8ー27 つまりは親心?
「……かあ……さま……」
眠りながら涙を流すアリスの頭をひと撫でした後、桜は愛刀をしまった袋を手に取って立ち上がった。
「そんじゃ。行ってきますかっ」
「桜……」
「あたしも行くなんて言わないでよ? アタッカーがいれば勝てるってわけじゃないのが戦い。たとえ戦いには勝っても被害が大きければそれは負けと同じ。だから、アイリスはディフェンスね」
「……わかった」
アイリスが目立ちなくないのは知っている。
アタッカーとして前線に立つよりもディフェンスとして後衛にいた方がよっぽど目立たなくて済むはずだ。
それに、だからと言って力あるものの責任から逃げるのかと問われればそれも違う。
詭弁ではない。ディフェンス、守りが必要なのは本当だ。
このホテルにはただ六芒戦を見に来てくれた人たちもいる。
中には低ランクの生徒だった大勢だ。一度目の襲撃の際に選抜メンバーと観客を含めて全員がこのホテルに避難している。それから然程時間が経っていないため、おそらく今もホテル内にいるだろう。
「じゃ。行ってくるね」
「……うん。よろしく」
桜は保健室かっこ仮のある地下から地上へと向かった。
一階のロビーには桜と同じような考えがあるのか、複数の生徒、そしと教師たちもいた。
「あっ。桜ちゃんですぅ」
「真冬ちゃんっ」
そんな生徒たちの中に見えたのは白ウサギを連想させる少女こと、日向真冬だった。
「……あれ? ねえ真冬ちゃん? 楓と陽菜のこと見かけなかった?」
「いいえ? 生徒を避難させるのを手伝ってくれた時はいましたけど、その後は知らないですぅ」
「……ふーん」
真冬と一緒に生徒たちの避難を先導してくれていた楓と陽菜もロビーのどこかにいると思ったのだが、軽く見回して見ても姿はやはり見えなかった。
「皆の衆。よく集まってくれたね」
若干騒がしくなっているロビーに響いたその声は特別大きな声ではなかった。
しかし、そこにいる誰一人その声を聞き逃さなかった。
集まった各校の生徒たちは、いや各校の教師たちも一人も違わずにその声の発信源に自然と顔を向け、ロビーに静かな時間が流れた。
(生きる伝説。最高の幻操師であり、あたしたちのガーデンのマスター。夜月賢一)
現れたのは【F•G】のマスター。その隣には【S•G】のマスター、渡辺織斗が立っていた。
「あっ、スケ先だ」
(スケ先?)
そんな誰かのつぶやきに、桜は首をかしげた。声の元を見てみればその生徒が着ているのは【S•G】の制服。つまり、スケ先とは彼らのマスターである織斗のことではないだろうか。
(スケってもしかしてスケルトンの略かな? ……いや、たしかに細くて無駄に肉が一切無いように見えるけど、だからスケルトンって……)
そのあだ名をつけたであろう人のネーミングセンスに苦笑いを浮かべながら、桜は突然現れた賢一と織斗の意図を考えた。
(いやまあ、普通に考えて第二波に向けてなんだろうけど……)
一回目の襲撃の時だって後半はマスターたちも参戦していたようだったし、二回目なら最初から参加する可能性はたしかに考えられる。
しかし、桜は一つ疑問に思った。
(……スケ先って、どんな人?)
各校のマスターについてはある程度知っている。というより、ガーデンの授業で教わる。
賢一が『ホームズ』と呼ばれ、【S•G】と【F•G】のマスターがそれぞれ『ワトソン』と『モリアーティ』と呼ばれているのは知っている。しかし、桜は知らない。確か名前は渡辺織斗だったと思う。けど、名前意外の知識が無い。
さらに言えば、一体スケ先はいつ【S•G】のマスターになったのだろうか。
マスターとは、その【幻理領域】を一つの空間として保持するための楔のようなものだ。
たしかに、マスターが死んでしまったからと言ってすぐにその【幻理領域】が消え去るわけではない。
誰か別の幻操師がマスターの座を引き継ぎ、新たな楔として存在すれば良い。
しかし、その時は他のガーデンにもそのことを伝えるのが普通だ。
それが【S•G】のこと、【F•G】の兄弟校のことであれば尚更だ。
ガーデンに伝えるということはつまりそれを生徒たちにも伝えるということ。だけど、知らない。知らないものは知らないのだ。
「誰かに命じられたわけではないだろう。しかし、君たちは今こうしてここに集まってくれている。先の襲撃の際にも先導して生徒たちを避難させてくれた生徒がいたとも聞いている。私は君たちはここまで立派に成長してくれていることを心から嬉しく思うよ」
そう言って微笑みを深くする賢一に生徒たちは照れているようだった。
「しかし」
そう続けた賢一の言葉で緊張が走る。声色が明らかに変わったからだ。
穏やかな声から責めるような声に変わったからだ。
「中には避難せずにイーターに立ち向かった子たちもいるようだね」
賢一の言葉に動揺が生まれる。
まるで、今の言い方では立ち向かったことが悪いみたいではないか。
自分の命をかけてまで他の仲間たちを助けようとした。
そして実際一人の死者を出すことなくイーターの殲滅は終わった。
褒められることはあっても、否定される非難される筋合いはないはずだ。
「非難される筋合いはないと思ったかい?」
実際にそう思っていた生徒の何人かがハッとした。
まるで心を読まれているような、そんな錯覚に陥ってしまう。
ならば、この動揺も伝わってしまっているのではないだろうか?
