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火の書

 太陽。それは永遠に燃え続ける生命。私達の憧れ。

 あんな精悍な太陽もいつかは燃え尽きてしまうのだろうか。

 私達のように。



 ◇◇◇



 私はマッチの擦り合う音と共に生まれた小さな火花。一瞬にして生まれた小さな命。

 私は生まれてはじめて乗り移った小さなマッチ棒の揺り籠に揺られながらも、辺りを見ようと一生懸命に周りを照らした。

 でも見えたのはおぼろげに見える誰かの輪郭だけ。

 そんな私の視界を拡げる為かその誰かが私を沢山木材が入った場所に連れていくとそっと私を地面に降ろした。

 次々と明るくなる私の周り。窓から入る隙間風が私の事を強くしてくれる。

 暮れてゆく太陽の光がほんの僅かだけ部屋の中を照らし、私もその輝きに憧れ、優しく光る為に少しだけ強く燃えた。

 暖炉の中の小さな焔。

 それが今の私だ。

 私は薄暗くなっていく部屋をほんの少しだけ明るくしながら改めて周りを見渡した。

 少しだけくっきりしていた家具の形やラインが徐々に仄暗くなっていき、次第に遠くの物から見分けがつかなくなる。

 そしてそんな私の視界を遮るように、二足歩行の不思議な生物が二人ほど現れると、暖炉の近くにあった椅子に座り暖をとりはじめた。

 どいてもらおうと、その人達の影を揺らしてみたけれど、結局私の視野には二人の姿と残りの部屋を支配する大きな影しか収まることは無かった。

 ギーコギーコと椅子が鳴き声をあげている。

 心地よいリズムと同時に舟を漕ぎ出した椅子とは裏腹に、その上に座る人はどこか焦点の合っていない目で私を見ていた。

 眩しすぎないように赤から橙色に変わって二人を照らす私。

 そんな変化を敏感に察知したのか、その隣に座る人の瞼は暗くなると同時に開く回数が少なくなっていった。

 無言で佇む二人を他所にパチパチと小さな火花を咲かす私。しかし、沈黙に耐えきれなかったのか、それとも何かを思い出したのか、頭で舟を漕いでいた人が目をパッと見開いたかと思うと、隣で思考に耽っている人に声をかけた。


「パパ…。私、眠い。おばあちゃんはまだ?」


 目をこすりながらそう尋ねる高い声。

 どうやらこの小さな子供は女の子のようだ。そして、その隣に座るのが彼女の父親。

 声をかけられた男の人は女の子の声で我に返ると、物凄く無理矢理に笑顔を作って彼女に優しく語りかけた。


「そうか。眠いか。ああ、もうこんな時間。そろそろ、ベッドに入る時間だね」


 彼女の言葉に反応した男の人は今度は慌てたように壁の時計に視線を送ると、大袈裟な仕草でそう言った。

 何かを取り繕うような、空元気の状態。女の子は彼の状態は分からないようだったけれど、雰囲気で触れてはいけないことを察している。そんな重い空気に見かねた私は彼の顔を思いっきり照らそうとしたけれど、彼の表情はどこまでも曇っていていつまでも暗かった。

