第4話:共感のバグ
徹夜明けのレトは、昨夜の「理由不明の不眠」を未定義のバグとして処理し、朝のルーチンを開始する。
朝食のペーストを咀嚼し、嚥下する。そこに味覚はないが、生存に必要な燃料補給として、彼は淡々と作業をこなす。
ふと見ると、隣のミミが、レトの動作を……指の角度から嚥下のタイミングまで、鏡写しのように正確にトレースしていた。
無機質な、感情の抜けた顔。
レトは視界の端がわずかに歪むのを感じるが、それを無視して席を立つ。
茨の防壁の最終調整。レトが鋭い棘を避け、魔力を流し込もうとしたその時。
背後で、「ぴちゃり」と、水滴が地面を叩く音がした。
振り返ると、ミミがいた。
彼女は、レトが昨日掴んだのと全く同じ茨を、その小さな掌で、躊躇なく握りしめていた。
抉れた肉。溢れ出す鮮血。
だが、ミミは叫ばない。涙も流さない。
ただ、レトが昨日見せたのと同じ、引きつった、不完全な「微笑」を浮かべて、彼を見上げていた。
「……ミミ。何をしている。即座に離せ」
「痛いの、……ノイズ、ですよね?」
ミミの声には、計算も、悪意もない。ただ、救い主の正解をなぞろうとする、無垢な狂信だけがあった。
「レトさんが痛くないなら、私も、痛くないです……。ノイズ、だから」
レトの思考が、初めて空転した。
削除対象を検索。
だが、実行キーが反応しない。
自分の腕を切り落とすことはできても、目の前の少女が流す血を「不要な情報」として切り捨てることができない。
「違う」
レトは自分でも説明のつかない速度で、ミミの手を茨から引き剥がした。
「……違う。お前がそれを検知する必要はない」
「でも、レトさんは――」
「俺はいい。……お前は、ダメだ」
論理は破綻していた。
同一の事象に対し、自分と他者で評価基準を変える。それはデバッガーとして最も忌むべき、主観という名のバグだった。
拠点でミミの手を治療するレトの手が、わずかに、だが明確に震えていた。
彼はそれを「筋繊維の微細な痙攣」と定義しようとしたが、その震えは、ミミの傷口を見るたびに強くなる。
「……次は許可を取れ。俺の許可なく、自身のステータスを損なうな」
完全にズレた言葉。
レトはミミを「人間」として救うのではなく、より強固な「管理」の下に置くことで、自分の心の制御を取り戻そうとしていた。
だが、どれほど目を閉じても、網膜に焼き付いた包帯の「赤」は、消えることがなかった。
その光景を、世界の「記述層」のさらに奥底から観測する者がいた。
【警告:未認可のパッチを検出】
【対象:廃棄対象個体、および規格外デバッガー】
【不整合レベル:逸脱】
【……】
【整合性:再計算】
【対象座標:捕捉】
【――】




