8ー36 風を指揮する宝石
「一体。どこに行こうとしてるざます?」
突如降り注いだ言葉に二人はハッとする。
声がしたのはたった今歩き出そうとした方向の逆。ボロボロになっているホテルの二階部分。割れた窓ガラスの前にそれは立っていた。
良く香水を使い始めたばかりの若者がより香水の良い匂いを纏おうと無駄に多量の香水を付けようとするが、そんなことをしては逆に嫌な匂いに変えてしまうだけだ。
つまり、何事にも適度というものがある。
一つ一つ見ているだけなら美しい輝きを宿している宝石でも彼女がつけている量は度が過ぎていた。
それは見るものにわかりやすく不快感を与えていた。
「えーと、あなたは……」
「ホホホ。自己紹介が遅れたざますね。私の名は風祭。まあ、すぐになにもわからなくなると思うざますが」
「!」
風祭に動きは見えない。しかしアイリスは何かを感じ取り咄嗟に真冬を突き飛ばし、己もその場から立ち去る。
「ホホホ。勘にしては良いざます」
「……え?」
突然のことに真冬は困惑の表情を見せた。しかし、さっきまで自分たちがいた場所の地面を見て顔を蒼白させる。
そこには大きな亀裂が走っていた。まるで地割れでも起きたかのようにパックリとしていた。
アイリスは真剣な目で割れた地面と風祭を交互に見た。
一見、土属性を使った地割れを起こす術のようにも見えるが、アイリスは違うと感じ取っていた。
それは土属性と風属性を併用し、砂を自在に操る【宮地】のものだからくる感覚なのか、それとも強者独特の能力なのかそれはわからない。
アイリスとて全てを感じ取ったわけではない。
はっきりと感じ取ったのは今の瞬間、あの女から何かが放たれたということだった。
剣操師の中には斬撃を飛ばすという、【物理世界】では到底あり得ない荒技を披露する者がいるらしいが、これもそういった類なのだろうか。
しかしすぐに否定する。
純粋な剣術による飛ぶ斬撃の原理は野球でバットがボールを打つように、刃によって空気を打つことで飛ばしているのだ。
刃は鋭利なため飛ばす空気もまた薄くなる。そのため飛ばされた空気に切れ味が生まれるのだ。
剣術による飛ぶ斬撃の原理はたしかこんな感じだったはずだ。
中にはそれを手刀でやるような超人がいるらしいがそんな超人は最早都市伝説レベルだ。
風祭は手に何も持っていない。ならば先の原理による飛ぶ斬撃などではない。
あまりにも綺麗に切れている地面、可能性は幾つかあるがそれが見えなかったことと、地面が一切濡れたりしていないのを見てアイリスは答えを導き出した。
「カマイタチ……」
「ホホホ。小娘にしてはなかなかの洞察力ざます。ですが、それがわかったところでどうにかなるものではないざます」
ぼそりとつぶやいたアイリスの言葉に風祭は一瞬感心するように頬を緩めるものの、その目は冷たいままだった。
風祭と目が合った瞬間にアイリスは反射的にその場から飛び上がった。
飛び上がるのとほぼ同時に今度は地面に三つの亀裂が走る。
(連射も出来るってことだねーっと)
飛ばされているであろう風の刃は目視が出来ず、速力も素晴らしい、さらには連射可能らしいということにアイリスは思わず顔を顰めた。
「ホホホ、甘いざます」
「!」
風祭の瞳が冷たく輝いた。
その瞬間アイリスは空中で身体を小さくし、胸の前で腕を交差する。
直後、アイリスは何かに吹き飛ばされるようにして地面に墜落した。
「アイリスちゃんっ!!」
墜落の衝撃で土煙が舞い上がり、アイリスの姿を目視することは叶わない。しかし、今のはどこからどう見ても回避不可の空中で攻撃を喰らっているように見えた。
切れ味のほどは地面を見れば一目瞭然。
固く踏み固められている地面をまるでクッキーを割るかの如く二つに分けているのだ。人にそれを直撃すればどうなるのかは容易に想像出来る。
だからこそ真冬は冷静になれていた。
(吹き飛ばされたということは防御したってことですぅ! 真冬はするべきことをするですぅ!)
真冬は表情を引き締めると片腕を風祭へと向け術を起動する。
起動した術は『氷弾』。氷属性の中でも最もシンプルかつポピュラーな攻撃方法だ。
『風』つまり『空気』とは違い『氷』は容易に目視が出来る。
しかも、真冬は腕を直接相手に向けることで標準を決めているため相手からすればどこが狙われているよかが容易にわかる。
身を守る手段として二種類ある。
一つはガード、もう一つは回避だ。
強者ほどこの内後者をできるだけ選択するようになる。しかし、相手の攻撃が完全に見えているのであればなおさらそれを見切り、ギリギリで躱す。
そして真冬の狙い通りに風祭は氷弾を避けた。
風祭が強いなんて一見すればわかる。そして、強者ほどそういう傾向があることも知っている。
ならば逆にわざと見えるように、最適な躱し方がわかりやすいように撃つ。
そうすることによって真冬は風祭の動きを制御していた。
真冬があげたのは片腕だ。
もう一歩の手は地面へと向けていた。
設置型の幻操術。通称『罠型幻操』。
真冬に動きを制御された風祭は氷弾を躱すために僅か半歩横にズレる。
それだけでよかった。
「っ!!」
風祭が目を丸くして驚くもののもう遅い。地面の下に描いた幻操陣の中心に足を入れたことで術が起動する。
起動した術の名前は『六花氷牢』。
陣の外円部分から六つの氷柱が伸びる。それは風祭の身長をやや超えた時点で直角に曲がり、中心部分で六つの柱が連結される。
上から見るとまるで氷の結晶のように見えるそれは、真冬が風祭を捕まえるために仕込んだ氷製の牢屋だった。
「くっ」
まんまと嵌められた風祭は悔しそうに顔を歪める。
しかしすぐに怒りの表情を見せるとさっきまでは無の構えで放っていた『鎌鼬』を手掌で放った。
「この程度で図に乗るなざます!」
構えもなく放っていた『鎌鼬』よりもはるかに威力が上がっているらしく、通常の『氷牢』の数倍の強度を持つ『六花氷牢』が数発の『鎌鼬』によって断ち切られてしまっていた。
「鉄槌ざます!」
『六花氷牢』が砕け散り、解放された風祭は術の連続使用によって疲れを見せる真冬に腕を向けた。
その瞬間、風祭の背後に迫る影が一つ。
「あたしを忘れてないかいっ!!」
怒りのせいで真冬の方ばかりに意識を向けていた風祭は背後から迫るアイリスに気付くのが遅れた。
それは振り向く時間を風祭が奪い、ガラ空きになっている背中に固く握られたアイリスの拳が突き刺さった。
次回は2月9日です。




