スキー部の誘い
11月に入り、山から吹き下ろす風が冷たさを増していた。
キャンパスの並木道はすっかり色を失い、吐く息が白くなる。
真中遥斗は部室棟の階段を上りながら、肩にかけたスキー板の重みを感じていた。
シーズン前の調整期間。新入部員の指導や大会準備で忙しい毎日だ。
それでも、心の奥はどこか落ち着かなかった。
あの日――紬と傘を差した帰り道の沈黙が、まだ耳の奥に残っている。
再会してから、彼女のことを考えない日はなかった。
なのに、言葉にできる気持ちはひとつも見つからない。
部活の終わり、掲示板に貼られたポスターが目に入る。
《スキー部 冬季大会出場メンバー募集》
写真展の隣には、《学生写真部 冬季作品撮影会》の案内もあった。
その下に見慣れた字がある。――「代表:篠原紬」。
思わず足を止めたその瞬間、背後から声がした。
「やっぱり、真中くんだ。」
振り向くと、紬が立っていた。
白いマフラーに包まれた顔が、寒さでほんのり赤い。
「スキー部、まだ続けてたんだね。」
「まあな。辞めたら落ち着かなくて。」
「……そっか。変わらないね。」
紬は微笑みながら、掲示板の自分の名前に目をやる。
「ねえ、お願いがあるんだけど。」
少しの間を置いて、彼女は続けた。
「冬の撮影課題で“動きのある被写体”を撮らなきゃいけないの。
もしよかったら、滑ってるところ、撮らせてくれない?」
唐突な誘いに、遥斗は少し戸惑った。
彼女の視線は真っ直ぐで、まるで答えを試すようだった。
「……俺でいいのか?」
「うん。真中くんが滑るときの空気、覚えてるから。」
その言葉に、胸の奥がかすかに熱くなる。
「いいよ。今度の練習、撮影OKだ。」
紬の顔がふわりと明るくなった。
撮影の日。
早朝のスキー場は、淡い霧に包まれていた。
紬はカメラを構え、ファインダー越しに遥斗を追う。
雪面を切る音、冷たい風、遠くで鳴るリフトの音。
彼女の指がシャッターを押すたび、世界の時間が一瞬止まるようだった。
休憩の合間、二人は雪の上に並んで腰を下ろした。
紬はレンズを拭きながら呟く。
「真中くんってさ、滑ってるとき、すごく遠くを見てるよね。」
「……そう見えるか?」
「うん。まるで、どこにもない場所を探してるみたい。」
遥斗は答えられなかった。
スキーは、彼にとって“逃げるための場所”でもあったからだ。
しばらく沈黙が続いた。
紬は雪を指先でつまみ、そっと投げる。
白い粒が風に乗って舞い上がる。
「ねえ、あの約束、まだ覚えてる?」
「……“また一緒に滑ろう”ってやつか。」
「そう。あのとき、泣きながら言ってくれたの。」
紬の声が、雪の静けさに溶けていった。
練習が終わる頃、紬はカメラの中の写真を一枚見せた。
雪煙の中を滑る遥斗。
その顔は、自分でも見たことがないほど穏やかだった。
「これ、すごく好き。」
彼女がそう言った瞬間、遥斗の胸に言葉が刺さった。
好き――写真のことなのか、それとも。
帰り際、紬がふと空を見上げる。
「冬って、終わるの早いね。」
「……そうだな。」
「だから、ちゃんと残しておきたいんだ。
見えるうちに、撮っておきたいものが、あるの。」
その横顔は、どこか遠くを見ていた。
まるで、自分の中に“終わり”を知っているように。
夜、帰宅した遥斗は机の上に置かれた写真を見つめた。
雪の光の中、自分を撮った一枚。
その背後には、カメラを構える紬の影がかすかに写り込んでいる。
彼女は、何を見ていたんだろう。
その問いが胸の奥に沈んだまま、夜が更けていった。




