吹雪の夜
夜は、突然その表情を変えた。
昼間あれほど穏やかだった空が、まるで怒りを溜め込んだように唸り始めたのだ。
窓の外で風が暴れ、雪が横殴りに叩きつける。
ロッジ全体が時折、軋む音を立てる。
「……ひどいね、これ」
紬がカーテンの隙間から外を覗き込み、言った。
その声には不安が滲んでいた。
「明日は出られそうにないな」
遥斗は苦笑しながらも、心の奥で何かがざわついているのを感じていた。
こんな天気、何度も経験しているはずなのに――嫌な予感が拭えない。
ロビーでは他の部員たちがざわめいていた。
「道路、封鎖されたらしいぞ」「電車も止まったって」
ニュースのテロップが“注意報から警報へ”と変わる。
遥斗と紬は、しばらく談話室で時間をつぶすことにした。
暖炉の火がぱちぱちと音を立て、木の香りが漂う。
紬はカメラを手にしていたが、レンズは曇ったままだった。
「撮らないの?」
遥斗が聞くと、紬は小さく笑った。
「今日は、撮れない気がする。……なんか、怖くて」
「怖い?」
「うん。雪って好きだけど、たまに“全部隠してしまいそう”になるの」
その言葉が妙に心に残った。
彼女の瞳は火の光を映しながらも、どこか遠くを見つめている。
「紬」
「なに?」
「……俺、明日スキー場のコース確認、行くかもしれない」
「え? こんな天気で?」
「コーチが気にしてた。安全確認の人手が足りないんだって」
「ダメだよ」
紬の声が震えた。
「行ったら危ないに決まってる」
「わかってる。でも、俺が行けばみんな少しは楽になる」
「そんな理由で、自分を危険に晒さないでよ」
「……ごめん。でも、スキーって俺にとって“生きてる感覚”なんだ」
言葉が途切れた。
暖炉の火が、ぱち、と弾ける音を立てる。
「真中」
紬はゆっくりと立ち上がり、彼の正面に座った。
「ねぇ、私ね……ずっと言えなかったことがあるの」
「……なに?」
「私、病気なの」
遥斗の呼吸が止まった。
「え……?」
「重いわけじゃない。でも、長く無理はできない。だから――あの時、みんなと離れた」
それは、あまりにも静かな告白だった。
雪よりも冷たく、そして優しい声。
「どうして言わなかったんだよ」
「言ったら、あなたが優しくしてくれるでしょう? それが一番つらかったの」
遥斗は何も言えなかった。
ただ、彼女の手を握ることしかできなかった。
外では風がさらに強まり、ガラスが震える。
灯りが一瞬、ふっと消えて、すぐに戻る。
紬はその光の揺らぎを見つめながら、囁くように言った。
「私ね、冬が終わる前に、どうしても撮りたい景色があるの」
「どんな景色?」
「……“消える前の足跡”」
その言葉が、深く胸に沈んだ。
まるで、誰かの“最期”を予感するように。
夜が更けても、吹雪は止まなかった。
外の世界は完全に白に覆われ、ロッジは孤立したように静まり返る。
眠れぬまま、遥斗はベッドに横たわる。
頭の中で、紬の「病気」という言葉が何度もこだまする。
――あの笑顔の裏に、こんな秘密があったなんて。
天井を見つめるうちに、意識が薄れていった。
夢の中で、雪の中を歩く自分が見えた。
その先に、紬が立っている。
振り返り、手を伸ばし、言う。
「追いつかないで。あなたは、生きて」
遥斗は叫ぼうとするが、声が出ない。
雪がすべてを飲み込んでいく。
目を覚ますと、窓の外は再び、静かな白に戻っていた。
嵐のような夜が明け、朝の光が淡く差し込む。
けれど――その静けさは、嵐の終わりではなかった。
むしろ、これから訪れる“運命の始まり”だった。




