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土の書

 土くれが飛び、石ころが跳ねる。地面を揺らす震動は小さなものから大きなものへ。徐々に強くなっていく音は段々と近づいてきたかと思うと、巨大な足音と共に遠ざかっていってしまった。

 誰もいない大地の真ん中。そこには哀しげな静けさと共に数々の動物達の足跡が集まっている。

 皆、水やエサを求めてここを通り過ぎていくのであろう。でなければただ意味もなく地盤を踏みつけているのだろうか。そんなことを考えていた砂は小さなそよ風の助けを借りてゆっくりと起き上がると自分では絶対届くことの出来ない広い宇宙を見上げた。

 茶色に染まった自分を慰めてくれるのは優しく照らす太陽と真っ青な空だけだ。砂は自分の周りに哀愁を漂わせながら自分自身を嘲笑うと、旅支度を始めた。自分探しの旅でもなければ、観光目的の旅でもない。そう、これは自分を求める者達を探す旅なのだ。

 目指すは未開の地。まだ自分が行ったことの無い最果ての土地。

 砂はかつての住処に別れを告げると、日の光が届かない地中深くへと潜っていった。地中一メートル、二メートル。少しずつ穴を掘りながら進む度にミミズやモグラが顔を出す。

 光の無い、暗い地面の下でよくもしぶとく生きられるものだ。

 砂は彼らの生命力を感じながら感心していた。彼らの生きる術に。生きる道に。

 とにかくまずは自分の居場所を探すべきだ。砂は静かに土に溶け込むと、自身の目的を見失わないように自分に喝をいれた。

 またゆっくりと進む。地中三百メートル。土の目前には体長五メートルを超える巨大な骨が転がっていた。全てを砕いてしまうかのごとく太く尖った顎に歯。掴まったら二度と脱出出来ないであろう巨大な手。古の大地を力強く踏んでいたであろうその脚に土は震えた。いずれ自分にも終わりはくるのだろうか。土は考える。

 いずれ自分も新たな土に埋れ、誰からも忘れさられていってしまうのかと。

 かつて砂だった自分が土になったように。

 そんな風に思っていると胸のあたりが途轍もないほどむしゃくしゃした。自分に体は無い。しかしそれでもむしゃくしゃするのだ。無性に。

 土は恐竜の骨に自分の過去を重ねると何事も無かったかのようにまた地中深くまで沈んでいった。今優先すべきは終着点に辿り着くこと。過去ではなく未来を見ることだ。

 段々と暑くなってきた。ここまでノンストップで下ってきたからかもしれない。ミミズと骨、土竜と恐竜。

 自ら肥料になるまで土の中で生きるミミズと、栄養を喰らい続けて残った骨。現代を生きる土竜と過去を生きた恐竜。少ないながらもこれらを見てきた土は薄っすらと自分がどこに向かっているのかを感じはじめた。

 どこか落ち着いたところに座って休憩をとりたい。そう思った土はこの辺りの地層で休息をとることにした。

 ぶらぶらと休めそうなところを探していると、小さな鍾乳洞に辿り着いた。

 不思議な光景だ。天井から伸びる角と角が歯のように並んでいる。

 ポタリ、とまた小さな雫が滴り落ちた。こうして水が運んできたミネラルや炭素でこういった鍾乳洞は出来上がるのだ。それこそ長い年月をかけて。

 過去から現在まで続く鍾乳洞。恐竜のように終わりを遂げたものではなく、また土竜のように今を生きるものではない。過去を生き、今も生きる。

 土はこの生きる歴史を素直に素晴らしいと感じた。感激のあまり目を閉じて想像してみた。自分は鍾乳洞のように未来に残せるだろうか、と。自分の跡を生きたままに。鍾乳洞のように美しくあり続けることが出来るだろうか、と。


 ーーーきっとあなたも見つけることが出来ますよ、本当の自分を。


 鍾乳洞がそう告げた気がした。土は鍾乳洞に背を向けると地面の中を潜っていった。目指すはマントル。この母なる大地の中心地。

 黙々と進んでいくと、やがて辺りの温度が上がってきた。きっとマントルまではすぐそこなのだろう。土は希望を胸にずんずん歩いていくと、やけに明るいところに到着した。

 赤々と燃え、ドロドロとしている。ここがマグマだまりだと気づくのにそう時間はかからなかった土は超高温の湯船にどっぷりと浸かった。体全体がジュワー、と肉でも焼いたかのように音をたてゆっくりと溶けていく。そうして土はマグマへと変貌した。この姿にならないと大地の中心地までは辿り着けない。マグマは生まれ変わった自分の体を眺めながらその中を泳いでいった。もうすぐそこまで来ている。後はラストスパートを駆けるのみ。

 彼はマグマの川を泳いでいくと、その先のマグマの滝へと飛び込んでいった。

 小さな浮遊感がマグマを襲う。果てしなく続く時間の中、自分はどれぐらい下降したのだろうか。そう疑問に思っていたのもほんの束の間。やがて激しい衝撃と共にマグマはマントルに辿り着いた。

