8ー23 不覚ですわ
煙が晴れて行き、そこに映ったのは、
「そ、そんなですぅ」
それを見た真冬は瞳を揺らし、いつもは雪のように綺麗な真っ白な顔を青くし、絶望を映していた。それは真冬だけではない、爆発音につられ、正面玄関へと視線を向けていた他の生徒たちも表情に絶望を見せていた。
「真冬。Bランク以下の生徒の避難を頼んでい?」
「えっ? さ、桜ちゃんはどうするですぅ!?」
「あたしはこいつの相手しなくちゃ」
「そ、そんなのダメですぅ! 桜ちゃんは忘れたんですかぁ! 桜ちゃんは前にそれと同種に殺されかけちゃっているんですよぉっ!!」
真冬は心から叫んだ。
いつもならこんなことは言わない。いや、言えない。
あの時、桜はそのことをすごく気にしていた。心優しい真冬にとって、人のトラウマを不用意につつくことなんて出来ない。
しかし、状況が状況だった。
なんせ、今目の前にいるのは、
「人型イーターとは戦っちゃダメですぅっ!」
「真冬ちゃんっ!」
桜の叫びに真冬の口は一時止まる。
真冬はやっと桜の顔を見た。そしてハッとした。
桜の表情に、絶望なんてものは全く無かったのだ。
「あたしは大丈夫だから、みんなをお願い」
「わ、わかったですっ!」
桜の覚悟を見た真冬は人型イーターという一般生徒にとって、その人生で会うことはないであろう絶望そのものとも言える存在を目の当たりにし、真っ青の顔で放心しつつある生徒たちに呼び掛けて、避難の先導を初めていた。
「よし。あとはどうにか時間を稼がないとね」
「ふふ。桜、一人で良いカッコはさせませんことよ?」
「……アリス?」
一人前に出ていた桜の隣に並んだのはアリスだった。
その手には既に愛用の法具であるグローブがはめられている。
桜は遠回しに共闘をしようと言うアリスに小さくクスリと笑うと、両腕を軽く振るい、袖の中に隠し持っている短剣を左右一本ずつ、計二本を取り出した。
「そういえば、アリスと最初に共闘したのは麒麟様と戦った時だっけ?」
「そうですわね。あの時は互いに不覚を取ってしまいましたが、今回は勝ちますわよ」
「とうの、ぜんだねっ!!」
叫ぶと同時に桜は走り出した。
ルートを少し横にズラし、人型とアリスを繋ぐ直線上に入った桜は、片手を振るい短剣を投げる。
「爆ぜろっ! 『火速』」
投げた短剣の柄頭からジェットのように火が吹き出し、火速した短剣は人型イーターへと一直線に進む。
「グガガッ!」
人型イーターは拳を振るい裏拳によって向かい来る短剣を弾き飛ばした。
(どうやら前のよりはレベルが低いみたいだね)
形は完全に人型だ。
しかし、前に戦ったのと比べると対話も出来ないようだし、劣っているようだ。
それに、シルエットは確かに人と同じだが、顔は仮面をつけているかのような不自然なものだし、体もまるで昆虫を思わせるテカリがある。
「行きますわよっ!」
桜が前に出ていた出来ていた死角を使って飛び上がったアリスは天井に足をつけて蹴ると人型の真上から奇襲を仕掛ける。
「アリス! それ使って!」
「了解ですわ!」
アリスは空中で人型に弾かれた桜の短剣を掴むと、それを逆手で握り締め人型の甲殻のような皮膚に突き立てる。
「ちっ」
アリスの舌打ちが静かに響く。
その手に握り締められた短剣は先端が欠けてしまっていた。
「桜。申し訳ありませんわ。短剣を壊してしまいましたわ」
「いいよ。あいつ強度は凄いみたいだね」
人型の甲殻に弾かれた後、空中で一回転して桜の隣に着地したアリスは一言謝罪しながら桜に短剣を返した。
「どうするおつもりかしら?」
「そうだね」
アリスの問い掛けに桜は思案顔になると、はっと何かを思い付いたように顔をあげた。
「アリス、少しの間一人で時間稼げる?」
「……大丈夫ですわ」
気まずそうに問う桜に、アリスは固い表情をしながらもそう返した。
「短剣じゃ攻撃力が足りない。部屋に行けばあたしのメインウエポンがある」
「メインウエポン? なるほど、それはあくまで非常用のサブウエポンということですわね?」
「そう。あたしボックス持ってないからね。常に持ち歩くにはメインは大きいから」
「わかりましたわ。それを取ってくる時間、稼いでみせますわよ」
「ありがとう」
