5ー43 死
「あの、なんで姫がここに?」
暴走を始めた結を、突然現れた奏が、結を氷漬けにすることによって動きを封じ込めた後、静かになった部屋で最初に声を発したのは雪乃だった。
雪乃が当然とも言える質問をすると、奏は冷静な表情、言い換えれば無表情で振り返った。
「嫌な予感がしましたので」
「嫌な予感?」
「……結が、また暴走してしまう気がしまして」
「あ……」
奏は悲しげな表情になると、氷の彫刻と姿を変えた結を見つめていた。
「か、彼は死んでしまったのかい?」
「……あなたは?」
突然話し掛けてきたテイルに、初対面である奏はクエスチョンマークを浮かべていた。
「あっ、この人はこの街で偶然会った人で、名前はーー」
「フェアリー家、長男。テイル=フェアリーだっ!」
「なるほど。フェアリー家の人でしたか」
(それにしても、やけに長男を強調しましたね。確かに中性的な顔立ちをしていますし、初対面では女の子だと勘違いしてしまいそうですね……)
「そ、総隊長殿?」
「はい?なんですか?」
奏が考え事をしていると、ハヤテの声によって奏は現実に戻っていた。
「彼女……いえ、彼はどうなってしまったのですかな?」
「……彼とは?」
「今、氷漬けになっている。結花と名乗っている少年のことですよ」
「……何を言っているのですか?結花は正真正銘、女性ですよ?」
「誤魔化すのはよしなさい。ワシはこのことを口外するつもりは皆無じゃ。あの者にも口止めをするつもりじゃ」
ハヤテはカレナに視線を向けていた。
見られていることも気付かずに、カレナに氷漬けになってしまった結のことを呆然とした表情で見つめていた。
「カレナ!こっちに来るのじゃ!」
「……」
ハヤテが呼び掛けても、カレナは呆然とした表情のまま、無言で結のことを見つめていた。
「なんで……」
カレナはボソリと消え入りそうな声でつぶやくと、その表情を少しずつつ憤怒へと変えていた。
「どうしてですかっ!」
さっきの消え入りそうなつぶやくからは一転、大声で叫んだカレナは、目尻に涙を溜めながらも、キッとした目付きで奏に詰め寄っていた。
「どうしてですか!どうして結花さんを殺したんですか!」
カレナは泣き顔で奏に突進すると、奏の胸をボコボコと叩いていた。
叩いているとはいえ、その拳に力は入っておらず、奏はされるがままにしていた。
「なんでですか。どうして、結花さんを……」
「結、いえ、結花は暴走してしまいました。これは当然の処置です」
「仲間じゃないんですかっ!」
「仲間ではありません」
「なっ!!」
奏が冷たい目で即答すると、カレナに目を大きく見開き、表情を固まらせていた。
次の瞬間、カレナは泣きながらも目をキッも鋭くしていた。
「ふざけるなっ!」
パシンッ。
部屋の中に乾いた音が響いた。
それは、カレナが奏の頬をビンタした音だった。
「結花は、仲間ではありません」
「まだ言うかっ!」
怒ったカレナは、もう一度手を振り上げた。
しかし、カレナはそのまま固まってしまっていた。
何故なら、奏の瞳からは、一筋の涙が流れていたからだ。
「結花は、何よりも大切で、かけがえのないの、家族です」
奏は無表情ながも、両目からたくさんの涙を零していた。
それを見たカレナは、振り上げていた手を下げると、俯き、泣き出していた。
「……姫?」
「……ごめんなさい」
雪乃は自分も泣いているというのに、奏の肩に手を起きながら、優しく声を掛けていた。
「暴走してしまったんですよね。なら、仕方がなかったんですよね。奏さんが謝る必要なんてないですよ」
奏の謝罪を、結を殺してごめんなさいという意味だと思ったカレナは、指で涙を拭いながらも優しげな表情を浮かべていた。
(結とは会って間もないはず。それなのにここまで泣かせるなんて、結が凄いのでしょうか?それとも彼女が涙脆いだけでしょうか?)