そう思うと、急に怖くなる。
伝説級の幻操師が今、目の前で、自分に敵意を持っているかもしれない。
敵意とまでは言い過ぎかもしれないが、この動揺が、非難の非難が、逆らう心によって怒りをかってしまったかもしれない。
そう思った途端、全身が震え出した。
ふと、そんな生徒の一人と賢一の目が合った。
怒り。
賢一の目にあったのはそれだった。
その男子生徒の震えが止まった。それは恐怖が無くなったからではない。むしろ、逆と言うべきだろう。
彼は、恐怖に飲み込まれたのだ。
恐怖のあまり、震えることさえ出来なくなる。何も感じなくなる。心が潰れかける。
常時装備している微笑みを外している賢一と目があったのは不幸としか言えないだろう。
しかし、それが彼を変えるきっかけになったのは今はどうでもいい話だ。
賢一はその男子生徒の心が潰れかかっていることに気付く。
賢一は言葉にせず、口だけを動かした。
仕方ないね。
次の瞬間、賢一はいつもの装備を再び装着した。
その瞬間、目が合っていた男子生徒がその場に崩れ落ちた。
「やれやれ。怒っているのは本当なのだがね。どうも私は限度というものを知らないようだ。危うく一人の生徒の心を壊してしまうところだったよ」
ふふっと小さく笑った賢一は崩れ落ちた男子生徒へと近付いた。
「大丈夫かい?」
笑みを深め、差し出した手を彼は取った。
賢一に手を引いてもらい、立ち上がった彼が敬礼をするのを見ると、賢一は元の場所に戻った。
「さて、説教の続きといこうか。単刀直入にどうして私が怒っているのか教えよう。己の命を犠牲にして救える命などないからだ」
「な、なら俺たちはどうすれば良かったんですかっ!」
一人の男子生徒がそう叫ぶ。それがきっかけになったようで、あちらこちらから同じような声がこだました。
「逃げれば良かったのだ」
「そ、そんな! それで仲間を助けることが出来るんですか!」
「おっと。言い方を間違えてしまったかね。言い直そう。守っていればよかったんだ」
「だから俺たちは守りました! 仲間を守るためにイーターに立ち向かいました!」
「何故攻める必要があったんだい?」
「それは……」
「今、このガーデンには六人のマスターがいる。それはわかっているだろう? 勝算の分からない戦いをするよりも、何故皆で守りに徹さなかったのかと怒っているんだ。マスターの誰かが来るのを待たなかったんだい?」
「それは……」
「力あるものの責任。それは敵を倒すことではない。その力によって、弱き者たちを守ることだ」
「戦いでは攻撃と防御に一○○の力を分けて戦う。たとえ相手が格上だとしても敵は半分で五○の攻撃力があるとしても、全体値が劣るとしても全てを防御に注げばそれは六○にも、七○にもなるかもしれない。君たちは一つ覚えておきなさい。
我々マスターとは緊急事態のためにいるのだ。緊急事態の時は必ず助けに行こう。だから君たちは遠慮なく我々に守られればいいのだ。ふふ、守備連鎖とでも言おうか」
賢一の言葉に反論していた生徒たちは静かになっていた。
「……つまり、賢一様が言いたいことは、君たちはたしかに強者かもしれない。しかし、それはあくまでここでの話だ。この世界には君たちよりも強い者が大勢いる。そして、マスターもそうだ。ガーデンにいる時は遠慮なくマスターの力に頼れ。一人で、チームだけで頑張ろうとするな。その時は今ではない、未来だ。……つまりこういうことだ」
なんだか長々と話す気とようだったのだが、織斗は途中で場の空気がおかしいことに気付くと、いろいろすっとばして話を終わらせていた。
頼れる人には頼っちゃえ。けど、自分の努力も忘れるべからず。
……次の更新は16日です。




