5ー47 お母さんは誰だ!
「ご、ごめんなさい。ぐすっ、もう嘘つかないから……」
美雪が余程怖かったのか、雪乃は珍しいことに、完全にガチ泣きしていた。
その両目からは、滝と見間違える程に大量の涙が溢れていた。
「おやおや。美雪、やり過ぎなのだよ」
「そうでしょうか?躾はこれくらいがちょうどいいと思うのですが……」
「……美雪は結構黒いのだよ」
「ん?なんですか?」
雪羽がボソリとつぶやくと、美雪はとても綺麗で、そして何より黒い笑みを浮かべていた。
その笑みを見た雪羽は、目を逸らしながら「な、なんでもないのだよ」っと小さくつぶやいていた。
美雪はちらりと雪乃を一瞥すると、今だにプルプルと震えている雪乃にため息を一つ。
やれやれ、っと言った風に首を振りながら雪乃の元まで歩むと、雪乃の額に手を向けた。そして親指に人差し指を引っ掛けて、力を込めた。
「いい加減元に戻ってくださいっ」
美雪は言葉と共に、親指のストッパーを離すと、解放された人差し指が雪乃の額へと凄まじい勢いで放たれていた。
所謂、ただのデコピンである。
美雪にデコピンされた雪乃は、「痛っ!」っと思わず叫ぶと、デコピンされた額を両手で抑えながら、キョロキョロと周りを見回していた。
「目が覚めましたか?」
「へ?美雪?……アレ?あたし、今まで一体何を……」
「まぁまぁ、そんなことはどうでもいいのだよ」
トラウマにでもなったら困るため、雪羽は話題を逸らそうとしていた。
雪乃はあれれー?っと首を傾げていた。
「それでは、雪乃の提案でもありますし、私たちはお嬢様を誘って遊んできますね?」
美雪が突然話を切り出すと、トリップしていて記憶が割と曖昧になっているらしい雪乃はへ?っと疑問顔を浮かべていた。
「雪羽」
「了解なのだよ」
美雪に言われた雪羽は、上手く編集をした上で録音法具を起動した。
「え?なんの話?」
「これを聞けばわかるのだよ『ーーあたしはこの通り元気だもん!あたしが主様の看病するからみんなは姫を連れ出してって話だよ!』」
前半部分は飛ばし、必要な部分だけを再生すると、雪乃は言った覚えがあるのかないのか、微妙な表情を浮かべていた。
「えーと、これは?」
「数分前の雪乃の録音音声なのだよ」
「そっちじゃなくて、その法具は何?」
今更ながら雪乃にそう聞かれた雪羽は、ん?っと意外そうにしていた。
「あー。そういえばそれの説明をしていなかったのだよ」
「ナイト&スカイとしての製作ではないようなのですが……雪羽お一人で?」
「いや、違うのだよ。これは私と主様の二人っきりで作った共同作品なのだよ」
そういう雪羽は、二人に向かって地味にドヤ顔を向けていた。
「……へーそうなんだー。……で?何に使うの?」
「む。反応が小さいのだよ。これは元々ガーデン内の警備強化のためなのだよ」
「警備強化?……あぁ、あれがきっかけか……」
「そうなのだよ」
あれとはつまり、前にあった侵入者騒動だ。
結果的にその時のお客だった人の勘違いだったわけだが、結はその時もしもそういうことになった場合、ガーデン内での監視網が皆無であることに不安を抱き、研究大好きっ子である雪羽に対策の法具を作らせていた。
「そういえば、そのようなこともありましたね。言ってしまえば、犯人はご主人様でしたし」
「割と前から思ってたけどさ」
突然、真剣な表情になった雪乃に、一同は注目した。
「主様ってラッキースケベ多くない?」
「「……え?」」
「だ、だってそうじゃん!」
真剣な雰囲気から一変、いつもの空気となってしまい、雪乃のアホの子っぷりに美雪と雪羽は深い、とても深いため息をついた。
「ですが、雪乃の言うことももっともですね」
「そうなのだよ。良く良く考えると、主様のラッキースケベの回数は異常なのだよ」
結もまた【A•G】の一室を自室にして、暮らしているわけだが、結は一日に平均で二回から三回のラッキースケベを体験している。
互いに年齢が年齢であるため、そこまでの問題にはなっておらず、女子の方も笑って許すのだが、それでもこの回数は異常だ。
結だって隊長クラスだ。
自分の隊の人間は少ないが、それでも零番隊という特殊な隊に所属しているため、総隊長と同様、他の隊にも頻繁に出入りしている。
結がラッキースケベを起こすの基本的にそこだ。
結花となった結は礼儀を心得ている、良い子となるのだが、いつもの結は【A•G】では珍しく、子どもらしい子どもなのだ。
部屋に入る時にノックもしなければ、確認もしない。
そのため、中で少女が着替えている時などに頻繁に遭遇している。
しかし、結には一つ言いたいことがあった。
(なんで真昼間から着替えてんだよ!)
