8ー62 林を背負う者
己の心の中に未だ残る微かな恐怖を吹き飛ばすように、林原は叫ぶと結へと突撃する。
その手には変わらず武器は持たれてはおらず、素手のままだった。
結は目を細めると少しがっかりしたように大鎌の斧部分を向けて振るう。
「小僧。今の俺をさっきまでの俺と同じだと思うなよ?」
結の目が驚きで見開かれる。
先ほどは容易に、まるで豆腐やアイスを斬っているかのような、手応えもなく斬り離されたと林原の拳は、結の斧刃とせめぎ合っていた。
「なるほどの。どうやらただの素手じゃないようじゃの」
結の斧刃と林原の拳が何度も交差する。
一つしかない斧刃よりも、両腕で二つの拳がある林原の方が手数では優っていた。
しかし、結はハルバートのような刃だけでなく、石突きを使うようになることで、互いの手数はほぼ近郊していた。
大鎌と呼びながらも、鎌というより、突起部分を使わずに反対側の斧部分や、棒としての反対側の石突きを使う結の攻撃と林原の両拳は互いに何度も繰り出されるものの、クリーンヒットになることはない。
結の攻撃は林原の両腕に阻まれ、林原の拳を結は紙一重へ躱し続ける。
平行線になりつつその戦いを零は冷静に、見続けていた。
「素手ならばたとえ幻力、いや心力で強化してようが我らが主人様の斬撃に耐えられるわけがありゃせん。たとえ我らが主人様が斬り裂くことに特化された鎌ではなく、斬るではなくガードごと叩き潰す方面に特化している斧刃を使っているとはいえ、不可能じゃ。
ならば考えられることは一つ。
サキと同系統の幻操術かの」
ワシは誰かに聞かせるようにつぶやき続ける。
返事が返ってくるわけではない。そもそも返事になんぞ期待しておらん。
ワシはとある人物を思い出していた。それは結の能力『四人の女神』の一人、糸を武器としている緑のサキじゃった。
彼女は武器である糸を全身に張り巡らせることで目に見えない鎧を作り出すことができる。
おそらく、林原もそれに近いことをしておるのじゃろう。
そういえば、つい先刻。赤髪の男、たしか不知火とでも言ったじゃろうか。あの者も攻撃をくらう瞬間、ヒット部の表面で小さな火種を爆発させることによって推進エネルギーをゼロにしておったな。
勢いさえなくなれば幻力で強化した皮膚で十二分に受け止めることが出来る。
後ろに生十会の娘、天宮の次女の気配を感じ、任せたのじゃが、大丈夫だったかのう。あの者が倒れれば主人様はきれてしまうじゃろう。
そうなれば、少々面倒なことになってしまう。
ーーっとそんなことは今はよいのじゃ。
今、この場面、状態、状況で重要なのは、あの者の能力の理解じゃ。
無論、わかったからと言ってそれを主人様に教えるつもりは毛頭無い。
ワシをワシとして塗り替えた主人様に教える必要はないのじゃ。
主人様の刃が林原の胸に向かって突き出される。
今の主人様の使う大鎌は本当に大鎌と言うよりもハルバートに近い。
棒と平行に付けられた斧のような刃に、槍のように鋭く、刺突することを目的に作られているであろう先端の刃。そして、棒を越えて斧刃の反対側にある突起。
通常、大鎌といえば緩やかな曲線を描いていてものじゃが、主人様のそれに曲線などない。
いや、正確には曲線が無いというのは適当ではない。ただ、曲線の方向が違うのじゃ。
その刃を形を簡単に表すのであれば、二振りの刀を合わせたものだ。
つまり、棒と垂直に日本刀を向かい合わせに付けているかのような見た目。
曲線と曲線が重なっているのだ、当然、そこには隙間が出来ておる。じゃが主人様はいつもそこに幻力を込めることで穴を塞いでおる。じゃからこそ、大鎌の一撃は凄まじいのじゃ。
通常の刀と比べ、反りが小さいとはいえ、出来る隙間はそれなりのものじゃ。目視できるほどに凝縮されて込められた幻力。それが解放された時の一撃の威力はおそらく、ワシですら無傷とはならんほどじゃろう。
棒の先端から伸びる槍状の刃がまっすぐ林原の胸に向かう。
林原は一瞬、身につけている目視可能不可合わせて二つの鎧のガードだけで済ませようと、つまり防御らしい防御をせずに攻撃を仕掛ける素振りを見せるものの、すぐに目を細め、攻撃を中断し防御へと移行していた。
「ふん。その武器、さっきまでのトンファーとは比べものにならないな」
主人様の大鎌を側面から叩き、刺突の軌道を逸らした林原は攻撃には移らず、後ろに跳んだ。
林原は主人様の持つ大鎌に憎しみの籠った視線を向ける。
主人様はそんな視線を無視して、なおも楽しそうな笑みを浮かべておる。
「当然じゃ童。今の主人様が持っておるのはさっきまでの幻装と違い、本物の心装じゃ。
汝も見たであろう?
