8ー56 記号隠し
青龍と別れて桜は走っていた。
青龍の心配は然程していない。何故なら、あの時出てきた女性は明らかに弱っていたからだ。おそらくだが桜でも勝つことが出来ただろう。
一幻操師でしかない自分でもほぼ確実に勝てると思えたのだ。守護者である青龍ならば余裕だろう。
今の自分に求められているのは青龍の心配をすることではない。一秒でも早く親玉を倒すことだ。
「けど、あたし一人で大丈夫かな?」
ここに乗り込んできた時には三人いたが、今は桜ただ一人。敵の中で一番強いらしい男とは双花が戦っているとはいえ、前に戦った赤髪の男のような強さの奴が他に二人以上いたとすれば自分一人では手に負えないだろう。
(……あれ? これ、人手不足ってレベルじゃない気がしてきた……。少しくらい時間が掛かっても青龍と一緒にいればよかったかなー)
内心後悔にも似た思いを感じていると、桜は再び廊下の端までたどり着いていた。
先ほどは廊下端の扉から繋がっている部屋で敵が待ち伏せをしていた。
風間は奇襲をしてこなかったが、次もそうとは限らない。桜は入ると同時に敵の攻撃があるかもしれないということを頭の中に入れながら慎重に、且つ素早く扉を開いた。
「綺麗……」
先に広がっていたのはダンスホールのような場所だった。
青龍と別れたあの部屋も大きなシャンデリアがあったりして綺麗だったが、この部屋はそれ以上の美しさだ。
(敵さんがこういう部屋が必要としていたとは限らないし、というか考え難いし、この船は盗品なのかな?)
外観こそ海賊船のようだが、ここまで来た感想として内装は豪華客船のようだ。さっきの部屋とこの部屋は特にその色が濃い。
ならばこの船はどっかから盗んできた盗品と見るべきだろう。空飛ぶアジトというのは良いかもしれないが、こういう内装は一切必要としないはずだからだ。
(まあ、さっきのおばさんはこういうの好きそうだならありえなくもないけど)
見惚れつつも桜は部屋の観察を続けていた。すぐ正面にある巨大な階段。まるでお城のエントランスのようだ。
(普通に考えればあの階段の先がトップがいる場所だよねー。でも、そうならここに誰か配置してると思うんだけどなー)
階段の両脇にある扉。ドラマとかだとそこから兵隊が溢れて来そうなのだが、気配は何も感じられない。
あまり探知が得意じゃない桜だから何も感じないだけなのかもしれないが、幻力ではなく、気配での察知はそこまで特別苦手というわけではない。
桜は自分の気配探知力を信じて扉の先に伏兵はいないと判断すると、上に上がるため階段に足を開けた。
その瞬間。激しい音とともに階段を上がった先にある大きな扉が吹き飛んだ。
「うわっ!」
飛んでくる扉の破片を避けながら、桜は何かが飛んできたのを見つけていた。
何かが向こう側から扉に叩きつけられたことによって扉は突破されたようで、その何かは桜の上を過ぎるとそのまま後方の壁に激突した。
煙を纏っているそれを重力に導かれ地面に落ちていく。その最中、わずかにだが人の呻き声が桜の耳に届いていた。
(人の声っ!?)
敵が味方かわからない状況だ。そのため人の声が聞こえたと同時に桜は袋から千針桜を抜いて構えていた。
「誰だっ!」
冷静に、荒ぶる心をどうにか抑えつけながら桜を目を細くして叫ぶ。
落下の際に舞った粉塵のせいで誰だか判別することは不可能だが、煙の中に映る全身の影は目視出来ている。
少しでも怪しい動きを見せれば同時に切り込むことは可能だ。
「あぁん? この声、どっかで聞き覚えがあるな」
「っ!?」
聞こえてきた声に桜の心臓が大きく脈打った。荒々しく、不良を思わせるその口調。聞いていて嫌悪感を与えてくるその声の持ち主。
「……不知火……」
「あ? テメェに名乗った覚えはないんだがな」
影の持ち主が手を横に払うことで彼を覆っていた煙が散っていく。
そうして露わになったのは血のように赤く、長い髪。
不機嫌そうに顔を歪める不知火の姿があった。
「またテメェと会うとはなクソガキ」
「……なんで……あんたは、確かにあの時雪乃が……」
「ハッ!! テメェらは随分と甘ちゃんのようだな。風祭のババアもそうだったらしいがあの和服どもは止めを刺さずに俺様たちを封印しやがった」
「……封印?」
「なんだ? テメェには俺様が消滅したように見えたかよ」
「……」
雪乃が不知火にトドメを刺した後、桜は一つの違和感を感じていた。
この【幻理領域】では死ぬと言葉通り消滅する。
