7ー32 苦労してるんだねーぇ
「……なにを、言っている?」
(『霧雲』と融合している? 意味がわからない)
困惑の表情を浮かべ、あからさまに動揺している結を見て、ノースタルは再びケラケラと笑い始めた。
「ぷぷぅー。自分のことなのに知っらなかったのですかーぁー?」
「……一体を何を知っている?」
「そんなにおっびえなくても大丈夫ですよーぉー? わったくしは現在、お忙しいなので構ってあっげられませーぇーん」
困惑の中に、恐怖の感情が見え隠れを始めた結を見つめ、まるでとってつけたかのようなケラケラとした笑い声が聞こえる。
「まあでもー? ちょっとくらいなら知っていることを教えてあげてもいいですよーぉー? そっですねーぇ? 何から話しましょうかぁー?」
表情は仮面のせいでわからない、だけだ声からノースタルが楽しそうにしていることは嫌というくらいわかった。
まるで自分の心を直接つかまれているかのような、そんな錯覚を覚えるほどに、仮面が僅かに覗く瞳は、結のことを見つめていた。
「そうですねぇー。ならば一体いつからゆうさーんが『霧雲』と一体化してしまったのか教えて差し上げましょー?」
いちいちイントネーションがおかしい。不必要に語尾をあげて疑問系にするな。なんてことを言う余裕なんてない。
思うことすらなかった。
ただただ、結はノースタルの言葉を一つも聞き逃さないと言わんばかりに、全神経を集中させていた。
「今からは約二年前ですかねぇー? ゆうさーんが所属していたガーデン。【A•G】のリーダー、如月奏が通称【海の町】において『霧雲』の設計図を発見。それをガーデンへと持ち帰った後、【A•G】専属であり、幹部をも務めている四人の少女によるブランド、スカイクラウドが設計図の解読開始、一週間の時を経て解読に成功。試作型『霧雲』を構築。しかし、設計図に欠陥があり術は失敗、暴走が起こってしまい、スカイクラウドの四人が試作型『霧雲』に襲われそうになった時、白馬に乗った王子様が現れる。王子様はスカイクラウドの四人を守り、そして試作型は拡散したように見えた」
……あの時か。
というよりも、あの時しか考えられない。『霧雲』と融合している聞いて、即座にあの時が原因だということはわかる。
霧状の化け物と対峙した時、『霧雲』は拡散した。しかし、『霧雲』は消えなかったのだろう。消える寸前、結は黒い霧に包まれている。融合しているという言葉が本当であれば、あの時に違いない。
しかし、結にとってそんなことはどうでも良くなっていた。
それよりも、明らかに異常なことがあった。
(なんでこいつはスカイクラウドを知っている? 何故そこまで詳細を知っている?)
スカイクラウドというブランド名はそれなりに知られている。
なんせ、スカイクラウドが名前を変え、それがナイト&スカイとなったからだ。ナイト&スカイが有名なため、その前の情報を調べられた。
しかし、ナイト&スカイの時も、スカイクラウドの時もそれな四人の少女のチーム名だということも、所属が【A•G】だということも、そこで幹部をやっているということも知ることはできないはずなのだ。
(外部が知るわけのない情報……まさか……そんなこと……)
結の頭の中には、一つの可能性が浮かんでいた。
(……はっ、違うっ! そんなわけないだろ!)
浮かんでしまったその可能性を振り払うように、結は頭を抱え、大きく首を振った。
「ぷぷぅー。混乱しているみたいですねーぇ?」
「……うるさい。あなたが勘違いさせるようなこと言うから」
「なるほどなるほどぉー。つまりはわったくしのせいということですねーぇー?」
「そう」
仮面の奥で、ノースタルがニヤリと笑ったような気がした。
同時に、何かを言おうとしているノースタルの言葉を聞いてはいけないと唐突に悟った。
だけど、自分の耳を塞ぐよりも早く、ノースタルはそれを口にした。口にしてしまった。
「それは勘違いなのですかーぁ?」
「っ!」
呼吸が荒くなっているのが自分でもわかる。
動揺のせいで、呼吸器官がおかしくなってしまったようだった。
いつしか手を胸に当てて、はぁはぁっとどんどん荒くなっていくにつれて、気が遠くなっていくことに気付いた。
(くそ……意識が)
そして結は意識を失い、地面に倒れ、
「…………」
ることはなかった。
崩れ落ち、地面に向かう体を、ノースタルは優しく支えていた。
「……呼吸器官の異常? 過呼吸……ね」
倒れた結の症状を確認したノースタルがつぶやいた言葉は、いつもの作り物のような声じゃない。
可愛らしい、綺麗に澄んだ声だった。
辛そうな表情を浮かべ気絶している結の頭をサッと一撫すると、結の表情から苦痛が抜けていくようだった。
「……このままじゃ送れない……ね」
ノースタルは自分の格好をちらりと見ると、ため息を一つ漏らした。
気絶している結の頭を自分の膝に乗せると、空いた手を出し、そこに光を作り出していた。
光はノースタルの中指の根元に集まっていき、光が晴れた時、そこにるのは雪の結晶のような装飾のある指輪だった。
「ん」
手を握り、軽く力を入れるように幻力をリングへと注ぐと、リングがほのかに煌き始め、今度はノースタルの姿そのものが光り始めていた。
