8ー39 ーーはーーーーー
「……誰?」
突然現れた彼女のことで痛みを一時的に忘れている麒麟は唖然とした表情でつぶやいた。
「にゃ? にゃにゃ(私)はにゃにゃ(私)だにゃ」
「そ、そういうわけじゃなくて……」
「にゃ? ……話は後にゃ」
白和装の彼女は目を細めると手のひらを胸の前で上にした。
「!」
その瞬間。麒麟は信じられないものを感じた。
(な、なに、これ……この幻力量……ありえない……)
幻操師が一度の発動で出せる幻力の顕在幻力量はその身にある使用可能幻力量よりもはるかに少ない。
例えば、一○○の使用可能幻力量と一○の顕在幻力量の幻操師がいるとしよう。
この場合一○○の使用可能幻力量では顕在幻力量のマックス一○回分あることになる。
つまり、この幻操は一○回なら全力の攻撃が出来るということだ。
この例でもそうだがどれだけ修行しても、マスタークラスの幻操師たちでさえ、使用可能幻力量は顕在幻力量の五倍以上になる。
それは麒麟も同じだった。
麒麟の倍率は約七倍。
しかし、麒麟がその時感じた幻力は自身の使用可能幻力量を遥かに超えた量だった。
「君は……一体……」
「にゃにゃ(私)の名前は小雪にゃ」
「小雪?」
「にゃ。さっきも言ったけど、話は後にゃ」
小雪はチラリと背後の麒麟に視線をやるものの周囲への注意は怠らない。
「にゃぁ。この感じ。久しぶりな感じだにゃー。まるで一年前のようだにゃー」
懐かしむような、興奮しているかのような、嬉しいそうにしている小雪は両手のひらに幻力を集めるとそれを胸の前で合わせる。
「主様の真似っ子だにゃ」
結がジャンクションを発動する時のように合掌をした小雪は無邪気に笑うと術を発動する。
『チェンジ』
小雪の纏う雰囲気が塗り変わっていく。
無邪気な小雪から、知的なそれへと塗り変わる。
己に彼女を上書きしていく。
「みゃて。ちゃっちゃっと終わらせるみゃぁ」
鋭い雰囲気を纏った砂雪は合掌をやめると右手に幻力を集める。
その量は再び麒麟の使用可能幻力量を遥かに超えるものだった。
砂雪は片足を軸にしてその場でターンを一回。同時に幻力を集めていた腕を三六○度に振るった。
姉妹や兄弟だからと言って持っている固有能力が同系統になるとは限らない。
確かに、肉親ならば属性系統は同じになりやすいことは事実だ。しかし、それと能力は別物。
むしろ年齢が近ければ近いほど性質系統は違くなる確率が上がっていくことがわかっている。
そして、双子となればそれは特に強くなり、触れた物を強化する小雪『強化雪』と違い、砂雪の雪は正反対の性質を持っていた。
「『弱化ノ雪』」
その性質はわざわざ説明するまでもないのだが、その名の通り、触れた物を弱体化させる。それだけだ。
振るった腕を延長する形で線状の吹雪がぐるりと回った。
言葉にすればそれだけ、風景としても単純なこと。
しかし、効果は凄まじかった。
「みゃみゃ(私)の雪は『弱化ノ雪』少しでも触れれば、己の体を支えられぬほどに、己の力に耐えられなくなるほどに弱体化させるのみゃ。
つ、ま、に、みゃ。これに触れた敵は自身の力によって内部から崩壊するみゃ」
砂雪が指を鳴らすと同時に周囲に集まっていた人型モドキたちが全員内部から弾けた。
「殲滅完了みゃ」
「確か美雪ちゃ……ううん、美雪さんだよね」
目の前に降り立った和装の少女は振り返り静かに微笑むと何も言わずに前を見た。
「あなたは確か……」
「あら? 私のことを知っているのですか? ……あぁ、なるほど。どこかで見覚えのある顔だと思っていたのですが、風祭のおばさまではありませんか」
「誰がおばさまざますっ!」
「ふふ。鏡を見た方が良いですよ? 例え昔は絶世の美女だったとしても所詮は過去のこと。
過去の栄光に縋るほど見ていて哀れに思うものはありません」
「こ、この小娘っ!!」
「美雪さん!?」
わざと挑発するようなことを言う美雪にアイリスは焦っていた。
そして挑発に乗った風祭がさっきのさらに倍以上の弾数を放ってきたことでアイリスは青ざめていた。
(ちょっ! これはさすがにまずいよ!?)