 何もない、ただただ熱い空間が場を支配する。血のように真っ赤な溶岩が血管のようにどくどくと脈打つ。大地は生きているのだ。誰にも姿を見せずひっそりと。もし母なる大地が自身の心の臓を曝け出そうものなら地上にいる全ての生き物は息を引きとってしまうだろう。あまりの熱さに耐えきれず溶けてなくなってしまうのだろう。

 だから彼女は自分の本心を隠し、肩を震わせて泣くのだ。悲しさのあまりに、怒りのあまりに、そして辛さのあまりに。彼女を覆う巨大な地層でさえも抑えられぬほどに。

 いずれ彼女の本心に気づくものは現れるのだろうか。天の神に祈りを捧げるのではなく、ただ彼女と向き合い、彼女を受け止める、いや、受け入れることが出来るものがこの世界にいるのだろうか。彼女の叫びに恐怖に怯えるのではなく、彼女の本心を受け止めることが出来る大地よりも広く大きな心を持った者が。

 マグマは自分が砂だった頃を思い出した。誰にも相手にされず、踏みつけられる日々。一人寂しく風に語りかけていた日々。

 彼は彼女の気持ちがちょっぴり分かったような気がした。だからかつて砂だった彼は尋ねた。彼の母に。


 ーーーあなたも私と同じようにずっと一人だったのですか?今も独りで、これからも……。


 マグマは大地に質問しているはずなのに自分に問いかけている気がした。違う、何かがおかしい。そんな感覚が彼の中を渦巻く。

 ………………。

 沈黙が続く。混乱が彼を包みこむ頃、ずっと静かに微笑んでいた大地はこう答えた。


 ーーー私は一人ではありません。太陽や月、数々の生き物と共に生きてきたのです。彼らの母親として生まれた時からずっと。


 嬉しそうに笑っているのになぜ悲しそうに見えるのかマグマには分からない。だが、大地はそんなことはない、と言ったかと思うと途端に真顔になった。


 ーーー私は悔しいのです。彼らに直接伝えられないことが。何故争いをやめないのかと。何故同じ子供達が愛し合わないのかと。私は争いごとばかりする彼らをみていると心が締め付けられるのです。痛みに耐えられなくなるのです。だから私は彼らに知ってもらいたい。共生とは何かを。自分達は何の為にあるのかを。しかし彼らは何をしても分かろうとしない。だから私がずっと自然災害を起こしてきたのです。共に私という名の試練を乗り越え本当の意味で家族となる前に。


 マグマは自分のことが恥ずかしく感じた。ずっと一人で抱え込んでいた大地をかっこいいと思った。

 大地が出来たのなら自分だって……。

 マグマは大地に礼を告げると、自分を奮い立たせ上へ上へと進んでいった。そしてマグマだまりから抜け出すと、その姿を徐々に土に変え、泥を石をかき分けていった。

 もう休憩など挟んではいられない。ただ日の当たるところまで上がって行くだけだと自分自身を活気づけて。

 ドロドロだったり硬くなったりと不規則に変化する大地の中を駆け上がっていくと、土はとある空洞へと差し掛かった。地層が移動する最中に出来あがったものなのだろう。土は僅かに水が滴る洞窟の中で奇妙に曲がった壁や何故か地盤が崩れずにしっかりと残っている天井に違和感を覚えた。

 しかしその違和感が何かは分からない。すると、先ほどまで静寂と暗闇に包まれていた洞窟が揺れはじめ、眩い光が辺りを照らし始めた。段々と近づいてくる光をようやく捉えたと思ったらヒューん、と風を切って通り抜けていってしまい、影となって消えてしまった。

 一体あれはなんだったのだろうか。

 地面の下を馬よりも速く走るそれはいつから大地の身体の中に住んでいたのだろうか。それもあんなに急いで。

 今思うとあれは幻覚だったのではないだろうか。

 土はあまりにも焦っていた自分が錯覚でもみたのかと思い、少しだけペースを落とすことにした。

 大丈夫。もうすぐ地上だ。ゆっくり、そして慎重に行こう。

 土が気を改め直したその時、近くで微かに何かが動く音がした。思わず音がした方向に意識を向けると、そこには大きな熊が。なんとも幸せそうに寝ている熊は獰猛なイメージとは裏腹に正に癒されるほど可愛らしかった。

 土は地上の生き物も地中と上手くいっているのかと考えてみる。熊といい、モグラといい、さっきの速い何かといい、生き物が大地と密接に暮らしていると考えると土はどこかフッと力が抜けた気がした。どうして自分はあんなに悩んでいたのだろう。自分の悩みとはなんてちっぽけなものだったのだろう。もう迷うことはない、土がそう感じ日の明かりに晒されようとした時、今度はアリの大群が列を作り春の訪れを今か今かと待ち望んでいた。

 そんなアリを背に土は一足先に地上に飛び出した。自分に季節は関係ないのだから。土は全ての生き物を優しく温めるものなのだから。

 だから土は空を見上げる。まだ冬の風が冷たい。辺りにはまだチラホラと白い雪が涼しげに寝転がっていた。

 気がつけばもう自分がいた場所の反対側にいた土。その顔には踏まれたことを気にしていた暗い表情は刻まれていない。

 自分は彼らの土台なのだから、今度はもっと踏みしめられるべきだ。そうして新たな命が育まれていくのだから。

 土、いや、砂は颯爽とした顔で大地の中に溶け込んでいった。

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