も回復魔法が使えないから駄目。そんな我儘なお願いをどうぞ聞き届けてほしい。目をきつく瞑って私は再び祈った。
「翠様、再起を図ります。ご準備を。」
アルフォンスの声に促されるようにゆっくり目を開いていくと、画面にはアルフォンスが膝を付きつつも必死の面持ちで持ち堪えていた。HPは、8%を切っていた。私は歓喜の声を上げる。アルフォンスも、安心からか力が抜けていた。
「反撃しましょう」
「おう!」
意気揚々と私は○ボタンを押した。そして、絶句する。
次は私たちのターンのはずだ。はずだったのに。
『おのれ、虫螻どもが…調子に乗りおって…!それほどまでに吹き飛びたいのなら、もう一撃見舞ってくれる!』
画面を見て硬直した。こんな展開は、誰も想像していなかった。
そういえば、前に出てきた各章のボスの時も、たまにだがターンが崩れる時があった。だがそれはいつだって、こちらが二度連続で攻撃出来るような仕様ばかりだった。それが、こんな絶体絶命のピンチで二度連続で攻撃されるなんて。
アルフォンスも、これは想像もしていなかったのだろう。力が抜けていたはずの体が強張り、一瞬にしてその顔に苦渋が広がっていた。
姉が、死んだと告げた時と同じ顔をしていた。
「もう…打つ手はないのか…」
呟くように吐き出された声は素のままで、アルフォンスの本心だと感じた。
『控えおろーーう!』
絶望が支配していた空間に、頼もしい声が聞こえた。
『聖女のご加護にて黄泉の淵より只今帰還致しました。全くの遅参お詫びのしようもございません。手土産を持って参りました故、平にご容赦願いたい。』
「オ、オ、オーディン!!!」
あの橋で別れ離れになり、もう二度と会い見えることはないと思っていた相手の登場に、私は立ち上がって喜びを表現した。背中から顔にかけて、一気に鳥肌が立つほどの喜びだった。
死んでしまったと思っていた。もう生きていないと思っていた。私達の為に、一人犠牲になってあの暗い谷底に落ちて行ってしまったのだと、そう思っていた。
「…生きて、いたのか。」
ポツリと聞こえた声に我に返って見下ろせば、アルフォンスの体は震えていて、拳を強く握りしめていた。その拳は色が無くなるほど強い力で握りしめられていて、目は赤く潤んでいた。
その声が、その震えが、何よりも如実にアルフォンスの気持ちを表現していた。
『まーったく、お前は俺がいなきゃほんっとうに駄目なんだからなぁー』
『貴様がちんたら髭を剃ったりしていたから遅くなったのだろう。すまない、アルフォンス。』
『お二人とも、今はそのような場合では…カチュア殿、貴方が御無事で、本当によかった。』
オーディンが『土産』と称した声たちは、一陣の風のように颯爽とやってきて、皆の心に春をばら撒いていった。春鳥と誉れ高い吟遊詩人が、指示も出していないのに歌を歌う。
「コンラート!ロイ!フリクリ―――!!」
私は喜びのあまりコントローラーを投げ捨ててアルフォンスに抱き着いた。上から突然40キロ以上もする肉の塊が落ちてきたというのに、アルフォンスは容易に片手で受け止めながら画面を凝視している。
『…皆、無事であったか…』 「…皆、無事であったか…」
スピーカーから聞こえてくる声と、現実のアルフォンスの声が重なる。
私は嬉しさのあまりアルフォンスの首元から離れられない。アルフォンスは小刻みに震える私の背中を何度も何度も撫でてくれてた。
転がったままのコントローラーがどこかのボタンを押してしまっているのか、映像が自動で流れていく。
4人の突然の登場に沸いていた自軍のキャラクター達は、更に信じられないものを目にして感極まっていた。
空が明るく晴れていき、雲の隙間から幾重もの光が降り注ぐ。帰ってきた4人は、まるでわかっていたかのように天に向かって首を垂れ膝を折っていた。
その光が視界を覆い尽くした時、天からえも言えぬ優しい母のような声が聞こえてきた。
『世界の為にその身を捧げた、誇り高き英雄たちよ―――その祈りに報い、今一度、祝福を授けましょう…。貴方達が、無事に愛しい者たちの元へと帰れますように―――…。』
