第二話
来客があるとは聞いていたが、まさか侯爵家の当主が訪れるとは思いもよらなかった。
リアナはティナとレオルの世話をしながらも、どこか落ち着かない気持ちでいた。
両親が領地経営の相談をしているのだろうか——そんなことを考えていた矢先。
「ティナ?レオル?……あれ、二人ともどこへ行ったの?」
振り返った時には、二人の姿が消えていた。
廊下の方から、かすかに子どもの足音が聞こえる。
「もう……また勝手に走って……!」
リアナはスカートをつまみ、急いで後を追った。
曲がり角を抜けると、応接間の扉にぴたりと張り付いているティナとレオルの姿があった。
「こら〜!ここに居てはお仕事の邪魔になるわ。さあ、こっちへ行きましょう」
リアナが小声で叱りながら二人を引きはがそうとすると、ティナが口を尖らせた。
「お仕事じゃないよ〜?“ケッコンの話”だって!」
「けっ……こん?」
ティナの発した言葉に、リアナは思わず動きを止めた。
レオルも得意気に頷きながら言う。
「うん!お父様と、さっきのカッコいいお兄ちゃんがそうお話してた!」
その瞬間、リアナの心臓がドキリと鳴った。
“結婚”という単語を耳にしたのは、もう随分と久しぶりだった。
訳あり貴族の娘だと遠巻きにされて縁談は来ず、社交界でも“行き遅れ寸前”とまで囁かれているリアナにとって、それはもう遠い世界の話だと思っていた。
ほんの出来心で、リアナは耳をそばだてた。
扉の向こうから、エドガーの緊張を帯びた声がかすかに聞こえる。
「……ですが閣下、やはりあの子にそんな役目は……」
「条件はそちらにとって、かなり有益なものとしたはずだが…」
低く、よく通る声。間違いなくカイエンのものだった。
「契約期間は二年。その間、ご息女には私の妻として不自由のない暮らしを。
借金の肩代わりと家の立て直しも、こちらで責任を持とう」
“私の妻として”——その言葉が、リアナの胸に強く響いた。
“契約期間”という言葉から普通の縁談ではないのだろうと予想出来たが、カイエンの声には不思議と誠実さが感じ取れ、大切な約束を告げるような響きだった。
「……そんな、娘を取引のように扱うなど」
返答に戸惑うエドガーの声が震える。
「大概の縁談がそういうものだろう?
もちろん彼女が望まぬなら、無理にとは言わない」
静かなやりとりが続く。
リアナは心の中で、何かが弾けるのを感じた。
——この家を救えるのなら、私はできる限りのことをやってみせるわ!
エドガーが再び口を開き、断ろうとした瞬間。
リアナは思わず、扉を勢いよく開けていた。
「お父様!」
驚いたエドガーとカイエンが同時にリアナの方を見る。
リアナは胸の前で両手を重ね、息を整えると高らかに宣言した。
「その結婚……喜んでお受け致しますわ!」
沈黙。
部屋の空気が一瞬止まる。
リアナがカイエンの反応を待っていると、慌てた様子のエドガーが先に口を出した。
「リアナ、何を言っているんだ。これは——」
「お父様。この家と家族を守るために私に出来ることがあるのなら、私は喜んでそれを受け入れる覚悟です」
その声は、まっすぐで揺るがなかった。
カイエンはリアナをじっと見つめたあと、小さく頷く。
「……決まりだな。
その様子だと、大方の内容は聞いていたようだ。
詳細は後日、書面で確認しよう。
準備が整い次第、迎えを出す」
「お待ちください、閣下——!」
エドガーの言葉を遮るように、カイエンは立ち上がった。
「ご息女の覚悟は理解した。では、失礼する」
そのまま一礼すると、カイエンは静かに部屋を後にした。
去っていくその背中を、リアナはまっすぐ見つめていた。
「リアナ……お前、本気なのか」
「もちろんです、お父様。あちらにどんな意図があるのかは正直分かりませんが、エヴァンズ家にとってこんな絶好のチャンスはもう二度と訪れないでしょうから」
その力強い眼差しはまっすぐで、エドガーはそれ以上引き止めることはできず、リアナを抱きしめながらそっと言った。
「リアナ…すまない。ありがとう」
◇◇◇
その数日後。
ヴァルツェルト家の紋章が刻まれた黒い馬車が、エヴァンズ邸の門前に静かに止まった。
エドガーが心配そうにリアナに声を掛ける。
「本当に一人で行くのか…?」
「はい。契約内容の確認と擦り合わせだけですので、私だけで十分ですわ」
リアナは家族に見送られながら乗り込むと、カイエンの元へと向かった。
窓の外に流れていく故郷の景色を見つめながら、
胸の奥で、まだ見ぬ運命の扉が音を立てて開くのを感じていた。
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