7ー31 真実
『霧雲』。
結はその単語に聞き覚えがあった。
あれは確か【A•G】が組織されてから一ヶ月ほど経ったとある日だっただろうか。
「よっ、奏。何してんだ?」
法具の改造が一つ終わり、いい時間だったため休憩室へと入ると、珍しいことに奏が座っていた。
大抵忙しそうにしているため、休憩室にいる姿なんてほとんど見たことがなかった結は、そんな風に声をかけた。
「あれ? あっ、結。お疲れ様です。あまり無理をしてはダメですよ?」
「わかってるよ」
「くすっ。今から休憩ですか?」
「あぁ。一個改造が終わったからな」
「今回は何を作ったんですか?」
伏せていた顔をあげ、開口一番に結に労いの言葉をかける奏は、心配そうにしながらも、満足気に笑う結を見て嬉しそうにしていた。
「今回は大したもの作ってないぞ? ただのキメラウエポンだ」
「またキメラウエポンですか。今回は何と何を合わせたんですか?」
「ポピュラーに刀剣と火器を合わせて見たんだが、まだまだ試作段階だな」
「なるほど。つまりは剣と銃ですか。確かにアイデアとしてはポピュラーですね」
「まったくだな。いつもいいアイデアをくれる奴らがいないからな」
「六花衆のことですか?」
「その通りだな」
結の改造法具は、彼女たちの作ったナイト&スカイの法具を同じく彼女たちのアイデアを元に改造している。
アイデアと言っても、日常の何気ない言葉や、知識をネタにしているだけで、アイデアというよりもヒントと言うべきだろう。
働き者の奏と違いナイト&スカイの四人は基本的に怠け者だ。
特別ノルマが存在していない結と一緒に、よく休憩室に出没しているのだが、その時の雑談をヒントにしていることが多い。
しかし、ここ数日間怠け者のはずの四人が休憩室にこないで、ずっと研究室にこもっているのだ。
雑談からヒントを得ることもできず、結は剣と銃だなんていうありきたり過ぎる組み合わせをしていた。
「まあ、試作段階だし。今回のは売るかね」
「売るのはいいですが、市場を混乱させないためにも売る前に私に見せて下さいね?」
「わかってるって。それで、あいつらはずっとこもって何やってんだ?」
「美雪たちのことですか?」
言葉にせずに、首を縦に振って答える結に、奏は少々イタズラっぽい笑みを浮かべた。
「せっかく私と二人っきりなのに、他の女の子の名前を出すんですか?」
「うっ……」
「……くすくす。冗談です。彼女たちは前に私が任務で見つけた設計図に興味を持ったらしく、その研究をしてますよ」
「冗談はよせ。心臓に悪いだろ……。で? なんだその設計図って」
「これですね」
奏はそういうとさっきまでずっと読んでいたらしい書類を結に渡した。
「なんだこれ? どこの言葉だ?」
「さぁ? 残念ながら私もこの言語は知らないんですよね」
その書類に使われている言語は日本語でなければアルファベットが使われたものですらない。もちろん、漢字もない。
「彼女たちは主に解読を頑張っているみたいですね」
「……これ、解読出来るのか?」
「さあ? それは彼女たち次第じゃないですか?」
「まぁ、そうだな。奏は一切わからないのか?」
「そうですね。私なりに解読を試みたのですが、出来たのは最初の一文くらいですね」
「へぇー。奏でも解読難しいのか」
「結? 勘違いしているようですが、今の私は全知全能の神とかではないんですよ? 確かに他の人と比べればダントツで高性能かもしれませんが、それはあくまで人間とレベルです。わからないことだってありますよ」
奏は珍しく拗ねるように口を尖らせ、非難の意味を込めた視線を送っていた。
「悪い悪い。どうも奏はなんでも出来るって思っちまうんだよな」
「……まぁ。それだけ信頼されるのは悪い気分ではありませんが、私だって普通の女の子ですからね?」
「わかってるよ」
結が謝罪の気持ちを込めて奏の滑らかで触り心地の良い髪を撫でると、奏に気持ち良さそうに目を閉じて、まるで猫のように鳴いていた。
