6ー62 ほくそ笑む少女
深さ五○メートルはあるであろうクレーターを降りようとした途端、背後から聞こえた声に二人が振り返ると、そこにはアヤメの姿があった。
焼け焦げている筈の衣服も、結と楓、二人の空中コンボによって出来たはずの傷も、その全てが無くなっているアヤメは、後ろに無傷のアヤメがいるという状況に、呆然としている二人に向かって、クスクスと楽しそうに笑っていた。
……無表情で、
「なんで……」
ここに無傷のアヤメがいるということは、考えられることは一つ、
「さっきのは偽物か」
結のつぶやきに楓は目を大きく見開いていた。
つまり結だけじゃない、楓もいつの間にかアヤメが偽物になっていたことに気付かなかったということに他ならない。
いや、可能性ならもう一つあるが、
「言っておくけど、私は最初に現れた私と同一人物だよーぉ。っと私はドヤ顔を浮かべたのである」
もう一つの可能性とはつまり、最初から偽物だったという可能性だ。
しかし、これはアヤメに否定されたため違うだろう。アヤメが嘘を付いていることも十分に考えられるが、というより、あのアヤメの一方的なやられっぷりを見れば嘘だって言われた方が現実味があるのだが、今は置いておこう。
「いやーぁ。今日は楽しかったよーぉ。っと私は満足気な表情を浮かべたのである」
「なんだその言い方、まるで撤退するような言い回しだな」
「ピンポーン。その通りでーぇす。今日はただの様子見、だから途中から分身になってたんだよ?っと私はやはり満足気な表情を浮かべるのである」
分身の術か。
確かそれは服部家や風魔家などが使っている。数ある幻操術の中でも『忍』シリーズと呼ばれるものだ。
確か、土や水、なんでもいいのだが、固形物によって作った人形の表面を術者の形で覆い、それを遠隔操作する術だった筈だ。
しかし、それは単純に戦力が倍になるという便利なものなどではなく、分身を使っている間本体はなんの力もなくなる。
言い換えれば、本人ではなく、本人の意思で人形が戦うと言った方がいいだろう。
ある意味、自分自身を人形として操る結の自分人形と同列の幻操術だ。
「それにしても、やっぱり面白いね君ーぃ。っと私はニヤニヤと笑うのである」
「どういうことだ!」
「だってさー。自分と同じ、いや、ちょっと違うけど、似たような術を使ってる幻操師だよーぉ?気になるのは当然だよーぉ。っと私は魅惑の笑顔を向けるのである」
自分で魅惑の笑顔とか言っちゃってるあたりもアレだが、それを無表情で言っているのもアレだなっ。
結自身、分身の術と自分人形は似ていると思ったため、結は表情には出さないものの、心の中で頷いていた。
「隙あり過ぎだろ」
アヤメが結と話している間に、アヤメの背後に移動していた楓は、氷で作った剣を両手で握り締めると、剣道のお見本を見ているのではないかと錯覚してしまう程に、綺麗な振り下ろしを見せた。
「よしっ!」
アヤメは背後から突然現れた楓に反応出来ずに、丁度頭から綺麗に真っ二つになっていた。
結の隣は楓が氷によって上手に作られた人間が立っており、アヤメの反応が遅れたのはそのためだ。
「……ちっ」
アヤメを倒し、喜んでいる結とは裏腹に、楓は悔しそうに自身が握る剣の切っ先を見つめていた。
「これも偽物か」
楓がぼそりとつぶやくと、そのつぶやきを証明するかのように、真っ二つなったアヤメがユラユラと煙のように消滅していった。
(だが、気になるな)
楓は切っ先から目を話すと、少し離れた場所で消えていくアヤメの姿を見ている結を見ていた。
(あたしは容赦なくこいつを斬った。偽物だったとは言え、あの時それはわからなかったはず。
……それならどうして結はよしだなんて言ったんだ?)
楓がアヤメの偽物を斬った時に、真っ二つになったアヤメを見て喜んでいた結に疑問を覚える楓だった。
「結。アヤメを殺せなくて残念だったな」
楓は疑問を無くすために、結に近付きながらそんな言葉を掛けていた。
もしこれで、結が「そうだな」とか、殺しを肯定する言葉を言うのであれば、こいつは、
偽物かもしれない。
楓はそうだった時のために、結からは見えないように、自分の腕で隠すようにして手のひらに小さな短剣を氷によって作り出していた。
(肯定したらその瞬間にやろう。結の偽物なんて見たくない)
楓が静かにそう決意していると、結は楓の質問に眉を顰めていた。
「何言ってんだ楓?殺しは無しだ。生け捕りが基本だ」
「……そうだな」
殺しを肯定しない結に、楓は胸をなで下ろしていた。
(良かった。どうやら本物みたいだな。でも、それならあれはなんだったんだ?)
