流星
頭皮までカラフルな刺青を入れた男が、新宿の地下道で女性の首を絞めている。
彼は巨漢というに相応しい二メートルほどの身長、太い腕、太い足、熱い胸板をしていた。腹の脂肪も十分あるが、それが運動能力の邪魔をしていない。むしろ、重量が増すことで格闘に有利に働くだろう。
女性は薄手のジャンパーにスウェットという素っ気ない格好だった。
絞められた手を必死に押さえるのが精一杯だが、男が締め付ける腕力に抵抗できているようだった。
巨漢と女性の状況を、地下道の通行人は見て見ぬふりをするか、ただスマホを向けて撮影するかの二通りだった。
地下道を走って追ってきた男が、二人の姿をみつけた。
その内の一人が声をかけようとして、少し前に出ると後ろから別の男に止められた。
「ムネタには声をかけるな」
引き止める手は力強かったが、声はとても小さかった。
「けど……」
「俺たちが声をかけたら、キャンディ・パラダイス・ガーデンの責任になってしまう」
巨漢の腕力に負け、徐々に絞まっていく首。
「助けて……」
何度言ったか分からない。
だが、その言葉をきいて助ける者はいない…… と思われた。
「やめろバカ!」
そう言うなり、男は巨漢の腹を蹴った。
男は白髪混じりの、スーツをきた会社員風のおじさんだった。
おじさんの蹴りが弱いのか、彼が強すぎるのか、腹を蹴られても全く体が揺れない。
「その娘を離せッ」
おじさんは、ムネタの腕を掴んだ。
掴んだ腕に体重をかけても、抵抗する力の方が強い。
腕を掴んだまま、おじさんも足が浮いてしまった。
「離せって!」
おじさんはなけなしの腹筋を使って自分の体を持ち上げ、ムネタの腹に足を突っ張り、全身の力を使って腕を引っ張った。
腕が動く気配はなかった。
が、突然、ムネタはおじさんに掴まれた手を下ろした。
おじさんは振り落とされた。
強く床に叩きつけられ、苦痛に顔を歪める。
片腕が離れたおかげで、首を絞められていた女性はムネタの拘束から抜けだした。
次にムネタはおじさんにのしかかった。
呼吸が整う間、彼女は考える。
逃げるか、それとも戦うか。
「おじさん!」
彼女は、おじさんにのしかかっているムネタの顎を蹴った。
一直線に伸びてきた踵が男の顎を捉える。
巨漢が揺れながら倒れる。
彼女は下敷きになっているおじさんを引きずり出すと、肩を貸して立ち上がらせる。
「早く逃げましょう、殺されてしまいます」
ムネタは膝に手を当て、立ちあがろうとするが、体が揺れて立ち上がれない。
女性はおじさんに肩を貸して、歩き出す。
彼女とおじさんは、ゆっくりと、だが必死に、地下道を進んでいく。
途中で走ってくる警官とすれ違ったが、二人は何も告げなかった。
口を切ってしまっているおじさんが、ボソボソと告げた路線に向かう。
電車が出発すると、彼女はホッとため息をついた。
次第に車内の乗客が少なくなり、同じ車両に乗っているのが彼女とおじさんだけになった。
彼女は、スマホを取り出すと、半ば目を閉じているおじさんにかざし、言った。
「この人を治療して」
スマホの画面に竹の桿の映像が浮かび上がり、それが光った。
内出血して青紫になっていたおじさんの顔が、回復していく。
眠そうだったおじさんが、その異変に気付いたのか、目を覚ます。
「あ、あれ、まだ居てくれたの?」
「家まで送ります」
「だ、大丈夫だよ。なんか急に元気になったから」
おじさんは笑った。
「けど、立ち上がれないのでは?」
「平気だよ」
立ち上がって見せようとすると、一方の足に力が入らず、ストンと椅子に戻ってしまった。
「タクシーに乗るまでお願いするよ」
今度は彼女が笑った。
結局、タクシーを降りても少し歩かねばならず、二人は一緒にタクシーに乗った。