聖女は世界中を包み込むような優しい笑みで、私たちを送り出してくれた。聖女が光に溶け、パラパラと奇跡の粉を撒き散らしていく。その粉が全員の身に降り注いだ時、全員の体力ゲージは全回復した。
私は、感極まりすぎて身の震えが抑えられない。全員無事だった。聖女様が助けてくれた。皆を連れてきてくれた。あれはきっと、きっと。
「翠様、姉君の恩義に縋るようですが…今が好機です。さぁ、あと少し。頑張りましょう。」
背中を撫でる優しい手が、私の濡れた頬を拭った。私は真っ赤になった鼻を見せたくなくて、そっぽをむいて頷く。
お姉ちゃん。お姉ちゃんお姉ちゃん。
こんな、こんな意地っ張りで横柄で可愛くない、貴方に感謝の一つも伝えられなかった私のお願いを聞いてくれて、本当にありがとう。
「さぁ今度の今度の今度こそ!反撃よ!!目に物見せてくれるわ!このちんくしゃ魔王め!」
やる気満々で拳を握りしめた私に、『魔王相手にちんくしゃと言えたのは、どこの世界を探してもきっと翠様だけでしょうね。』と褒めているのかバカにしているのか怪しい一言をアルフォンスが放った。
魔王第二形態は、先ほどの聖女降臨までをどのようにして乗り切るかが味噌だったらしい。
主戦力4人が帰ってきて、聖女様が降り立ち、全員が全回復した今、アルフォンスの頭脳を持ってすれば決して倒せない相手ではなかった。
アルフォンスは一手一手を慎重に進め、確実に相手の体力を削っていった。
そして、最後の一手。アルフォンスは私の為に、最後の見せ場をオーディンに譲ってくれた。
『雷の鉄槌!』
斧とも槌ともいえる大きな武器を、魔王相手に打ち込んだ。オーディンの凄まじく格好いい必殺技映像が流れ、魔王の絹を引き裂くような雄叫びが世界の暗雲を払っていく。
悪の根源を叩き折り、ウツシヨの平和を取り戻したのだ。
「倒した…今度こそ、今度こそ倒したよアルフォンス!!」
ねっと隣を見た私の表情が、一瞬で固まる。
アルフォンスは、ほのかに発光していた。その光は徐々に強まり、アルフォンスの体から蛍のような幻想的な光が飛び出している。
あぁ、鳥籠の鍵を開ける時が来たようだ。
私は瞬時にして悟った。ずっとずっと心に留めていて、いつだって送り出してやろうと覚悟していたことだ。今、喜びこそすれ悲観に暮れるわけにはいかない。今度は、アルフォンスの、無事の帰還だ。
「…これは」
困惑した声がアルフォンスから聞こえる。私たちは、なんとなくわかっていながら、見ないふりをしていた現実を今咄嗟に受け止める。
私はアルフォンスが一生懸命日本語で書き綴ったノートを手にした。ノートの上にあったシャーペンも餞別代わりのおまけにノートに挿してやった。
アルフォンスに押し付けるようにして渡せば、彼は戸惑いながらもしっかりとそれを胸に抱いた。
そんな彼に、出来るだけ不自然にならないように、笑みを浮かべた。
「ピィちゃん、あっちでも頑張るんだよ。ご飯美味しかった。温かい部屋も実は嬉しかった。」
「みどり、さま…」
「皆によろしくね。オーディンに私から愛してるって伝えておいて。奥様と仲良くねって。リュカ君と沢山話をしてね。カチュアちゃんによろしく」
「…翠様」
「いっぱい意地の悪いこととか、生意気なこと言ってごめん。あんた王子様だって言ってたけど、威張ったりしなくて、そういうところ好きだったよ。ううん、全部結構好きだったかな。だから、絶対死んじゃだめだからね。頑張って、世界を救うんだよ。あのちんくしゃを踏みつけれること、こっちで祈ってるからね。」
「翠様!」
アルフォンスが手を伸ばす。その手はもう、私に触れることが出来ない。淡く発光していたアルフォンスは、どんどん透明になっていっていたのだ。ろくろを回す映画みたいだな、なんて微かに笑みが浮かんだ。
「アルフォンス、翠ってね。あんたの目の色のことだよ。」
恥ずかしくて調べてほしくなかった私の名前の意味。翡翠という二つの色を持つ宝石の、緑色を示す漢字。丁度、アルフォンスの目の色にとてもよく似ていた。
