追憶のエピローグ
奴隷。
この世界には漫画や小説の中でしか聞くことのない奴隷が溢れている。
奴隷と言われると嫌な気持ちになるかもしれないが、奴隷にも二種類ある。
一つは合法奴隷。
国から奴隷であると認められたものであり、奴隷の九割がこれだ。
一見、国から奴隷として認められていると言われると、嫌な感じだが、国が認めているということは、国から定められた奴隷のルールが適応されるということだ。
奴隷の所有者は奴隷に無用な苦痛を与えてはいけない。
奴隷には雨風を凌げる場所を与えるところ。
奴隷の所有権は所有者にあるものの、奴隷がその国の国民であることに変わらないため、人としての最低限は与えなければならない。
給料無しの召使。
それが合法奴隷だ。
そして、もう一つが非合法奴隷。
奴隷としての手続きを行なっていない者であり、当然こちらは国から認められていない。
この世界の奴隷はある意味、給料無しの召使のことなのだが、こちらの奴隷は本当の意味での奴隷だ。
おそらくこの子は後者だ。
【幻理世界】では見た目でどこの国の人間はわかりづらいのだが、『一見半知』で見たところ刀和国の出身だ。
刀和国は戸籍などが細かい。それは合法奴隷も同じだ。
もしも他が単に攫われているのなら誘拐事件としてギルドにも話が来るはずだ。
ギルドに一体時にクエストは一通り見たがその時にはそんなものなかった。
この子は片目が潰れてしまっている。合法奴隷ならこの状態で放置されるはずがない。
ここでなってしまったという可能性もあるが、やはり非合法奴隷と考えるのが自然だ。
「名前ないの?」
「……うん……」
名前がないということは産まれた時から奴隷だということ。
両親も非合法奴隷の可能性が高い。そうだとすれば産まれたことすらなかったことされることもある。
「……名前はないよ。……でも」
「でも?」
「……番号があるよ」
「……そっか」
確定だ。
この子は非合法奴隷。
ちゃんとした名前をつけられることもなく、産まれた順で番号をつけられたのだろう。
「これからはそんな番号忘れちゃいな」
「……でも、なら私は何?」
名前か。
「君の新しい名前、あたしが付けてもいい?」
「お姉ちゃんがくれるの?」
「そっ。君はこれからこう名乗ればいいよ。
陽菜」
「……陽菜?」
「そう。陽菜。嫌?」
「……ううん。陽菜、陽菜、陽菜……ありがとう」
陽菜は心から嬉しそうに微笑むと、七実の背中にギュッと強く抱き付いた。
(まったく。こんな子がいるほどとは思わなかったな)
七実はあの女への怒りをさらに増させていた。
「こんちはー。配達でーす」
七実は陽菜は背中に背負ったまま力任せに壁を突き破り続けていた。
そして、とうとう複数の気配がする部屋にたどり着いていた。
「だ、誰ですかっ!?」
部屋の中心で偉そうに高そうな椅子に座っていた女性は突如吹き飛んだ壁と、その声を聞いて慌てふためいていた。
「おっ。久しぶりだねー。たしか、モンブランだっけ?」
「ーーっ!? あなたはっ!」
七実の姿を目視すると同時にモンブラン、アルセーヌ・モランは両眼を大きく見開いていた。
「てことでこれ配達でーす」
「やっ、やっておしまいっ!!」
アルセーヌは慌てて部下に命ずるものの、部下たちに動きはない。
「お前たち! 何をしているのですかっ!!」
「無駄無駄ー。だってもうそいつら死体だもん」
七実がそう言い。ニヤリと笑うと同時にアルセーヌを守るようにして立っていた部下たちは全員氷の華となって消え失せた。
「あたしたちの名前で狙ったみたいだけど、舐められたものだね」
アルセーヌの顔は既に絶望に染まっており、見ていて哀れになるほど青白い。
「『実』。力の凝縮体であるあたしたちに喧嘩を売ったんだ。どうなるかわかるだろ?」
「あ、あぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
