9ー9 解
ギルドの門をくぐると同時に鼻に伝わる刺激臭。
思わず鼻をつまみたくなるようなその臭いに四人の表情が歪む。
「あうぅー。この臭いはなんですかくわぁー」
「おっと」
突然目を回してクラクラと足元がおぼつかなくなってしまった咲夜が転ぶ前に抱きとめてあげる楓。
「はぁー。小さい時に来たことあるけど、やっぱり酷い臭いだなここ」
「まぁー。今のあたしたちが未成年だから臭いって思うだけかもしれないけどねー」
未成年の時は一部の悪い子を除いて大抵の子が嫌がるような臭い。だが、大人になるとこの臭いが大好きになるらしい。
つまりあれだ。お酒の臭いだ。
ギルドというのは大抵受付が酒屋を兼任していることが多い。
そのためギルド内の受付に向かうまでの道にはたくさんのテーブルと椅子。そしてその上に大量に置かれているビール樽だったり、酒瓶だったり、ちょっとした料理、つまみばかりだ。
臭いだけで酔っ払ってしまい、目を回している咲夜を背負った楓は顔を歪ませながら歩く。
「……なんか、注目されてるわね」
さっきまでテーブルで酒を豪快に飲んでいた男たちは美花たちがやってくると同時に飲むのをやめ、様々な感情を込めた目をジッと向けていた。
「まっ。こっちじゃあたしたちみたいに若い子が珍しいんだろ?」
「そうだねー。あったとしても女の子オンリーってのは珍しいもんね」
こっちの世界にも少ないとはいえガーデンがある。そのため若い子たちは大抵そっちに行き、ガーデンへの入学資格のない、または卒業生である大人たちがギルドに入るのだ。
そのため子供のガーデン。大人のギルドと呼ばれることもある。
「おい小娘ども。お前らみたいな餓鬼がここに何の用だ?」
受付で咲夜の姉が生存しているのか否かの確認をしようと数人の列にならんでいると、ふと後ろから声を掛けられた。
若干デジャブなような気もするのだが、まあ気にしない。
「はぁー。やっぱりいるんだな。こういう馬鹿が」
「なんだと!」
わざわざ振り向いて、やれやれと首を振る楓に向けて突然声を掛けてきた男が手を伸ばす。
「ちょっと。うちはお触り厳禁よ?」
伸ばされて手を横から掴んでとめた美花はそう言うと悪戯っぽく笑う。
「餓鬼は大人しくガーデンでぬくぬく温室で丸まっていやがれ!」
腕を止められた男は顔を真っ赤にするとそう言い捨てる。
子供のガーデン。大人のギルドという言葉が流行ってしまったせいで、ためにこういう馬鹿がいるのだ。
ガーデンに行かず、直接ギルドに加入した奴らの約四割ほどがこのような勘違いをしている。
つまり、ガーデンを舐めているのだ。
「現実を知らない小娘どもが!」
掴まれた腕を振り払い、もう一度、今度はさっきの牽制とは違い、全力で拳が振り下ろされる。
「現実を知らないのはお前だろ。雑草」
「なにっ」
突然男の背後から伸びてきた腕。それは男の肩を掴むとそのまま流れるように男を後方に投げ飛ばす。
呻き声をあげなから飛ばされる男。壁に突き刺さり、大量の粉塵を周囲に拡散させていた。
「助けるまでもなかったと思うけど、一応聞くぞ。怪我はないか?」
「ええ。一応礼を言っておくわ。ありがとう」
「ははっ。正直な奴だな」
失礼とも取れるであろう美花の言葉にケラケラと笑い始めたのは黒いロングコートに身を包んだやや髪の長い黒髪の少年だった。
「ん? ああ、この格好か?」
三人分の視線が突き刺さり、気まずそうに頬を掻く少年。
その見た目なこの世界であろうと十二分に怪しいものだった。
だが、この少年が現れたことでちらほらと小さな騒ぎ声が聞こえ始めていた。
「おい……あいつってまさか……」
「おいおい。きいてないぞ。なんであいつがこんなところにいるんだよ」
ふと気になり耳を澄ませてみる美花。耳に届く声たちには明らかな畏怖の念が込められていた。
(有名人なのかしら?)
