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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

竜騎士の青年は不死身の少女を幸せにしたい

作者: かべ蓮花

 俺は竜騎士。戦争のない今の時代、仕事は訓練と竜の調教が殆どだ。

 竜は古来から人々と共存し、大貴族なら所有することも珍しくはない。彼らの竜を管理したり躾けたりすることは主な仕事の一つである。


 現在俺はブレーメン伯爵から依頼を受けている。雲の上の存在である大貴族が何故、一介の騎士である俺に依頼をしたのか。そこにはちょっとした理由があった。


 それこそが今の俺の悩みに直結しているのだが……。


 雨の匂いが微かに残る朝方。ジメジメとした薄暗い廊下に気分は憂鬱になる。この場所は伯爵家の屋敷内にも拘わらず、煌びやかな装飾は一つもない。あるのは無機質な灰色のレンガとそれを静かに照らす沈黙の蝋燭。


 地下室の奥深く、赤色の扉の前で足を止める。古びた扉は重く、開けるとギィィと軋む音が鳴る。

 

 部屋の中には一人の少女と"黒い塊"がおり、少女は今日も首を吊っていた。縄はシャンデリアに吊るされ、蹴り飛ばされた椅子は床に横たわっている。クシャクシャになった幾つもの本は床に散乱しているが、それらとは対照的に新品の本と羽ペンが机の上に丁寧に置かれている。

 

 物音でこちらに気が付き、ヨミは顔を上げる。鏡のように綺麗で透き通った銀色の髪、生気を失った虚ろな黄金の瞳孔。俺含め黒髪黒目が一般的なこの国において、浮世ばなれした少女の容姿が双眸を突く。


 「また来たんですか。物好きですね」


 「仕事だからね。そりゃあ毎日来るよ」


 何度目にもなるこのやり取りに苦笑しながら、彼女の首を縄から取り外し、床に優しく降ろす。


 「堅気な人ですね。前任者は皆投げ出しましたよ。無論、私のせいですが」


 少女は静かに笑う。黒い塊も身体をもぞもぞ動かし、愉快にステップを踏む。


 「レントさんもかなり変わっていますよね。私が言うのもなんですが、人の形した生き物の自殺を毎日、毎日、見せつけられるなんて気が滅入ると思いますよ」


 「自分でも変わり者の自覚ぐらいはあるよ」


 銀色の少女に微笑む返す。俺は物心付いたころから正義感が強かった。自分が許せないと思ったことがあると、そのことしか考えられなくなる。

 そんな性格だから竜騎士と言う人々を守る職業を選んだのだろう。

 そんな性格だからこの場所に通い続けているんだろう。


 俺はクシャクシャに握りつぶされた本を床から拾い上げ、適当なページを開く。


 「そんな面白いものですか? それ」


 ヨミは眉を曲げる。


 「前から思ってたんですけど、なんで日記ばかり読み耽っているんですか? 調教に来たなら大人しく竜だけに構ってれば良いじゃないですか」


 内容は試した自殺とその感想についてだ。ヨミはいわゆる不老不死、この日記には彼女の心の叫びが赤裸々に綴られている。


 ページを捲る。そこには「トリカブト、効果なし。舌の痺れも数分の内に消えて何も残らない」と記されている。

 他のページも捲る。初期の日記のようだ。「小刀を首に刺すけど刃が通らない。何も感じない。痛みってどんな感覚なんだろう……」


 死ねない身体で何百回自殺を試みているのだろうか……。「死にたい」「今日も死ねなかった」「普通なら死ねたはずなのに」「人間になりたい」日記に綴られた文字の数々が言葉となり、俺の耳元で叫び続けているような感覚。


 正義感か、良心の呵責か、虚ろな目で日々、自殺を繰り返す目の前の少女。はっきり言って自分のエゴだ。だけど、曲げることの出来ない信念。

 

