雪山の影
朝の光が、雪面を金色に染めていた。
昨日の告白がまだ夢のようで、遥斗の胸には静かな熱が残っていた。
紬と見上げた空の色、触れた指先の温もり――そのすべてが、確かな現実のようで、どこか儚かった。
「今日も滑りに行くの?」
ロッジの玄関で、紬が尋ねる。
「安全確認が必要らしい。昨日コーチが言ってた」
「危ない場所もあるんでしょ?」
「わかってる。無理はしない」
そう言って笑う彼の顔に、紬は一瞬、言葉を飲み込んだ。
「……ねぇ、もし私が“撮ってほしい景色”を言ったら、叶えてくれる?」
「もちろん」
「じゃあ、帰ってきたら聞かせてね」
「約束だ」
その約束が、彼女の最後の願いになるとは、まだ誰も知らなかった。
――午前9時。
部員たちは安全確認のため、リフトで上部コースへ向かっていた。
吹雪は収まり、視界は良好。だが、雪面は前夜の強風で硬く凍っている。
「慎重にいこう。崩れやすいポイントがあるかもしれない」
コーチの声が響く。
遥斗は頷き、一本目の滑走に入った。
雪の上を滑る感覚――
それは彼にとって、世界と繋がる唯一の瞬間だった。
風を切り、音が消え、ただ白い景色だけが広がる。
「……やっぱり、好きだな」
心の中で呟く。
誰にも届かないその言葉が、雪に溶けて消えていった。
だが、コースの終盤で、違和感が走る。
――地面の下が、わずかに沈んだ。
「……っ!」
遥斗がスピードを落とす。
雪の表面が、かすかにひび割れていた。
「下が緩んでる! 戻れ!」
叫ぶ声が後方から響いた瞬間、地面が鳴った。
ドン、と低い音が山にこだまする。
白い壁が、ゆっくりと、しかし確実に崩れ始めた。
雪崩――。
遥斗はスキーを外し、全力で走った。
背後から迫る雪の奔流。
耳をつんざく轟音の中、ただ一つの思いだけが脳裏をよぎる。
――紬に、もう一度会いたい。
間一髪で安全地帯へ飛び込む。
だが、雪煙に巻き込まれ、視界が真っ白に消えた。
目を開けたとき、世界は静寂に包まれていた。
自分の身体が雪に半分埋まっている。
腕を動かそうとするが、動かない。
左足に鈍い痛み。
「……マジか」
遥斗は歯を食いしばり、無線を探した。
通信が途絶えている。
息を吐くたびに白い霧が上がる。
空を見上げると、雲の切れ間からわずかに青が覗いていた。
その青が、不思議と綺麗だった。
まるで、最後の穏やかさを与えるように。
そのころ、ロッジでは紬が落ち着かない様子で窓の外を見ていた。
雪が再び強くなり始めている。
部員の誰かが慌てたように外へ走っていく。
「何かあったんですか?」
紬が尋ねると、その人は短く答えた。
「上のコースで雪崩だ! 真中が巻き込まれたかもしれない!」
瞬間、心臓が凍りついた。
足が勝手に動いていた。
誰かが止める声も聞こえない。
ただ、雪の中へ――彼の名を呼びながら駆け出していた。
「真中! 遥斗!」
白い世界が、音もなく広がっていく。
息が切れ、足が埋まる。
それでも、止まれなかった。
――届いて。
心の中でそう祈りながら、紬は叫び続けた。
「遥斗っ――!」
その声は、吹雪の中に消えていった。




