7ー44 言葉に出来ない感動の味
零の後を追ってからどれだけの時間が経っただろうか。
ずっと変わらない景色。
ここは結の精神世界だと言っていた。そうだとしたら、結の心はこの景色のように一面雪に覆われているのだろうか。
それは、とても悲しいことだ。
零の背中を追いながら、結自身、そんなことを考えていた。
俺の心は、真っ白なのか?
絶望し、一度感情を欠落させた身なのだ。みんなと触れ合うことで自分には再び感情と呼べるものが芽生えたと思っていた。
心は最初からあるのではない。
育て育むもの。
後に手に入れるもの。
ならば、たとえ一度それを失ったとしても取り戻せるはずなのだ。
大切と心から思えるほどの仲間がいれば。それは叶う。
そう、信じていた。
……だけど、この景色は変わらない。
一見、雪景色のようにも思えるがそれは真っ白だからそう思うだけなのかもしれない。
白紙。この世界はそう、どんな色にも染まっていない、何も感じていない。そんな、白紙の世界。
精神世界というのであれば、結の心を映しているのであれば、それは……。
「ここじゃ」
「……ここ? 別に何もないぞ?」
いつの間にか零は立ち止まり、振り返っていた。
言葉を掛けられ、思考の渦から戻ってきた結が辺りを見回すものの、そこには変わらない白が映るだけだった。
「そう案ずるでない。ほれ、あとたったの一歩ではないか」
「あと一歩? それで何かが変わるわけないだろ?」
「さて、それはどうじゃろうな」
「お、おいっ」
零に腕を引っ張られ、咄嗟に一歩踏み出した結が顔を上げると、そこに映るのは、
「……え? なんだ、これ?」
「ニハハッ。驚いたかの? そうじゃな、簡単に言うのであればこれが適切じゃろう。……ここは、ワシらの家じゃよ」
巨大な和風の屋敷。
目の前に堂々と建っているそれは少なくとも日本では滅多に見られるものではないであろう巨大で、立派なお屋敷だった。
実に数千人は余裕で済むことが出来るのではないかと思うほどの巨大さ。そこらの学校とは比べ物にならないほどに巨大な屋敷。
さっきまでこんなものは建っていなかったはずだ。
たったの一歩。それだけで映る景色が変わったのだ。今まで見たこともないほどの巨大で立派な屋敷が突如として現れたのだ。結は驚愕でいっぱいになっていた。
「なっ、お、おいっ! これはなんだ!? 零っ、説明し……ろ……?」
「ん? なんじゃお前様や。ワシの顔をそんなに見詰めて。ワシの顔に何かついておるかのぉ?」
「い、いや……。そうじゃ、ないが……えっ?」
結は視線を真横にズラし、零の顔を見ると絶句した。
零の言葉に結は明らかな動揺を含ませつつも返していた。
「ニハッ。やはりお前様は見ていて飽きないのぉ」
「れ、零? 一つ聞いていいか?」
「ん? なんじゃお前様?」
動揺している結に対して、零はニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべている。明らかに零のイタズラ心が大爆発しているようなのだが、それがわかった上でも動揺してしまう。
それだけの変化が零の身に起きていた。
「……その姿はなんだ?」
一言で言えば。
目の前から幼女が消えていた。
「ククク」
唖然とした表情でつぶやいた結にたまらずといった風に零は吹き出していた。
幼女が消えたというのは零の身体が消えたという意味ではもちろん違う。
察しの良い皆様ならわかると思うが、零の姿が成長していたのだ。
そう。二年前に会った零がそのまま二年成長したかのような可愛らしい少女の姿になっていたのだ。
「……ふぅ。よし、落ち着いたぞ。……さて、零。説明して貰おうか?」
「おー怖い怖い。そう怒るでないわお前様や。立ち話もアレじゃしの。とりあえずは中で話さぬか? 茶ぐらいであれば出せぬこともありゃせんぞ?」
そう言って零は目の前に聳え立つ屋敷を目で指した。
表面的には冷静になったものの
