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結果からいって、盗賊に扮した騎士と本職もいるが騎士に扮した傭兵による水面下の戦いは、ロランたちの圧勝どころかそれ以上の成果でもって幕を閉じた。
しかしながら、どこの国に険しい岩場を主な生息地とする大型の鹿の一種を巧みに操り、森に生息するイノシシの大群をけしかけ、さらにそれを獰猛な狼に追わせる騎士がいるというのか。
さすがのこれには敵も統率力をなくし逃げ惑ったのだが、その先では満面の笑みを浮かべた騎士服を着た鬼畜集団が待ち受けていたのだから、そこにあったのは一方的な暴虐に等しい。
降伏すらロランは許さなかった。冷酷に残忍に剣を振り、木の上から矢を放ち、ただ敵というだけで同じ人間をことごとく葬っていったのだ。
故意に逃された敵は自国に戻ると、恥も罰則も無視し言ったという。あの国は化け物を飼っている、と。
同行した騎士は、ロランたちが分別を持ち国外にまで行動範囲を広げていないことを心底感謝した。でなければ、今頃は仕事の依頼が殺到していただろう。最悪攻め込む側にいたかもしれない。
それでいて、なぜ傭兵などをしているのだろうかと疑問も持った。
戦が好きならば外に出ているだろうし、人殺しに身をやつすでもないのならば、もっと安定していてふさわしい仕事はある。選べるだけの実力だって十分すぎるほど具わっていた。
特にロランなど、小さい身体で縦横無尽に動き回り、剣を合わせることさえせずに次々と敵を倒し、さらには仲間の様子にもよく目を配れていて、傭兵団の代表で終わらせるのはもったいないほどだった。
黙っていれば愛らしく、ひとたび本性を現せば危険極まりない。その差はまるで、根に毒を隠し人を惑わす花のよう。
全身を染めながら血だまりに立つ姿は、まさしく戦場に降臨した女神であった。
余談であるが、城へ勝利の報せを向かわせ、砦で開かれた勝利の宴にて、騎士達はロランの悪癖についても知ることとなった。
あれだけ暴れたのだから、気が昂るのは嫌というほど分かる。なので当初は、唯一の女であるロランを狙って騎士達が激しい争いを繰り広げたのだが、本人が選んだのは料理人として勤務していた軟弱で冴えなさすぎるほど冴えない男であった。
いつものことだと相手を哀れむハヤブサの面々とは違い、騎士達は大いに落胆した。
しかし翌朝、晴れ晴れとした表情を浮かべるロランとは裏腹に、相手は今にも死にそうな悲壮感を漂わせ、彼女の声が聞こえただけで耳を塞いでその場にうずくまる姿を目撃すれば、何かがおかしいとさすがに気付く。
そして、一人の勇者が現れた。
彼は直接ロランに尋ねたのだ。二人の間に一体何があったのかと。彼女の恐ろしさを知る仲間たちには到底できない行動であった。
すると意外にも、ロランは渋ることなく耳元でなにかを囁き始める。
それからどうなったかというと、彼女の言葉が進むごとに青ざめていった勇者は、結局途中で遮り全力で逃走した。
というように、小さな騒動はありつつも今回の仕事も順風満帆に終わるかと思われた。久し振りに遠慮なく大暴れできただけでなく、高額な報酬に加えて褒美まで貰えるともなれば、砦から王都へと向かう足取りはとても軽かった。
そしてやってきた、被害少なく満足すぎる形で叶った勝利に喜びながらの二度目の謁見の時。前回とは真逆で大いに歓迎されてのその場には、今度はハヤブサのメンバーが勢ぞろいしていた。
ロラン以外はかなり緊張していて、ただでさえ強面な顔が二割増しでひきつっている。頭を垂れていなければ、あまりの迫力に大臣たちが青ざめていたことだろう。
「面を上げよ」
最初の餌食は、厳かにそう告げた国王であった。哀れなことに全身で凄みの効いた視線を受けてしまい、なんとか平静を保ちつつも口元はかなりひきつっている。
「おめえら視線を下げろ」
さすがのロランも気を使って小声で指示を出すと、心底ホッとしたように息を吐いていた。
それからは滞りなく報告と仕来り通りな称賛の言葉が続き、そして褒美についての話がやってくる。
「今回の働きは実に見事なものだった。特にロラン、お前の指揮は素晴らしく、また戦闘においても並々ならぬ活躍をしたと聞く。よって褒美を取らせようと思うのだが、何か望みのものはあるか?」
しかしながらこの会話、問いかけに対する答えは決められていた。辞退は後々のことを考えると許されず、かといって何でもが本当にまかり通るわけでもない。
ロランの場合はさらに、彼女の人間性から相当な不安を覚えた大臣によって一字一句に至るまで台詞を決められており、それをそのまま口にするだけで終わるはず。
