5ー45 雪の過去 後編
雪が正気を取り戻すと、周囲にあったのは凍り付いてしまった大地と、同じく凍り付いてしまった、死団の人々、そして、雪同様、死団に騙され、十字架に張り付けられていた子供たちの、氷の彫刻だった。
「え?み、みんな?」
誰がこれをやったのは明確だった。
(あたしがやったんだ)
それから、雪は罪の意識に苛ませるようになった。
殺してしまった。
罪ある死団の人間だけじゃない。
罪のない、子供たちまで、友達を殺してしまった。
雪は、無意識にその場から逃げ出した。
見たくない!見たくない!見たくない!
それが、雪の本心でもあった。
友達を凍り付かせてしまった。
それは、まだ幼い雪の心に、大きな亀裂を入れた。
雪はその場から逃げ出した数日後。偶然とある町に辿り着いていた。
海の近くにあるこの町は、海鮮物が有名であり、町の名前を【フェイロス】と言う。
町のいたるところでは、海で取れたばかりの新鮮な魚介類を使った料理の屋台がたくさん出ており、そこから零れている匂いは、お腹の空いている雪を刺激した。
しかし、今まで死団に世話になっており、お小遣いなんてものはないため、今の雪の持ち金は皆無だった。
雪はため息をつくと、美味しそうな匂いの漂うこの通りから離れようとすると、そこに突然声を掛けられた。
「お?嬢ちゃん、腹減ってんのか?」
「……誰ですか?」
雪に声を掛けたのは、ヘルムを外した西洋の鎧のような物を着込んだ一人の男性だった。
「俺か?俺はキンレイ。遠山キンレイだ」
「キンレイ?それでなんのようですか?今の私は機嫌が悪いです。冷凍しますよ?」
雪は目付きを鋭くすると、力の限りキンレイを睨み付けた。
雪の言葉は、他人に対する、拒否反応だ。
この世界に来て、始めて会った人たちに裏切られた雪は、他人を拒否するようになってしまっていた。
そして、自分の内を無意識に隠すためなのか、口調も前の女の子らしい喋り方から、ですます口調の丁寧なものへと変化していた。
雪は睨み付けると同時に、微かに体から冷気を漏らしていた。
雪はこの町に着くまで、この世界特有の化け物、イーターに襲われた。
そんなイーターと戦う内に、雪は自分の冷気をほぼ完全にコントロール出来るようになっていた。
「はっはっ。冷凍するか。その言葉、割と最近聞いたな」
「何を言っているんですか?」
「んあ?あぁ、こっちの話だ。それで、腹、減ってんだろ?」
キンレイはそういうと、さっきからずっと持っていたそこの屋台で売っている、魚肉の焼き鳥のような物を差し出した。
「……何が目的?」
雪はそんなキンレイを警戒し、目をギラリと光らせていた。
それは比喩ではなく、本当に雪の瞳は薄くだが白い光が漂っていた。
「へー。それってあいつら以外にも出来る奴がいるんだな」
キンレイは面白そうにニヤリと笑っていた。
キンレイは直ぐに表情を戻すと、ほらっと雪に焼き魚肉を差し出した。
差し出される焼き魚肉からは、香ばしい良い匂いが広がっていた。
匂いつられ、雪は思わずゴクリと喉を鳴らしていた。
しかし、雪は目付きをキッと鋭くすると、一歩退いた。
「はぁー。なんでそんな警戒するかね。たくっ、あいつらがいればどうにか無理やりにでもしてくれそうだがな。突然出来たらしい、溶けない氷の一帯の調査になんて行きやがって」
キンレイは誰かのことを思い出しながらぶつぶつと呟いていた。
キンレイの一人言を静かに無反応で聞いていた雪だったが、溶けない氷の一帯というワードを聞いた途端、体をびくんと震わせていた。
そんな雪に気付きながらも、キンレイはあえてそれを指摘しなかった。
「あなたは何を言っているんですか?それ以上わけのわからないことを言うと、冷凍しますよ」
「おうっ!やってみろ!」
独り言が多いキンレイに、雪が怒気を含めて警告をすると、キンレイは二カッと笑うと、そんなことを言った。
「っ!挑発のつもりですかっ!」
キンレイの言葉を「お前の攻撃なんて簡単に避けられる」という意味だと解釈した雪は、手のひらに冷気を集めていた。
「挑発?そんなんじゃねえ。お前な、本当に俺を冷凍するつもりなら、なんでそんなに、泣き出しそうなんだ?」
「……え?」
冷凍しますよ。
雪がそういうたびに、雪の表情は、今にでも泣き出しそうな顔になっていた。
雪にとって、この冷凍する力を人に使うことは、トラウマのようなものになっていた。
雪は他人を己に近付けさせないように、声を掛けてきた人間には、冷凍すると脅しを掛けていた。