 俺は彼女を幸せにしたい。


 「じゃあ今日も始めるか」


 俺は黒い塊に近寄り、しゃがみ込む。触ろうと手を伸ばすと鍵爪のついた手で弾かれる。この黒い塊の正体はヨミが生み出した生き物だ。彼女の能力は不老不死だけでなく、影を操る能力も持ち合わせていて、様々な形に変えることができる。攻撃に用いるどころか、生き物すら作れてしまうのだ。


 この黒い塊は竜を模して作られたらしいが、未完成のそれは竜と呼べるような形を成していない。伯爵家曰く最初はその様な未完成でもある時を超えると自我を持ち、影が一つの生物として動き出すと言う。しかし、竜に至っては一向に生物になる兆候が見えなかったらしい。竜騎士が調教をすれば上手くいくかもしれないと思い、呼ばれたというのが事の顛末だ。


 「今日も変わりなし……だね」


 ポニーのようなフォルム、竜の威厳が一切感じられない丸々とした輪郭。唯一の竜要素である鍵爪。それらを確認しながら呟く。

 

 「ほら、結局は無意味なんですよ。分かったらこんな無駄な仕事、さっさと降りてください」


 ヨミはぶっきらぼうに言い放ち、俺を部屋から追い出そうと身体を押す。彼女の気持ちに共鳴するように影は地団駄を踏む。心なしか睨みつけるような視線を感じる。


 ――やっぱり、思った通りだ。

 頭の中にあった仮説が確信に変わる。恐らく、ヨミの感情と影の行動がリンクしている。それなら話は早い。彼女に空を飛ばせたいと思えばこの黒い塊は竜になるんじゃないか?


 「よし! ヨミ! 外に出よう!」

 

 「私、外嫌いなんですけど……」

 

 俺は満面の笑みを浮かべて親指を立てると、ヨミは不快そうに眉を顰めた。


 訪れた場所は街外れの高台だ。街の中心には広場や商店街、住宅地、そして伯爵家が存在している。一方、外側は農地や川など自然が色濃く存在する。生活圏から外れている為、よほどの物好きでないとこんな場所は知らないのだが、俺は仕事柄この場所から街の外を監視することが多い。

 

 俺たちの前に広がるのは地平線まで見渡せる大きな平原と、雲の隙間から降り注ぐ光のカーテン。

 遠くには緑色の塊――森がポツンと置かれている。地面を見ると背丈の低い草が土色に紛れていて、動物の群れがそれを食べている。大自然、地下室に籠っている彼女には新鮮な景色だろう。

 

 「綺麗ですね……」


 ヨミが言葉をこぼす。欲しかったその言葉に俺は嬉しくなる。ヨミは外の世界に興味を持ってくれた。だから後は彼女に空を飛ばせるだけだ。


 「目を閉じて、ゆっくり深呼吸して」


 少女は言われた通りに目をつぶって息を吸った。風が冷たく頬を撫で、嫌と言う程世界の美しさを主張してくる。


 「風は心地良い?」


 「はい」


 「想像してほしいんだ。自分が風の一部になって、広い大地を飛び回る所を」


 「すごい。楽しそうですね……」


 ヨミは戸惑った様子で答えた。声は少し震えている。


 「俺は竜に乗るとそんな気分になるんだ。風と一体化して空を自由に駆け巡る。遮るものは何もなくて、どこまでも遠くに行ける。竜へ乗っているときだけは自由なんだ」


 「自由……どこまでも遠く……」


 ヨミは地平線の向こうを見つめた。虚ろな目に微かな光が見えた気がする。彼女は雲を掴もうと手を伸ばし空を切る。その時、近くの木から一羽の鳥が遥か彼方を目指して飛び立った。


 「翼ならもうあるじゃん」


 次の瞬間、影はその形を変えた。影は角ばった頭部と細く長い上半身、そして立派な鍵爪を持つ下半身に生まれ変わる。禍々しい黒竜。

 俺は思わず息を飲む。普段なら不吉の象徴とされている黒い体躯が、今は希望の光のように感じる。


 巨大な躯体を起こして、羽を大きく広げた。少女は影の竜に飛び乗り、空へ駆けて行った。


 ――やった!