そう――そのはずだった。
だというのに、国王が見下ろし大臣がヤキモキしながら見守る中、なぜかロランは悩む素振りを見せていた。
真っ先に仲間たちが嫌な予感を覚える。
頭の中では、まさしく最悪に最低な考えが生まれていた。
彼女はまだ戦いの興奮が冷めないままだったのだ。砦で犠牲になった料理人では足りなかったらしい。
ならば、と赤茶の瞳が国王を映す。好みではまったくないが、愛妻家と巷でウワサな国王相手では、よほどのことがない限り関係は望めないだろう。それこそ今回のような機会でもない限り。
そしてチャンスとは、望んだ時ほどやってこない。
ロランの柔らかな頬が不敵に緩んだ。
「では陛下――」
国王の背筋に悪寒が走ったのは気のせいではなかったはずだ。貞操などとっくの昔からあってないような身とはいえ、こうも遠慮なしに狙われることも早々ないだろう。
けれど、ロランがそんな滅茶苦茶な望みを口にしようとした時、ふと視界の隅に入り込んだ影があった。
今の今まで景色と同化していた存在は、一度意識してしまえばまるで運命のように気になって仕方がない。
さらにそれがもろタイプであれば無視できようはずがなかった。標的はあっさりと変更されたのである。
ロランの指がゆっくりと、狙い定めた獲物へと向けられた。
「あの方を一晩、わたくしにお貸し下さい」
その場の全員が、始め言葉の意味を理解出来なかった。
今の言葉の一体どこに、本来用意してあった『では陛下、報酬に少しばかりの上乗せを。ほんのお気持ち程度で構いません』と被る部分があっただろうか。出だししか合っていない。
最も早く復活したのは人質という名の留守番であったゴードンだったが、彼は慌ててロランの口を塞ごうとし、その表情を見て悟ってしまった。そこから首を刎ねられる覚悟を決めるまではほとんど一瞬である。
それでも一抹の望みを賭けて嗜めてみる。
「ロラン!」
「なんだよ、うっせーな。お前はこの数日、愛しい愛しい女と楽しく過ごせただろうが。けっ! 清々しい顔しやがって」
残念ながらあえなく撃沈した。否定もできない。
けれど、ゴードンはロランの暴走にばかり焦っていたせいで、指名された相手をまだしっかりと確認していなかった。
彼が違和感を覚えたのは、そろそろ気絶するほど怒鳴ってもおかしくないはずの年老いた大臣が、魚のように口をパクパクと動かしながら固まっていたからだ。
なんだろう、この消える気配が一向にしない嫌な予感は……。太い指で眉間を揉みつつ視線を動かせば、ゴードンは再び血の気がひいた。
が、彼がロランを諭せるチャンスは先ほどので潰えてしまったらしい。
「ロラン、今なんと言ったかもう一度聞かせてもらってもいいか」
「何度でも申し上げましょう、陛下。褒美を下さるというのであれば、わたくしはあの羊のようにか弱い彼を欲します。なに、一晩だけですので、ささやかな望みかと」
「ひ、羊ぃ?!」
そして国王も、けして外れてはならないはずの仮面を落としながらうろたえた。
大臣はまだ立ち直る気配をみせない。それどころかほぼ全員が卒倒しかけている。
なにをそんなに焦るのだろう。暢気でいるのはロランだけだ。
しかしながら、この場を治めたのは彼女ではなかった。
「へ、陛下! 恐れながら申し上げます!」
つっかえつつも叫んだのは、この場で最も混乱しているであろう羊と呼ばれた相手である。
歳は国王と同じくらいだろう。細い銀のフレームの眼鏡をかけ、長身なこともあって線はかなり細い。見るからに文官職に就いている。忙しなく左右に飛ぶ視線は自信の無さの表れだが、蒼い髪と瞳はとても理知的であり、すっきりとした容姿は多くの女の興味を引くはずだ。ただし、内気な性格が滲み出ているため女性経験が多いとは思えない。そんな男だった。
ちなみにこれはロランの印象である。彼女の悪癖は年下よりも年上相手の方が勢いを増す。むしろ5歳以上離れた年下は専門外だ。
「こ、この身がお役に立てるのならば、わた、私は構いま……せ……ん」
「言ったな! てか結構根性あんじゃねーか。それとも実はそういう趣味か? なら今からでも問題なさそうだ」
「え……、え?」
「覚悟しとけ。容赦なく可愛がってやっから」
まったくもって本心とは感じられない尻すぼみ具合だったというのに、ロランは途端にスイッチが入り、もはや国王も礼儀も何もかもを忘れてしまったのか誰の許可も得ずに立ち上がると、彼女の視線を受けて「ひっ!」と悲鳴を零す獲物の首根っこを掴み意気揚々と歩き出す。
表面上は可憐な女が長身の男を引きずる様子は、ひどい視覚への暴力だった。
とうとう大臣の数人が倒れるも、彼らを介抱できるだけの余裕がある者はまだ現れない。