私の言葉に目を見開いたアルフォンスは、消えそうな体で必死に叫んだ。
「翠様!待っていてください、必ず、必ず倒して…!」
そこでアルフォンスの姿は消えた。
透明になっていった体は光に溶け、光の粒がキラキラと天井に吸い込まれるように舞っていったのだ。
約2ヶ月間。毎日顔を合わせ、くだらないことを言い合っていた相手が、一瞬の内に消えた。私はその現実を受け入れるために、今までアルフォンスがいた場所にそっと手を置いた。彼が座っていた場所は、春になりかけている冬のひんやりとした室内の中でもいまだ温かかった。
この温もりが、飲み干したコーヒーのカップが、アルフォンスがいた場所だけ捲れ上がっている炬燵布団が、毎日立っていた台所に残る彼の気配が、埃ひとつない仏壇が。アルフォンスがここにいたということを証明してくれている。
「待ってろって、何をよ。全く。」
私は呆れて笑った。待っていてやるつもりはない。開け放った鳥籠に、鳥が帰ってくることはまずないだろう。私はあの鳥が自由に、そして心折れることなく飛び続けてくれていればいいと、そう思っている。
私はコントローラーを再び手に取った。魔王を討ち果たした討伐軍の面々が、各々に歓声を上げ世界の平和を喜んでいる。
ボロボロになって崩れ落ちるアルフォンスを、咄嗟に駆け寄ったカチュアが抱き留めて微笑みあう。そんな二人を、フリクリが眉根を下げて、それでも満足そうに微笑んでみていた。そんなフリクリの肩をコンラートが抱き、ロイが嗜め、マジェリーンが詰め寄り、ヴァレンティーンがその光景をすぐさま歌にしていた。こうしてきっと、彼が今度は紡ぐのだろう。100年も、200年も先まで残るような素晴らしい歌を―――
場面は一転し、彼らが世界中を凱旋している映像に代わる。きっとこれがゲームのエンディングだろう。ほとんど何も貢献していないこのゲームのエンディングを、一人で見るのは―――やめよう。この言葉は、言い出せばきっときりがない。私は自分の心の中でも、その言葉を使うことを禁じた。
序盤からいい雰囲気だったアルフォンスとカチュア。魔王討伐と言う枷が無くなった今、二人を止められるものは何もない。国元へ帰る途中、仲間内だけの結婚式が小さな教会で行われた。
第三王子と男爵家令嬢という肩書を持つ二人の結婚式は国を挙げての大々的なものとなる。国の象徴、ひいては貴族の模範となるべき王族の結婚式に、いくら英雄達とは言えならず者やあれくれ者が出席することは適わない。
そのことを両者とも、誰に言われるでもなく知っていた。その為、討伐軍全員が出席出来るように、先に非公式で式を挙げたのだ。
笑顔の二人を、皆が取り囲んで祝福している。綺麗な花が宙を舞い、春鳥ヴァレンティーンが歌を歌っていた。そのまま画面は空を映し、ヴァレンティーンの歌声に沿って物語の今後が文字で流れた。
オーディンは帰国後、王太子の近衛隊を辞任した。魔王討伐の功労者であるオーディンの突然の辞任に国中がどよめき、なんとかして引きとめようとしたが、王太子はオーディンの意思を尊重し、捧げられていた剣を返した。これは剣を捧げた騎士にとって、異例のことである。それでも、その異例こそ、オーディンが魔王討伐後の褒章にと求めたものだった。
そして、オーディンは第三王子、アルフォンスの近衛隊長として生涯尽くすこととなった。
コンラートは功績により爵位を与えられた。自由気ままな庶民階級のほうが良かったと嘯いていたが、その爵位を手に長年懸想していた貴族の令嬢に求婚を迫っているらしい。
ジュゴンボーイコンテストに出場できそうな甘いマスクに、救世の英雄と言う立派な肩書まで持つコンラートでも、追い掛け回さなければ落ちてくれない女性がいることに世の男性たちは皆勇気付けられた。
その令嬢は長い間首を縦に振らなかったが、ついにはコンラートのしつこさに観念してプロポーズを受け入れたという。後に、“英雄禄”というコンラートの自伝に、『魔王よりもしぶとい女であった』と書かれる羽目になった。