 大きくガッツポーズ。今、幸せな表情をしているんだろう。成し遂げたことに誇りを抱き、ヨミの表情を見ようと空を仰ぐ。

 

 目が合った瞬間、俺は声を失う。彼女の額は冷汗をかき、小刻みに震えていた。希望を見出したはずなのに相も変わらず、虚ろな目をしている。


 「飛んでしまった……」


 彼女は掠れる声で呟く。微かに聞こえる声に手を伸ばそうとした瞬間、影の竜は空中で黒い霧へと発散。


 「ヨミ!」


 逆さに落ちていく彼女の目は、何か訴えかけるように真っすぐ俺の顔を見つめる。


 ――なんで今の方が幸せそうなんだよ!

 理解できない彼女の行動に寒気が止まらず、土を蹴って走り出す。


 柵に身を乗り出すと、少し下で木に寄りかかるヨミの姿が見えた。携帯しているロープを柵に括りつけ、彼女の元へと降下する。


 「飛び降りるのもダメでしたね……」


 「なんで飛び降りたんだ? 俺はてっきりヨミが望むものを見つけられたと思ったのに」


 「だからですよ」


 ヨミが嘲笑するように呟く。彼女を抱え、高台へと連れ戻す。土で汚れたスカートを軽く叩いた後、俯きながら彼女は話始めた。


 「私が望んでしまったからです。空に飛び立つことを……。今、私は人の不幸より自分の幸せを望みました……」


 俺は彼女の言っていることが理解できなかった。自分の幸せを望むことの何が悪いのだろうか。


 「このことを秘密にして頂けませんか? 私は空を飛んでいないし、影は消え失せてしまったと報告してください。そうすれば皆幸せですから」


 「でもそれじゃあ……」


 それじゃあ彼女はずっと地下室のままだ。毎日のように絶望をして、自殺を繰り返す日々から何も変わらないじゃないか。

 ヨミの張り詰めた笑顔が胸につっかえて上手く言葉が出ない。この子は何を思って、何でここまで自分を犠牲にできるのか分からない。


 「良いんです。私が我慢すれば済む話ですから。一瞬でも希望をくれたこと、私は絶対に忘れません……」


 ヨミはそう言い切って、吹っ切れたような顔をする。帰ろうと踵を返す彼女の腕を思わず掴む。


 「ま、待てよ! 何、一人で解決しようとしてるんだよ! 俺は分からねぇよ。何で自ら望んだものを手放すんだ」


 「ブレーメン伯爵です……。私の力があの方に利用されてしまう」


 足を止めた彼女は背中越しに語り出す。

 その内容は自分の力が強すぎること。竜を生み出すことができ、攻撃能力も備えている。自分一人いるだけで戦局はひっくり返り、無謀な戦争は勝ち戦に変わり、国すらもひっくり返せてしまうこと。

感情が昂ると制御ができなくなるから戦争で使われたらどうしようもなくなること。

 ヨミは痛いほど客観的に自分のことを見ていた。


 「ブレーメン伯爵は野心を持っているお方です。きっと私を御旗に戦争は始まり、沢山の人が亡くなります……。もしかしたら玉座を狙いに行く可能性もあります……。そうなったらレントさんとも殺し合わなければいけないですね」


