すれ違う視線
翌朝、教室の窓から見える空は薄く霞んでいた。
どこか落ち着かない。
ノートを開いても、文字が頭に入ってこない。
教授の声が遠くで響く中、真中遥斗の視線は無意識に窓の外を追っていた。
――篠原、紬。
昨日の再会から、一日が経った。
偶然のはずだった。けれど、心のどこかで“また会える気がする”と勝手に期待していた。
あの光の中で微笑んだ彼女の姿が、瞼の裏に何度も蘇る。
講義が終わり、キャンパスの中庭を歩いていると、人の波の中に見慣れた後ろ姿を見つけた。
薄いベージュのカーディガン。揺れる黒髪。
――やっぱり、紬だ。
声をかけようとして、足が止まった。
どう声をかければいいのか、分からない。
“久しぶり”の次に、何を言えばいい?
迷っているうちに、彼女は人の流れに溶けて見えなくなった。
胸の奥に、微かな後悔だけが残った。
昼休み、友人に誘われて食堂へ向かう。
ざわめく声、トレイの音、カレーの匂い。
ふと奥の席を見ると、紬が数人の女子と笑っていた。
その手元にはカメラが置かれていて、時折何かを見せながら話している。
――やっぱり、変わらないな。
自然体で、周囲に馴染んでいる。
それが少しだけ遠く感じて、胸の奥が静かに痛んだ。
「なに見てんだよ、真中。あの子、かわいくね?」
隣の席の友人が冗談めかして囁く。
「……幼馴染なんだ。」
「マジ? じゃあ元カノとか?」
「違うよ。」
笑って答えたものの、なぜか心がざわついた。
食堂を出たあと、偶然にも紬と目が合った。
一瞬だけ視線が絡む。
彼女が少し驚いたように瞬きし、小さく会釈をした。
それだけのことなのに、心臓が早鐘を打つ。
――気づかれていた。
午後、外は急に曇り始めた。
講義を終えて外に出ると、ぽつりと雨が落ちた。
傘を持っていない。
屋根のある通路を探して走り出したとき、前方で紬が振り返った。
「真中くん、傘、ないでしょ。」
「……ああ。」
「入って。」
彼女の手が差し出す傘の柄。
わずかに距離を詰めると、石鹸のような香りがした。
肩がかすかに触れる。
雨音が傘を叩く。
「ねえ、覚えてる? 小さいころ、雪山で言った約束。」
突然の言葉に、遥斗は息を呑む。
あの雪の夜。転んで泣いた彼女に言った。
――『また一緒に滑ろうな』。
「……覚えてるよ。」
「そっか。」
紬はそう言って、静かに前を見た。
笑っているようで、どこか寂しげだった。
彼女の横顔に、ふと冷たい光が落ちた。
まるで、その笑みの裏に何かを隠しているように見えた。
駅までの短い距離が、やけに長く感じられた。
別れ際、紬は「またね」と言い、傘を差し出した。
「これ、貸すよ。」
「いや、濡れて帰れるよ。」
「いいの。写真撮りながら帰るし。」
そう言って笑い、軽く手を振って歩き出した。
その背中を見送りながら、遥斗はふと思った。
――彼女の“またね”には、どんな意味があるんだろう。
夜、自室の棚から古いアルバムを取り出す。
幼い二人が雪の中で笑っている写真。
指先でその写真をなぞると、雪の冷たさまで蘇る気がした。
風が窓を叩く音がした。
遥斗は小さく息を吐き、呟いた。
「……また、同じ景色を見たいな。」
その願いが、静かな夜に溶けていった。