ロイは無事に兄の仇を討ち果たした。兄の敵討ちだけを目的に生きていた彼女は、身分を偽って騎士に扮していたことの刑を求めたが、救世の前には些事だとアルフォンスに切り捨てられた。
後に『大成する為の男装』という、ロイにとってはありがたくとも何ともないことわざが生まれることになる。
また、ロイはその美しい様相と勇ましい経歴、非常に涙を誘う過去から世界中に女性ファンを作ることとなった。
ロイを追いかけて討伐軍に入ったマジェリーンは、ロイが女性だと知り発狂しそうになっていた。魔王を倒す際に力をつけたマジェリーンの怒りは山一つを潰してしまうほどだったと言う。国の、ひいては世界の平和のためにとマジェリーンを引き取ることになったロイことロザリアは、兄の仇を討ち果たしたからといって自棄になる暇はなかった。次から次に、マジェリーンが引き起こす面倒事の尻拭いに奔走した為である。
魔法塔の代表として討伐軍に加わっていたフリクリは、途中の町で合流したシャルルとエッラの後継人となっていた。アルフォンスが引き取ろうとしていたが、カチュアの今後の為にと、フリクリが強固な姿勢を見せたのだ。
かくいうフリクリも、まだ目も開かない幼子の頃にこの塔に捨てられていたのを、塔の師達に拾われた。フリクリにとって塔は家であり、数多の師達は父であった。
フリクリは自らの恩を返すかのように、塔で学び、旅で刻んだ経験を、余すことなく塔の生徒達に伝えていく師となった。
シャルルとエッラはフリクリの養子となり、その才をいかんなく発揮した。稀代の魔法使いハルベルトの実子だと公表すれば足枷にしかならないだろうと、この事実を知っているのは討伐軍の面々と、塔の重鎮数人のみである。
どう見てもゴロツキにしか見えないような強面の戦士や、魔法塔には無関係な思える踊り子等が幾度も様子を見に訪れる様は、孤高であり浮世離れていた魔法塔のあり方が変わるきっかけとなった。
秘密を知っている重鎮たちも、赤子の頃から見守っていたフリクリの子と言えば孫に当たる。塔と言う閉鎖空間では変人ばかりが育つ為、非常に気難しい師ばかりであったが、二人は湾曲した愛情の元すくすくと育ち、そしてハルベルトの子として恥じない大魔法使いとなった。
リュカは討伐後王都には寄らずにそのまま辺境の領地に戻った。この混乱に生じて国境に押し寄せてくる輩を警戒したのだ。
旅の道中、無二の友情を築いたアルフォンスとの親交は末長く続き、アルフォンスとカチュアの娘を自分の息子の嫁として迎え入れることとなった。
リュカは勇者の子孫として、そして今代の英雄として世界中に名が響き渡った。その端正な顔立ちと高貴な産まれから、各国の美姫から縁談が殺到し、玄関は贈り物の山で埋め尽くされることになった。直に屋敷に訪れる数多くの外交官と、ひっきりなしにやってくる贈り物達を、辺境の地の執事は嬉々として裁いていったという。
しかし、他国からどれほど好条件を提示されても、アルフォンスの友として、かつての勇者が守った誇り高い辺境の番人として、リュカはどこの国にも渡らずにこの地で剣を奮い続けた。
そして、アルフォンスとカチュアは国元で盛大な結婚式を挙げた。
支え支えられ、魔王と言う困難に打ち勝ってきた二人は、誰から見てもお似合いであったという。
帰還したアルフォンスは、それまでの国政への無関心ぶりが嘘のように国の不正を糺し、膿を出し切った。そんなアルフォンスを王へと望む声は大きく、王太子は自らその任を降りアルフォンスに譲った。
アルフォンスはその知性と武芸、そして実直な性格から英雄王として国を広く逞しく育て上げた。カチュアはそんなアルフォンスを献身的に支え、誰からも敬愛される王妃へと成長していった。
春鳥の名を冠するヴァレンティーンは再び野に下った。
元々自由を愛し、世界を横行闊歩していた吟遊詩人である。あるべき姿に戻り、花と話し鳥と歌った。
そして、今まで紡いできた歌に新しい曲目が一つ加わえることとなる。『新・英雄譚』―――勇気ある英雄たちの生き様を歌ったものである。
こうして、14人の英雄たちによって、世界は救われた。
物語はここでおしまい。