 力ない呟き。つま先で道端の石を蹴り飛ばし、顔を上げて天を仰いでいる。


 「私は誰も殺したくないです……」


 この一言が彼女の本音なんだろう。俺は覚悟を決めて口を開く。


 「ならその能力は人を殺すためでなく、人を助けるために使ってもらおう」


 「それができたらどんなに素晴らしいことでしょうね」


 理想を語る俺の言葉に、彼女は諦めの入った嘲笑を送り返す。


 「できるさ。俺ならできる。だって報告書を作るのは俺だから」


 彼女はパッと後ろを振り返り、目を見開く。そして声を荒げた。


 「な、なに言ってるんですか⁉ バレたら処刑されてしまいます! 貴族に嘘つくことはそれほど重罪なんです!」


 「知ってるよ。それでも助けたいんだ」


 「なんでそこまでしてくれるんですか……。分けわからないです。怖いですよ……」


 「ヨミのことを幸せにしたいからだよ。それじゃあ理由として弱いか?」


 彼女の目を見つめて、微笑みかける。ヨミは呆気にとられたように目を真ん丸くする。


 「やっぱレントさんって変わってますね」


 ヨミの顔からクスっと笑みが零れ、頬は朱色に染まる。


 「一人で抱えてた私がバカみたいじゃないですか」


 一歩足を踏み出し、俺の手を握る。


 「よろしくお願いします」


 丁度、夕日が雲の隙間から顔を出しヨミを明るく照らす。陽光に照らされて彼女の頬を伝う雫がオレンジ色に輝いた。彼女がそれを指で掬うと恥ずかしそうに俯いた。



 

 しかし、貴族を騙すと言ってもどうしたものか。蝋燭の灯りが影を揺らす中で紙と向き合っていた。

 今から報告書を書く予定だが、中々筆の動きが重い。能力を誤魔化しすぎると嘘がばれるし、伝えすぎると彼女の有益性がばれて、ブレーメン伯爵は手放さないだろう。この塩梅が難しい。


 濡れた布を絞るかのごとく頭から良いアイディアを練り出そうとする。心なしか頭痛がしてきて、目頭を強めに押さえる。


 「仕方ない。ルーネストさんの力を借りるか」


 自分一人で考えることを諦めた。ルーネストさんは俺の故郷に居た謎の女性で、街外れた森の中に住んでいる。沢山の知識と知見を持っていて、頭もよく切れる。俺が都市に住み始めた後も度々、相談に乗ってもらっていたし、今回も何か解決策を教えてくれるかもしれない。


 寝て夜が明けた早朝、俺は相棒の竜にまたがり故郷を目指した。半日飛び続け、出発時には東の地平線にかかっていた太陽も着くころには西の山に触れかかっている。山々を抜けた先、山に囲まれた盆地に広がるのは小さな街。他の街とは自然の境界線で断裂されており、地上から行くには月一回の馬車に乗り、三日かけていく必要がある。俺の故郷だ。


 街を無視して、近くの森の上空へ。隙間なく生える木々の中に見える土色。空き地へ降り立ち、用意されている竜舎に相棒を括りつける。


 「相変わらずそそっかしいわね。来るなら一報寄越せば良いものを」


 「お久しぶりですね。便りが届くより俺の方が速いと思いますよ」


 森と調和するように建てられた高床式の木造ハウス、玄関口に一人の女性が立っている。腰まで伸びた艶かかった黒髪、不健康そうな青白い肌、白いワイシャツに黒色のローブを纏い、濃い青色のスカートを履いている。見た目は30代ぐらいで、服が必死に抑え込んでいる豊満な胸を除けばどこにでもいそうな地味な女性。彼女が俺の師であるルーネストだ。