タクシーがおじさんの家に付き、彼女が支えながらマンションのインターホンまで連れて行った。
だが、部屋からの反応がない。
「おかしいな。妻が帰っている時間なんだが」
結局、彼女は待たせていたタクシーを返し、おじさんの部屋まで着いていくことになった。
五階に上がり、おじさんの部屋の前に着いた。
その表札には『流星』と書かれていた。
「お腹空いてる? 上がって行きなよ」
おじさんは、自分でそう言いながら、首を傾げた。
まるで何故、そんなことを自分が口走ったのか、わかっていないように。
「あっ、上がっていくわけないよね?」
「お邪魔させていただきます」
彼女は、意味ありげに笑った。
おじさんは、リビングのソファーまで運ばれると、彼女に食べるものがどこにあるか伝えた。
彼女は言われた通りにそれらを取り出し、テーブルに並べた。
缶ビール、ジュース、焼き鳥の缶詰、一口サイズのクリームパンが数個。
「用意までさせてるのに、こんなものですまない」
「いいんです。気になさらずに」
ビールと、ジュースで乾杯した。
「そうだ、名前を聞いてなかったね。表札を見たかもしれないが、私は流星康二、君は?」
彼女は瞬間的に名前を考え、口にする。
「佐藤ひかるです」
スマホが彼女の言葉に反応して、光った。
「へぇ…… うちの子になれば流星ひかるだね」
流星康二は、また自分の発言に対して首を傾げた。
そう言わされてるようにも感じるのだが、彼はこの子を『以前から』養子にする予定だった、としか考えられなくなっていた。
「ありがとうございます」
「えっと、待って、妻抜きで決めることは……」
康二は言いかけて、しばらく黙っていたが急に言い直した。
「いや、君を見捨てたいわけじゃないんだ。どちらかというと救いたい。それこそが社会に貢献することになる」
佐藤ひかると名乗った彼女は、こう考えていた。
月の影響はホストクラブにいた時から対して変わっていないだろう。
自分の力が弱っていても『かかり易い』人にはこんなに効果があるのだ。
欲望が強く、知的であればあるほど、心が操作し易い。
このおじさんは、『社会貢献したい』という欲が強い。
だから地下道で彼女を見捨てることができなかったのだ。
養子になれば、人の社会に溶け込むことが出来る。
これで『エリシュアのリスア』でも、仮名の佐藤ひかるでもない、『流星ひかる』という立場を手に入れられる。
その時、部屋にインターホンの音が響いた。
「あっ、妻だ」
「私が出てきます」
「待って、誤解されるから……」
康二は引き止めようとするが、怪我と筋肉痛、疲労など諸々で立ち上がれない。
ひかるは玄関のロックを開けると、戸口に立っていた女性と対面した。
上品なベージュのスーツに黒髪ロング。
地味に見えがちだが、服が彼女の整った顔立ちを引きたている。
彼女は目の前にいるラフな格好の『知らない』少女を見て、完璧な表情が崩れる。
「だ、誰!?」
あらかじめ友達がくるとか、聞いていたわけじゃない。
完全にプライペートな空間に、知らない人物が入り込んだ形だ。
だが、その強い抵抗は、ひかるの持つ『力』によって一瞬で翻った。
「……あっ、あなたが私たちの養子になる『ひかる』ちゃんなのね」
彼女は、まるで思い出したようにそう言った。
ひかるも、彼女に合わせる。
「初めまして美月さん」
今知った名を、今口にした。
「お母さん、でいいのよ」
美月は、靴を脱いで部屋に上がる。
すると、ひかるの肩に優しく手を置いて、リビングの方へ導いていく。
二人はまるでずっと前から知り合いで、養子になることを話し合っていたかのようだ。
流星家の新しい生活は、こうやって始まった。




