9ー5 もう一つの地上
視界という映像を意識に流すための装置が脳だとすれば、入力装置は当然眼球だ。その眼球がゲートの間に張られてある透明の膜のようなものを過ぎた瞬間、その目に移る世界が変わる。
文字通り。世界が変わったのだ。
「……ふふ。この空気。久しぶりね」
最初にゲートを通った美花を追い掛けるようにして楓、桜の順で姿を見せる。
風景で言えば草原の中にぽつりと場違いな門がある光景。
自然溢れるその光景の中、美花は目を閉じると深く息を吸った。
「どう会長? 久しぶりの本国は」
「……そうね。なんだかんだ言ってもう三年以上戻っていなかったものね」
「あはっ。まああたしもそうなんだけどね」
「何よそれ……」
久しぶりに帰ってきた自分たちの世界。
【幻理領域】という人の手によって作られた空間じゃない。
世界そのものが作り出した。物理世界に生きる全ての生き物を柱として物理世界の裏側に存在するもう一つの地上。それがここ【幻理世界】だ。
美花の実家である【神崎家】や桜の実家である【天宮家】はどちらも元々はこちらの世界の住人だ。
過去に複数人の人間の意識が物理世界から切り離され、この幻理世界に落ちたことがあった。
その者たちが元の世界、つまり物理世界に幻操術の大元になっている技術を伝えたのだ。
そして、その者たちは物理世界と幻理世界の間を何度も渡った。
だが、何度も渡る内にその者たちと特に干渉を強くしていた幻理世界側の者たちが一つの危険性を感じたのだ。
その危険性が性ではなく、現実のものにならないようにと物理世界側の力あるものたちを柱として二つの世界の間に限定領域を作り出し、互いが互いの世界に直接干渉できないようにした。
そして、それを監視する役目を果たしているものたちこそ、幻操師界の大貴族とされている始神家なのだ。
始神家は元々幻理世界の住人だ。そしてそれに対抗するために物理世界側が用意した家系、それが残りの十二の光たちだ。
つまり、十二の光というのは世界と世界の間にいる観測者。監視者。バランサーなのだ。
「それにしてもさー。なんだか世界の状況変わっちゃってるよねー」
久しぶりの故郷、あるいは別荘地に来て感傷に浸るのを早々に止め、歩き出したところを、ふと桜がつぶやいた。
「まあ。そうだな」
「元々二つの世界を知り、それぞれに明確に干渉できたのはあたしたち十二の光だけだったのに、今では十二の光じゃない人も知ってるもんね」
「まあ、知名度は決して高くはないけれど、それでも危険よね」
物理の発達した世界と幻理が発達した世界。
同じほどに、違う分野で発達している二つの世界。
戦力という目線でいえばそれは明らかに幻理世界の方に旗が立つだろう。
しかし、もし。もしも世界間で戦争でも起きてしまえば、幻理世界側に勝ち目はない。
「まあ、戦争なんてレベルまでは当分ならないとは思うけど、それでも組織単位での略式戦争まではそう遠くないわね」
「まあそうだな。その時はあたしたちどうなるんだ?」
「どうなるって、そりゃ、戦うことになるでしょうね」
「それはわかるが、所属は?」
「……あっ」
普通ならばすぐに答えが出るような問いだ。
だけど、この質問は三人にとってはとても難しいものだった。
「……まあ、その時に義を感じられる方につく……かしらね」
「あれ? 会長は始神家につくんじゃないの?」
「まあ、そうなる可能性が高いとは思うけど、始神家のそれがあたしの義と重なることがなかったらあたしは始神家から抜けるわよ?」
「出来るのっ!?」
「いや、無理だろ。まあ、組織単位の略式戦争になるとしても、恐らくは今の幻操師たちと反幻隊での戦いになるだろうな。あの日みたいに」
あの日。
三年前のあの日。
あの時の戦い。あれこそが組織単位での略式戦争だ。
【F•G】VS【新真理】&【失われた光】の構図になっていた。
「あの時は失われた光が主体になっていたが、恐らく次は……」
「ええ。この三年間。目立った動きはないみたいだけど、おそらくは」