よしっと我慢出来なかったかのように叫んだ結への疑惑は、なくなるどころか逆に疑問を増やすだけとなっていた。
「楓、アヤメは逃げたのか?」
「多分な。気配を全く感じない」
「楓はいつアヤメが偽物と変わったのかわかったか?」
「いや……それがわからなかったんだ」
「楓もか!?」
結は自分ば気付けていなくても、それは自分が未熟だからだと思い、楓ならば気付いていると思い、答えを聞こうとしていたのだが、楓もわからないとのことで、驚いていた。
「楓の目を誤魔化すレベルの敵。それも、暗殺者か」
「……厄介だな」
この六芒戦。
無事には済まないかもしれないな。
「結。あたしは……」
「俺もそのつもりだ」
「「絶対に仲間は死なせない」」
真夜中に誓い合う二人だった。
暗い部屋の中に四人の人物が集まっていた。
「どうだった?アヤメ、ターゲットの方は」
四人の中で最もゴツい体型をしている男は左右に座っている人物ではなく、一人正面の椅子に座っている少女に声を掛けていた。
「んー。結構強かったよーぉ。っと私は困り顔を浮かべたのである」
「ホホホ。それは困ったざます。あの男から奪うのは必須事項でざます」
最初に喋ったゴツい男の右側に座る女、特徴としてあげればやけに宝石類を身につけた、年配の女性は、言っている事とは違い、扇子を片手に楽しそうにホホホっと笑っていた。
「はんっ!問題ねえだろ。所詮は甘ったれのクソガキだろ?俺様が今すぐ奪って来るか?」
年配の女性とは反対側に椅子に座る、細身の男は、八重歯をギラつかせながら、まるで威嚇するかのように話していた。
「不知火。余計な事はするな」
「ハッ!林原とあろう者がクソガキ相手に情けねえなっ!おいっ!」
「不知火、うるさいでざます」
「るっせぇっ!風祭。テメェもテメェでキモいんだよクソババアっ」
「これだから若者はいやでざます。やはりこれ癒しはこれざます」
風祭と呼ばれた年配の女性はそう言うと大きな宝石のついている指輪をうっとりとした眼差しで見つめていた。
「不知火。もう一度言う。余計な事はするな」
林原と呼ばれたゴツい男は、そう言うと不知火と呼ばれている八重歯が特徴的な細身の男を睨みつけた。
「へ、へっ!この作戦が終わるまでは協力してやる約束だからなっ」
林原の眼力に恐怖を感じた不知火は、誤魔化すようにそう言うとそれから黙りこくっていた。
「鍵山。お前もだ、良いな?」
林原はそんな不知火から興味が失せたように視線を外すと、部屋の隅っこに立っていた男に声を掛けた。
「……」
鍵山と呼ばれた壁に背を預けた状態でずっと目を瞑っていた。
眠っているわけではなく、林原の言葉に頷くことで返事は返していた。
その姿は部屋が暗いことと、部屋の隅ということもあり、よく確認することが出来なかった。
林原は鍵山が頷くのを確認すると、再びアヤメに視線を向けていた。
「明日から本戦とやらが始まる。アヤメ、お前は観客に化けて中に潜り込め。良いな?」
「雇い主の命令は聞くよーぉ。っと私は営業スマイルを浮かべたのである」
アヤメはいつも通り口だけで、一切表情に出さない無表情のままそう返すと、その場でクルリと一八○度周り、四人の男女に背を向けてその部屋を後にした。
「へっ。ガキが」
不知火はアヤメの後ろ姿を見ながら、不機嫌そうにつぶやいていた。
一人部屋から先に退出したアヤメは、【F•G・南方幻城院】のホテルへと向かうと、警備員の前を何事もないかのように通り過ぎていた。
「……はぁー」
アヤメは借りている自室に入ると、深いため息と共に、着替えることもなく、ベットに頭からダイブしていた。
「……お風呂」
この部屋に入った時から、いや、このホテルに近付いた時からすでに結や楓、鏡や剛木の前に見せ姿ではなく、まるで違う顔でガーデン指定の制服を着ていたアヤメは、ベットから起き上がると、服を脱ぎ、お風呂へと向かった。
「ふふ。観客に紛れろだって?既に紛れてるよ。選手としてね」
アヤメは湯船に浸かりながら、いつものポーカーフェイスを捨て去ったかのように、女の子らしい可愛らしい笑みを浮かべていた。
そして夜は明け、六芒戦六日目。
本戦初日が始まった。