「……ふぅ」
光が消えると同時に月が雲に隠れた。
月光さえなくなった闇の中、うっすらと見えるのはコートと仮面、その両方を外したノースタルの姿だった。
容姿は闇のせいではっきりとは見えないが、しかし、一つだけハッキリとわかることがあった。
ノースタルがコートの下に着ていたのは、ガーデンの制服だった。
(……なんで、お前が……)
ノースタルが起こした光のせいで、結は一瞬だけ目を覚ましていた。
月の光は届かなくなってしまっているが、ノースタル自身が発した光のおかげで、結はノースタルの素顔を目撃していた。
「……あれ? 起きちゃいましたか? ……ごめんなさい」
彼女はそういうと、結の額に優しく手を置いた。
「……ま……て、なんで……お前が……」
「…………」
彼女は結の問いには答えず、結の額に置いた手から光を発した。睡眠効果でもあるのか、彼女が手を退けると、結は安らかな表情で眠っていた。まるで、何も見ていなかったかのように。
「…………ごめんなさい」
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同刻。
【F•G・南方幻城院】から離れた森の中に一軒の小屋があった。
「やっと見つけましたなのですぅー」
ゆったりとした口調の幼げな声は小屋の中からだった。
「……誰ーぇ? っと、私は疑問符を浮かべるのである」
小屋の中にいるのは二人の少女だった。剛木に致命傷を与え、楓からもまんまんと逃げ果せた少女、その名前は朽木アヤメ。
もう一人の少女はセミロングの茶髪と頭のサイドから伸びている尻尾が特徴的な可愛らしい少女だった。
小柄なアヤメよりもさらに小さい彼女はその整った容姿も相俟って見ているだけで癒されるようだ。
「名乗る必要なんてないのですぅー。だってアヤメは私のこと知ってるのですぅー」
「……どういうことーぉ? っと、私は真顔になったのである」
「えへへー。取って付けたかのような妙なキャラはやめるのですぅー」
「……ふふ。そっか。そういうことね」
アヤメは少女の言葉に何かを納得したようだった。
狐目も開き、機械のような無表情も崩れ、そこにいるのはどこか楽しそうにしながらも、同時に焦っているようにも見える可愛らしい少女だった。
「あたしの素を知ってるってことは、君、あの子の関係者?」
「その通りなのですぅー。女王からの伝言を伝えに来ましたのですぅー」
「伝言?」
「そうなのですぅー。それじゃあ伝えるのですぅ。今後傷が残るような攻撃を禁止する。だそうなのですぅー」
「へぇー。だからなに? あたしはあの人の部下じゃないよ?」
「つまり従うつもりはないってことなのですぅー?」
「そういうこ……!」
少女の疑問に肯定を返そうとした瞬間、アヤメの全身に大きな負荷が掛かっていた。
それはまるで重力がアヤメだけ増しているかのような、そんな重く、強いプレッシャー。
アヤメはすぐに悟る。これが一体なんなのか。まるで【神夜】の【重力操作】のようだが、それは違う。
これは、
(恐怖? このあたしが、恐怖?)
術なんて使われていない、それはただの殺気によるものだった。
アヤメはその殺気の発信源を見つけ、顔を青くした。
「言うこと聞かないのですぅー?」
殺気の発信源は間違いなく目の前の少女だった。
クリッとした大きな目、柔らかそうな頬、薄っすらピンク色の唇。表情はなにも変わっていない。だけど、ただ一つ、大きな違いがあった。
(なに……あの、目……。まるで、全てを引きずり込むかのような……)
完全なる暗闇。
少女の瞳からは一切の光が無くなっていた。良く比喩表現で瞳から光がなくなるとか、ジト目もある意味近いが、それらの感情とはまるで違う。
闇のレベルが違う。
通常の比喩表現が深夜だとすると、それはまるで全ての光を一切逃がさない圧倒的な力。そう、それはさながらブラックホールのようだった。
「言うこと、聞かないのですぅー?」
(あの子とは間逆だね)
アヤメは先刻戦った六花のことを思い出していた。
あの時、六花の瞳に溢れんばかりの光が灯った後の攻撃、あれは避けることが出来なかった。
アヤメの衣服は未だに所々が凍ったままだった。
六花の瞳が光を灯したように、目の前の少女はまるで闇を灯しているかのような。そんなイメージをアヤメに抱かせた。
「……その目。聞いたことあるね。あの人の部下にはその目に闇を宿させることの出来る子がいるって……確か、名前は……輪廻」
アヤメが彼女の名前をつぶやいと同時に、彼女は、輪廻はにっこりと笑った。
真っ暗な瞳のまま笑う輪廻は、不気味そのものだった。
「……嬉しいのですぅ。久しぶりなのですぅー。本当の名前を呼んでもらうのは」
「……あの人は呼ばないの?」
もちろん、彼女のことを輪廻と呼ばないのかという意味だ。
「そうなのですぅー。女王は始めて会った時に言った偽名を偽名と知りながらつつも呼ぶのですぅー」
「そ、それは……ドンマイ?」
「アヤメさん! 聞いてほしいのですぅー!
いつしか輪廻の瞳には普通の光が戻っていた。それからは何故か輪廻の愚痴を聞くことになったアヤメだった。