「それで? 解読出来た一文って?」
「……あっ……」
結が撫でるのをやめてそう質問すると、奏は切なそうに声を漏らすと、頬をうっすらと紅潮させていた。
「え、えぇっとですね。まずは名前ですね」
「名前?」
「どうやらこれは幻操術の理論式のようなんですよ」
「……そんなの、どこで見つけたんだ?」
「前に美味しい魚料理があるということで、海が近くにある街に行ったじゃないですか? その街に任務でもう一度行った時にですね」
「そういやそんなこともあったな。なんだがまたあそこの魚料理食べたくなってきたな」
いつの話だったかは覚えてないが、【T•G】時代にめちゃくちゃ美味い魚料理を喰わせる店があるという噂を聞いて、結、奏、美雪、雪乃、雪羽、小雪、の六人で行ったことがある。
「あの時はリリーがいませんでしたし、リリーを合わせて次は八人で行きますか?」
「そうだな」
魚といえば猫というイメージがあるが、猫を連想させる少女か六花衆の中にいる。
そう、何を隠そう癖っ毛がまるで猫耳のようになっている、常時猫耳娘こと小雪ちゃんだ。
小雪は猫耳に猫口調というとことん猫を連想させるのだが、好物は魚という意味でも猫らしい。
みんなで行くと言えば、ぴょんぴょんの跳ねて喜ぶ姿が目に浮かぶようだ。
それに、リリーだって意外と食いしん坊な面を持っている。
前に行った時はいなかった分もあるし、いっぱい楽しませてやりたいな。
「……っと、次の幹部旅行の行き先が決まったところで、話を戻しましょうか」
「……そうだな。……なんか、毎回脱線するよな」
「脱線とはまた別物のような気もするのですが、これについての論議はそれこそ脱線になりますね」
「だな。それで、幻操術の名前だっけか?」
「はい。術の名前は『霧雲』」
「『霧雲』?」
幻操術の名前は大抵似たような名前をしていることが多く、ネーミングセンスの欠片もないような、名前からどういった術なのかバレバレなのが多い。
【A•G】の情報網は奏の努力によって素晴らしいものとなっており、現在使われている術ならほぼ全てその名前がわかる。
しかし、『霧雲』という名前は完全に初めて聞くものだった。
「どんな術なんだ?」
「……うぅー。言ったではないですか。解読出来たのは一文だけなんです」
「……あー。うん。悪い」
つまりわからないと。
「えーと、じゃああれだ。ちょっとあいつらの様子見てくるよ」
「あっ、それなら後で聞いたことを教えてくれますか? 私もこの『霧雲』という術、気になるんですよね」
「オッケー。わかった」
そう言って休憩室を出た結は、エレベーター室を使って彼女たちがいるであろう幻操術研究室へと向かった。
その後、研究室へと入るとそこには解読を終え、試作段階だが術として『霧雲』を作り出している美雪たちがいた。
しかし、『霧雲』は暴走し、彼女たちに襲い掛かろうとしていた。
ちょうど良く駆けつけた結は、彼女たちを庇い、『霧雲』にやって出来た黒い霧に飲み込まれた。
飲み込まれ、焦る結だったが、それは痛みもなにもなく、そのまま黒い霧は拡散した。
彼女たちに怪我はなく、安堵する結だったが、彼女たちの持っていた設計図がボロボロになってしまっていた。
その後、彼女たちは自分たちを助けてくれた結に様をつけるようになり、本来奏のガーディアンであるにもかかわらず、結のことをご主人様や主様と呼ぶようになった。
彼女たちが解読した分の話も聞いたのだが、その時彼女たちが言っていたのは、
「霧のように他者をまやかし、雲のように他者を利用し増殖する。霧は小さな水の集合体のようなものだから、ここは小さな水滴という点だけど、それを総称して霧。『霧雲』っていうのはね、一つ一つは離れた点であるにも関わらず、繋がり、力を共有し、その一つ一つが周囲のものを吸収し、大きく増殖していく。本来、なんにでも限界があるけど、これに限界はない。成長すれば成長するだけ、それだけ限界値も成長する」