 「それで今回は何をやらかしたの? どうせ余計なことに片足突っ込んでいるんでしょうけど」


 彼女は椅子に座り足を組む。雑に言い放ったれた言葉に俺はギクッと肩を震わせ、顛末を彼女に話した。


 「はぁ⁇ 伯爵家に喧嘩売る気? バレたら即首よ! それも物理的にね!」


 「分かってますよ。だからバレないための知恵をもらいに来たんです。お願いします!」


 「あんたは次から次へと……。まぁ、言っても変わらないでしょうし、良いわよ。一緒に考えてあげる」


 ルーネストはニヤリと笑い、肘掛けに寄りかかり頬杖をつく。


 「まず、目的をちゃんとしなさい。レントの目的は何?」


 「ヨミを幸せにすることです」


 「その為には何が必要だと思う?」


 「伯爵家から離すことです」


 答える。誘導尋問のような会話。彼女はいつもこんな感じで、話しながら物事を整理していく。


 「彼女の有用性を示せば伯爵家は手放さなくなるでしょうね」


 「でも示さないと地下室から出られないと思いますし、自分が引き取ろうとすればそれこそ疑惑の目を向けられるでしょう……」


 「当然ね。傍から見れば横取りとしか思えないもの。要するに彼女の能力を認めさせた上で引き離す必要があるのよ」


 ルーネストは手を叩く。すると部屋の中に風が舞い、積み上げられた紙の中からいくつかが浮き上がり、すっぽりと手元に収まった。


 「結局は利害の一致よ。レントがヨミちゃんの武力以外の能力を魅力的に提示できるか、伯爵家の領地から手放させるかが鍵ね」


 彼女は紙を机に置き、ニヒルに笑う。俺は首を傾げながら紙を一枚持ち上げ、書いてある内容に目を通す。少し見ただけでも機密情報だと分かり、目を丸くする。本来表に出るはずのない情報――飢饉、モンスターの発生、疫病、この国で今起きてる問題が羅列されている。

 

 「こんな情報どうやって……」


 「女の秘密ってやつよ」


 ルーネストは唇に人差し指を当てて、内緒と言ったジェスチャーをする。


 「竜騎士なら地方の情報を知っていてもなんら問題ないわけだしね。これらの情報を素にヨミちゃんが戦争以外で有益なことを示すのよ」


 「戦争以外……」


 頭の中で見た景色を思い出す。影の竜とヨミの能力。黒い影は何をしていた?

 鍵爪で攻撃された。竜に姿を変えた。そして……。


 俺はハッと顔を上げてペンを取る。


 「ありがとうございます。書いてきます!」


 報告書を書こうと奥の部屋へ走り出す。


 紙に文字を書く手が震えて仕方がない。これに俺とヨミの命運。いや、国自体がかかっていると思うと、恐怖で投げ出したくなる。

 汗をぬぐい、息を長く吐く。

 だけど、俺はやるって決めたんだ。正義を貫き通すため、震える右手を左手抑え、線がぶれないように紙に文字を書き連ねる。




 

 数日が経ち、ブレーメン伯爵に報告をする日がやって来た。影の竜の調教に成功したとの話は伝えられており、良い報告を心待ちにしていると思う。そこへ真っ向から冷や水をかける。

 

 ――大丈夫。ルーネストさんにも許可を貰ったんだ。あとはヨミを屋敷から連れ去るだけ。

 不思議と緊張はしていなかった。寧ろ高揚感や幸福感さえ感じている。感じたことのない感覚。きっとこれが武者震いなんだろう。


 館に行くと執事に招待され、二階に連れて行かれる。目の前には3mはあるであろう巨大な扉が鎮座していた。黒と金色で装飾された扉は厳かな雰囲気を醸し出しており、これから騙す人間――ブレーメン伯爵が大貴族であることを嫌と言う程思い出させる。ハハッと乾いた笑みが力零れた。


 扉が開き、職務室が露わになった。俺はリードを引っ張り影の竜を部屋の中央に連れてから、部屋の奥で鎮座している伯爵の前に跪づく。すぐ横には騎士も控えており、伯爵の発言一つで俺の首は宙に舞うと実感させられ、首元が冷たく感じる。


 「頭を上げよ」


 芯の通った野太い声が鼓膜に響く。顔を上げるとそこにはブレーメン伯爵が座っていた。豪華爛漫な部屋の中、椅子一つにも彼の威厳は宿っていて、肘掛けには見たこともない宝石が埋め込まれている。鎖骨まで伸びる白髭を触りながら話を始める。


 「今回の任務、非常に大儀であった。やはりそなたに頼んで正解であったな。」


 ブレーメン伯爵は和やかな声音で俺に労わりの言葉を掛ける。ただ目は一切笑っておらず、血走っている。きっとヨミの能力をどう使ってやろうかと思案していることだろう。


 ――この人にあの報告書を渡すのか?