七実の笑みをもう一度見ると同時にアルセーヌは転びながらもまるで地を這う羽虫の如く四つん這いで走る。
そんなアルセーヌに七実は笑いかけていた。
アルセーヌはそれを見ることはなかったが、その笑みに対してその瞳は酷く冷たいものだった。
知らぬが仏。
その眼を見なくて済んだのはアルセーヌにとって、唯一の救いだったかもしれない。
「バイバイ」
恐怖のあまりおかしくなりつつあるアルセーヌに憐れみを感じた七実は嬲ることはやめ、指を鳴らすと一瞬で彼女の体を氷の華に変えていた。
「…………」
「……え?」
七実の背中に背負われたままだった陽菜に今の光景を見て口をポカンと開けていた。
当然だ。
今まで自分のことを文字通り奴隷のように扱ってきた憎き女が憐れな死に方をしたのだ
「ほら。これでもう自由だよ」
屋敷を後にしながら七実は背中の陽菜に問い掛けた。
あまりにも驚いたのだろう。
アルセーヌが華となって散った後、陽菜は気を失ってしまっていた。
七実は主人がやられたと知らずに襲ってくる部下たちを片手で軽く返り討ちにしながら出口を目指し、既に外に出ていた。
「さて、これからどうしよ」
正直ここがどこなのかわからない。
九実のところに戻りたいのだが、ここがどこだかわからない以上それも不可能だ。
(てか、この子どうしよ)
七実はふと視線を背中の少女に向けた。
視線に気付いたらしく、少女は七実に向かって笑みを見せた。
「お、お姉ちゃん」
「……ん?」
「わ、私……」
陽菜はもごもごと言い辛そうにして、さらには怯えをその顔に乗せて話し出した。
「私も連れて行ってくださいっ!」
(あー。ですよねー)
陽菜の今の状況を考えれば簡単に推理出来ることだった。
そのため、七実は一切悩むこと無くに相当した。
笑顔で。
「やだ」
「……えっ?」
語尾に音符マークが出る勢いで言う七実に、陽菜の時間が一時止まる。
何を言われたのか徐々に理解しだした陽菜の目は、涙に覆われていた。
「ど、どうして? お姉ちゃん?」
「あたしたちはこれからやらなきゃいけないことがあるからさ」
「わ、私も連れて行ってくださいっ!」
「だーめ。危ないから」
「私は……ひ、陽菜は大丈夫ですっ! 足手まといになんてならないです!」
「って言われてもなー」
「じゃ、邪魔になったらその時捨ててくださいっ!!」
涙目で力説する陽菜に七実は困っていた。
しかし、陽菜が最後に言った言葉を聞いた七実は目を細める。
「……陽菜?」
「……は、はい」
それはとても低く、冷たい声だった。
陽菜はさっきまでのテンションを忘れ、落ち着くと同時に、怯えていた。
七実が怖いからではない。
こと『実』は、自分にひどいことをしないことはわかっている。
この恐怖は心から、真に捨てられると思ったからだ。
「捨てるとか、捨てられるとか、自分をモノみたいに扱うとはやめな」
「……あっ」
陽菜は人間ではなかった。
いや、正確には人間だが、人間として産まれたのではなく、奴隷として、モノとして産まれている。
そして、そういう教育を受けてきた。
幼い頃からの教育は心まで構築してしまう。
陽菜にとっても自分は人ではなく、モノ、奴隷だったのだ。
それに気付いたからこそ、七実は目を細めて怒りを感じていたのだ。
こんな小さな子にここまで思い込ませるなんて。
「……決めた」
「お姉、ちゃん?」
目付きの変わった七実に陽菜は動揺を隠せなかった。
だけどどうしてだろう。
冷たいはずなのに、だけだ、陽菜にとってその目はとても暖かく感じていた。
「陽菜、少しの間ついてきて」
「え?」
「陽菜に手伝って欲しいことがあるから」
「……え、えと」
「返事!」
「は、はいっ!!」
七実は陽菜を背負ったまま、その眼が示す方向に向かって走り出した。
これにて第八章は終了となります。
第九章は7月13日から更新開始とさせていただきます。




