8ー40 偽物
「……雪、乃……?」
氷の中から現れた黄色の和装を纏った少女。
雪乃は振り向くとニカっと微笑んで視線を前に戻す。
「なんだ。テメェは」
「あたしは雪乃。覚えなくていいよ? どうせあんた消えちゃうし」
「ハッ! クソガキが吠えてんじゃねえよ!」
(まただ!)
瞬きの一瞬の暗黒を利用した赤髪の超高速移動。桜の目には目を開けると同時に赤髪が一気に移動したようにしか見えない。
見た時にはすでに赤髪は無防備にしている雪乃の正面で『血塗れの双牙』を振り上げていた。
「危ない!」
「だーいじょーぶいっ!」
「え?」
思わず叫ぶ桜への返事は横から聞こえた。それも、雪乃の声で。
雪乃は今正面にいたはずだ。それなのに横から雪乃の声が聞こえるはずがない。
桜は驚きながら視線を横にズラす。
「やほー」
「……え」
そこにいるのは笑顔で手を振っている雪乃のだった。
(それじゃ、向こうにいるのは……)
横にいるのが本物の雪乃だとすると正面にいる雪乃はいったいなんなんだろう。
桜が視線を正面に戻すと桜は絶句した。
「消えやがった!?」
そこに雪乃はいなかった。
それが意味することは、両方本物。
「な、何したの?」
「何もしてないよ? ただこう、ちょっと歩いただけ」
雪乃はそう言うと小悪魔的な、悪戯っ子的な笑みを浮かべた。
「さてと。桜はちょっと休んでで。ここからは復活したあたしたちの仕事だよ」
「復活? なんのこと?」
「んー。知ってる? トップが勢いに乗ると部下たちも勢いが良くなる」
「トップって……あ、ゆっちのこと?」
「んー。半分あたりで半分不正解だね。……おっとこれ以上の無駄話は後でかな」
雪乃の言葉を最後に視線を戻す二人。そこにいるのは憤怒を露わにしている赤髪だった。
「テメェ。ふざけやがって」
「ふざける? あたしはちょこっと後ろに下がっただけだよ? 別にあんた遅いねなんて言ってないじゃん」
赤髪は答えずに無言のままその場から消える。
今回は雪乃の瞬きだけに合わせていたため桜はそれを見た。
(あれって火速!?)
赤髪の超高速移動。それの正体は火をジェットのようにして加速する術である『火速』だった。
(でも、火速なら音があるはずなのに……)
瞬きの間を狙うのは刹那の隙をつくため、そして火速による火の残像を見せないようにするためなのはわかった。
しかし、火速とはつまり小さな爆発を起こしてその勢いで高速移動するということなのだ。
つまり、火速には爆発音が伴う。これは火速を使っている桜は良く知っている常識だ。
「ふーん。新式? 消音火速ってやつ?」
「!」
正直桜は心配していなかった。
さっきの雪乃を見た瞬間に、そして言葉を聞いた時に、感じた。
今の雪乃は前とは別人……いや、別次元の存在なのだと。
「新式まで揃えてるとなると後ろにいるのは新真理とか抑止力たちとか、あーそっか。神様っていう可能性もあるかな?」
雪乃は人差し指を口元に当てると悪戯気に笑みを浮かべた。
「まっ。どうでもいいや。プロローグの終わりまで後少しぐらいになったし、多少のイレギュラーはあたしたちでどうにかしなきゃだよね」
「……テメェ、さっきから何をほざいていやがる」
赤髪には少しだけど、しかし確かに動揺が見られた。桜はそれが意味不明な話を始めた雪乃への動揺だと結論付けた桜は痛む身体に鞭打って立ち上がる。
「ん? なんの話って決まってんじゃん。
計画外の奴に加減はしないってこと。
開け『白天界への門』」
その瞬間、雪乃を中心にして激しく幻力が溢れ出した。
それは前に桜が感じた麒麟のようなマスターランクから発せられるそれよりも濃密で、純粋で、多い。
ありとあらゆる面で超えているその力に桜は安堵すると同時に疑問顔を浮かべた。
しかし、すぐに自己解決させ雪乃を手伝うべく愛刀を構える。
雪乃はそんな愛刀に優しく手を置いて止めていた。
「いいよ。桜は休みなって。バカ主の友達でしょ? なら桜を守ることも立派な役割りなわけですよ」
驚いている桜にニカっとした笑みを見せた雪乃顔を前に戻すと同時に先の笑顔が嘘だったのではないかと思うくらいに冷たく、鋭く、冷血と言われても仕方がないような目をして片腕を天に向ける。
空が何かに覆われていっていた。
(あれは、雲? ……というより、雨雲?)
「『雨』の月を見せてあげるよ」
空に浮かぶ雲の大きさがある程度大きくなったのを視界の端で確認した後、雪乃は腕を振り下ろす。
空に浮かぶ雲から何かが溢れ出し、それらは全て一直線に赤髪に向かっていく。
「なにっ!?」
雲から地に注がれる線状の何かとはそれしかない。
そう『雨』だ。
しかし雪乃とは誰だ?
六花衆と呼ばれる幹部の一人。
六花とは、雪の別名だ。
雪とは冷気と言い換えても良い。
そして、冷気とはつまり、
「氷の雨に打たれて消えちゃいな」
君は雨の日に全ての雨を避けることが出来るだろうか?
