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君の隣で終わる世界  作者: サイガ


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18/20

冬の終わり

 春が近づいていた。

 雪は少しずつ溶け、キャンパスのあちこちで水の流れる音が聞こえる。

 紬は、講義棟のベンチに座っていた。

 手の中には、黒いゴーグル。

 あの日、遥斗が残していったもの。


 「……まだ、冷たいね」

 そう呟くと、風が髪を撫でた。


 ――彼がいなくなって、もう一か月が経つ。


 事故のあと、スキー部の活動は一時休止になった。

 皆が口をつぐんだ。

 講義の廊下で彼の名前を耳にすることも、もうない。

 でも、紬の中では、時間だけが止まっているようだった。


 毎朝目が覚めるたびに、雪の匂いがする。

 目を閉じると、白い光の中で振り返る彼の笑顔が浮かぶ。

 ――最後の滑走。

 その瞬間を、何度も夢で見る。


 「紬、今日は無理しなくていい」

 部の仲間がそう言ってくれる。

 けれど、彼女は首を振る。

 「行かせて。……撮らなきゃ、落ち着かないの」


 カメラを手にして、紬は再び雪山へ向かった。

 あの日と同じ山。

 まだ、あの場所には雪が残っているという。


 リフトに揺られながら、紬は空を見上げた。

 雲の切れ間から青が覗く。

 不思議と、怖くはなかった。

 もう、彼の声が聞こえないわけじゃない気がした。


 山頂に着くと、誰もいなかった。

 ただ、静かな風が吹いている。

 紬はカメラを構えた。

 レンズの奥に映るのは、無人の雪原。

 けれど、その白の奥に、確かに彼の姿を感じた。


 ――「また滑ろうな」


 最後に彼が言った言葉。

 紬は、震える唇で小さく呟く。

 「……うん、滑ろう」


 カメラのシャッターを切る。

 カシャ、と乾いた音が響いた。

 ファインダーの中で、風が雪を舞い上げる。

 それはまるで、誰かが滑ったあとの軌跡のようだった。


 「ねぇ、真中……」

 紬は空を見上げる。

 「私、あなたの代わりにちゃんと生きるね」


 ポケットの中のスマホを取り出す。

 未送信のメッセージを開く。

 事故の前日、送れなかった“ありがとう”の文字。

 紬は静かに指を動かし、送信ボタンを押した。


 ――送信しました。


 その文字が画面に浮かぶ。

 返信が来ることは、もうない。

 けれど、彼女は不思議と少しだけ微笑んだ。


 雪が舞う。

 春の光が差し込み、雪面が柔らかく輝く。

 紬はもう一度カメラを構えた。

 「今度は、あなたじゃなくて――私の景色を撮るね」


 そう言って、ゆっくりとシャッターを切る。

 その瞬間、風が吹き抜けた。

 頬をかすめた空気が、どこか懐かしかった。


 まるで、“彼が笑ったあと”の空気のように。


 雪山を下りる途中、紬は足を止めた。

 遠くに、スキーの跡が一本だけ見える。

 風で消えかけているが、確かにそこにあった。


 「……行こっか」

 彼に話しかけるように言って、歩き出す。


 やがて、雪が止み、光が差した。

 空は澄み渡り、白の世界が静かに春を迎える。


 その中で、紬の瞳には、確かな決意が宿っていた。

 彼がいない“これから”を、生きていくための。

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