あれこそ、主人様の心装……そうじゃな、真の式、真式とでも呼んでおこうかの」
純度一○○パーセント。主人様の心力だけで形作られておるあの大鎌の力は主人様の幻力と術の併用によって形作られておるトンファー、たしか『始まりのトンファー』じゃったか?
あれとは格そのものが違うからの。
このワシの目から見ても今の主人様は強い。とはいえ、それはあの年齢でという意味であり、この世界には今の主人様では敵わない強者など山のようにいる。
主人様の恩人であるあの娘。
己の力に制限を掛けていた、掛けざる終えなかったあの娘の域にさえまだ達しておらぬ程度。
「話す余裕あるんだ。ちゃんと戦ってくれる?」
石突きを地面に突き刺すと同時に林原の足元に幻操陣が一瞬の内に描かれる。
「っ!?」
「遅い『六天法=地天』」
林原が足元のそれに気付き、その場から退こうとするものの、それよりも早く主人様の陣が発動した。
地から天に伸びる黒い光の柱。
六月法の狙月と対になっている高威力を持った一撃じゃ。
「ずいぶんとボロボロだな」
やがて光が消え、中に残るのは全身から血を流している林原の姿じゃった。
即席とはいえあの者の防御を超えるので精一杯。致命傷にはなっておるまい。
ーーと、ワシは主人様の未熟さに内心ため息をついた。
ワシにため息をつかれていることも知らずに、主人様は一見ボロボロに見えるが、その実中身にはさほどのダメージを受けていない林原の前に立った。
「……阿呆」
「っ!?」
「ふんっ!!」
思わず出てしまったワシのつぶやきがさほど良くないが、だからと言って別段悪いわけでもはずの耳に届いたらしく、主人様の表情が変わった。
とはいえ、既に距離は、間合いは、好機は林原のものじゃった。
片膝をついた状態から足のバネを良く使い、ほぼノーモーションで放たれた裏拳が主人様の顔面へと突き刺さる。
「がぁっ!」
ワシの声のおかげで咄嗟に身を引いておったようじゃが、それでも人として守りの薄い、顔面に堅い裏拳をもらったのじゃ。ダメージは決して低くないじゃろう。
ーーまったく。【死神モード】の主人様は強さは他の演技する幻時よりもはるかに強いとはいえ、性格が、精神が、人柄が、昔の、元の、素に戻ってしまうというのが厄介じゃな。
子供特有の無邪気によって闘争本能が目覚め、主人様が生来持っておる力が表面に出るとはいえ、同じく子供特有の詰めの甘さ。経験の浅さ。無知さ。やはり使い手ではなく、タンク、倉庫、荷物持ち……いや、最後のは違うかの。主人様では力を使い切れておらんようじゃな。
「くっそ」
「我らが主人様よ。ワシの手助けが必要かの?」
「要らん! 黙って見てろ!」
「ニハハッ。ワシのつぶやきに救われた癖によく言うのぉ」
「うるさいっ!」
大鎌を上段に構え走り出す主人様。どんな方向から攻撃がくるのか相手からは簡単に、容易に、即座にわかってしまう悪手。
主人様もそこまで阿呆ではありゃせん。
林原よりも遠くで主人様は大鎌を振り下ろす。それと同時に独特の刃を持っている大鎌部分。槍と斧を含めた先端部分が結が直接持っている棒から外れる。
それはあの大鎌の不備ではない。棒から外れた先端部は重力に導かれて地に落ちることはなく、反して宙に浮き続ける。
それはやがて回転を始める。その姿は一言で言ってしまえば回転ノコギリのようじゃ。
「『六天法=断天』」
ワシの裸眼では早過ぎる回転のために『干』のような形をしているはずのそれが円形に見えるようになった後、それは林原に向かって放たれた。