そう、屍体というものが残らないのだ。
雪乃の氷が不知火を覆った後、氷の中で不知火はその姿を保っていた。つまり、あの時雪乃はトドメといいながらもトドメを刺していなかったのだ。
「たくよー。あの和服野郎も次に会ったらただじゃおかねー。テメェもだクソガキ」
「……そう。良かった」
「あぁん?」
不知火の憎しみが込められたセリフを聞いて桜はふと笑みをこぼした。そんな桜に不知火は妙なものを見ているかのような視線を送るとすぐに憎しみの度合いを濃くした。
(そっか。雪乃は裏切り者って訳じゃなかったんだ)
不知火のあの言葉には本物の殺意があった。つまり、雪乃と不知火の間にそういう繋がりは無かったということだ。
もしかすると雪乃は不知火をわざと生かしたのかもしれないと疑ってしまった桜だが、その疑いが晴れて心から安堵していた。
(まったく。仲間を疑っちゃうなんて、あたしもまだまだだなー)
桜はふと自虐的な笑みを浮かべると、千針桜の本体が刃鞘から抜けないようしているストッパーに手を掛けた。
ストッパーを外した桜はクルリと刀を回転させると床に刀を深く突き刺した。船を傷付けるための行動ではない。ただ、深く突き立てることで刃鞘を固定しただけだ。
「聞いたよ。あんた、不知火の者なんだってね」
ホテルに戻った後に聞いたことを話しながら桜は刃を地面と垂直に上げていく。
ストッパーは外れている。そのため、柄と直接繋がっている本来の刃だけがスルスルと刃鞘の中からその姿を露わにしていた。
「改めて名乗るね。あたしは桜。【天宮】の次女。天宮流桜花剣術、免許皆伝者、天宮桜だよ」
「……天宮……そうか、テメェ天宮の娘だったか」
天宮の名前を聞くと同時に不知火の目の色が変わった。込められている感情は憎しみ。しかし、さっきまでの憎しみとはわけが違う、濃く、重く、濃密な憎しみを宿していた。
【十六の光】
今となっては過去の話だが、【天宮】と【不知火】は競い合っていた。そして一年前のあの日。突如起きた戦いによって両家の間にあった溝はより深く強いものになっていた。
【十六の光】としての関係性は始神家を除く十二の光の者たちは知らない。しかし、【天宮】と【不知火】の間にあったことだけは例外だった。
同じ火を使う【記号持ち】同士、ライバル意識を持つのはある意味当然だった。
「テメェら【天宮】がいたせいで俺様たちは居場所を失ったんだ。許さねぇ、許さねえぞっ!!」
「うるさいっ! あんたたちが悪いんでしょっ!」
二人は同時に走り出す。不知火の手には既に二刀一対の『血塗れの双牙』が握られていた。
「おらっ!」
同時に同じ方向から剣を振るうことはしない。せっかく相手は剣一本でこちらは二本あるのだ。
勢いが分散してしまうため多少一撃の威力が落ちてしまうとしても、二刀を別々に振るい、一刀では防げないような角度から斬り込む。
桜の持つ剣がただの剣であれば桜は避けることを強制されてしまい、上手く攻撃に移ることは出来なくなっていただろう。
しかし、桜が持つのは千針桜。
たくさんの針が連なったような刀身が別れ、刀身が湾曲する。
そうすることで別々の方向から同時に迫る不知火の刃を桜は千針桜一本で防ぎ切る。
「はっ!」
無論。ただ守るだけではない。
今の桜は【天宮】の名前を公言している。
それは即ち、今まで伏せていた【記号持ち】の力を解放しているということだ。
いつもの桜の戦闘能力はAランクだ。しかし、【記号持ち】としての力を解放した今の桜の力はSランクの真ん中ぐらいには相当している。
超人のS。千針桜は不知火の二振りの刃を受け止めている部分よりもさらに先端の部分が伸び、その先端は不知火の背中へと向かっていた。
「っ!?」
今まで、桜の剣では不知火を斬ることが出来なかった。【記号持ち】の力が解放されたからと言って、それが変わるわけではない。
そのため、不知火は背後から迫る桜の刃を無視しようとするが、頭の中に嫌な予感が過る。
不知火は生来生命が持っている危機探知信号から来るその予感を信じ、鍔迫り合いを止めその場から下がった。
「……テメェ。何をしやがった」
「さあ? なんのこと?」
不知火は桜に鋭い視線を送っていた。反対に桜の表情は嬉しそう視線を送っている。その視線の先にあるのは不知火の背中。
浅くだが、確かに存在している斬り傷があった。
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