奏はそんなことを考えると、今はそんなこと考えている場合ではないと、首を横に振ると、今度はカレナに頭を下げた。
突然頭を下げられたカレナは「えっ」っと声を漏らしながら、慌てているようだった。
「ごめんなさい」
「だ、だから奏さんが謝る理由なんて……」
「いえ、そのことではありません。私のせいで不要な心配を掛けてしまっているようですので、そのことへ対する謝罪です」
「……不要な心配ってなんですか?」
「結花のことです」
「……結花、さん?」
そうつぶやくカレナは、きょとんした表情で首を傾げていた。
「結論から言いますと、結花は死んでいるわけではありません」
「……へ?」
きょとんした表情から一転、カレナは目を大きく見開き、ありありと驚愕の心情を表していた。
「どどど、どういうことですか!?」
「今の結花は、一種の封印状態なんです」
「封印?」
慌てた様子でいるカレナに奏が簡単に説明をすると、またきょとんとした表情に戻っていた。
「姫ー。主様はしばらく出てこられないんだよね?任務はどうすればいい?……もしかして、あたし一人?」
「いえ。そのつもりはありません。雪乃も結花同様、ガーデンに帰還してもらいます」
奏がそういうと、雪乃は安心したようにふぅーっと一息ついていた。
「それは困るぞっ!」
突然大声を出したのはテイルだった。
「確か、テイルさんでしたか?」
「そうだ!」
「困るとは?」
「あー。それはあたしから説明するよ」
雪乃はあちゃーとでも言いたげなポーズをすると、【ノーンマギカ】殲滅作戦をテイルと共同戦線を張る予定だったことを説明した。
「なるほど。フェアリー家の者が【ノーンマギカ】にそれだけの敵対心を持っている理由は気になるところですが、それよりも今は結花の保護が重要ですし。……さて、どうしましょうか」
考え込んだ奏は、突然、閃いたように手をぽんっと叩いた。
「ならば、私が【ノーンマギカ】を殲滅しましょう」
「姫っ!?」
「ま、待てっ!一体君は何を言っているのかわかっているのかい?」
「そ、そうですよ!【ノーンマギカ】はそれはそれは大きな組織なんですよ!」
奏がまるでちょっと散歩に行ってくる、って感じで、まるでどうってことないかのように言うと、周りは奏に思い思い言葉を投げ掛けていた。
「大丈夫ですよ?一撃で終わりますから」
「なっ!」
一同が驚愕している中、雪乃だけは「あっ」っと声を漏らしていた。
「……そういえば姫。戦略級幻操を雨みたいに使えるもんね……」
雪乃がため息混じりに、呆れたように言うと、ハヤテが驚きの声をあげていた。
「戦略級幻操ってなんですか?」
カレナがハヤテに質問をすると、それに答えたのはハヤテではなく、テイルだった。
「戦略級幻操。戦略級、つまり戦争などの大戦で使われる超大規模の幻操術。し、しかし、戦略級幻操は個人で発動出来るようなレベルの消費幻操ではないっ!それを雨のようにだと!?ありえない!」
テイルは大声で叫んでいた。
幻操術を【物理世界】の拳銃や武器などと考えると、戦略級幻操とはつまり、一度の発動で一つの島を破壊してしまう程の巨大な爆弾のようなものだ。
一度の発動でさえ、プロの幻操師が数十人以上集まってやっとという程の消費幻力なのだ。
それを雨のように使うということは、少なくともプロの幻操師数百人分の幻力量を秘めているということだ。
結を封じた姿を見たとはいえ、それでも到底信じられるようなものではない。
それはハヤテも同感だった。
しかし、今の奏の様子を見て、ハヤテはとある可能性を考えていた。
「総隊長殿は、もしや、先ほどの幻操、限界突破をしていないのでないか?」
「限界突破ですか?残念ながら、私は限界突破は出来ませんよ」
(……なんと)
ハヤテは奏の答えを聞いて、完全に固まっていた。
限界突破が出来ない。
つまり、奏は顕在幻力の一五%前後で終末を発動したことになる。
結の改良で、コントロールも消費幻力もだいぶ楽になっているとは言え、それでも一流の幻操師でも使えないレベルだ。
奏の顕在幻力の量を考え、ハヤテはこころからの恐怖を覚えていた。
「あっ、姫っ!だ、駄目だよ!」
「どうしてですか?」
「だって、戦略級幻操の雨降らしたら、十中八九この町が消滅するよ?」
「……そうですね」
確かにこの町は、裏の部分がほぼ全て【ノーンマギカ】に染まっているとは言え、染まっていない者もたくさん住んでいる。
それを全て破壊してしまうのは流石にマズイ。
「困りましたね」
「結花が治った後で改めては?」
「それは不可能です」
雪乃が提案をすると、奏はそれを強く否定した。
「なんで?」
「この後の結花は予定が詰まっています」
「へぇー。じゃあどうするの?」
「……そうですね。ご老人、ハヤテさんでしたか?」
「ご、ご老人じゃと!?」
「……ご老人と呼ぶにはまだまだ若いですね」
「かっかっかっ。総隊長殿からすれば十分ご老人かもしれんの」
ご老人と呼んだ瞬間に、ハヤテがショックそうな表情をしたため、奏が言い直すと、さっきまでの反応はなんだったのかと思うくらいに笑っていた。
「さてはて、それでなんじゃ?」
「話は聞いていました。あなた方も【ノーンマギカ】を潰そうとしているんですよね?」
「……それがなんじゃ?」
「あなた方はいつ行動に移そうとしているんですか?」
「……それを聞いてどうする」
ハヤテが眉を顰めながら言うと、奏は無表情のままスッパリと言った。
「あなた方の予定次第では、その日に私たちもお手伝いしようかと」
ハヤテは考え込むように目を瞑ると、そっと目を開けた。
「……二年じゃ」
「二年後ですか?」
「そうじゃ」
「わかりました」
再び目を瞑り、静かに言うハヤテに、奏は頭を下げると、雪乃に声を掛けた。
「雪乃。行きますよ」
「へ?あっ、ってテイル様については解決してないけどどうするの?」
「そうだ!私との約束はどうなるのだ!」
「約束は守ります。二年後。私たちは必ずこの地に戻ります。その時、そこにいるハヤテさんと一緒に約束を果たす。それでは駄目ですか?」
「し、しかし」
「駄目ですか?」
奏がテイルの目をまっすぐと見つめながら言うと、その目に気圧されたのか、テイルは一歩退くと、観念したかのように「わかった」っとつぶやいた。
「雪乃。行きますよ。それでは、ハヤテさん、テイル様。また二年後に再びお会いしましょう」
「あっ!ま、待ってよー!!」
奏は氷漬けになった結を、氷を操作することによって運ぶと、その場から静かに退出した。
奏を追いかけるように雪乃もまた部屋から走り出て行った。
「むぅ。この部屋。どうするかの」
そこに残ったのは、結の暴走による圧力と、奏と雪乃の氷によって傷付き、所々凍っている部屋だった。
「……はぁー」
ハヤテのため息が虚しく部屋の中に響いていた。
次の更新は、午後九時になります。