心の奥ではまだまだ動揺している。
頭の整理のためにもゆっくりしたかった結にとって、その提案は是非もないことだった。
屋敷の中に入って最初に思ったことは綺麗だった。
この世界に埃という概念があるのかは知らないが、隅々まで手入れされており、屋敷の前に広がっていた庭園も綺麗な花が咲き誇っていた。
「この屋敷は無駄と言っていいほどに大きくての。この第二邸でさえ【物理世界】にあるという東京ドームと同等の面積じゃからな」
「……デカすぎだろ……」
「ニハハ。【F•G】や【R•G】。【H•G】とやらも同じようなものじゃろう?」
「比べる対象がおかしいだろ」
「ククッ。それもそうじゃな。面積は東京ドームと同等なのじゃが、驚くべきことに体積ではそれを遥かに超えるのじゃよ」
「……なんか、ため息しか出ないんだが?」
確かに、正面から見ただけでも凄まじく大きく感じたのだ。入り口だけを見れば普通のお屋敷っぽいのだが、その後ろにどかんと巨大過ぎるお屋敷が付属されていたのだ。
……そもそも、人が暮らす場所が東京ドームと同等っていろいろ規格外。むしろ頭がおかしい。
「高さで言えば東京ドームを雑にいうなら約六○メートルに対して、ここはなんと一○○は超えておるからの。もはや屋敷というよりは別の何かじゃな。……おっと、ここじゃ」
迷路のような廊下を散々歩かされた後、零に案内されたのは一階のとある部屋だった。
見た目は巨大なのだが、一室一室はどうやら常識的らしく、まるで旅館の一室を思わせる内装だ。
床は畳になっており、部屋の入り口で靴を脱いだ後、結はとりあえず歩き続けて疲れた足を休ませるために、部屋の中央にどどーんと設置されている様々な料理の乗ったテーブルの前に腰を下ろした。
座布団がお尻を覆うようにフィットし、自身の体重によってお尻が痛くなるということはなさそうだ。
「……零。この料理たちはなんだ?」
「む? 気になるのであれば好きに食べてよいのじゃぞ? そもそもこれはお前様のために用意させたのじゃからな」
テーブルを挟んで反対側に腰を下ろした零に目の前にあるご馳走についてきくと、やはりというべきなのだろうか突っ込みどころ満載の答えが返ってきた。
「……そうか」
ここでの出来事はいちいち突っ込んでも仕方がないと思い始めていた結は、口から溢れそうになった疑問を無理やり飲み込むと、せっかくなので目の前の料理に箸を伸ばした。
「はむっ……! なんだこれっ!? 美味すぎるぞ!?」
「ククク。口に合ったのであれば幸いじゃな」
最初に箸を付けたのはよくはわからないが、とりあえず魚料理ということはかろうじてわかるものだったのだが、口の中に入れた瞬間。味が弾けた。
和食の特徴である素材そのものの味を引き出すということが満遍なく出ており、そう言った知識がないため何の魚なのかはわからないが、旨味といえばいいのだろうか、口いっぱいに広がったそれが舌に触れると、さらに痺れるような感覚、快感にも近い何かが全身に走った。
っといろいろ言ってみるものの、この感動を言葉にすることは出来ない。あえて言葉にするのであれば美味い、ただその一言で十分だ。
「まあ。お前様の好みを良く知っておるからできる芸当じゃったのじゃか。そのようなもの、今は関係ないかの」
次々と料理を口へと運ぶ結を零は結が絶賛する料理の数々を食さずに、ただニコニコと楽しそうに結の食事光景を眺めていた。
「ご馳走さまでした」
「お粗末様でした」
料理を全て平らげた結は、両手を合わせ心から感謝の言葉を言っていた。
「これ、零が作ったのか?」
「ワシが作ったわけじゃないのじゃが、ここに呼ぶわけにもいかんからのぉ。つまり代理じゃな」
「……そうか」
零の今までの口振り。そして、この屋敷に入った瞬間。……いや、零に腕を引かれ、一歩踏み出した瞬間から感じるこの視線。
結は確信していた。
(ここには、他にも誰かいる)




