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9.Promenade ~プロムナード~ #2

 -------君、名前は?

 -------後藤美佳。

 -------歳は?

 -------25。

 -------どっから来たの?

 -------九州。

 -------九州の、どこ?

 -------……。

 -------まぁ、いいや。東京には旅行か何か?

 -------ううん、カズキを見つけに。

 -------カズキ? カズキって、もしかして佐原一樹のこと?

 -------そう。どうしてもカズキにひと目会いたかった。

 -------どうして?

 -------私の好きだった人が急に亡くなって、ものすごく辛かった時にカズキの歌に出会ったの。思い切り泣けてきて、それから少しだけ普通の生活が出来るようになったから。

 -------それまでは?

 -------え?

 -------カズキの歌に出会うまではどうしてたの?

 -------仕事以外は何もできなかった。食事もまともに摂ってなかったし、生きているのか、死んでるのかわからない状態だったと思う。実はその頃はあまり記憶にないの。

 -------そっか、それでか。

 -------え?

 -------君を背負った時とても軽かったから。

 -------……カズキに会いたくてあの公園に行ったの。ひと目会えたら、一瞬でも私のこと覚えてくれたら、私の辛さとか苦しさとか報われるような気がして。

 -------泣くなよ。

 -------私、泣いてる?

 -------ずっと泣いてるよ。とりあえず、今日は何も考えないでゆっくり休んで。ここは安全な場所だから。安心していいから。

 -------うん、温かくて優しい感じがする。ありがとう。おやすみなさい。

 -------おやすみ。



 俺は彼女の目が閉じたのを確認するとポケットからハンカチを探して目じりの涙を拭いてあげた。

 意識はあるのに、心はこの世界にないようで、視線もどこか遠くをさまよっている感じだった。それに、目を開けたまま無表情で泣く人を初めてみた。

(……この分だったら、今しゃべったこと覚えてないかもな)

 彼女が自分で自分のことを生きているのか死んでいるのかわからない状態と言っていたのが少しだけわかった気がした。


 長いまつげが目じりに影を添えている。鼻梁は高くもなく低くもなくそのちょうどよさが彼女を際立たせていた。透き通りそうなほどの色白の肌、さらさらと滑り落ちる腰まで届きそうな長い黒髪。

 その整った顔立ちと抱きしめると折れてしまいそうな華奢な身体がより一層儚げな風情を醸し出していた。

 本当に生きている人間なのかと疑いたくなってしまうのは、月光の魔力のせいだろうか?満月の夜に出会ってしまったせいだろうか?


 現実的ではないことを考えていることに気がついて軽く頭を振った。

 寒さと走りすぎて頭がボーっとしている。きっとそのせいだ。

 

「カズキ……」

 俺の住むアパートの管理人でなおかつ俺の伯母である淑子さんが呟くように名前を呼んだ。

 ここは俺の住んでいる『風来館』の食堂兼広間だ。


 あれから、気を失った彼女を落とさないように走って大通りに出たらちょうどいいところにタクシーが通りかかった。

 あの公園からこの『風来館』まで近いけれど、念のため記者たちが車で追ってこないか確認しながら迂回して帰ってきた。

 それで、彼女を広間の隅にあるソファーに寝かせて様子を見ていたわけだけど。


 最初に部屋から淑子さんが出てきた。で、事情を話していたらアパートの住人達が『カズキが女の子を拾って来た』と言って大騒ぎしながら様子を見に来た。


 まったく、人聞きの悪い。

 

 彼女の間近で騒いでいたら目を覚ましてしまい、いろいろ質問をして今に至るわけだが、彼女の事情を知った住人達は言葉を失って黙り込んでしまった。

「どうするの? カズ?」

 長い沈黙を破ったのは美紀さんだった。夜働く美紀さんは仕事から帰ってきたばかりなのだろう。濃い香水とタバコの混じりあった甘い香りがしていた。

「……」

「でもさ、すごい確率だよな。東京でカズキを捜している彼女とカズキ本人が出会うわけだろ?」

「それもピンポイントでごく個人的に。んで、一緒に追いかけられてここまで来たんだから」

 早口で喋ったのは画家の早瀬さん。そして言葉を継いだのは普通の会社勤めをしている原口さん。その隣ですごいわね、と呟いて目をキラキラさせているのは大企業の受付嬢をしている礼子ちゃん。それから美紀さんと俺、淑子さん。

 周りを見回せば真夜中に『風来館』の住人勢揃いだ。

 まぁ、確かに大きな出来事かもしれないし、他人からみるとドラマチックかもしれない。

 

