7.凍月花~とうげつか~
随分歩いて捜したように思う。
でもカズキらしい人はいなかった。
何気に腕時計を見たら午前2時を回ったところだった。
今日はカズキを捜すから、と思って泊まる所は予約していなかった。東京だから飛び込みでもどこかあるだろうと思っていたけれど、こんな時間に迷惑がらずに対応してくれるホテルとかあるだろうか?
思わずため息がもれる。芯から冷える寒さで吐く息がとても白い。身体も小刻みに震えていた。
ストリートライブを見に来た人も、歌っていた人も、もうほとんどいなくなっていた。いい加減歩き疲れ、ふと気がつくとシークレットライブの会場に戻っていた。
ここにはもう誰もいなかった。
その凍りついたような静けさに余計寒さを感じる。
とりあえず足を休めたいと思い、どうせならと満月が一番見える観客席の一番上に座った。
石畳が氷のように冷たい。
辺りは月の光に満たされて、その場所に存在するものたちは暗闇に降り注ぐ圧倒的な光を浴びて安らかに沈黙しているようで美しかった。満月の光なら、それはなおさら。
特に石畳は青白く光り神秘的で大昔の遺跡にでも来たみたいだった。
ほぅ、と息をついて満月を見上げる。まあるい月がそこにあった。
瞳の奥に、身体の奥に、心の奥までも月の光が鋭く差し込んで、傷も苦しみも悲しみも光を求めて奥底から全て浮かび上がってきそうだった。
でもそれが心地よくて全てを包んでほしくて、ここで一晩中満月を見ていてもいい気がした。
例え、いっそのことこのまま消えてしまっても……。
ここへ来た瞬間から、暖かい場所に身を委ねる気はさらさらなかったのかもしれない。
こんな綺麗な満月の夜なんだからあの人が迎えに来てもおかしくはない。
迎えに、来る?
心の中で問いかけて薄く笑った。
息も出来なくなるほど凍えてしまえばいい……。
月光のせいで何かおかしくなっているのは心の片隅でわかっていた。でも、もうとまらない。
「まるで凍えた月の花だな」
ハッとして声のした方を見ると石畳のステージ上に誰かがいた。
満月に魅入られて人の気配を全く感じなかったけど、よく見たら、シークレットライブでトランペットを吹いていたガラの悪い男性だった。
ゆっくりこちらへ近づいてくる。
「君、ライブの時オレのこと見てたろ?」
月明かりに照らされて妖しげにサングラスが光る。
「あなた、誰?」
こんなガラの悪い人とまともに会話していること事体がもう普通ではない。
私はこの人に金目のものを盗られて口封じに殺されてしまうのだろうか?
ここで命を落としてしまうのだろうか?
なぜこんなことを冷静に考えて受け入れようとしている私がいるのだろうか?
「オレ? オレは……佐原一樹」
佐原一樹という名前を聞いた途端、私の中でパチンとスイッチが入った。
現実が戻ってきた。
そうだ、私はカズキを見つけにここへ来た。
え?
えっ??
ちょっと待って??
もう一度よく考えてみる?
カズキって……。
「カ、カ、カ……」
ビックリしすぎて、口をパクパクさせるだけで声にならない。
本当に、カズキ?!
「いたぞ!! こっちだ! カズキはこっちにいる」
姿は見えないけど、少し向こう側でまた違う声がした。そして走ってくるかすかな足音。
「うわ、やべっ! 見つかった」
声を聞いて彼は一気に階段を駆け上って私のそばでふと足を止めた。
逆光で顔の表情はよく見えない。
「ここにいても寒いっしょ? 一緒に来る?」
彼の手が差し出された。
下方からだんだん足音が近づいてくるのに比例して心臓がものすごい音を立てはじめる。
普段なら知らない人の手なんて絶対取らない。
それなのに、月明かりに照らされた彼の手を見ているうちに、生まれてくる強い感情に余計なものが全て巻き込まれた。
幻のような月夜の中、差し出された彼の手だけが真実のように思えて。
それはまるで覚醒という言葉が似合う、正気なような狂気。
満月が、私を狂わし、動かす。
その手に、私を賭けてみる。
彼に手を伸ばした。
視線を上にあげると光に手を伸ばしている錯覚。
再び現実を失いそうになった瞬間、強い力で引っ張り上げられた。
間近で顔をあわせる。月明かりに透けて、サングラス越しに見えた強い瞳。
「よし、行こう」
私たちは月明かりの中を夢中で走り始めた。