「慌てる必要はありませんよ」
「へ?」
アイリスの心を読んだかのようなタイミングで美雪はつぶやく。
思わず驚くアイリスだが気配でわかる。圧倒的な量の弾が己たちに向かって飛んできているということに。
パシン。
それは美雪が指で鳴らした音だった。
その瞬間アイリスの顔は焦りから驚きへと変わる。
姿の見えない風斬弾。
それが今では氷の刃となって空中で静止している。
氷の表面を光が反射していてそれはとても幻想的で、綺麗だった。
(あの量でも問題なし……か……。あはは、笑うことしかできないよ)
あれだけの連射をした風祭の実力もそうだが、アイリスはその全てを一瞬で凍らせた美雪の技量に驚くを通り越して呆れていた。
(……でも、あれ? 前に音無君と戦っていた時よりも、だいぶ強い?)
「風祭。あなた方が考えていることは大方予想がつきました。それを知った上で一つ忠告しておきます」
美人ほど怒った時の顔が怖いと言うが、今の美雪はまさにそれだった。
実際には見えないのだが、般若を思わせるオーラを纏い、冷たく鋭い瞳をして美雪は言葉を紡ぐ。
「シナリオ変更なんて許しません。その時は女王が、ーー様が直接出向くと思ってください」
ーー様?
確かに聞こえたその名前にアイリスは首を傾げた。
アイリスは美雪たちは昔結に助けられてその恩を返すために結を主人として忠誠を誓っていると聞いていた。
しかし、女王とはなんだろうか。
少なくとも結のことではないだろう。正真正銘、結は男だし(『幻体接続』の時は例外だが)、何よりも結の名前はーーではない。
アイリスは六花衆という名称は知らないが、四人のグループのリーダーはおそらく美雪なのだろうと思っていた。事実、それはおおよそ正しい。
(女王って……ーーって一体、誰?)
「なっ!」
「……えっ?」
思考の渦にハマっていたアイリスの背後に誰かが現れた。その瞬間、風祭は驚くように、焦るように声を漏らした。
トン。
首に何かが当たった。
(あれ? なにこれ、ねむ……く……)
アイリスは自身の身に起きた異常に気付いた。しかし時はすでに遅く、クラクラと意識が薄れ始めていた。
「あら? 思っていたよりも早かったですね? ……あぁ、そういえば力が戻りましたね。それを計算に入れてませんでした」
すでに視界はほとんどなくなっている。だけど、最後に美雪の驚いているかのような、そして納得したかのような声が聞こえた。
「……はい。少し問題がありましたがどうにか」
「ふふ。その格好でその声はまずいのではありませんか? あなたがいるということはもういるのでしょう?」
「……いえ。まだ少し掛かりそうですね。目覚めたばかりで不安定なようだったので今はーがついています」
「……なるほど。わかりました」
「……あぁ。そういえば、彼女がいましたよ? 私は当分話せなくなると思うので、ありがとう助かりましたっと伝言をお願いします」
「……わかりました。さて、そろそろあなたはキャラを直した方が良いのではありませんか?」
「……そーだっねぇー」
美雪はーーから気絶しているアイリスを受け取ると冷たい目で風祭を見た。
「くすっ。凍りなさい」
「!」
拒否は許さない。
回避も許さない。
防御さえも許しはしない。
言葉を話すことさえ、許さない。
「…………」
そこにあるのは大きな氷の塊だった。