 俺自身は、大変なものを拾ってしまった、というのが率直な感想だった。

 でも、放っておけなかったというのも本音で。

 月光に照らされた彼女は美しく幻想的で、その現実離れした感じが危うくてこのままあの場所においていくわけにはいかない気がしていた。


 だから、彼女に手を差し伸べたらその手を握り返してきた。


 その結果がこれなのだけど。

「こういうことも珍しいけど、何かの縁だ。カズキ、確か今週から一ヶ月ぐらい仕事ほとんどヒマだったよね? せっかくなんだからこの子に東京を案内してあげなさい」

 淑子さんがぴしりと言い放った。

「ヒマってことないよ。忙しいのが少し落ち着くだけで。それに、今回のまとまった休みで実家に帰省しようかと……」

 ヒマと言ってもライブのツアーとか単発ライブが立て込んでいないだけで、事務所には顔出さないといけないし、俺だっていろいろ忙しい……。

 そこまで思って、みんなのジトーッとした目が『薄情者!』と訴えていることに気がついた。

 5人の恨みがましい目で見られると結構迫力がある。

「九州からわざわざいらっしゃったんだ。カズキの歌を好きになって、あんたを慕って東京まで。ここまでの事情を聞いたとくれば、きちんとおもてなししてあげるのが義理人情ってものでしょう。おもてなしはお金や贅沢をつくすものだけじゃなくて、心を最大限につくしてもてなすこともあるのよ。なるべくそばにいてあげて彼女が東京にいる間は寂しくないようにしてあげなさい」

 淑子さんが俺にまっすぐな目と言葉で語りかけてきた。

言葉はぶっきらぼうだが、人に対してまっすぐで優しい淑子さんと一緒にいると、時たま自分のことしか考えられなくなってしまうことが恥ずかしい。

 確かに、『なんで、赤の他人にそこまで』と思いかけたが、彼女に一緒に来る? と誘ったのは俺だ。

 そして、人間、困った時や苦しい時はお互い様なのだし、何より彼女が俺の歌を聴いて胸が焼け付くような苦しみが少しだけ癒えたのは本当のことだろう。

(まぁ、人のために使う休暇ってのもアリかもな)

「わかったよ。実家には帰れないって電話しとくよ。でも、1ヶ月完全オフってわけでもないんだぜ? ライブ1本入ってるし、事務所には顔見せにいかないといけないし」

 本当のことを言ったまでなのに5人の間には『ハイハイ』という雰囲気が漂っているのは納得いかない。言い訳がましく聞こえたか?

「よし、じゃあ夜も明けそうだし、とりあえずお開き! で、彼女のおもり役はカズってことで! ここじゃあ朝方は冷えこむから今日はとりあえず私の部屋に運んでいい? 淑子さんいいでしょ?」

 美紀さんは、俺ではなくなぜか淑子さんに許可をとっていた。やっぱりなんか納得いかない。んー、まぁ、そんなことはいいか。

 そんなことを考えていたら、淑子さんは重々しく頷いて自分の部屋に帰ろうとした足を止めて振り返った。

「カズキ。この子が目を覚まして、宿が決まってないならこのアパートの空き部屋を使ってもいいと伝えてあげて。どうするのかは彼女次第だけど」

 淑子さんはフッと笑うと、じゃ、頼んだよ、と言い残し自分の部屋へ引き上げた。

 そういうところが敵わない。一見自己中心的に見えるのに人のことを考えている淑子さんの懐の深さ。重々しくてぶっきらぼうで時たま高圧的なのに、嫌いになれない。

 俺が東京へ行くといった時、親父が「淑子姉さんのところに行け」としつこく言っていた意味が最近よくわかってきた。

 ここには当たり前に人の温かさがあった。少人数ということもあるけど、隣の人をまったく知らないなんてありえない。良くも悪くも住人みんなが知りあいで、それが時には鬱陶しくもあるが助けられていることも事実だ。

 俺自身も、ここではミュージシャンの『カズキ』ではなく、自然体の『佐原一樹』でいられる。みんなも俺を特別扱いしない。ある意味みんな職業とか年齢とかお構いなしだ。

「カズキ、美佳ちゃん運ばないの? お姫様だっこでもおんぶでもどっちでもいいから早くしないと、俺、お持ち帰りしちゃうよ?」

 早瀬さんがだらしない顔をして彼女に触ろうとしたら、美紀さんがすかさずその手をペシッと叩いた。いい音がしたので本気で叩いたはずだ。

「痛いなぁ~」

 早瀬さんが情けない顔をして手をさすっていた。

「早瀬のオッサンはふざけてないでさっさと部屋に帰る! カズは早く彼女を私の部屋に運んで。カゼ引いたら困るし」

 早瀬さんはスゴスゴと、原口さんと礼子ちゃんも俺や美紀さんと挨拶を交わして部屋に引き上げていき、それを見届けた後、眠っている彼女を横抱きに抱えたら顔が近い位置にきてちょっとドキっとした。

 その上、早瀬さんが言っていた『お姫様だっこ』という言葉を思い出して気恥ずかしくなったが眠っている人間を背負うと落としそうだからと気を取り直し、とりあえず頭の隅に追いやっておく。

彼女を抱き上げてみて、気のせいでなくやはり軽い。

「こんなに痩せちゃって。なんか痛々しいね」

 美紀さんがポツリとつぶやいた。


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