しかし、この世の中。
他人の力無くては、生き延びることは難しい。
結果、雪はあの日から一切食べ物を口にしていなかった。
キンレイに話し掛けられ、雪は無意識にキンレイをどこかにやろうとしていた。
今までは雪がこう言いながら冷気をわざと漏れさせると、相手はその冷気に怖がり、逃げて行った。
しかし、キンレイは逃げるどころか、雪の心を指摘した。
「お前の過去は別に聞かねえ。他人が怖いか?別に他人を怖がるななんて、俺は言わねえぞ?だがな、人は一人じゃ生きていけねえんだ。今はとりあえずこれを食え」
キンレイは雪に再び焼き魚肉を差し出した。
雪の心は、迷っていた。
この手を取りたい。
救われたい。
もう、一人は嫌だ。
でも、他人が怖い。
裏切られるのが怖い。
騙されるのが怖い。
死団との一件は、雪にとって大きなトラウマになっていた。
迷っている雪を見たキンレイは、雪が本当は誰かに助けてほしいと思っていることを見抜いていた。
だから、
「おりゃっ」
「むぐっ!?」
キンレイは無理やり雪の口の中に肉を突っ込んだ。
「ちゃんと噛め。そんで飲み込め。そんで何より、生きろ」
「っ!?」
雪にとって、生きる理由がなかった。
今の雪は抜け殻だった。
このまま、餓死してもいい。
雪はそう思っていた。
他人の施しが怖い。
でも、一人じゃ食べ物は得られない。
生きる理由もない。
一度生きることを完全に諦めた雪にとって、生に執着する気持ちがなかった。
しかし、それはあくまで、表面的なものだった。
雪の心の叫びは、
「どう、して。なん……で?」
雪は手を離された焼き魚肉の棒を手に持つと、口に含まれた少ない魚肉を咀嚼しながら、小さく呟いていた。
「今は先にそれ食え」
「……うん」
生きたい。
生きていたい。
それが、本当の気持ちだった。
キンレイにそれを言われた雪は、あの日からずっと止まっていた涙を流していた。
雪は静かに泣きながら食べていた。
それから雪は、キンレイの家に住み着くことになった。
そして、雪はキンレイに自分のトラウマ、死団との一件について話した。
キンレイは雪の話しを静かに聞くと、雪が氷の一帯としてしまった場所に、雪を連れて向かった。
「あれ?」
あの儀式が行われた場所にたどり着いた雪が最初に発したのは、そんな疑問の言葉だった。
雪の氷は炎を当てても溶けることがなく、あの日から、ここは消えない氷で覆われていると聞いていた。
この情報は噂となり、一種の事件として取り扱われていた。
しかし、そこにあったのは、元の緑に覆われた草原だった。
雪がその現状に驚いていると、そこに二人の人物が現れていた。
どうやらその二人は、キンレイの知人らしく。
男性であるキンレイが雪を引き取るよりも、二人に雪のことを頼んだほうが良いと判断し、キンレイは二人に雪のことを頼んだ。
それから雪は、その二人と行動を共にするようになった。
日々のなかで、雪は二人に鍛えられ、そして雪の力が記憶を凍らせる能力であることがわかった。
雪は二人と修行を重ね、己の力を完全にコントロールできるようになった。
そして、あの日。
それは起きた。
「雪。頼みたいことがあるんだけどいい?」
行動を共にするようになった二人組の内、一人の少女に頼まれたのは、なんと、
「雪の能力で、あたちたち三人の記憶を凍結して」
少女が雪に頼んだのは、記憶の凍結。
今後、三人が出会ったとしても、過去に会っていたことがわからないようにすることだった。
しかし、記憶の凍結は永遠ではない。
一つ、記憶を元に戻す方法があった。
「あたしの記憶は一部残しておいて」
少女の記憶の一部。
それは、少女の中にある、もう一人の人物への記憶だけは残すということだった。
「あたしがキーワードを言ったら三人の記憶が解放されるようにしてくれる?」
少女の頼みを、雪は了承した。
二人と行動を共にするなかで、雪は二人に絶対的な信頼を持つようになっていた。
だからこその、即答だった。
三人の思い出がどうなるかは、全て少女に託された。
そして、二人の記憶を無くした雪は、ある日、賢一に拾われる。
二人の記憶だけでなく、キンレイの記憶もなくなっていたため、雪の心は再び冷めてしまっていた。
そして、現在。
賢一経由で雪は奏たちに出会った。
雪のしたことが大きな戦いを呼ぶきっかけになったことを、今はたった一人しか知らない。
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