それはつまり、既存の術のどれをもはるかに超える、限界突破術。
他のもの、つまり他者を生け贄にすることによって、己という名の点を増殖させる。
(こいつが求めてるのは最強か)
ノースタルは強い。まだ底がわからないにしろ、奏と比べてしまうとどうも色褪せてしまう。
あの時、奏がやられてしまったのは結を庇ったからだ。
本来の実力ならば奏のほうが確実に上。
上には上がいる。
ノースタルはそれを自覚していたのだろう。
だから求めていたのかもしれない。己がただの強者ではなく、本物の最強になる術を、そして見つけたのだ。それが『霧雲』。
たが、
「……残念。確かに【A•G】は『霧雲』の設計図を持っていた」
「おやぁー?」
結の言葉にノースタルは意外そうに言葉を漏らした。
「でも、設計図は消失した」
美雪たちが持っていた設計図は『霧雲』が暴走した時にボロボロになってしまい、読むことが出来なくなってしまっている。それに、奏が持っていた方は『霧雲』の暴走があった後、これはあってはならないものだと奏の判断によって燃やしたのだ。
「……もう、設計図はこの世に存在しない」
「…………」
ずっとケラケラと、バカにするような笑い声をあげていたノースタルから、音が消えた。
(なんだ……これ……)
今まではその笑い声によって恐怖ではなく、不気味さが抜きん出ていた。しかし、それが無くなったことで残るのは圧倒的な実力を持っている仮面を着け、表情の読めない敵。
うざったい笑い声がなくなっただけなのに、凄まじいプレッシャーが結の身に降り注いでいた。
(くっ……なんだよこれっ。こんなところ、ずっといたら頭がどうにかなっちまうっ)
そのプレッシャーにポーカーフェイスがトレードマークの結花と言えど、表情が歪み始めた。
「……プッ。プークスクスクス」
(なんだ?)
突然ノースタルがお腹を抱えて笑い出したことで、妙なプレッシャーが消えた。
「アーハッハッハッ。面白いことを言いますねぇー、ゆうさーん?」
いつも常時装備しているバカにするかのような笑い声ではなく、普通の笑い声を発しながら、ノースタルはそう言った。
(面白いこと? 一体なんのことだ?)
ノースタルの目的は『霧雲』だ。それは奴自身が言ったことだ。
しかし、目的のものがもうすでに無くなっているということを知って、本来であれば悔しがる、怒るなど、そういった感情を抱くはずだ。
少なくとも、面白いことなどではない。
しかし、ノースタルは本当に面白そうにしている。仮面の隙間から、キラキラと涙のようなものまで見えるほどの爆笑だ。
「……目的のものがなくなったのに、どうして楽しそうにしている!?」
「ふぅーふぅー。……おややぁー? どうやらゆうさーんは気付いてないみたいでっすねぇー?」
「……気付いてない? なんのこと?」
「確かに、わったくしの目的は『霧雲』でぇーす。でっすがー誰もその設計図が欲しいなんて言ってませんよーぉー?」
「……でも」
「ゆうさーんはゲーム機を買った後、付属の説明書を取っておく人ですかぁー?」
「……突然なにを?」
なんの脈略も無しに始まったノースタルの言葉に、結は困惑を通り越し、恐怖まで感じた。
(こいつ、やっぱり普通じゃない)
「わったくしは捨てちゃいまーす。それではつっぎの質問でぇーす。ゆうさーんが求めるものが目の前にあるのに、わざわざそれの設計図を求めますかぁー?」
こいつは、何を言っている?
それじゃ、まるで……。
「プークスクス。本当に気付いていなかったみたいでっすねぇー。もう、わったくしにとって、『霧雲』の設計図なんてものはどうでもいいんでっすよぉー? なんせ、目の前に『霧雲』と融合した存在がいるのでっすからぁー」
「…………え?」
「ゆうさーん? あなたは『霧雲』と融合しているんでっすよぉー?」




