8.逃げる
カズキらしき人は私の手をとり、馴染みの場所を走るように路地裏をどんどん進んでいき、夜のしじまに二人の足音だけが響いていた。
「どうして、逃げるの?」
呼吸が苦しくて途切れ途切れに尋ねる。
「あれは週刊誌の記者なんだよ。今のところ、あの場所での俺の存在は噂でしかないからつかまったらマズい。これは事務所も知らないことだから迷惑かける」
そういうと彼は後ろを振り返った。
「まだついてくる。今日のはしつこい!」
私も振り返ってみたら後方に小さく中年の記者2人が見えた。
じゃあ、なぜそんなことするの?と問いたかったけど、息が上がって言葉にならない。
「息抜きと、あまり手にしない楽器の目線で音楽に触れてみたいから」
疑問が表情に出ていたらしい。私の顔を見て彼が答えた。
そっか、だからトランペットなんだ……。
カムフラージュの意味もあるのかな? カズキがトランペットなんてイメージとかけ離れているから。
テレビや映像で見る限り、カズキは歌とピアノ、ギターとブルースハープというイメージしかなかった。
そこまで考えて、これは本当にカズキだろうか? という何度目かの疑問が湧いてきた。
もし、本物のカズキだったら、私はカズキと手をつないで一緒に走っている。
心臓が一つ大きく飛び跳ねた。早鐘のような鼓動に呼吸困難寸前だ。足ももつれてきた。
「ほ、本当に、カズキ……? あっ!」
ずっと走っていたせいだろうか?
被っていたチューリップハットが突然脱げて後ろにコロコロ転がっていった。
「どうした?!」
「帽子が!」
私はカズキの手を振りほどいてチューリップハットをとりに行った。
「おいっ! 待て」
待てない。あれはお気に入りの帽子なのだから。そう思い追いかける。
その間に私たちと記者たちの差がどんどん詰められて20mぐらいになった。
「早く乗って!」
「え?」
戻ってきた私に彼は背中を見せていた。
「俺が背負って走ったほうが速い。君、もう走れないだろう?」
「ええーっ!」
「いいから、早く!」
有無を言わさぬ強い口調で言われて彼の背中に身体をあずけた。
そして、彼が全速力で走り出したら、またたく間に記者たちを引き離しはじめる。
「俺の顔、明るいところで好きなだけ見せてやるよ。俺は佐原一樹だ」
今度は心の中で、えーっ! と叫んだ。恥ずかしさで顔がかぁっと熱くなる。
今、私はカズキに背負われていて、その上、走ってるせいで荒い息遣いも間近で聴こえて……。
久しぶりに走ったのと、衝撃的なカズキとの出会い、そして今の状況に一気に混乱した。
(嘘、信じられない……)
酸欠とパニックで気が遠くなってきた。
(ダメ! しっかり、私!!)
遠のいていく意識をつなぎ止めることができなかった。
それでも、気を失っても、何があっても、彼から離れないと心に思いながら。