7ー25 急変
楓が立方体の中に入ってから、すでに二○分が経っていた。
(……楓は大丈夫でしょうか?)
あの立方体は六花の力によって作られているとはいえ、その内部の情報を得る術は、直接知覚で把握するしかない。
そのため、立方体の外で箱の維持に集中している六花に、中の状況を知る術はない。
楓が中に入った直後は、逃走者と戦っていたのか、氷壁内部が損傷し、それを治すことはしたのだが、それ以降は特に動きがない。
それはつまり、戦闘の終了、どちらかの敗北を示す。
六花自身、楓がやられるとはこれぽっちも思っていないが、しかし、中から感じられる衝撃がなくなってから、すでに戦闘時間を大幅に超える時間が経っている。
(……まさか……相打ち……?)
どちらかが勝ったのであれば、その後何かしらのモーションを起こすはずだ。
例えばそう、中から出てくるとか……。
(……出てくる?)
この立方体の強度は並ではない。
例えば四番相当の威力がある術を撃てれたとしても、多少傷付く程度で、ほぼ無傷に近いだろう。それだけの強度をほこっている。
逃走者がこれ以上逃げられないようにするためにこれで覆ったのだが、出入りは楓は中に入った後、閉じている。
(……あっ……閉じ込めちゃいましたか?)
他にも可能性はあるのだが、六花はそう結論付けると、迷いなく術を解除した。
術の解除、つまり幻力が供給されなくなり、幻力によって行われていたその地点による理、現象への幻術の影響力が低下していき、そしてやがて世界が幻術を破り、氷の立方体は水蒸気となって空中にはとけず、元々なかったものとして消え失せた。
『心操、氷獄牢』がとけ、中から現れたのは気絶している様子で、倒れている男性と、それを見張るように側で不機嫌そうにあぐらを組んでいる楓の姿だった。
「……六花。遅いぞ」
「申し訳ありません。気付きませんでした」
「気付かなかったじゃないだろ! あたしがどれだけ閉じ込められてたと思ってるんだ!?」
「楓、顔近いです。それについては本当に申し訳ないと思っていますよ?」
楓の側に六花が降り立つと、既に『擬似天使化』を解除している楓が心装を解除し、その背中から氷の翼が光の粒子となって消えていっているのを横目で見ている六花に詰め寄っていた。
バッと効果音がつきそうなくらい勢い良く立ち上がり、ザザッと効果音がつきそうなくらい急接近する楓に、六花は思わず退いていた。
「楓、もう一度いいますが近いです。このままでは私のファーストキスの相手が楓になってしまう勢いですよ?」
「……うっ……女同士とはいえ、それは良くないな。うん」
六花は焦りを一切表情には見せないものの、あまりにも楓の顔が近くにあり、若干仰け反っているため、焦ってはいるのだろう。
……訂正、六花の頬はよく見ると微かにだが、確かに紅潮していた。
楓は目も良い。普通、互いの唇と唇が触れ合いそうなぐらい接近していると、そんな近い地点は視点が合わず、ぼやけてしまうのだが、紅潮しているのを見た楓は、なんとなく恥ずかしくなり、素直に引いた。
「……それで、何かわかりましたか?」
二人とも視線を逸らし、どこか気まずい雰囲気が流れる中、口火を切ったのは六花だった。
「……あーうん。とりあえずこの男の肩見てみ」
「肩ですか?」
楓は小さく顎で倒れている男の肩を示していた。六花は疑問顔になりつつも男の肩に視線を向けるとそこにあるのは赤と黄色、二色で塗られ、アルファベットのLとこれまたアルファベットのXが重ねられた模様の描かれた腕章があった。
「なんですか? これは」
「まぁ、六花が知らないのも無理はないかもな」
「楓は知ってるんですか?」
六花は驚くように楓へと顔を向ける。
「ああ。これは最近、って言っても約半年前の話だが、その頃に結成されたとある組織の紋章だな」
「組織?」
「六花は反幻兵団を知ってるか?」
「……はい。名前は知っています。十二の光に敵対している組織の一つですよね?」