 急にこみ上げてきた恐怖、顔からサッと血の気が引く。自分を見失わないよう、指の先の爪で膝の皮膚を掴む。ちょっとした痛みに少し安心する。


 「滅相もありません。騎士として使命を果たしたまでです」


 「あの薄気味悪い怪物を相手にするのはしんどかったであろう。前任者たちもことごとく舌を巻いて逃げっていたからのう……」


 俺は奥歯をグッと噛み締め、息を大きく吸う。感情が悟られないようにあくまで平然に……。そう自分に言い聞かせる。


 「だが、喜ぶのじゃ。あやつは怪物だが能力は本物である。きっとそなたたち竜騎士を助ける存在になるであろう。ハハハハハ」


 声高らかに叫ぶ伯爵を見て、俺は正気に戻る。もしこの方にヨミが渡ったならば……。考えただけでも悍ましい。彼女の幸せは踏みにじまれ、この男のために何人もが死ぬことになるだろう。そしてそれを今止めることができるのは俺だけ……。


 報告書を渡せと手を差し出す伯爵に対し、目線が上にならないように屈みながら手渡す。

 俯きながらも視界の端でブレーメン伯爵の一挙手一投足を捉えている。手が一ページ目から止まり、両手を震わせる。紙の持ち手がクシャと音を立て、潰される。


 俺は最後に首を優しく触り、覚悟を決めて顔を上げる。生きるか死ぬか、人生をかけた大博打が始まる。


 「この報告は本当かね? 攻撃能力は確認できなかったと」


 「本当です」


 怒りに心頭しているのか、震える声で問いかける伯爵に、さも事実を語るかの如く冷静に答える。

 

 「それで竜ではあるが、戦闘には向かないと……」


 「はい」


 伯爵は額に青筋を浮かべて、書類を床にたたきつける。


 「話にならん! 私が直に確かめよう」


 隣にいる騎士に影の竜を切りつけるように命じる。


 「これで全て分かるはずだ。報告通り、生物としての自我が芽生えているなら自己防衛の手段に走るだろう」


 伯爵は高みの見物と言わんばかりに肘掛けに片肘を置き、頬杖をつく。余裕のある言葉とは裏腹に冷汗が頬を伝っている。

 影の竜に関して俺はどうもできない。ヨミに賭けるしかない。

 ――頼む! 勇気を出してくれ!


 騎士が切りかかると、黒いもやが一部削り取られる。影の竜は生物のように叫び声をあげ、巨大な躯体を騎士の方に向ける。バクバクと心臓の音が鮮明に聞こえる。俺には祈ることしかできない。


 竜が攻撃を行おうとし、鍵爪を大きく振り上げる。騎士は身構え、伯爵は期待通りの展開に前のめり。次の瞬間、竜は離散し、影となり、この部屋の床へと溶け込んだ。

 

 ――ヨミは自分で幸福を選んだんだ……。

 まだ心臓の音が余韻として残っている。俺は視界の隅でブレーメン伯爵を見る。

 伯爵は大きく息を吐き、天を仰ぐと、何事もなかったかのように普段の鋭い目つきに切り替わる。


 「レント、お前を信じよう。あれは失敗作だった」

 

 「ブレーメン伯爵、発言を許可していただけませんか?」


 「よい。申せ」


 「私は彼女と接していく途中で一つの可能性を見出したのです。それは輸送能力です。影の竜は人や物資を容易に輸送できます。それもヨミの一言で自由自在に」


 ほう。と、興味深そうに伯爵は身体を前のめりにする。


 「お主はそこに利用価値があると申すか。しかし、それは普通の竜で済む話ではないのか?」


 「はい。影であることから実態が無く流行り病にも強く、ヨミの一存で破壊ので竜舎が存在しない地方でも利用できます。そこで地方にコネクションを持つ我々竜騎士に任せていただきたいのです」