「ああ。力を蓄えていやがるな」
「あーあー。なんかゆっち探すどころじゃないっぽいのかなぁー」
「いいえ。彼は貴重な戦力になりうるわ。それに、彼が戻ってくればあの日以来消息をA•Gの者たち、六花衆だっけ? 彼女たちとも合流できるはずよ」
「おー。六花衆の人たちが味方になればすっごく心強いね!」
「でしょ?」
「まあけど、とりあえずは彼を、結を見つけることが最初の課題ね」
三人にとって、彼が既に消滅してしまっているという考えは欠片もなかった。
それが信頼なのか、それともただの現実逃避なのか、それを知るのは三人の心の内だけだった。
「地味だけど、とりあえずはあの街で聞き込みね」
「でも会長? 聞き込みって言ってもどうするの?」
「それなら既に考えがあるわ。楓」
「あっ。やっぱしそういうことか? 随分と他力本願だな」
「いいじゃない。仲間でしょ?」
ふふっと小さな笑みを浮かべる美花に楓は呆れにも近い情の息を吐くと、渋々ながらも慎重に、上に向けた手のひらに力を込める。
白い粒子が手のひらの上できらめき、時間にすれば瞬いをする間すらない刹那、楓の手のひらに三つのフィギュアのようなものが出来上がっていた。
「あら。流石ね。けど、あたしの記憶の結とちょっと違うわよ?」
「結だって成長するだろ? その分を計算して造形してみた」
楓が氷で作ったのは現在の探し人である音無結の小さなフィギュアだった。デフォルメなんてせずに、リアルに作られたそれの完成度に感嘆の息をもらす二人。
楓の言葉に美花は「なるほどね」と小さく言うと楓からそれを一つ受け取った。
「さて、これで聞き込み出来るわよね?」
「そだねー。けど、これ体温で溶けたりしない?」
「……溶けかかった結を見るのは嫌ね……」
「こんなにリアルだもんね……」
「いやいや。あたしの氷は体温如きじゃ溶けないから。それと、発想がなんかグロいぞ。止めろ」
ジト目を向ける楓に顔を合わせた後に苦笑で返す二人。
そんな二人に楓が疲れたかのようなため息をついた後、三人は街中に入った。
一つの街を囲う巨大な壁には十六方向に門が置かれており、その門の両サイドには検問所がある。
ここで手続きをしなければ中にはいることは出来ないのだが、伊達に三人はこっちに家を持ってはいない。
こっちの世界だけで発行できる幻理世界版の生徒手帳のようなものを使えばこの門は手続き無しでパスすることが出来る。
「それにしても、もし会長があの家の長女だなんて知ったら騒ぎになりそうだよね」
「まあなるでしょうね」
苦笑しつつ言う美花。
無論、騒ぎになる理由の大半はこの国の大貴族である神崎の名なのだが、美花は美花で知名度が高い。
若くしてSランクというのはそれぞとのことなのだ。
「あっ。楓」
「なんだ?」
「あんたとあたしは手帳の提示禁止よ?」
「……えっ。なんで?」
「……あんたこっちで生活してたことあるなら知ってるでしょ?」
「……あっ、そっか。こっちじゃSランクって規格外だもんな」
「そういうこと。だからさっきも桜に提示して貰ったんじゃない」
「……まあ。Aランクでも結構ザワザワしてたよ?」
「Sよりはマシよ……多分」
「……なあ。すっごく嫌な予感がするんだが」
街に入り、とりあえずは別れる前に集合場所として使えそうな場所、言い換えれば宿屋を探して歩き回っているのだが、どうも街に入ってから幾つかの視線を感じる。
「ねー会長ー。やっぱりAもまずかったんじゃなーい?」
「……かもね」
面倒後の予感がこう、ビシビシと伝わってくる。まだ何も行動に移されたわけじゃないが、そうなるのも遠くないだろう。
多少時間が掛かったとしても、一般手続きをすればよかったとため息をつく三人だった。
「まっ。何かあったらその時よ! 早く宿、探すわよ!」
「「……お、おー」」
目を見合わせた後、苦笑しながらも拳をあげる二人だった。
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次回は23日です。