 その時。ノックの音が鳴り響いた。

 パタンと、ドアが開いたかと思うと、男の人と女の子の中間くらいの年齢の女性が部屋に入ってきた。


「旦那様、ちょっと」


 その女性が男の人に耳打ちをする。

 女の子は不思議そうに彼らを見守っている。

 やがて、男の人は目を瞑って溜息をつくと、また目を開いて今度は窓の外をぼんやりと眺めながら静かに呟いた。


「じゃあ、今夜がヤマなんだな?」

「はい。お医者様によるとそのようです。今は奥様がついておられますが」


 男の人の確認する声に淡々と返す女性。男性の表情は、私の灯りが上手く届いていないのか、どこか陰りが感じられる。

 彼はそのまま寂しげに目を細めると、今度は自分の腰よりも低い女の子に目線を落としながらゆっくりと告げた。


「この子を母上のところに連れていってあげてくれ」


 突然の男の人の申し出に女性は一瞬だけ眉をピクリと動かすと、返事をしながら女の子の手を取った。

 そして、どこか不安げに彼女と父親を交互に見上げる女の子に、女性は安心感を覚えさせる声でこう告げた。


「お嬢様。今から私がお嬢様をお祖母様のところへお連れいたしますね」


 彼女の言葉に頷く女の子。その様子に目を細めた女性は、もうすっかり暗くなってきた外を見やりながら暖炉の近くに置かれた蝋燭を取りにいった。

 そして、暖炉で私の一部を灯した蝋燭を女の子に渡すと、彼女は男の人に頭を下げながら女の子と共に部屋を出て行った。

 去り際。ちらりと見えた男の人の顔は哀しみに包まれていた。



 ◇◇◇



 カツン、カツン、と二つの足音が暗い廊下に響き渡る。

 そして二つの足音を誘導するように私は輝き、彼女達の影も伴って一列の隊を形成している。

 私は彼女達の足場が確実に見えるように足元をしっかりと照らしながら女の子の手の中に収まっていた。

 足音が止む。代わりにコンコン、とドアを叩く音が聞こえてきて私は目的地に着いたことに気がついた。


「失礼します。お嬢様をお連れしました」


 事務的な挨拶の後に部屋に足を踏み入れる女性。その姿を追うように女の子も入室する。

 私は彼女の手の中でゆらゆらと揺れながら、今は薄暗い部屋の中を見渡していた。

 清々しいほどの真っ白な壁に、部屋の四分の一は埋め尽くすほどの絨毯。年季の入った古い家具達はそこに佇むだけで月日と年月を感じさせる。

 私はこの部屋に漂う独特の雰囲気に背筋が伸びる思いを感じながらも、負けじと辺りを照らしていた。


「ゴホっ、ゴホっ」


 すると、誰かが咳き込む音と同時に女の子が歩きだした。

 小さな足取りでトコトコと進んだ先にはベッドに横たわる皺だらけの人と、その隣に座る女性の姿がある。

 私は、そんな二人の顔をよく見るべく、ほんの少しだけ強く燃えると、二人の顔を暗闇の中から映し出した。

 暖色で照らしているにも関わらず、皺だらけの人の顔色はキャンパスのように白く、その隣の女性はどこか暗い。


「少し、身内だけにしてくれるかしら」

「かしこまりました、奥様」


 女性はそのまま真っ白な皺だらけの人に目線を向けながらそう声を発すると、先程女の子を連れてきた女性は丁寧に頭を下げながら部屋を退室していった。

 無言の状態が続く。女の子は私を彼女の背格好と同じくらいの高さの台の上に置くと、心配そうな目線を皺だらけの人に向けながらその隣に座る女性に声をかけた。


「ママ。おばあちゃんは大丈夫?」


 静寂な部屋に響く無邪気な声。

 彼女の言葉に反応したのか、どこか苦しそうな表情を一転して笑顔を浮かべた女性は、女の子を優しく抱きしめながら小さく呟いた。


「大丈夫よ。お祖母様はとても強いお方だわ。今は少し……ほんの少しだけ眠っているの。きっとすぐに元気になるわ」


 女性の頬を一筋の滴が伝い落ちる。

 目を真っ赤に晴らす彼女の言葉は途中から鼻声になってとても聞き辛い。

 そんな彼女の体温と雰囲気を肌で敏感に感じ取った女の子は、何も話さずにただただ受身になっていた。


「ゴホっ、ゴホっ」


 その時、皺だらけの女性が咳をすると、身体を僅かにあげながら辺りを見渡した。


「水、水をおくれ」


 しわがれた声でそうつぶやく女性にもう一人の女性はコップに入った水を飲ませる。ゴクゴクと僅かに溢しながらも中身を飲み干した初老の女性は今度は視線を小さな女の子に向けると、身体を起こしながら声を出した。


「この子と一緒に絵がみたい。画廊に連れていっておくれ」

「ですが、お義母様。お身体が……」

「いいから。可愛い孫と一緒に絵を見させておくれ」

「ですが……」

「いいから。お願いじゃ」


 彼女の突然の申し出に女性は慌てて止めようとするも、曲げることのない意思を感じさせる物言いに女性は折れると、初老の女性の手を取りながらゆっくりとベッドから降ろした。