「そっ。その組織ってのは思想的には反幻兵団に近い」
「……つまり、幻操師を否定しているということですか?」
「それは厳密には違うな」
「……どういうことですか?」
反幻兵団とは幻操術を否定し、それに頼らずに新たな力を得ようとするものたちの集まりとも言える。
思想がそれに近いのであれば、その目的は幻操術を操るものたち、つまり幻操師の殲滅だ。
しかし、すぐにそれを否定した楓に、六花は二度疑問の視線を向けた。
「そもそも反幻兵団の目的はなんだ?」
「……世界に幻術を掛け、人ではなく、その空間そのものに幻を見せる幻操術を世界を作りし神への冒涜と考え、それを否定し、幻力ではなく、人が元々持っている生命エネルギーから抽出される気を力としようとするものたちですよね?」
「そうだ。表面上は幻力派の十二の光と気派の反幻兵団で意見の違いだけで敵対というよりもただ相容れないだけということにしているが、実のところは違う」
「……違う、とは?」
楓の言葉に六花は嫌なものを感じた。これから先は聞いてはいけないような、そんな思いを……。
だけど、質問せずにはいられない、気になってしまう、追求してしまう、妥協なんてしたくないから。
人の好奇心は、時に後悔を生むことになる。
「実際には裏で何度も戦争を起こしている」
「なっ……」
二つの組織が敵対していることを知っていた。
だけど、それはあくまで目玉焼きにはソース派と醤油派で揉めるような、武力ではなく、口論による敵対だと思っていた。
事実、ほとんどの幻操師がそう思っている。
「互いの力が受け入れることができないから敵対している。そもそもそれから違う」
「……え?」
「十二の光は『幻力』という概念を、反幻兵団は『気』という概念をそれぞれ独自に確立させたんだ」
「……つまり、技術の奪い合い……?」
唖然とした表情で小さく、儚くつぶやく六花に、楓は静かに首を縦に振った。
「互いが技術を独占していて、技術を奪い合ってるんだ。そして定期的に小さな戦争を裏で起こし、その結果で技術を取引している」
「小さな戦争?」
「秋にある委員会が開催する大会は知ってるだろ?」
「……確か、『双天戦』ですよね? ……まさか……」
「そっ。その『双天戦』が小さな戦争。『双天』とは十二の光と反幻兵団のことを示してる」
幻操師委員会が開催している秋の一大イベント。
まさかその結果によって技術と裏取引が行われているなんて夢にも思っていなかった六花は、いつものポーカーフェイスを崩し、珍しく唖然としていた。
「……っ! ま、まさかこの六芒戦もですか!?」
今行われている六芒戦も、六花の提案によってまるで運動会のように楽しいイベントとなっているが、元々は研究時代の名残りであり、始まりは幻操師委員会だ。
ならばもしかしてこの六芒戦も結果によって何か取引が行われているのではないかと考えるのは、自然だった。
「それは大丈夫。この六芒戦は裏で面倒な動きはないよ」
楓の言葉に六花は安堵のあまりふっと息を漏らした。しかし、不吉を含み楓は、でも、っと続ける。
「それは『双天戦』の双天が関係してないってだけで、どうやらこいつらが関与を試みてるみたいだな」
よう言って楓が視線を向けたのは横で倒れている男だった。
「……つまり、その組織とやらですか?」
「まっそうだな」
「……どうやってですか?」
『双天戦』は十二の光側と反幻兵団側から選ばれた選手が行う競技だ。
それぞれが選手を選んでいるため、その結果から取引内容を考えることは容易だ。しかし、この六芒戦は六校全てが幻操師側だ。
楓の言う組織とやらは反幻兵団よりらしいし、どうやって取引をするつもりなのだろう。
(……まさかっ!)
「……気付いたか?」
「…………はい」
六花はそれに気付いた。
いや、気付いてしまったのだ。
「つまりはそういうことになるな。六校のどれかが幻操師を、十二の光を裏切っている」