ワシでさえその回転を見切ることが出来んのじゃ。林原には到底不可能。つまり、その回転を止めることは出来ない。ならば取れる選択肢は二つ。
一つは素直に避ける。速いとはいえ動きは単調。主人様はあれを自在に細く操作することは不可能じゃ。林原ほどの男ならば避けることは大して難しくはあるまい。
じゃが、林原は最もお手軽なその方法を取らんかった。
「『土操っ連唱土壁』」
あの世界で暇じゃった間今の幻操術について色々と調べておったが、あれはたしか堅い、鋼鉄よりも遥かに堅い土の壁を多重に作り出す術じゃったの。
ーーその程度で止められるわけがなかろう。
ワシは静かに心の内でひっそりとあやつを嘲笑した。
例え鋼鉄よりも堅ろうが。
例えそれが何重にそびえ立とうが、あれの前で、あの技の前で、断天の前では一切の意味を持たぬ。
主人様の断天は容易に土の壁どもを斬り倒す。
チェーンソーで木を切るよりもはるかに早く、一度の突っ掛かりを感じることなく、土壁を分断した。
元々斬れ味の鋭い三種の刃。それらを回転ノコギリの如く高速回転させておるのじゃ。
斬り合いに置いて鍔迫り合いを意図的にしなければ互いの刃が触れ合う時間は極短か。
あの技のその一瞬の内に一○○回転し、三種の刃によって合計三○○の斬撃を与える。
鋼鉄の壁であろうとバターの如くじゃ。
「ーーっ」
予測通り、『土操、連唱土壁』は何の意味もなさずに断絶された。
これこそ断天の威力じゃ。
あやつは慌てて回避行動に移ろうとするものの、それは叶わず直撃はなかったにせよ脇腹を深く斬っておった。
「ぐっ……」
悔しそうに顔を歪めるあやつを見て無邪気なる主人様は楽しそうに笑う。
その笑みは決して嘲笑などではない、純粋に、楽しんでいるのじゃ。
断天によって分裂した大鎌の先端部分は元々あった棒の先と特殊な糸で繋がっておる。
棒内部に幻力的機構により糸を巻き取り、先端部分を回収した主人様はすぐ棒と連結はせずにモーニングスターのようにクルクルと糸で先端部分を回しておった。
「どうした? もう、終わりか?」
「ふん。戦争も体験していない小僧が舐めるなっ!!」
過去にあった幻操師社会での戦争。あの口振り、あやつはそれに参加しておったのじゃろう。
当然じゃ。
あの時の戦争とは十二の光と失われた光間での戦争。失われた光の一家、【林原】の者である以上、参加は必至。
幻操師同士での戦争の場合、互いに高過ぎる生命力を誇るが故に、一撃というものが基本的に存在しない。
あの時も十二の光が優勢だったとはいえ、互角までとは言えぬものの、失われた光側もよくやっておった。
途中、あ奴らにとっては予期せぬことがあったにせよ、どちらもなかなか倒れず、長期戦になるにつれて負傷もおのずと増えていく。
結果、戦争経験の大半は痛みに大して耐性を持つ。でなければ、やっていけんからじゃ。
ーーあの程度の傷ではあの者はとまやせんぞ? 我らが主人様よ。
土の硬化にやって傷口を塞いだらしい、あやつは主人様に向かって走る。
ーーなんて阿呆な奴なのじゃ。ワシは思わずそう思ってしもうた。
土属性の特性、硬化を利用したあれは傷口の表面を固めただけじゃ。出血を止める以上の効果なんてありゃせん。
あんなものは治療じゃない。応急処置にすらなっておらん。麻酔の効果すらないのじゃ。今頃あやつは激痛を感じているはずじゃ。