 一瞬、よろけながらも覚束ない足取りでなんとか立った初老の女性は今度は反対側の手で女の子の手を掴むと彼女に目線を合わせながら柔らかい声で尋ねた。


「今から一緒に絵を見に行こう。いや、一緒に見に行かせておくれ。おばあちゃんのお願いじゃ」


 その声に頷く女の子。

 やがて、三人は私も連れて部屋を出ると、今度は絵がある廊下の方向に向かって歩を進めていった。



 ◇◇◇



 廊下を歩いてしばらくが経った。

 女性が咳き込む度に休憩が入る。

 進んで休憩、進んで休憩を繰り返しながら廊下の角を曲がると、そこには荘厳な雰囲気に包まれた別世界が広がっていた。

 壁一体に広がる窓ガラスからは神秘的な青白い月の光が差し込み、反対側の壁にかけられている静止画や肖像画を静かに照らしている。

 窓の外にはこれまた一言では形容し難いほどに美しい庭が広がり、各場所に咲き乱れる花々や木々、いつもよりも丸い月の形に思わず見惚れてしまった。

 先程までの重い空気を一瞬で吹き飛ばすくらいの絶景に私はおろか、女の子も思わず絶句している。

 そんな私達を他所に初老の女性は壁にかけてある肖像画に目を向けると、あらかじめ用意されていた椅子に腰をかけながらポツリポツリと語りだした。


「あれは私がまだ小さな子供の時だった」


 時折咳き込むおばあさんの背中を女性が撫でる。おばあさんの声に反応した女の子は私を近くの机の上に置くと、そのままおばあさんの語りに耳を傾けていった。


「まだ初夏の香りが抜けかけていない真夏の手前の季節の頃。私は両親に連れられて、隣町の小さな祭りに参加していたんじゃ」


 淡い月の光に照らされて懐かしげに話す女性の表情はどこか嬉しそうで淋しい。儚く散っていく私とは違い、何日も様々な角度から照らすことが出来る月に少しだけ嫉妬する。

 そんな私はその嫉妬心をこめて僅かの間、女の子の横顔を照らしていると、おばあさんはとある風景画を指差しながら続きをかたりだした。


「賑やかな笑い声にお腹を空かせる食べ物の匂いに私は夢中だった」


 風景画に描かれているのは様々な灯りに彩られた多種多様な屋台が並ぶ一本道。その語りと共に絵を鑑賞しているとまるでその光景が実際に動きだすようで、私は暖かいようなくすぐったいような不思議な気持ちになった。

