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君の隣で終わる世界  作者: サイガ


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17/20

最後の滑走

 雪の匂いが、やけに濃かった。

 空は鉛色で、風の唸りが絶え間なく響く。

 遥斗は雪の中から身を起こした。

 身体の痛みは鈍く、左足には感覚が薄い。

 けれど、意識ははっきりしていた。


 「……大丈夫だ」

 自分に言い聞かせるように呟く。

 遠くで誰かの声がする。救助隊だろうか。

 だが、その声よりも早く、別の音が耳を打った。


 ――「真中!」


 その声を聞いた瞬間、心臓が跳ねた。

 紬。


 「紬! 来るな!」

 叫ぶが、風にかき消される。

 彼女の姿が、雪の斜面の向こうに見えた。

 薄いダウンコートのまま、必死に駆けてくる。


 「紬! 危ない、戻れ!」

 遥斗は立ち上がろうとしたが、足が崩れ、膝をついた。

 雪が深く、身体は思うように動かない。


 紬は息を切らしながら近づいてくる。

 顔は涙で濡れていた。

 「バカ……なんで行ったの……!」

 「大丈夫だ。俺は――」

 その瞬間、山の上で鈍い音がした。


 ――雪が動く。


 二人の視線が、同時に上を向いた。

 再び、雪の壁が崩れ始めていた。

 小規模な二次雪崩。

 逃げる時間は――ほとんどない。


 「走れ! 紬!」

 「ダメ、置いていけない!」

 「いいから行け!」

 「嫌だ!」


 風が鳴き、雪煙が立ち上がる。

 その白の奔流が、すぐそこまで迫っていた。


 遥斗は、迷わず紬の腕を掴んだ。

 彼女を自分の胸に抱き寄せ、後ろにある岩陰へと押し込む。


 「真中、ダメ――!」

 「動くな!」


 次の瞬間、雪の奔流が彼を襲った。

 視界が真っ白に染まる。

 音が消え、世界が遠ざかる。


 冷たい。

 けれど、不思議と痛くはなかった。


 ――あぁ、これが雪か。


 遥斗は薄れる意識の中で、紬の顔を思い浮かべた。

 笑っていた。

 あの日の写真展で見た、あの柔らかな笑顔。


 (……また、滑ろうな)


 その言葉を心の中で呟いたとき、意識が闇に沈んでいった。


 ――雪が止んだのは、それからしばらく経ってからだった。


 救助隊が駆けつけたとき、紬は岩陰にいた。

 彼女は動けず、震えながら何かを抱きしめていた。

 それは、遥斗のゴーグルだった。


 「彼が……私を、庇って……」


 かすれた声でそう呟くと、紬の手からゴーグルが滑り落ちた。

 雪の上に落ちたそれは、淡い光を反射していた。


 救助隊が必死に掘り起こす。

 白い雪の中から、遥斗の姿が現れた。

 目を閉じ、穏やかな表情をしていた。

 まるで眠っているようだった。


 紬はその場に膝をつき、震える指で彼の頬に触れた。

 冷たい。

 けれど、その冷たさの奥に、確かに“温もりの記憶”が残っている気がした。


 「ねぇ……見て」

 紬はカメラを取り出した。

 レンズの奥には、一枚の写真が映っている。


 ――吹雪の直前、遥斗が笑っている写真。


 雪の中で、振り返って笑うその顔は、どこまでも優しかった。


 「最後にね、あなたの“生きてる瞬間”を撮れたよ」

 声が震える。

 「だから……もう、忘れない」


 風が吹き抜け、雪が舞う。

 その中で、紬の頬を伝う涙が、ゆっくりと凍っていった。


 白い世界の中で、二人の足跡だけが寄り添うように残っていた。

 その足跡はやがて、静かに雪に飲まれて消えた。

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