不可能だ。
どのような超人だろうとそれは出来ない。
それはこちらでも、赤髪でも同じだった。
時間にすれば一分にも満たない。それほど短い間の通り雨が過ぎていき、そこあるのは
「……ぐっ……ぞぉ……」
全身に氷の針が突き刺さり、今すぐにでも消えてしまいそうなほどの瀕死に陥って地に伏している赤髪だった。
「あれ? まだ消えてないの? んー。加減的には合ってたと思うし、想像よりも君強かった? ……でもそんなわけないしなー」
あれだけ強かった赤髪を瀕死にしてるにもかかわらず不満気な顔でブツブツとつぶやいている雪乃に苦笑した桜はチラリと赤髪を見る。
「あっ。そっか」
桜が雪乃に視線を戻すと雪乃は納得しように両方を叩く。
すると途端に納得顔から残念そうに項垂れていた。
雪乃の百面相ちょっと面白いと思ったとはここだけだ。
「なるほどねー。割合は合ってるのにダメってことは、大元の数値が想定よりも低いってことかー。うわー、ちょっと色々心配になってきたんだけど……」
「……雪乃?」
「……へ?」
瀕死とは言え敵の目の前で隙だらけになっている雪乃に桜が呆れ顔で声を掛けると雪乃はなんとも情けない、後々恥ずかしくなるだろうなと簡単に予測できる声を漏らしていた。
「敵の前だよ? 確かに雪乃の実力はすんごいけど、油断大敵だよ?」
「あー。う、うん。そだね」
ほら、やっぱり。
さっきの自分の返事を思い出してやや顔を赤くしている雪乃は頬をポリポリとかくと倒れている赤髪に視界を戻した。
「さて、とーどめっと」
「……え?」
雪乃は迷うことなく、手を赤髪に向けると躊躇なく式を起動する。
「ちょっ! 雪乃のストッーー」
「『氷結』」
法具に意思を込めた幻力を注ぎ、法具に刻まれたいる式のパーツを呼び出す。それを法具外で組み合わせることによって幻操術を発動するための幻操陣を作り出す。
そして、そうして作り出された幻操陣に規定量の幻力を注ぐことによってやっと一つの幻操術は発動する。
幻操術とは発動までにこれだけのプロセスがあるのだ。
しかしただ静止の声を発そうとした桜よりも雪乃のそれは速かった。
桜の言葉が言い終わる前に発動した『氷結』の幻操術は地に伏して無抵抗になっている赤髪を覆った。
それは元から氷で作られた像だと言われてしまってはそうなのだと思ってしまうほどの完成度。
中にいる男に色はあるものの、それが『氷結』によるものだとは思わないぐらいの完成度だった。
そして何より、凍り始めと凍り終わりがわからないという圧倒的なスピード。
瞬きをしている一瞬の暗闇でなにやをやる赤髪とは桁が違う。
瞬きなんてしていない、にもかかわらずわからない。それほどのスピード。
一体どれだけの冷気を発生させたのだろうか。桜は理科とか科学だとか、そういうのは苦手、と言うより、ぶっちゃけ頭を使うのが苦手なため想像も出来ないが、それでも規格外なことであることは本能的にわかった。
「そんな……」
「あれ? なんで桜ショックそうにしてんの?」
「……だって、わかってる? 今したそれって、人殺しだよ?」
赤髪は人型イーターなどではない。
正真正銘、人間だ。
たしかに、この世界で人を殺してもそれはあくまで心の死。
さらに言えば、幻操師としての死だ。
たしかに【物理世界】では生きているだろう。
しかし、それは【幻理世界】での記憶を完全に失った存在だ。
ここにいるその人物の物語を終わらせてしまったということに変わりはないのだ。
「ふーん。それで?」
「……え?」
「だーかーらー。雑草を刈ったところで無問題でしょ?」
思いもよらなかった冷たい言葉。
顔を見ればわかる。冗談なんかではなく、本気でそう思っているのだと。
ああ、そうか。そうなんだ。と桜は気付く。
これが六花衆という存在なんだ。
幻操師の強さとはただ腕っ節が強ければいいだけじゃない。
幻操師の力の源は心。
心の力。つまり、覚悟だ。
彼女たちと自分たちの間にある大きな力の差。その理由。それが、覚悟の差なんだ。
深い絶望から立ち直った時。前とは別格の覚悟を手に入れることが出来る。
彼女たちはきっと今の力を得るために多くの絶望を経験してきたのだろう。
そして、絶望していく中で一部が壊れてしまったのかもしれない。
欠陥品。
人としての欠陥品。
感情の欠陥。
その名前の通り美しく、そしてなによりも冷たい心。
これが本当の彼女たちなんだ。
いつもの彼女たちは本当じゃない。
偽物なんだ。
「ほらほら。そんなところに突っ立ってないで桜はホテルに戻んなって」
「け、けど……」
「その怪我じゃ無理だって。それに各戦線ならもう大丈夫だから」
「……へ?」
「すでに他のみんなも到着したみたいだし」
「他のみんな?」
「そっ。現在進行形で続々と集まってるよ」
そう言って雪乃は桜に背中を見せると一つの術を起動する。
「あたしたち。天使がさ」
背中から純白の翼を生やした雪乃はそう言い残すと翼をはためかせて跳躍する。そしてそのままどこかに向かって飛んで行った。