 もし私があの提灯だったら人々をどう照らしていただろうか。

 薪や蝋燭では無く、油を燃やしていたら私はどんな色に染まりどんな匂いに生まれ変わるのだろうか。

 そんなことを想像すると、さっきまでの嫉妬心は嘘のように消えていて、代わりにどんなふうに燃えたいのかと考えるようになった。


「おばあちゃん。この絵は何?」


 すると、今度は小さな女の子が隣の絵を指差しながらそう尋ねた。

 絵の中ではおめかしをした小さな女の子がかぼちゃをくりぬいて作ったランプを片手に笑っている。


「ああ、これは私が小さい頃に行ったハロウィンパーティの絵じゃよ。あの頃はよくこうやって他人を脅かしたものじゃ」


 その絵は楽しげにも関わらずどこか恐ろしく見えて女の子は肩を小刻みに震わすと、そのまま顔を手で覆った。

 同じ火なのにこんなに輝きが違うのかと思うと、凄いという気持ちを通り越えて感銘を受ける。

 私はこの絵の中の火のようにゆらゆらと揺れると、女の子はきゃあと可愛い悲鳴をあげてその隣の女性の胸に飛び込んだ。

 怖がらせてしまったことを反省して、やっぱり強めに光ることにした私。土台となる蝋燭ももうあと少しとなってきた。


「お義母様。そろそろベッドに戻った方が……」


 女性の遠慮がちな声が響き渡る。

 おばあさんは頭を振って拒否を示すと僅かに咳き込みながら呟いた。


「最後くらい私の好きなようにさせておくれ」


 有無を言わせない凄んだ声に押される女性。女性は言っても聞かないと判断したのか節を折ると、何かを諦めたのか唇を噛み締めながら下を向いた。


「ママ?おばあちゃん?」


 女の子が不安げに二人の様子を窺う。私はただただ揺れることしか出来ない。

 せめても、と思い女性の悲しそうな顔を明かりを小さくすることで隠した私は、おばあさんの瞳に映る私の姿を見ながら精一杯燃えた。

 こんな時に最初の絵のように明るく誰かを励ますことが出来れば……。

 無力な自分を恨む。


「最後の絵は私にとってとっても特別なものじゃ」


 しかし、おばあさんから聞こえてきた声は予想外に明るいもので私は戸惑いのあまりに身体を震わせた。

 どうやら残りの二人にとっても意外だったようで、二人はただ真剣に耳を傾けている。

 私はおばあさんの目線の先にある肖像画に焦点を向けながら見やすくなるように明るめに光った。

 絵の中央の奥。そこには赤や白や黄色で鮮やかに飾り付けられた木が聳え立ち、その前には大きな家族が座ってプレゼントを開けている。

 ちょうど今ぐらいの季節の格好に身を包んだ彼らはとても幸せそうで、私はこの絵に浮かぶ飾り付けのようになりたいと思った。

 よく見ると、まだ小さな赤ん坊が不器用に包み紙を開こうとして失敗していたり、その赤ん坊を見つめる両親や祖父母達はとろけそうなほどの甘い眼差しで赤ん坊の行動を見つめている。

 どこかで見たことのある顔ぶれに、私はほんの少しだけ驚くと、おばあさんはその絵を微笑ましげに見ながらこう呟いた。


「孫も息子夫婦も揃ったクリスマス。あれは本当に楽しかった」


 相好を崩し、目を細めながら頬を緩ませるおばあさんの顔は病気だとは思えないほど元気そうで私はホッと胸を撫で下ろした。

 そんな中、スースーという寝息と共に女の子が夢の世界に誘われた音が耳をくすぐる。


「さて、その子を寝室に連れていってあげておくれ」

「ですが……お義母様も一緒に」

「私は最後に一人になってやりたいことがある。何。私の最後の我儘じゃよ」


 おばあさんの声には強い意志と覚悟がこもっていて、女性は涙混じりにはい、と返事をすると、女の子を抱きかかえながらその場を去っていった。

 そのまま取り残された私。

 そして溜息を一つ吐き出すおばあさん。


「散歩に出掛けるかの」


 そう呟いたおばあさんは私を手に取り窓を開けると、そのままあの幻想的な庭に足を踏み出した。

 青白い光に包まれる庭はまるで月面を歩いている気分に浸らせてくれて、空には溢れんばかり星が月と並んで絵画以上の絵画を作り出している。


「久しぶりじゃのぉ。夜道を散歩するのは」


 空を見上げるおばあさんの表情は分からない。でも、滴り落ちた涙は星のように輝いていて、おばあさんは今どんな気持ちなのか分かったような気がした。

 やがておばあさんは小さな丸池が憩いの場に辿り着くと、近くのベンチに腰掛けながら空を仰ぎ見た。

 月も星も、夜空も優しくおばあさんを見降ろして慰めている。

 真っ白に、真っ青に、そして真っ赤に燃える星達はどんな気持ちで私達を見ているのだろう。

 私は多分、もうすぐ消える。

 儚く散ってゆく。

 あの星達と比べてもこのおばあさんと比べても私の生命は短い。

 果たして私は後悔せずに燃え尽きることが出来るだろうか。

 悔いなくこの世を去れるのだろうか。

 一生懸命誰かを照らしてきた一生は私の満足のいく一生だっただろうか。

 きっと私は生まれた意味も消える意味さえも知らずに死を迎えるだろう。

 誰にも覚えられずに。一人ぼっちに。

 でも、こんな短い間でも分かったことがある。

 それは……。


「おじいさん。今あなたのもとへ向かいます。また明日一緒に朝日でも見ましょう」


 おばあさんの最後の言葉が紡がれる。同時に、彼女の人生の火が終わりを告げる。

 彼女の人生はあっけなかっただけなのだろうか。それとも意味があったのだろうか。

 そんな事は私にはわからない。

 でも、彼女の意識が離れる瞬間、私は彼女の幸せそうな顔を照らすことが出来た。

 きっとそれが私の生き様。

 生きた理由。

 ただそれだけなんだ、と私は思う。

 さて、私の生命にも幕が降りるようだ。

 蝋燭の蝋が消えて、私の土台が無くなる。

 私は数々の星々に見守られながら跡形もなく消えていった。

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