幻操師の基本技術である自幻術を使えば多少痛みを緩和することが出来るが、そこまでの効果を発揮できるほどに自幻術を訓練するものは少ない。
ーーいや、もしかしたら知らぬのかもしれぬ。
ガーデンでは通常幻操、つまり他幻術は教えるものの、自幻術についてはほとんど教えぬ。
教えたとしても、せいぜい自分の感情を安定させるためのものであり、感覚操作まではやらん。
血は止まったにせよ、脇腹に走る激痛によってあやつの表情はうまく隠しておるがそれでも多少歪んでおる。
主人様がそれを見逃すわけがない。
主人様は小さく笑うと棒を支点にクルクルと回していた先端部分を再び刃単独で高速回転をさせ始めた。
「いくぞ?」
主人様の断天が再びあやつに襲い掛かる。
立ち止まったあやつは断天の軌道を良く見ておる。
あれがあやつでは防御することが出来ぬ威力だということを脇腹に走る激痛から学んだらしく、今度は回避に専念しているようじゃった。
主人様の断天はまだまだ制御不足じゃ。行ってしまえば威力はあれどそれだけに過ぎん。
軌道を後から曲げることは出来ん。変化球が出来ん。あやつとて失われた光の端くれじゃ。直進しかしない攻撃なんぞ容易に躱せるじゃろう。
サイドステップだけで主人様の断天を躱したあやつはニヤリと笑う。
「その技、欠点があるな」
断天によって刃が後ろに飛んだのを確認したあやつは主人様に向かって走る。
「威力は相当だがそれだけだ。コントロールに難があると見える」
嬉しくないことにあやつと意見が一致したの。
いやいや本当に、心から嬉しくないのじゃがあやつの言葉には完全同意じゃ。
「そして、回避されてしまえば刃を戻すまでの間、本人は無防備だ」
三種の刃が無くなり、棒部分しかその手に残っておらん主人様を目前にあやつは拳を引く。
引かれ、力を溜められた拳が解放されようとした瞬間、ワシの耳はつぶやきを聞いた。
「あんた馬鹿?」
それは主人様の声じゃった。
あやつの拳が主人様の額に突き刺さるよりも早く、我らが主人様は手に残っている棒の石突き部分で地を突く。
「『地天』」
「ーーっ」
林原の全身が足元から立ち昇る黒い光に飲み込まれた。
地を伝い、任意の場所から六月法の狙月と特性の近い光線を放つ術、それが『六天法=地天』じゃ。
ーーほう、どうやらさっきのよりかはマシな威力で撃てたようじゃな。
一撃目よりも深くダメージを負わせることができるじゃろうと、その黒光を一目で見抜いたワシは思わず頬を緩めた。
「俺を舐めるなっ!!」
「っ!」
地天によって拳が止まっていたあやつじゃったが、根性か何かなのか、黒光に飲み込まれながらも拳を突き出した。
咄嗟に身を引いたことでダメージらしいダメージはないように見えるが、拳自体は主人様の額に当たっていたらしく、主人様の額に血をついていた。
無論、それは主人様のものではない。今の攻撃、主人様に与えられたダメージは皆無じゃろう。
しかし、肉体的ダメージよりもあの光の中から攻撃を続けたあやつの行動によって、精神的ダメージを負ったようじゃな。
ーーあからさまに動揺しおって、阿呆めが。
ブチッ
「っ!?」
そんな音が聞こえた気がした。
瞬間、ワシの作り出した結界内部に重圧が掛かる。その重圧はこの結界を張り、維持をしているワシに強く降り注いでいた。
「くっ。阿呆めが。こうも簡単に暴走しおって」
重圧の発信源は誰でもない。我らが残念なる主人様じゃ。
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