 俺は伯爵が地方問題に頭を抱えていることを知っている。メリットは示せたはずだ。

 ――頼む。首を縦に振ってくれ。

 俯きながら祈り、伯爵の言葉を待つ。


 「中々興味深い話であった。よろしい、不死の少女はお主らに一任しよう」


 「承知しました」


 頭を下げ、退出をする。執務室の重厚な扉が閉められ、いつもの通りの日常に放り出される。

 静かな廊下を通り、階段を下りる。地下に続く階段は薄暗くジメジメとしていて気味が悪い。煌びやかな装飾も無ければ無機質な石畳に安っぽい蝋燭。ただ、今の俺にとってはそれが心地よかった。

 ヨミの元へ走る。彼女は今どんな顔をしているのだろうか。


 部屋の前に立ち、ドアを思いっきり開ける。彼女は俺を見ると胸に飛び込んでくる。


 「ありがとうございます……」


 上目遣いをする彼女の目には涙が溜まっている。いつも散らばっていた本は綺麗に山積みになっている。ただそれだけであの陰鬱とした部屋が不思議と美しいように感じられた。


 「よくやったな」


 彼女の頭をポンっと叩く。恥ずかしそうに頬を染めた彼女は俺から離れ、咳ばらいをする。


 「すいません。今のは忘れてください」


 彼女はそう言うと右手を突き出し、影を操る。俺の黒い髪から小さな影の生物が飛び出し、崩れ、床と同化する。


 「黒い髪が役に立つとは思わなかったよ」


 「私の髪色じゃ絶対バレますもんね!」


 影を使って目を作り、それを俺の髪に忍ばせた。彼女はブレーメン伯爵とのやり取りを見ていたのだ。

 騎士に攻撃を受けたとき、影の竜を崩壊させたのも彼女だ。ヨミは自分の幸せを自分の手で選んだ。


 「じゃあ行こうか」


 「はい!」


 銀色の髪を揺らしながら彼女は笑顔で返事をする。今まで見たことがない屈託の笑み。あの日見せたものとは違う。俺の心を明るく照らすそんな笑顔だった。



 数ヶ月が経った。伯爵家の任務も正式に終わり、一介の騎士として訓練とパトロールの日々に戻る。騎士と言う職業はそう融通が利くものではない。転勤の要請をしてから認められるまで大分時間がかかってしまった。

 ヨミは俺の故郷に連れ帰り、そこで生活してもらっている。あそこにはルーネストさんも居る。あの人もきっとヨミと同じだから……。


 相棒に乗り山々を越える。姿を変えた見慣れた街が眼下に広がる。変わり果てた姿を見て頬が緩む。作りかけでずっと放置されていた城壁の建設が大幅に進んで、町をコの字で囲っていた。あともう少しで終わりそうな勢いだ。


 低空飛行で街の上を散策してみる。俺を見て手を振る顔なじみの人達。そこに紛れて黒い生物が沢山目に入る。年寄りを背に乗せて町中を徘徊する影、重い建設資材を運んでいる影、子供たちの遊び相手になっている影。街の節々にヨミの香りが感じ取れる。


 「あ! レントさん!」


 ヨミが俺を見つけて声を上げる。空き地で子供たちの相手をしているみたいで、陰で滑り台を作っていた。


 「ごめん。しばらく帰れなくて……」


 「い、いえ、これ以上、お手を煩わせるわけにはいきませんから。それより見てください! これ!」


 彼女は一論の花を手にしていた。白を基調に少し緑かかった雪結晶のような花、近くの森でよく見かける植物だ。


 「その花どうしたんだ?」


 「子供たちがくれたんです。髪色に似てるって」


 花を髪の横に掲げてどうですか?と、聞いてくる。


 「すごく似合ってると思うよ」


 「本当ですか⁉ 嬉しいです」


 「うん。それに元気そうで良かった」


 「はい。この街では皆が大切にしてくれますから……。この能力も人のために使えるんです! 全部、全部、レントさんが連れ出してくれたお陰です! ありがとうございます!」