怖がられているとは言っても、どうせさっきみたいな騒ぎを起こしているからだろう。
ギルドの平均ランクはガーデンよりも随分と低い。
ガーデンならばギリギリプロという実力でもギルドにくれば中堅どころになれるようなレベルだ。
今のからしてこの少年の実力は少なくともメインウエポンを装備していない桜と同等ぐらいだろう。
荒くれ者からすれば驚異的な強さだ。
「あんた。随分と人気みたいよ?」
「ん? ああ。そうらしいな。けどまあ、男に好かれても全く嬉しくないけどな」
そう言って苦笑する少年。なんとなくだが苦労してそうな人だ。
「解。一人で行かないで」
ギルド入り口に見える小さな人影。テクテクとこちらに向かいながら少年に、解に向けてそう言った。
「悪い悪い。そんなに怒るなよ九実」
「怒ってない。少し心配した」
「……すいません」
袖部分が胴体部分と繋がっておらず、肩の部分が白い肌が露出しているという珍しい黒の和装を着ている少女。
服装と同じ黒の髪は腰に届くほどまでに長く、少し長い和装をまるでワンピースのようにして着ている可愛らしい少女がそこにいた。
口ではそう言うものの、表情の変化は非常に薄く、ほとんど感情を読ませない。
第三者からすればそれは口だけのように見えただろう。
「はじめまして。私は九実。これの連れ」
美花たちに振り向いた後、少年の事を指差しながら言う九実。
解が「これとか言うな」と文句を言っていたが当然の如くスルーした後、ふと後ろの粉塵の中に視線を送る。
「……またやったの?」
「すいません」
深々と頭をさげる解。
無表情のまま九実はそんな解に向けてため息をついた。
「無事?」
「ああ。あれくらいなら問題ない。ていうか、いつも九実は過保護だと思うぞ?」
「仕方がない。解は私よりも弱いから。解は私たちにとってとても大切な人の関係者。死なせるわけにはいかないから」
「……それ、言われる方は複雑だぞ?」
なんせ理由が自身ではなく、自身の知り合いが大切ということだからだ。つまり、九実にとって解自身はどうでもいい存在。そう言っているのに等しい。
「……なんか。不思議な関係のようね」
「それは私のセリフ。あなたたちみたいな強者がこんなところでどうしたの?」
「……わかるの?」
「わかる。私にはこの目があるから」
九実の言葉にひっかかりを覚えた美花は両目に力を集中させる。瞬間。その顔が驚愕に染まった。
「あんた……それ……」
「ふふ」
驚愕をその顔に貼り付けている美花を見て、口元だけをニヤリと緩める九実。
笑っているのは本当に口元だけ。それ以外の部分は無表情のまま。それがかえって不気味なイメージを見るものに与えていた。
「それって確か、『心装、眼式』よね……」
「良く知ってるね。そう。これは上位の心装、眼式だよ」
薄くだが九実の眼は白く光り輝いていた。暗闇の中でなければわからないほどの、淡い光だったがそれは九実の眼式のレベルが低いからではない。
むしろ目視されにくいように調節しているのだろう。つまり、この娘は扱い難い心装の中でもさらに難しい眼式を精密にコントロール出来るということだ。
(これはもしかすると楓と同じ次元の規格外かもしれないわね)
「この眼に宿る力が何かは言わない」
「ええ。その方が正しいわ。聞くわけないじゃない」
「……そう。この世には常識外なんていっぱいいるから……」
無表情のままなのだが、どこか哀愁漂う雰囲気を醸し出している九実。
これはちょっと地雷を踏んだのかもしれない。
美花が苦笑していると突如として大きな音が鳴り響く。
解と九実の登場で静かになっていた酒場の客たちが音の鳴る方に、粉塵立ち込める壁へと視線をむけた。
「あら。意識あったの」
「いや、今目覚めたってことだろ? じゃなきゃどれだけ長いこと倒れてたんだ?」
粉塵の中で立ち上がる人影を見て目を見開く美花。そんな美花にツッコミながら呆れに近い息を吐く楓。
「くそおおおおおおっ!!」
粉塵を殴り払い、出てきたのはつい先ほど解に投げ飛ばされていた男だった。
顔を真っ赤にしてこれでもかというほどにわかりやすく、憤怒の感情を周囲に拡散させているその男を見て、九実の眉が微妙に動く。
「へぇー。あいつ結構頑丈だな」
「解。何したの?」
「ちょっと力入れて投げた。もちろんカウンターで」
「そう。それじゃあ足りないのも仕方がない」
「ん? なんでた?」
九実の言葉に解だけでなく、他の三人の視線も集まる。ちなみに咲夜は解が登場したあたりからずっと楓と背中でキョロキョロと挙動不審になっている。
「あれ。一応Bランクの操術師」
「……へぇー。こっちでBといえば、結構な実力者っぽいな」
「解。面倒だから早く終わらせてきて」
「はいはい。てか、なんでそんなこと知ってんだ?」
解の問いに周囲を軽く見渡す九実。
「聞こえてきた」
「……あーなる」
呆れを若干含めつつも、納得顔になった解はギュッと拳を握り、その指にはめている指輪に力を注ぐ。
「……あれ。ボックスリング?」
領域の方ではボックスリングといば中々のレアアイテムだが、こっちの世界では割と溢れているものだ。
しかし、解が持っているそれは少し既製品と何かが違う気がした。
解の両手が一瞬純白の光に覆われ、次の瞬間。その手には漆黒に染まるT字の武器が握られていた。
(……トンファー……)
その武器の種類を見た瞬間。美花は昔に聞いた話を思い出していた。
(……たしか、あいつも使ってたわね)
いなくなった彼の事を思い出し、感傷に浸る美花。だがそれは一瞬のことだった。
「行くぞ」
耳に届いた小さな炸裂音。
刹那。解の身体は既に男の目の前にあった。
「眠れ」
小さくつぶやき、男のみぞうちを狙ってアッパーに近いフォームでトンファーの短い突起部分を突き刺す。
解がしたのはたったのそれだけ。
男の口からは悲鳴も呻き声もあがらない。
だが、解はもうこれで終わったとばかりに、トンファーを光の中に消し、九実たちの元に歩き出した。
解の背後で、白目になった男が静かに地に堕ちた。
次回は31日です。