所詮加害者の言い訳だ。
「まあ、制服が和服って時点で、外では気を付けてるけど、ガーデンないじゃ油断して崩れちゃうんだよねー」
【A•G】の制服は基本的に和装だ。
一言で和装とは言っても、細部には一人一人が改造を施しているため、同じ制服は無いと言ってもいい。
「外では気を付けるもなにも、外ではコートと仮面を着込んでいるので全く問題ないと思うのですが……」
「それもそっか……」
「この所、いや、前からそうだったが、生徒たちのガーデン内での格好がダメダメなのだよ」
「ダメダメって……死語じゃない?」
雪乃が小さくつぶやくと、雪羽は「黙るのだよ」っとソファーのサイドについている小型のテーブルの上に置いてあった法具を投げ付けた。
「痛っ!……ってこれ法具だよ?投げないでよ!」
「それも私の作った試作品なのだよ。耐久力は問題ないのだよ。そもそも、軽く投げた程度で壊れる法具など、実戦に耐えられないのだよ」
「……ごもっともです。……いや、投げるのは良くないでしょ!?」
立ち上がり、騒ぐ雪乃を、雪羽は冷めた目で見つめていた。
見つめられた雪乃はうっと一歩引くと、大人しくソファーに着席した。
「雪羽の言うことももっともですね」
「あたしの人権は?」
「そっちの話ではないですよ?生徒たちの格好についてです」
「あー。うん。それはあたしも思ってた」
最近の生徒たちは、格好が明らかにおかしかった。
具体的にどうおかしいかというと、
「地下で他人の目もないし、ここがあたしたちにとって家だからといってもねー。服ぐらいは着ようよ」
そう、最近の問題。
それは、生徒たちが服を着ないのだ。
裸でいるという訳ではないのだが、自室から少し出る程度で、ガーデンから出ない移動の時、大抵下着姿なのだ。
「そもそも。なぜ自室で下着姿になっているのだよ」
「それねー。空調も完備してるから、暑いことはないと思うけど」
「和装が面倒なのでしょうか……」
「でも、ここの和装って羽織って帯締めるだけだよ?細かい着付けがないから、楽なんだけどなー」
「面倒くさがりやの雪乃もいつも着ていますしね」
「……一言多いよ?」
雪乃は拗ねたように口を尖らせていた。
「あはは。ごめんなさい雪乃。思わず本音が出てしまいました」
美雪が笑いながら謝罪すると、雪乃は逆にいじけていた。
「さて、このバカは放っておくのだよ 」
「そうですね。バカの部分は同意しないでおきますが」
「美雪。それ、なんか心が痛いよ?」
いじけていた雪乃は、わざとらしく胸を押さえ、美雪に熱い視線を送っていた。
「……さて。雪羽、この問題どうしましょうか?ここは基本的に女子の楽園ですが、一人例外もいることですし」
美雪は視線をベットで眠っている結に向けた。
美雪の目に映っているのは、愛情や心配。そして、少しの疑問。
「そういえば、結って男だったね。……結ってどこか男らしくないから忘れてた」
「そうですね。あまり異性として意識しませんね」
「私たちにとって結はすでに家族なのだよ。家族を異性として見ないのと同じ原理なのだよ」
「家族ねー。家族に例えたら結のポジションは?」
雪乃は面白いこと思い付いたと言わんばかりに笑顔になっていた。
「そうですね。お父さん、ではないでしょうか?」
「ププッ。主様がお父さん?じゃあお母さんは?」
「……普通に考えたら姫なのだよ」
「意義あーりっ!」
雪羽がテンション落ち気味で言うと、即刻、雪乃が意義を申し立てていた。
焦りの表情を浮かべる雪乃に、美雪は意地悪な笑みを浮かべていた。
「どうしたのですか、雪乃?……あぁ、なるほど。姫よりも主様様の奥様の地位は自分に相応しいと?」
「ち、違うよ!主様なんて姫に釣り合わないって言ってるの!」
「だからそこは自分にしておくべきと?」
美雪が意地悪そうに言葉を続けると、雪乃は「ちーがーうー」っと地団駄を踏んでいた。
「はぁー。美雪、ほどほどにしておくのだよ」
「あら?」
雪羽に言われて美雪が周りを伺うと、通常よりも明らかに室温が低くなっていた。
「雪乃も無意識の内に冷気を放出するのはやめるのだよ」
「ご、ごめん。でもわざとじゃないし!そもそも原因は美雪だよ!」
「謝るのは私にではないのだよ」
雪羽は呆れた顔でそういうと、視線をズラした。
「ん?」
二人が雪羽の視線を追って視線をズラすと、そこにいたのはベットに眠っている結だった。
「……あっ」
「申し訳ありません。ご主人様」
「ごめんなさい。主様」
美雪と雪乃は眠っている結に頭を下げると、珍しく二人揃ってテンションを落としていた。
「さて。話は逸れたが、美雪、行くのだよ」
雪羽は突然そういうと、一人、立ち上がった。
突然声をかけられた美雪は、「ふえ?」っと可愛らしい声を漏らしていた。
「ど、どこにですか?」
「姫を連れ出して遊びに行くのだよ」
「あっ、そういえばそんな話もしていましたね」
雪羽の言葉で、美雪はその話を思い出していた。
そこで一人の人物がビクッと体を震わせていた。
「えーと、雪羽さん?」
「なにかようか?雪乃」
その人物とは、雪乃だ。
「その話ってたしか、何故かあたしがハブられてるやつだよね?」
「……そうだか?」
「意気消沈のあたしを置いて楽しむ気かっ!」
叫ぶ雪乃の言葉を聞き流した雪羽は、ため息を一つすると、美雪を連れて部屋を出ようとした。
「まっ、待っててばー」
「……それだけ元気があれば大丈夫そうなのだよ。主様のことは頼んだのだよ」
「えーと、そうですね。お嬢様のことは我々に任せてください」
二人はそういうと、最後に満面の笑みを雪乃に向けると、部屋を出た。
「カムバーーック」
雪乃の声だけが虚しく病室に響いていた。
明日は午後六時の更新を予定しております。




