第四話
ヴァルツェルト家の紋章を掲げた黒い馬車が、エヴァンズ邸の門前に静かに止まった。
冬の名残を含んだ風が、リアナの髪をそっと揺らす。
家族と使用人一同に見送られ、リアナは馬車へと乗り込んだ。
窓の外で涙きながら手を振るティナとレオルの小さな手を見ながら、
——あの子たちの未来が、どうか少しでも明るく照らされますように。
馬車の揺れが始まる頃、リアナは小さく息を吸い込んだ。
蹄の音が遠ざかり、見慣れた街並みがゆっくりと過去になっていった。
◇◇◇
ヴァルツェルト家の馬車に揺られて数時間。
王都の中心に佇む白亜の門が開くと、リアナは思わず小さく息を呑んだ。
——広い……それに、息を呑むほど静か。
緑に囲まれた広い庭園と、精緻な装飾が施された三階建ての屋敷。
白い石畳が眩しく光り、門の先に広がる庭園は、見事なまでに整えられている。
だが、そこに咲く花々は少なすぎるように感じた。
それが季節のせいなのか、それとも意図的なのか…リアナはどこか違和感を覚えていた。
玄関前には几帳面に並ぶ使用人たちの姿があった。
「エヴァンズ男爵家より参りました、リアナ・エヴァンズと申します。本日よりこちらでお世話になります。どうぞよろしくお願い致します。」
リアナの挨拶に、誰もが整った身なりと所作で、まるで一つの機械の歯車のように礼を取った。
その一糸乱れぬ姿は、もはや“統制された美”を見ているかのようだった。
それは決して無愛想という意味ではなく、ただ…あまりに“徹底された裏方”という印象を与えていた。
「お待ちしておりました、リアナ様」
最前に立っていたのは、年配の執事だった。
整えられた白髪と深い皺の刻まれた顔に、穏やかな笑みが溢れる。
「お迎えにあがれて光栄です、リアナ様。
ようこそお越しくださいました。
私はセバスチャン・ロウエルと申します。
先先代の頃からこの屋敷に仕えておりますので、何かあれば私に何なりとお申し付けください」
「先先代の頃から……そんなにも長く」
リアナが驚きに目を見張ると、執事はわずかに微笑んだ。
「はい。カイエン様がまだ幼な子だった頃から、お側で仕えさせていただいております」
その声音には懐かしさが滲んでいた。
長年仕えてきた者にしか出せない、優しさと敬意が混じった響き。
「カイエン様は書斎にてお待ちですので、ご案内致します」
セバスチャンに案内され、リアナは書斎の扉の前へとたどり着いた。
「では、わたくしは一度失礼させていただきます」
深く一礼して立ち去るセバスチャンを見送った後、リアナは大きく深呼吸をしてノックをしてから、書斎の扉を静かに開いた。
書斎の中は整然としていて、どこか息をひそめたような空気が満ちていた。
壁一面の本棚、磨き抜かれた家具。
窓際のデスクで、カイエンが書類から顔を上げた。
銀灰の瞳と一瞬目が合い、リアナはスカートの裾を摘まんで一礼する。
「本日より、お世話になります。
どうぞよろしくお願いいたします、カイエン様」
「ああ。堅苦しい挨拶は必要ない。
部屋はセバスチャンに任せてある。
衣装、生活必需品なども全て整っているはずだ。
今さら伝えることも特にない」
リアナは軽く瞬きをした。
昨日と同じ淡々とした口調——だが、それが不思議と不快ではなかった。
感情の抑揚を排した声なのに、言葉の端々からは丁寧さが感じ取れた。
リアナは少し間を置いてから口を開いた。
「……承知しました。では、何か私にできることがあれば」
「特にない。お前は——お前の好きに過ごせばいい」
ぴしゃりと返され、リアナはわずかに眉を寄せる。
「……その、今日から私は“ヴァルツェルト家の妻”という立場になるのですよね?」
「形式上のな。お前がするべきことは、“妻の役割”が求められる場面でそれを演じきること。それ以外では何もしなくていい」
「……何もしなくて、ですか?」
「ああ。日中の過ごし方、外出、手紙のやり取りなども制限するつもりはない。ただし、俺の行動や交友関係にも干渉するな」
はっきりとした言葉だった。
声を荒げるでもなく、威圧するでもない。
ただ、“境界線”を示すような硬質な響き。
リアナは少しだけ視線を落とし、言葉を選ぶ。
「……わかりました。必要以上に関わらないようにしますわ」
「それが双方にとって最も効率的だ」
(——まるで、商談の延長ね)
それ以上、何かを問う空気ではなかった。
リアナは席を立ち、再び丁寧に一礼した。
「では、部屋で休ませていただきます。
色々とご準備いただきありがとうございました、カイエン様」
「……ああ」
短く頷くだけで、彼は再び書類へと視線を戻した。
扉を閉めた瞬間、リアナは肩の力を抜いた。
彼の冷たさは想定内——むしろ、感情を交えない分だけ公平だとも言える。
だが、どこまでも壁が高く、どこか“人を拒む癖”のようなものを感じさせた。
(それが“氷の侯爵”の所以なのかしら……)
廊下で待っていたセバスチャンが静かに頭を下げる。
「お部屋へご案内いたします。すでにお荷物は届いておりますので、気になる点がございましたら、いつでもお申し付けください」
「……ありがとう、セバスチャン」
柔らかく返したリアナの声には、先ほどよりも少しだけ覚悟の色が混じっていた。
これは“契約”として始まった結婚。
だからこそ、自分がどう生きるかは——自分次第だった。
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