桜はちらりと真冬と共に生徒たちの先導している陽菜と楓に目を向けた。
(理由はわからないけど二人とも幻力がいつもよりだいぶ少ない。あの幻力じゃBランク……いや、下手すればCランク程度の実力しかないだろうし、援護は求められない。まあ、それを自覚してるからこそ二人とも真冬ちゃんを手伝ってくれてるんだろうけど)
生徒たちの避難を先導している真冬だがどうもうまく行ってないようだ。
腰を抜かしている生徒もいるようだし、あっちもあっちで手一杯だ。
(こりゃアリスの実力関係なしでやばいかも)
「お願いっ」
桜は自室へと走った。
「頼みましたわよ。桜」
視界の端で桜を見送ったアリスは視線を人型イーターに戻した。
「さて、今度は私が頑張る番ですわね」
アリスはうふふと笑うと両手をあげ、ボクシングでよく見るような構えを取った。
腰を丸めて体制を低くし、両腕の側面を重ねるようにして両拳で顎を隠すように構えた状態で走るアリスは一瞬で人型との間合いを○にすると同時に左拳を前に突き出す。
左拳によるジョブを連続で出しつつアリスは右を打つタイミングを計る。
アリスは左手のジョブを打ち、人型は両拳を交互に突き出していた。
(今ですわっ!)
突き出した左拳がとうとう人型に当たる。
鋭い風切り音を発しながら人型の中心に吸い込まれるように打たれたジョブは一瞬人型の時間を止めた。
その瞬間。保存されていたアリスの右拳が火を噴く。
比喩なんかじゃない。本物の業火を纏った右拳は左拳とは比較にならない程に鋭く、大きな音を立てて人型の中心へと叩き込まれる。
「グガッ!」
人型の声になっていない悲鳴が響く。
「まだですわよ」
人型の胸に突き出されているアリスの拳はまだ離れていない。
アリスが拳に力を込めるとその手に纏われていた業火が爆発となって拡散する。
「新技。『火操、火爆拳』ですわ。元々はお姉様との再戦時に披露するつもりだったのですが、特別披露して差し上げましたことよ」
手から伝わった確かな感触で勝ちを確信したアリスは煙を纏った人型に背を向け、ロビーを通り抜ける風によって舞い上がる黄金の髪を押さえていた。
「桜には悪いことをしてしまいましたわね。いえ、イーターは複数の筈ですし、どちらにせよ必要になりますわね」
アリスは桜が走っていた廊下に視線を向けて小さく呟いた。
どうやら他の生徒たちはやっと避難が終わったらしく、他に人影は見えなかった。
「!」
視界の端。何かが通った気がした。そう思った途端、脇腹に熱さが走る。
「くっ。一体なにが……」
感じた熱にアリスは反射的に手を当てた。
感じるのはさらなる熱、そして何やらネッチャリとした感触が指に伝わった。
「……えっ?」
あり得ない感触にアリスは手を目視した。そして、その目は大きく見開かれた。
アリスの手は赤い液体で染まっていた。
「……血……?」
それが自身の血だと認識すると同時に、熱は痛みへと変わった。
「ぐっ!」
あまりの痛みにアリスはひざをついた。脇腹から溢れる痛み、そして熱。それは今もその量を増している。
湧き水のように流れているそれを止めるべく、アリスは両手で傷口を押さえた。
押さえるということは傷口に触れるということだ。それはさらなる痛みをアリスにもたらした。
歯を強く食いしばりながらアリスは反射的に退けようとする手を抑え続ける。
これ以上は不味い。
地面につけた膝に伝わる暖かい液体。片膝でいることも辛くなり、片手を地面へと置く。ぴちゃりと液体が手の中で跳ねた。
「グガガ」
声にならない声。
腰を回すことは叶わない。アリスは首を限界まで回し、背後を見ようとするが、叶わず腰を回してしまう。
激痛が走った。
「ぐぅっ」
痛みに体制が崩れる。倒れないようにするものの足元が滑り地面に転がった。
倒れた衝撃で湧き水は勢いを増した。
血を流し過ぎたのだろう。
転ぶ時に運良く振り返る体制になっていたアリスは掠れていく視界の中、腰の辺りから妙な突起物が出ている人型を見た。
(倒せて……いなかっ……)
「グガガ」
ちゃんとした音になっていない声。
既にほとんど見えていない視界。
人型が腕を振り上げたのが見えた。
「……ごめんですわ」
作者苦悩中