いや、何かがおかしい。そう気付いたのは、ロランの行動に青ざめていた仲間の中でも最後尾の右端に並んでいた者だった。
そこは現在引きずられている哀れな獲物が控えていた側で、お偉方や国王の表情が良く見える。彼らの視線は、ロランではなく人身御供にされた部下であるはずの男に向けられていた。
その上で、この世の終わりを見たかのような表情を浮かべているのだ。
やはりこれはおかしいぞと、どうにかしてハヤブサ一の世話焼きであるゴードンに知らせようとするが、彼もまた同じような反応をみせていた。というよりも固まっている。
そうしている内に、狩りを成功させたつもりで嬉々としまくりなハンターは重苦しい扉の外へと消えてしまった。
謁見の間ではしばらく、奇妙な空気の沈黙が満ち続けた。
人々を我に返らせたのは、以外にも意識だけは保てていた老いた大臣がとうとう気絶したためだった。
「医者、急いで医者を呼べ!」
国王が慌てて叫ぶと、にわかに騒がしくなる。
外側で警備にあたっていた兵たちが何事かと押し寄せ、普段は堂々どころか偉そうな大臣が何人も倒れているのを見てすわ奇襲かと警戒するが、そうであれば自分たちよりよっぽど腕のある先輩や国王の護衛が動いていないなどありえない。
彼らは結局、状況を説明されることなく気を失った大臣たちを回収し退室するしかなかった。
そうしてその場が落ち着くと、後はもうため息の嵐だ。
国側は悪い夢を視たのだと現実逃避をし、ハヤブサの面々はどうしようもないロランをなぜ自分は慕ってしまうのかと自己嫌悪。付いて行く相手を確実に間違っている。ゴードンなど大袈裟ではなく両手をついて項垂れていた。
「ゴードン、で合ってるか?」
そんな彼へ優しい声を掛けたのは国王だ。その瞳には同情以上に同類への労いがこもっていたかもしれない。
ゴードンが顔を上げなんとか姿勢を正すと、国王は言った。
「ロランはバカなのか?」
「アホなのは確かですが、あの人は頭は良いくせに興味のないことは三秒で忘れるんです。なので、もしかしたら大袈裟ではなく自分が住んでいる国名や、ましてあのお方のことなど……」
「知らない、と。いや俺もあんな男は知らないがな。ああくそっ、一週間は魘されそうだ」
もはやそこに立場の垣根はない。それほどの激震が走っていたのだ。
なぜなら――
「あの……、一応、一応確認させてもらいますが、ロランが連れていかれた方って――」
「俺自身も信じたくないが、周辺諸国からは〝死海〟と呼ばれているマリユス・パレンバーグ本人だ」
「ですよねー」
「冷静沈着、冷酷非道、弱味を握っていない相手などこの世にいないとまで他国の王に言わしめたあいつが!」
「あの人がっすか?!」
国王とゴードンは、そろって驚きの声を上げた者を見た。
周囲の様子に違和感を感じていた彼で、据わった目に縮み上がる。
「おまえもか!」
「おめえもか!」
叱責まで同時で、この瞬間新たな友情が芽生えたとかいないとか。
国王は自棄を起こしたように頭を掻き、深い息を吐く。いい加減場を収拾しなければと、やっと頭が働き出したようだ。
「皆、今日のことは他言無用だ。ゴードンらも、いいな?」
「もちろんです。なんでしたら一ヶ月ぐらいロランを牢に入れてくれても、ほんと全然助かるというか」
「全力で断る。しかし……、マリユスは一体何を考えてるのか」
そして、思わずといった感じで呟く。
それに反応したのは、怒鳴られ涙目だった彼である。ちなみに他のハヤブサのメンバーは、どんな時でもやはりロランはロランであったと達観し、随分前から落ち着いていた。
「何って、マリユスだっけ? あの人は単純にロランさんに恋してて、振り向いて欲しいからロランさんの好みのタイプを演じてただけじゃないんすか?」
「………………は?」
「いやだから、ほら! ゴードンさん前から言ってたじゃないっすか。たまに変な手紙が届くって。妙に俺らの行動を把握してて、しかも親切に助言までしてくれる内容なのに相手が分からなかったんすよね。それの正体があの人だったんすよ!」
どうやら彼は相当に勘が良いのか、でなければ頭に雑草が生えているのだろう。仲間たち全員が後者だと思った。
なにせ相手はロランだ。見た目だけならばうっかり惚れてしまった被害者が数多くいるが、ひとたび喋れば瞬く間に幻想が崩れていく。それでもつきまとう自分たちのような連中は、まるっきり彼女の男気に惚れたからである。
皆が一斉に顔の前で手を振った。
その直後、国王ならびに大臣、さらには空気でいなければならない護衛たちまでもが絶叫し、再び謁見の間は騒然となったのだが――
その中にはゴードンのロランを責める悲痛な叫びも響いていたという。