 ヨミは言い放つと気恥ずかしそうに背を向け、子供たちの元へと走って行った。ヨミと子供の笑い声が空に響く。


 ――あぁ、もっと幸せにしたいな。

 伯爵家の地下に居て、自殺を繰り返していた頃に比べたら幸せだと思う。でも、彼女の本当の望みである「普通になりたい」という願いが遠のいているようにも感じる。

 不死という根深い問題。この街の人たちもいつか死ぬ……。

 一緒になってバッタを捕まえる子供達、彼らもヨミを追い越して老いていく。でも彼女は今の姿のまま……。


 急に不安になって居た堪れなくなる。ヨミにルーネストさんの元に行くとだけ告げて、その場を後にする。


 ルーネストさんの家を訪れる。紅茶を出され、向かい合わせで会話を始める。ゆったりとした時が流れる中、隙間風に紙がなびく音だけが鮮明に聞こえる。


 「しかし、君も相当な物好きだね。救うどころか、この街に戻ってくるとはね。惚れてしまったのかい?」


 「そんなことないですよ。流石に救って放置は酷いと思いますし……」


 「その割には数カ月間、私に放り投げたじゃないか」


 「う、それは……」


 言葉が詰まり、俯く。紅茶の赤黒い水面に映る自分の顔は不安を張り巡らせたように張り詰めている。

 ――こんな顔してたのか……。


 「それで本題はなんだい?」


 「え?」


 「そんな顔をして挨拶だけってこともないだろう。普段のレントはもっと、こう……。馬鹿って感じの顔をしているよ」


 「お見通しみたいですね。ルーネストさんってヨミと同じですよね?」


 「なんだい?」


 「ルーネストさんもヨミと同じ不老不死ですか?」

 

 「今さらかい? 十年以上の付き合いだ。顔が変わっていないことを見れば人でないことぐらい分かるだろう」


 逆に気づいていなかったことに驚かれた。ルーネストさんジトっとした目で俺を見つめている。


 「実は……」


 全てを打ち明ける。ヨミの本当の願いと俺の不安について。

 ルーネストさんは頷きながら優雅に紅茶を啜る。「」


 「どうすればヨミは普通の人間のように死ねますか?」


 「人生に満足することだよ。そうすることでしか私たちは逝けやしない」


 ルーネストは横目で窓を見つめ、月明かりに照らされた外を眺める。


 「だからレントの行動は正しい。きっとヨミちゃんはこの街で幸せに生きて、満足して、笑顔で死んでいくと思うから……。私も同胞がそうなることは喜ばしいよ」


 「でも心配なんです。ヨミが周りに置いて行かれて、自分が普通の人間じゃないと実感してしまうのが……」


 「確かに心配だね。でも以前とは違って私がいるじゃないか」


 少し気恥ずかしそうにカップで口を隠しながらルーネストは呟く。


 「私がヨミちゃんのそばに居るよ。それともレントは私じゃ信頼できない?」


 「それもその通りですね。よろしくお願いします」


 「こういうのは柄じゃないんだが……。レントはよくも恥ずかしげもなく言えるよね……。小説のようなセリフを」


 彼女は気まずそうな顔をしながら軽口を叩く。小屋の中を二人の笑い声が駆け巡り、静寂な森に場違いな賑やかさが差し込まれた。

 ヨミの幸せを見届ける為、始まった故郷での新しい生活。満月と夜空の星々たちが祝福の如く、この街を照らしている。


初投稿です!

いやー、不幸な少女を幸せにするっていう展開が大好きなんですよね〜


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